Research Digest (DPワンポイント解説)

ワークライフバランスに対する賃金プレミアムの検証

解説者 黒田 祥子 (早稲田大学教育学部准教授)/山本 勲 (慶應義塾大学商学部准教授)
発行日/NO. Research Digest No.0084
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社会のグローバル化や少子高齢化が進む中、多様な働き手を確保するためには、個々の企業がワークライフバランスを実現する制度を導入することが必要だ。しかし、先行研究の結果からは、ワークライフバランス制度の導入を投資と考えた場合、企業特性によっては、必ずしもそれに見合うだけの生産性向上につながらない企業があることが明らかになっている。そのような企業に対しても、理念ではなく、経済合理性を示す方策は無いのだろうか。

こうした問題意識で行われた今回の研究成果を踏まえ、黒田・山本の両氏は、柔軟な働き方と賃金をセットにした新たな選択肢は、ワークライフバランス制度の導入に伴うコストの一部を従業員が負担することを意味するため、制度導入にこれまで消極的だった企業にとっても、負担が軽減され、導入しやすくなると提案する。

産業別・日次ベースでの円の名目・実質実効為替レートを計算

――産業別の実効為替レートを研究された動機は何でしょうか。

山本: 以前に関わった研究で、ワークライフバランスに企業が取り組む際の費用対効果を検証したことがあります(RIETI DP 11-J-032「ワーク・ライフ・バランス施策は企業の生産性を高めるか?― 企業パネルデータを用いたWLB施策とTFPの検証 ―」)。この研究を通じて、ワークライフバランス施策の導入が企業の生産性に与える影響は多様で、費用対効果でみれば、ワークライフバランス施策が投資として実る場合と、企業特性によっては導入に伴うコストの方がメリットより大きくなってしまう場合があることがわかりました。

ワークライフバランス施策の導入が企業にプラスの影響を与える場合には、企業が自発的に施策導入をすることが期待できます。しかし、マイナスに作用する場合、どうしても企業は施策導入に後ろ向きにならざるをえません。しかし、企業実務者や政策当局者からは、プラスの影響が見込めない企業であってもワークライフバランス施策の導入が進むようにするにはどうするべきかという質問を受けました。その問いに対する回答の1つの方向性は、「ダイバーシティ経営やワークライフバランスの進展は時代の要請である」とか、「社会的責任があるから」というような理念を先行させることがあると思います。

しかし、別の回答の方向性として、なんらかの経済合理性が見出される可能性や条件を明確にし、それをふまえた施策導入の是非の議論ができないかと考えました。つまり、ワークライフバランス施策の導入は企業にとってコストがかさむとしても、その負担を施策の受益者である労働者に負担してもらうようにすれば、導入が進む余地があるのでは、というものです。これが今回の研究の問題意識となります。

黒田: ワークライフバランス施策は、職場環境を改善して労働者の効用を高めるものですが、それとは逆に、たとえば、高所などでの危険な作業や深夜勤務など身体的に辛い条件の仕事もあります。労働経済学では古くから、こうした労働条件の悪い仕事は他の条件を一定とすれば、賃金が高くなると考えられてきました。これは、ヘドニック賃金仮説(=補償賃金仮説)と呼ばれています。

日本では長時間労働だが雇用が安定している正社員、短時間労働だが雇用は不安定な非正規に2分化していると言われていますが、その議論の多くは賃金の格差に焦点があてられていると思います。しかし、労働条件と賃金とは、トレードオフのような関係にあると考えることもできます。補償賃金仮説の危険な仕事、辛い仕事と似たような発想で、正社員には長時間労働や転勤を余儀なくされることに対する補償分(プレミアム)だけ高い額が支払われていると捉えることもできます。そこで、そのプレミアムはどのくらいあるのか、という発想が出発点です。

補償賃金仮説のフレームワークをワークライフバランス施策にあてはめてみると、賃金以外の労働条件を一定とすれば、フレックスタイム制度や育児休業制度、短時間勤務制度などの施策導入で労働条件が改善される分、賃金を低くしても労働者は受け入れるのではないか、という仮説が生まれてくるわけです。

