Research Digest (DPワンポイント解説)

生産性上昇を伴わない労働コスト増加が労働市場にもたらす影響:日本における2003年の総報酬制導入を自然実験として用いた分析

解説者 児玉 直美 (コンサルティングフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0119
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日本は高齢化の進展に伴い、近年、労働者と企業に対する社会保険料の負担が増大している。児玉直美RIETIコンサルティングフェローは、2003年の総報酬制導入という制度変更に着目。社会保険料の徴収対象を、月給だけでなくボーナスまで含めた総報酬にするという外生的な変化において、社会保険料の負担増が雇用の減少や、平均労働時間および平均年収の増加を招いたことを明らかにした。また、企業の総支払賃金は変化していないことから、労働者が労働の長時間化を通じて社会保険料増を賄い、一方企業は雇用削減でコスト増加分を相殺したと分析。生産性上昇を伴わない労働コストの増加は、雇用を減らす可能性があることを示唆しているとした。

社会保険料負担増の帰着

――今回の研究に取り組もうと考えたきっかけをお聞かせください。

日本では、国民所得に対する税や社会保険料の割合が40%を超えている状況にあります。この国民負担率はヨーロッパと比較すると低いですが、アメリカと比べると高い比率であるといえます(図1)。さらに、高齢化が進む日本では、その比率が毎年徐々に上がっている状況です。例えば、法人税は企業の競争力低下を招くという観点から税率がなかなか上がらず、むしろ下げる議論がされています。また、消費税は政治的な面から、税率引き上げには至っていません。ところが、社会保険料に関していえば、今の労働者が負担している社会保険料率は、2003年と比較して1.5倍ほどに増加しているのです。従って、社会保険料はより大きな国民の負担となってきているのです。

図1:国民負担率の国際比較
図:卸売業の資本金分布

さらに、社会保険料は労使折半のため、労働者と同様に企業にとっても大きな負担となり得ます。社会保険料増が人件費の上昇につながり、企業の雇用、賃金、労働時間などに影響を与えると想像できます。しかし日本の場合、社会保険の制度はほぼ全国一律であるため、社会保険料の増加が与える効果を純粋に検証することは簡単ではありません。そこで、社会保険料増による労働コストの上昇が、労働のさまざまな面にどのような影響を及ぼすのかを調べたいと思うようになったことが、最初の研究動機です。

――今回の研究内容に関する先行文献はありましたか。また、それを基に今回はどのような課題を検証しましたか。

社会保険料の負担増が労働市場に与える影響ということを念頭に基礎研究を調べてみると、労働コスト上昇分を誰が負担するかに関する先行文献があると分かりました。例えばスウェーデンのホルムルンド(Holmlund)は、1970年代にスウェーデンの社会保険料が大幅に引き上げられたことを利用して、負担増の約半分が労働者に転嫁されていると明らかにしています。また、Anderson and Meyerは1985年のアメリカ・ワシントン州の失業保険の保険料率の変更を利用して、事業主負担分の大半が労働者に転嫁されていることを発見しました。日本では、橘木俊詔先生(京都女子大学)と横山由紀子先生(兵庫県立大学)が2008年の論文で、社会保険料の企業負担分は賃金に転嫁されていないことを述べています。反対に駒村康平先生(慶應義塾大学)と山田篤裕先生(慶應義塾大学)の論文では、企業負担分のほぼ全てが賃金に転嫁されているという結果を得ています。

このような「誰が負担するか」という問題は帰着と呼ばれます。この帰着に関して、日本の法律上は労使折半で半分ずつ負担とされていますが、実質的な負担がどこに帰着するかというのは、理論的には労働需要と供給それぞれの賃金弾力性の大小関係に左右されるため、必ずしも法律や制度で定められた割合と同じにはなりません。そして、これらの賃金弾力性の大きさは実際の労働者の選好や企業の環境に依存するため、使用データの差異などのさまざまな違いによって、事業主負担分が労働者に転嫁されているという結論もあれば、そのまま事業主が負担しているという結論も見られます。そこで、理論では決着を付けられないと考えて、データを用いて実証を行い、2000年代の日本でどうなっているか調べたというのが今回の研究です。

社会保険料の負担が労働市場に及ぼす影響

――日本では原則として全国一律で政策が実施されるため、社会保険料の影響だけを測定することは難しいと思いますが、社会保険料増の影響を観察するために今回の研究ではどのような工夫をされましたか。

