Research Digest (DPワンポイント解説)

医療政策とイノベーション:希少難病に対する医療費助成が研究開発に及ぼす影響

解説者 飯塚 敏晃 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0107
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小規模市場では、イノベーションによる利益の期待値は大きくない。そのため、政策的に重要な分野でも研究開発が促進されないことがある。この状況は医療関連市場における希少難病にも当てはまり、世界各国の共通課題となっている。各国政府はさまざまな政策的対応を取っているが、その効果検証はほとんど行われていない。そこで、飯塚敏晃RIETIファカルティフェローは、わが国における希少難病患者の医療費負担を軽減する政策に着目し、医療費助成による市場拡大効果が医薬品や医療機器の研究開発(治験件数)に及ぼす影響を定量的に分析した。その結果、医療費負担の軽減対象となることで治験件数は増加しており、医療費助成が希少難病のイノベーションに重要な役割を果たしていることが明らかとなった。

研究の位置づけ

――「医療政策とイノベーション」プロジェクトの概要と狙い、「技術とイノベーション」プログラム全体における同プロジェクトの位置づけについて教えてください。

近年、医薬品や医療機器、特に再生医療の分野では、さまざまなイノベーションが起こりつつあります。政府の成長戦略などにも取り上げられ、新しい市場の形成が期待されているのですが、こうした分野では政府の政策(研究開発への支援や製品価格の設定などの規制)がイノベーションに及ぼす影響が大きいと考えられます。

そこで、政策がイノベーションに及ぼす影響をとらえることをこの研究の大きな枠組みとして、希少難病を取り上げて、政策が医薬品等の開発に及ぼす影響を検証しました。特に小規模な市場では、イノベーションから企業が得られる利益が少ないため、政策的に重要な分野でもなかなか研究開発が行われない現状があります。こうした状況は、医療市場のいろいろな分野に存在しています。今回、研究対象とした希少難病に加え、途上国のneglected disease(存在そのものは知られているのに、市場性に乏しいため顧みられていない疾病)も、患者数としては多いのですが、市場規模としては小さくなかなか研究開発が進まない分野です。

市場メカニズムがうまく機能していればそれに依存すればいいのですが、医療分野にはいろいろな規制や価格の制約がある上に、希少難病は、かかった疾患の市場がたまたま小さかったため、治療方法の開発が行われないわけです。そういうところに政策的な介入が行われなければならないのではないかという議論があり、これは世界各国に共通する課題です。

実際、政府やNPOなどによっていろいろな政策的対応が検討されてはいるのですが、その効果についての知見はあまり得られていません。私は、政策的介入が必要かどうかも含めて検討の余地はあると思い、研究を始めました。

「需要サイドの政策」への着目

――希少難病に対する政策的対応には、イノベーションのコストを下げる「供給サイドの政策」と、イノベーションからの期待収入を増やす「需要サイドの政策」があるということですが、これまで需要サイドの政策に関する先行研究があまりなかったのはなぜですか。

イノベーションのコストを下げるという観点からの研究開発費の税額控除は、いろいろな産業で昔から行われていて、税額控除に対して研究開発が実際にどう反応するかという知見はかなり多く存在します。実際に研究開発をする企業に直接働きかけるので見えやすいし、政策担当者としてもかなり取り組みやすい政策なのだと思います。

一方で、医薬品などの独占期間を延長する政策や、報奨を与えて不足しているものについて製品開発を促す制度など、需要サイドの政策もいろいろ試みられています。

例えば、アメリカでは2007年、neglected diseaseに関する研究開発に成功した企業には、報奨として別の製品の研究開発における優先審査権を与えるというPriority Review Voucher(優先審査保証)制度が導入されました。審査期間の短縮は企業にとって大きなメリットとなるため、企業がそれを目当てに、単独では市場価値が小さい分野の研究開発を行うことを期待するものです。また、優先審査権を売ることができる点は、アメリカ的で面白いところです。

本来は優先的に審査すべきものがあるわけで、制度に対する賛否はもちろんありますし、制度の導入によってneglected diseaseに対する研究開発が進んだかどうかは、まだよく分かっていません。このように供給サイドに比べて需要サイドについてはまだよく分かっていないので、そこに着目しました。

