Research Digest (DPワンポイント解説)

日本の健康診断受診およびその効果に関する実証分析

解説者 乾 友彦 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0117
ダウンロード/関連リンク

乾友彦RIETIファカルティフェローは、生産性に関するデータ構築に取り組む中で、医療や教育分野における生産性の測定に着目。今回の研究では特に、健康寿命の延伸を目的として政府が推し進める健康診断を主な研究対象とした。健康診断の普及が健康寿命の延伸につながるものかどうかは議論が必要であるとし、その有用性をデータに基づいて検証。地域や個人ごとの健康診断受診率の要因分析を行った。さらに2008年の特定健康診断制度導入が受診率、個人の健康観、ストレス、医療支出などに影響を与えるかを分析した。結果、受診率には地域差や個人の雇用形態による差異があり、一方、特定健康診断制度導入は健康観や医療支出などに明確な効果を与えていないことが確認された。

医療・教育分野への関心

――医療や教育の分野に注目されたきっかけは何だったのでしょうか。

私は日本産業生産性データベース(Japan Industrial Productivity Database: JIPデータベース)のデータ構築に長年携わってきました。そのJIPデータベースの構築において大きな問題となるのは、サービス産業の生産性についてです。特に、医療や教育などの非市場型サービス産業の生産性を測定している研究者はほとんどいません。しかし、医療や教育に対する需要が高まる中で、その生産性の動向がまったく分からないことは問題ではないかとJIPデータベース班で議論がありました。そこで、班のメンバーと相談して、医療や教育の分野における生産性の計測をできるようにしようということになりました。そのためには医療や教育サービスの実質生産量の計測が必要となります。特に他産業との生産性の上昇率が比較できるよう医療や教育サービスの質の向上も考慮に入れた実質生産量の計測が必要だと考えたことが、最初の出発点です。加えて政策的インプリケーションのある研究も同時に行えたら良いのではないかと考え、これまで主に取り組んできた製造業から離れた研究を行っています。

――今回の研究では、健康診断を研究対象とされています。幅広くテーマを考えられる医療分野において、健康診断に注目された理由は何ですか。

将来の医療費増大の懸念から、厚生労働省は健康寿命の延伸に注目するようになりました。そのための政策の1つとして、同省は健康診断の普及に尽力しています。健康診断をより多くの国民が受けるようになれば、さまざまな病気の予防になり、結果的に将来の医療費の大幅な増大を避けられるのではないかと考えられるからです。健康寿命の延伸には多くの国民が賛成するでしょうし、われわれ経済学者も異論はないのですが、そのための対策が健康診断で良いのかという点については、もう少し議論が必要であると考えています。現状は、必ずしも客観的な証拠の積み重ねによる政策ではないため、何かしらの検証が必要ではないかと思い、健康診断を取り上げることにしました。

また仮に健康診断が政策として適切だとしても、その受診率が低ければ効果は得られません。受診率の背景には健康診断に対する信頼性など多数の理由があると思います。私たちは、まずは健康診断の受診行動は何に起因しているのかを把握することが必要であると考え、今回は健康診断の受診率を主な研究対象としました。

――健康診断にはどのような種類があるのかを読者の皆さんに分かりやすく説明してください。

健康診断は一般健康診断と特定健康診断の2種類に大別されます。どちらもがん検診などのように特定の疾病を発見するための診断とは異なり、一般的な健康状況を測るための診断です。一般健康診断は皆さんが会社や学校、地域で受ける健康診断のことです。雇用者や被雇用者に関しては法律が定められており、雇用者は雇用時および年に1度の一般健康診断の実施が、被雇用者はその受診が義務付けられています。ただし、従業員のいない個人事業者や主婦等、この法律によって義務化されていない人々は、なかなか健診の時間が確保できないこともあり、積極的には受診しないという状況があります。

特定健康診断は2008年に導入された制度で、40歳以上75歳未満の公的医療保険加入者全員を対象とした健康診断です。生活習慣病などを予防するための診断で、メタボ健診の名でも親しまれていますね。具体的には、BMIや腹囲などを測って、基準を超えていれば血圧やコレステロール値などを測定します。その結果によっては、健康保険組合などから改善指導が入ります。生活習慣病は大きな医療費負担となるため、その早期発見と治療を目的として特定健康診断が導入されましたが、受診率は政府目標の70%を大きく下回っており、2014年度では48.6%でした。