今回は、2003年の総報酬制導入という政策変更を利用しました。2002年までは社会保険料は原則として月給にのみ課されていましたが、2003年4月より、月給だけでなくボーナスにも社会保険料が課されるようになりました。これが総報酬制です。この改正は公平性の観点から導入された政策です。例えば同じ年収1,000万円であっても、500万円が月給で500万円がボーナスの人と、1,000万円全てを月給でもらっている人とでは、年間の社会保険料に差が出てしまっていました。この不公平な状況を是正するため、制度が見直されたわけです。2002年まで月給およびボーナスに掛かる社会保険料はそれぞれ25.96%と2%でしたが、改正により月給、ボーナスともに徴収率が21.87%に変更されました。結果として、年収のうちボーナスが占める割合が高い労働者や企業では、2003年以降、社会保険料の負担が増し、ボーナス比率が低い労働者や企業では社会保険料負担が減ることとなりました。

このように、保険料率の改正は全国一律で行われましたが、それがもたらした影響は、制度改正前の年収に占めるボーナスの比率によって、負担が増した企業と下がった企業に分かれました。この制度変更による外生的な効果を利用して、社会保険料増の効果を検証しています。

――この総報酬制導入に着目することで、どのような研究結果が得られましたか。

2003年の総報酬制導入により社会保険料の負担が増えた労働者を見ると、その労働時間は長時間化しており、その分だけ賃金も増えたことが明らかになりました。従って、労働時間が増えた分だけ賃金も増加し、結果としてその増加分が社会保険料の増加分を埋め合わせたと解釈できます。一方、事業所単位では労働者1人当たりに払う賃金の増加分を、雇用を減らすことで調整していることが分かりました。事業所の総支払賃金には変化はなかったということです。ただし、労使折半のため企業も社会保険料の増加分の半分を支払わなければいけませんが、それは企業が全て負担したと考えられます。

総じて、総報酬制の導入によって負担が増えた企業では雇用の削減が見られます。総報酬制の導入を、生産性上昇を伴わない労働コスト上昇の代理変数ととらえることで、生産性上昇を伴わない労働コスト負担が大きくなった企業で雇用が減っているということを示すことができました。

――具体的な数値なども交えた分析についてもお聞かせください。

図2は、労働者の平均労働時間(左図)および事業所の総労働時間(右図)の、総報酬導入前後の変化を示したものです。労働者の平均労働時間を見ると、2003年の制度変更後に平均的な労働時間が増えていることが見て取れます。一方、事業所の総労働時間においては、制度変更の前後で大きな分布の変化はありません。すなわち、企業を辞めずに雇用を継続している労働者の平均的な労働時間は増えているのですが、その分だけ雇用が削減されており、事業所全体の総労働時間は変わっていないというのが、この図の表すところです。

図2左:政策変更前後の平均労働時間分布/図2右:政策変更前後の事業所総労働時間分布
図2左:政策変更前後の平均労働時間分布/図2右:政策変更前後の事業所総労働時間分布
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また、社会保険料を企業が負担するのか、労働者が負担するのかという帰着の問題は、賃金の弾力性の大小によって決定します。労働供給が非弾力的で労働需要が弾力的な場合ですと、負担は労働者に帰着しますし、逆に労働供給が弾力的で労働需要が非弾力的な場合には、企業に帰着するということです。このことについても、次のように検証しています。労働者の社会保険料の支払額は、賃金のおよそ11%に相当します。そして、月給に対するボーナス比率が1カ月分高くなると、制度変更によって社会保険料が6%ほど高くなることが計算から分かりました。仮に賃金が変わらないとすると、制度改正後には、ボーナス比率が1カ月分高い労働者は、そうでない労働者に比べ、11%×6%、約0.7%分多く社会保険料を支払わなければならないことになります。ここで、この0.7%の増加分がどこに帰着するか、ということが、賃金の弾力性の大小で決まるわけです。今回の結果では、雇用継続している労働者に関して、0.7%の増加分は企業によって支払われていることが分かりました。

さらに、今回の分析では、月給に対するボーナス比率が1カ月分高い事業所では、政策変更後に雇用が0.9%減少することが判明しました。賃金上昇のコストを埋め合わせる形で雇用が削減されているということです。ただし、これはそれほど大きな雇用削減だとは思っていません。例えば、20歳から60歳までの労働者が年齢ごとに同じ人数ずつ働いていると仮定すると、定年退職により毎年2.5%が退職することになります。この数字から鑑みても、制度改正後に激しいリストラなどが起こったわけではなく、多くの企業では採用抑制などで対応したと考えられます。