これまで需要サイドをとらえにくかった背景としては、政策介入そのものが比較的少ないということが一番の原因かもしれませんが、研究開発を所管している官庁が、基本的に開発側の企業を見ているということも理由としてあるように思います。加えて、需要が拡大した場合、その財政的なインパクトをどうするのかという問題もあります。そのあたりは供給サイドの方が比較的コントロールしやすいという発想が、もしかしたらあるのかもしれません。確かに、軽度の疾病の場合には、みんなが病院に行くようになって需要が増え過ぎると困る側面があるかもしれません。しかし、希少難病の場合、治療方法が確立されておらず医療費が継続的に掛かるため、患者の負担も大きく、それをある一定ルールのもと公的に負担するというのは比較的受け入れられやすいのだと思います。

――「需要サイドの政策」に着目されたのはどうしてですか。

日本の難病対策は、「供給サイドの政策」と「需要サイドの政策」から構成されていますが、「需要サイドの政策」は経年で対象疾患がかなり変わってきています。2009年10月には、リーマンショック後の経済対策の一環として対象疾患が追加されました。需要サイドの政策に着目したのは、そういう環境変化をとらえて、この需要サイドのインセンティブが研究開発にどう寄与するのかをとらえ得ると考えたからです。対象疾患の拡大を外生的ショックとしてとらえることができそうだったので、学術研究の研究対象としても耐え得ると思いました。

また、2015年には安倍政権下で助成対象の難病が従来の約3倍に拡大し、一方で一部自己負担の増額もありました。そのとき、なぜこの疾患は入るのか、なぜ助成割合が下がるのかといった議論が繰り広げられました。私はその議論を見ていて、制度変更が研究開発にも影響するであろうと思いましたが、そのような論点からの議論はあまりなく、制度を過去にさかのぼって考えてみた、という経緯もあります。

今回の研究では、2009年に追加された希少難病の15疾病を対象として、2009年10月時点で医療費助成の対象とならなかった希少難病と比較しながら、政策導入によって治験件数がどのように変化したのかを分析しました。その結果、新たに助成対象に追加された希少難病の治験件数は2009年10月を境に増加しており、研究開発に対してかなり影響があったということが分かりました。

――「需要サイドの政策」と「供給サイドの政策」を費用対効果の観点で比較した場合、どのように評価できますか。

需要サイドと供給サイドは、代替的な政策と考えられるので、財政的なインパクトを考えた上で、それらの効果を比較することは本質的に極めて重要だと思っています。ただ、現時点では、私たちの研究を含め研究の蓄積は少なく、まだ十分に比較評価できるほどの知見は得られていません。この点については、今後、何らかの比較が必要と考えています。

また、効果という点では、需要サイドの効用は健康の増進等数値化しにくい部分も多々ありますし、一口に「需要サイドの政策」といってもいろいろなものがあります。今回は医療費の自己負担分の低減でしたが、製品の独占期間を長くしたり、報奨を与えたりする方策もあるので、本来はそれらの代替的な方策との比較も必要だと思います。このあたりは、今後着手しなければならない分野だと考えています。

研究成果からの示唆

――本研究の成果から、保険医療や混合診療などの制度面を考える上でどのような示唆が得られますか。

一般的に、自己負担分を軽減することで、医療に対する需要が増え、患者がよく病院に行くようになります。それが結果として、患者の健康にどれだけつながるかが非常に重要な論点です。この点に関しては、先行研究によると、自己負担の変化は、健康に対してそれほど大きく影響しないといわれています。今回の分析では、これらの効果に加えて、医療費負担を軽減することで、さらに新しい研究開発につながって新薬や新しい治療方法が出てくる可能性がある、ということが分かったので、自己負担の軽減は追加的なメリットをもたらし得る、ということになります。

図:1疾患あたりの累積治験数の推移
図:1疾患あたりの累積治験数の推移
注:T = 0は政策変更がなされた2009年10月に対応

――混合診療の拡大もかなり需要サイドを刺激する方向に働くと思うのですが、混合診療も研究対象になっていくのでしょうか。

混合診療では、保険診療内の部分でどういう薬や治療が行われたのかは分かるのですが、保険外診療の部分は分かりません。今後の制度設計を考える上で、保険外診療の部分で何が起こったのか分かるようになることが、かなり重要かもしれません。

――研究や政策の方向性で、日本と海外の相違はありますか。

アメリカでも、希少疾病に関する研究開発を支援するOrphan Drug Actという法律が1983年に成立しています。「供給サイドの政策」としていろいろなところで使われている研究開発の税控除と、「需要サイドの政策」である独占期間の延長がパッケージになっていて、これによって研究開発が促進されたという研究結果も出ているのですが、パッケージになっているため、需要サイドと供給サイドのどちらの政策が効いたのかは分かりません。