データ収集および整備の難しさ

――経済学で、理論・実証分析の蓄積がある製造業と比較して、医療産業におけるデータの収集や整備は難しいと思うのですが、その点についてお聞かせください。

サービス産業全般にいえることかもしれませんが、医療においては何が生産であるかはっきりしません。製造業であれば、インプットは従業員や機械、アウトプットは生産額や付加価値などと理論上ある程度共有されていて、分析要素が整っていると思います。そういう意味で医療分野では、アウトプットをどのように定義するかが非常に難しいです。例えば病気の患者に対して同じサービスを提供しても、その人のもともとの健康状態や特性などによって結果が大きく違ってくることもあります。このため、データ収集や作成を行う側に対して、われわれ経済学者が「このようなデータを収集してこのような分析を行いたい」と明確に伝えることができていませんでした。サービス産業におけるデータ収集や整備が他産業と比べて遅れているのは、このような生産量の定義の曖昧さにも一因があると考えています。

研究内容とその結果さ

――まず、第1の分析目的である、健康診断受診率に与える地域要因の特定についてどのような結果が得られたでしょうか。

この研究では、健康診断の受診率の差異を見た上で、健康診断を受ける人と受けない人はどう異なるのかを調べるのが、第1の目的です。そのために、大きく3点について検証しました。1点目は健康診断受診率の地域差の要因分析です。ここでは、日本を7つの地域に分けて、関東の受診率を基準にした場合の各地域の受診率がどうなっているかを調べました。当然ながら地域ごとの特性が異なるので、考え得る特性は全てコントロールした上でデータ分析を行いました。つまり地域の所得や人口密度、病床数、人口ピラミッドにおける高齢化や性差といった要因が比較分析に影響を及ぼさないよう考慮したということです。

この分析の結果として、近畿と四国における受診率が関東よりも相当低いことが判明しました。先に挙げたさまざまな要因を全てコントロールした後においても、なぜ近畿と四国で受診率が低いのかという理由は見出すことができませんでしたが、fact-findingとしてこのような分析結果が得られました。また、時系列で見ると、1995年から2013年にかけて、全地域ともほんのわずかな受診率の上昇しか見られませんでした。

――第2の目的は、個人の受診率の要因分析ですね。どのような結果が得られたでしょうか。

研究目的の2点目は、受診率の個人差の測定です。受診する人、しない人の検証を行い、受診しない人の特性が分かれば、受診率向上のための改善策を検討し得るのではないか、と考えました。こちらは2003年から2013年の間のデータを利用しました。結果としては、まず国民健康保険加入者と被用者保険加入者による受診率を比較すると、前者の受診率の方がかなり低いことが分かりました。国民健康保険とは市区町村が運営する保険で、被用者保険は被雇用者が企業で入る保険や、公務員が共済として入っている保険のことを指します。

次に、雇用形態による比較も行いました。正規社員を基準にすると、パートやアルバイト、派遣社員はマイナスの数値となり、受診率が低いという結果になりました。正規社員と非正規社員の間では、受診率に非常に大きな差が生じているということです。

――最後に3点目として、特定健康診断の導入が健康診断の受診率や主観的な健康観、喫煙、ストレス、医療支出などにどのような影響を与えているかを調べられましたね。

特定健康診断は40歳以上75歳未満という年齢の基準により義務付けられています。そのため、40歳の基準の前後で健康診断の受診率が変わっているかどうかを検証することができるわけです。図にありますように2010年と2013年のデータを利用して分析したところ、有意に受診率が向上しているという結果が得られました。データ上、一般健康診断と特定健康診断を区別した分析ができなかったのですが、健康診断全体としては40歳を超えると受診率が上がるということが分かりました。また図で示される通り、国民健康保険加入者サンプルでも全サンプルと同じようにジャンプが見られます。国民健康保険加入者は義務ではなく自分の意志で受診する人が多いので、健康診断を受診する人は全体的に増えたのではないかと想像できます。次に、その他の項目に影響があったかどうかを確認したのですが、健康観やストレスといった各項目への統計的に有意な影響は見られませんでした。

30歳から50歳の年齢別健康診断の受診率(0〜1)
(2010年、全サンプル)
図:30歳から50歳の年齢別健康診断の受診率(0〜1)(2010年、全サンプル)
30歳から50歳の年齢別健康診断の受診率(0〜1)
(2010年、国民健康保険加入者のサンプル)
図:30歳から50歳の年齢別健康診断の受診率(0〜1)(2010年、国民健康保険加入者のサンプル)

一般的には、加齢により健康や健康診断への関心は高まると言えます。そのため、追加的な分析として特定健康診断が導入される以前の2007年のデータにおいても、40歳前後の受診率の変化を分析しました。これにより、より特定健康診断制度導入の受診率上昇効果を正確に観察することを目指します。その結果2007年の分析においても40歳あたりで受診率がジャンプしており、特定健康診断導入の1年前である2007年においても受診率が向上したことが見て取れました。原因を検証することはなかなか難しいのですが、導入前のキャンペーン効果等が出ているものと考えます。2010年、2013年の健康診断受診率の上昇が、真に特定健康診断受診率の導入の効果なのかは、今後より精密な分析が必要となります。