自然実験の手法

――2003年の総報酬制導入を自然実験とみなして分析されていますが、自然実験とはどのような手法ですか。

自然科学では「実験」ということを行います。例えばある薬が効くか効かないかを検証する際には、あるグループの患者さんたちに薬を使用して、別のグループの患者さんたちには投薬しないという方法を採り、それぞれのグループでどの程度病気が治ったかを調べれば、その薬の効果を検証できます。しかし社会科学においては、そのような直接的な実験は現実的に難しいといえます。例えば企業への補助金政策が実施されるとして、補助金をもらえる企業ともらえない企業にグループ分けを行えば、薬の効果と同様、その補助金が本当にいい政策であったかどうかを判断できるはずです。しかし実際には、企業をランダムにグループ分けして一方は補助金あり、もう一方は補助金なしということはできません。そこで社会科学では、何らかのイベントなどを利用して、ランダムに割り当てたのと同じような状況を作り出すということが行われます。これが自然実験です。

この自然実験で一番有名なものは、The American Economic Review に掲載されたアングリスト(Angrist)の論文に見られます。論文の内容は、徴兵が長期的にその人の生涯年収にどのように影響を与えたか、というものです。単純に考えると、徴兵されたかどうかでグループ分けを行って、その後の収入について検証するといいように思われます。しかしながら、徴兵されたかどうかという基準では、完全にランダムにならない可能性が残ってしまいます。もしかすると、人的資本が低く仕事が見つからない人に限って徴兵に応募していたり、反対に体が強く人的資本が高い人に限って応募していたりすることが起こっているかもしれません。人的資本が低ければその後の年収も低くなるだろうと考えられますし、体が強い人は徴兵に応募せずともその後の年収は高くなる可能性があります。アングリストたちの研究ではこのような可能性を排除するため、ベトナム戦争時の徴兵に着目しました。ベトナム戦争の徴兵の際には、くじを使って生まれた日により徴兵される、または徴兵されないということが決定されました。このランダムな状態で分けられた2つのグループのその後の所得が、徴兵の有無によりどのように変わったかを研究したのが彼らの研究です。結果として、彼らは徴兵により15%ほど生涯年収が下がったことを発見しています。以上のように、ランダムな状況を利用して分析するのが自然実験と呼ばれる手法です。

――自然実験によるメリットや、自然実験を行ったからこそ得られた知見などはありますか。

日本では高齢化が進み、社会保険料の負担は労働者にとっても企業にとっても大きくなっています。そして、さらなる高齢化により、その負担が一層増えることも予想されています。社会保険料増によるコストの上昇は多くの労働者、企業が感じていることではありますが、これが労働市場にどのような影響を与えるかというのは、全国一律で制度が採用される日本では検証が難しいことでした。例えば、去年から今年にかけて、社会保険料率が上がり、雇用が減ったとしても、保険料負担のために雇用が減ったのか、景気が悪くなったから雇用が減ったのか分かりません。その効果検証が、総報酬制導入による自然実験で行われたことは、非常に有意義なことだと感じています。

政策的インプリケーションと今後の取り組み

――この研究から得られた政策的インプリケーションについてお聞かせください。今回の研究内容に関して、どのような点を政策担当者に伝えたいですか。

社会保険料が上がること、つまり生産性上昇を伴わない労働コストの上昇が、雇用にマイナスの影響を与えるということが、われわれの一番大きな発見です。今後も社会保険料が上がっていくのが確かな中で雇用が減る可能性があるという点は、政策担当者にお伝えしたいメッセージです。

また、現在、経済界への賃金増の要請や働き方改革による残業抑制などが叫ばれていますが、これは実質的な労働コストの上昇につながります。もしこれが生産性上昇を伴わない労働コストの上昇であるとすると、雇用減をもたらす可能性があるということです。ただし、効率賃金仮説でいわれるように、これらの政策が労働者のやる気を引き出す方向に働いて生産性をアップさせるのであれば、雇用や賃金も上がるかもしれません。しかしながら、単にコストだけが上昇するような状況となれば雇用が減る可能性があるということを、伝えておきたいと思います。

――最後に、今後取り組んでみたい研究テーマはありますか。

税の研究は非常に多く見られますが、社会保険料に関する研究はそれほど多くないように見受けられます。ただ、今や税負担よりも社会保険料の負担の方が大きくなっていますので、社会保険料の負担が企業活動にどのような影響を与えるかという研究は、機会があれば行いたいです。

解説者紹介

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児玉 直美

1993年4月通商産業省入省、1999年2月から通商産業省通商産業研究所、2001年7月から経済産業省を経て、2013年4月より一橋大学経済学研究科 准教授、2016年4月より現職。
主な著作物:"The Labor Market Effects of Increases in Social Insurance Premium: Evidence from Japan"(横山泉氏との共著)Oxford Bulletin of Economics and Statistics (forthcoming)、"Transplanting Corporate Culture across International Borders: FDI and Female Employment in Japan" (Beata Javorcik氏、安部由起子氏との共著)World Economy (forthcoming).