医療需要を増やす方向に働く現在の政策が将来の研究開発に及ぼす影響については、ワクチンに関する関連研究があります。米国のワクチン市場で、もっとこういうワクチンを使いなさいという政策が導入されたことが需要を喚起し、ワクチンの研究開発にもプラスに影響したという、今回の私たちの研究と同じ方向の分析結果が出ています。

――医療に限らず、小規模市場におけるイノベーションという大きな視点で見た場合、他の産業政策においても類似の効果を期待できるでしょうか。

具体的にどの産業というのはなかなか難しいですが、こういう分野であれば当てはまるかもしれない、というヒントはあります。一般的な議論としては、規制や外部性、その他の理由で市場が小さく、企業にとって魅力がないため研究開発が進まないが、社会的な観点や公平性といった観点から見ると研究開発が進められるべき分野が対象になり得ると思います。外部性というのは、研究開発のリターンが自分に返ってこないで、むしろ他の企業や社会全体に影響を及ぼすことをいいます。

希少難病は市場が小さく、企業にとっては単独で利益を計算すると魅力がない分野なので、研究開発が進みません。しかし、世の中には、多くの患者がいる疾病もあれば、そうでないものもあり、どのような疾患にかかるかはランダムな要素も多くあります。たまたまかかった疾患が希少であったため、放っておいては治療方法が開発されない、という問題は誰にでも起こり得る問題であり、そのような希少疾患の研究開発をどう進めるのかという問題は、社会全体として考える必要があります。

表:希少難病に新しく指定された15疾病
疾患 患者数(人)
慢性炎症性脱髄性多発神経炎 2,045
脊髄性筋萎縮症 712
球脊髄性筋萎縮症 960
黄色靭帯骨化症 2,360
プロラクチン分泌異常症 12,591
ゴナドトロピン分泌異常症 792
ADH分泌異常症 1,900
肥大型心筋症 3,144
拘束性心筋症 24
ミトコンドリア病 1,087
家族性高コレステロール血症(ホモ接合型) 140
リンパ脈管筋腫症 526
下垂体機能低下症 8,400
クッシング病 600
先端巨大症 3,000

そういう観点で見ると、社会として、政府として、研究開発を進めなければならないような分野が対象になり得るということです。環境や教育なども、大なり小なり同じようなことがあると思いますので、そういう分野では類似の効果が期待できるかもしれません。

今後の研究

――今回の研究の示唆を踏まえて、今後はどういったテーマに取り組んでいかれますか。

大きな枠組みとしては、引き続き医療あるいは医療政策とイノベーションの分野で研究を進めたいと考えています。新たな製品を世に出していくことはもちろんイノベーションですが、制度や組織、社会のイノベーションの研究はあまり行われていないので、それらも視野に入れつつ研究していきたいと思っています。政策が変わることで、働き方や組織の構造が変わったり、新しいサービス的なものが生み出されたりすることにも焦点を当ててみたいです。特に、医療や介護の分野はかなり多様なイノベーションが必要だと考えています。製品だけでなく、いろいろなサービスや組織、制度も研究の範疇に入ってくると思います。

それから今回、臨床試験登録データベースを基に、かなり苦労して共同研究者と一緒にデータを作っていきましたが、このデータベースで治験や臨床研究の新しいイノベーションの芽をかなりつかまえ得ると思います。こういうデータはあまり使われていないので、今後も活用して研究したいと考えています。

臨床試験登録データベースはパブリックなものです。日本には大きなデータベースが3つあって、治験や臨床研究を行うと基本的に登録することになっています。必ずしも全数ではないかもしれませんが、臨床研究や治験の大多数は入っていると思われるので、いろいろな研究をする上で面白いデータだと思います。

また今回の分析には使っていない臨床研究は、製品を今すぐ製造・販売するための認可を得ることを目的としていないものですが、これについても、データがあるので、そこからもいろいろな新しい研究の芽が見えると感じています。

解説者紹介

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飯塚 敏晃

2001年バンダービルト大学オーウェン経営大学院 助教授、2005年青山学院大学大学院国際マネジメント研究科 助教授、2007年同教授、2009年慶應義塾大学経済学部 教授、2010年東京大学大学院経済学研究科 教授。主な著作物:"Patient Cost Sharing and Medical Expenditures for the Elderly" Journal of Health Economics, 2016, 45: 115-130(共著). "Physician Agency and Adoption of Generic Pharmaceuticals," American Economic Review, 2012, 102(6): 2826-2858.