健康診断に意義はあるのか

――本研究を行われて、政策としての健康診断の意義についてどのように感じていますか。

特定健康診断の導入による健康改善効果があまり見られなかったため、その点については議論や今後も継続した研究が必要だと思います。本当に健康診断が有意義であれば、各個人の主観的健康観は上昇し、医療費の支出は下がり、ストレスや自覚症状の改善も見られるはずです。今回の研究では健康診断の短期的な効果を測定したに過ぎませんが、結果としてポジティブなエビデンスもネガティブなエビデンスも確認できませんでした。このことは国民の皆さんにお伝えしたいと思います。

また、データをそろえることも今後必要だと考えています。経済学者は「データがないからできない」ということを言いがちですが、サービス産業におけるデータ作りの議論をしてこなかった点では、われわれ経済学者側にも責任があります。すでに行政サイドに蓄積されている情報を基に分析をしながら、時間をかけてデータ整備の方向性を探っていくことで、より具体的な研究分析ができるようになるのではないでしょうか。

今回の研究から少し離れた意見となりますが、RIETIのような研究機関が政策を評価する役割を担うのが良いのではと思っています。省庁と協力して、実際に予算を評価する時に、その政策の効果にエビデンスがあるのかということに関して第三者意見を述べるといった取り組みです。イギリスでは、経済学者が客員研究員として所属しながら政策評価を行っている公的機関があるかと思いますが、RIETIにも同じような役割を担っていただきたいと期待しています。

研究の見通し

――今後の研究の取り組みについて教えてください。

医療や教育の分野において、質の評価を基にした生産性の計測を実施したいと考えています。われわれが問題視しているのは、医療や教育の生産性が定性的、感覚的な評価にとどまっており、サービスの内容、質の評価に関して定量的な議論がされていません。医療であれば患者数や病床数、教育であれば生徒数などを基に生産性を測定するといった方法は、現在実施できる最良のやり方なのかもしれません。しかし、例えば教育される人数が増えれば教育分野の生産性が高まったといえるでしょうか。あるいは、病気が蔓延して患者数が増えることは、医療分野における生産性の高まりなのでしょうか。こうした問題に対してすぐに解答は出せないかもしれませんが、きちんと議論した方が良いのではないかと思っています。

医療産業に関しては、資源配分が適切になされているかを検証するための政策は日本にとっては喫緊の課題です。日本の国民生活において、必要性の高い医療が必要な量や質で供給されているか、という問題を的確にとらえる必要があります。資源配分が改善することで、生産性(費用対効果)の改善を望むことができます。資源配分の評価(エビデンス)への検証を積み上げることによって初めて、資源配分の歪みを是正する政策を今後論じることが可能になると思います。

日本の長期的な成長戦略を考察する際に、教育を中心とした人的資本形成は重要な課題です。ただ、現状は教育のアウトプットの計測、教育政策による成果の因果関係の特定化が難しく、その政策評価が遅れています。そこで、政策評価の指針となるような教育のアウトプット計測の方法を開発して、その計測結果から教育産業の生産性を正確に把握する必要があります。それにより、どの教育政策に集中的に投資を行うべきかを見極め、教育資源の配分を検討すべきと考えます。

また少し方向が異なりますが、精神的なストレスの問題も考えていきたいと思います。ストレスを受けるのはどのような要因があるのか、ストレスを受けることによってどのような影響が仕事や生活にあるのかなどについて研究をしたいと考えています。

その他、地域の医療需要にも関心を持っています。今回の研究において四国と近畿での受診率が低いという結果が得られましたが、このような地域特性が出てくる要因やその影響についてさらに研究を進めていきたいです。

Beyond GDP(GDPを超えて)の議論が聞かれますが、これはGDPが必ずしも国民の生活の質を反映していないため、生活の質をより適切に評価した指標が必要であるという内容です。そして、生活の質において重要な役割を担っているのが医療や教育です。今回行った研究や今後の取り組みは、生活の質に関する新たな指標構築の一助になるのではないかと考えています。そのような意味で、今回の研究は非常に意義のあるものだったと自負しております。

解説者紹介

乾 友彦顔写真

乾 友彦

2009年内閣府大臣官房統計委員会担当室勤務、2012年日本大学経済学部勤務、2014年学習院大学国際社会科学部開設準備室 教授、2016年学習院大学国際社会科学部 教授
主な著作物:乾友彦・伊藤恵子・宮川大介・庄司啓史(2014)「海外市場情報と輸出開始:情報提供者としての取引銀行の役割」『経済分析』188号、pp.2-23、松岡亮二・中室牧子・乾友彦(2014)「 縦断データを用いた文化資本相続過程の実証的検討」 教育社会学研究 第95集 pp.89-108