ワークライフバランス未導入企業の潜在ニーズをとり上げる

――どのようなデータを使用したのですか。

黒田: 使用したデータは2つで、1つ目はRIETIが2009年12月から2010年1月にかけて実施した「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する国際比較調査」の個票データです。企業1677社、従業員1万55人から有効回答を得ており、企業と従業員をマッチさせて最終的に、男性3189人、女性1260人の労働者のデータを使用しました。

2つ目は、同じくRIETIが2012年1月から2月にかけて行った「人的資本形成とワークライフバランスに関する企業・従業員調査」の個票データで、企業調査の対象は、1つ目の調査の回答企業に新たに4000社を追加した5677社の人事部門になります。従業員は企業から紹介していただき、最終的に使用可能なサンプル数は企業589社、従業員男性1109人、従業員女性2399人となりました。

――具体的な研究の手法について教えて下さい。

黒田: まず分析の前半では、労働経済学の伝統的なアプローチを使っています。賃金をさまざまな変数で説明するというミンサー型と呼ばれる賃金関数を推定しますが、その際に調査データから作成したワークライフバランス施策の導入・利用の有無を変数として追加しています。

次に、分析の後半では、「もし、ワークライフバランス施策を導入するとしたら、いくらの賃下げが妥当ですか」といった仮想の質問を従業員と企業の双方に答えてもらい、その結果を基に分析するという手法をとりました。これは、ワークライフバランス施策を導入したいが、実際に導入するとなればコスト増になりそうなので導入できないでいる企業側の考えと、ワークライフバランス施策を望む従業員の潜在的なニーズを測るのが狙いです。

――仮想質問によるアプローチにはどのような効果がありますか。

山本: 実証経済学の伝統的なアプローチでは、データから何がわかるかということを、経済理論や計量経済学といったツールを用いて解析していきますが、データとして観察されるのは、実際の行動や結果として表れている部分です。一方、仮想質問は、行動経済学ではよくとられている手法で、結果に至るまでの間の部分、潜在的な行動や希望などについて分析しようというものです。

つまり、実際の賃金は、企業がこの位の額なら出してもよい、そして労働者はこの位の額なら働いてもよいという双方の思惑が折り合ったところで決まっているとすれば、データとしては、その最終的な点だけが観察可能となります。しかし、結果に至るまでの間に、労働者側には希望・思惑があり、企業側にも何%下げたいといった考えがあるわけです。そこで、そうした見えないメカニズムに迫るため、仮想の質問を通じて、より幅広い情報を得ようとしているのです。

黒田: 仮想質問の具体的な内容は、米国の経済学者キンボールらの研究や、RIETIの「労働市場制度改革」プロジェクトでご一緒している大竹先生(大阪大学)他の研究などからもヒントを得て、RIETIでの先行研究なども参考にしながら組み立てました。

山本: 仮想質問は、回答するのが難しくなりやすいので、質問案をつくってから、企業を対象にプレテストをし、その結果をみながら修正を行いました。それでも、実際の本調査では、「回答しづらい」といったおしかりを頂戴することもありましたので、まだまだ発展途上といえます。

男性従業員については補償賃金仮説がほぼ成立

――分析前半の伝統的なアプローチによる分析ではどのような結果が得られましたか。

黒田: ワークライフバランスに関する制度導入や施策を持っているか、利用しているかどうかの変数が賃金に与える影響が大きいかどうかを検証しました。その結果、男性従業員の場合は、さまざまなバイアスを取り除いたとすると、フレックスタイム制度について補償賃金仮説が成立することがわかりました。

山本: フレックスタイム制度に関する男性の推計結果を見ると、固定効果モデルでみた全サンプルでは制度利用ダミー変数の係数は有意に負になっており、補償賃金仮説が成立しています。この場合の補償賃金プレミアムは5%です。これは、フレックスタイムを導入すれば、賃金は5%引き下げるべきと企業が考えていると同時に、従業員もその程度の賃下げなら納得ができることを示しています。さらに、従業員が100人以上300人未満の中小企業の場合、補償賃金プレミアムは6%となっており、さらに転職を経験したサンプルに限定すると、プレミアムは9%になっています。

中小企業の労働者は、一般的に大企業よりもモビリティが高いと思われますし、転職の経験者も、移動しやすい人と考えますと、分析の結果からは、企業を移動しやすい人ほど、補償賃金仮説があてはまりやすいといえます。転職経験者だけの市場が仮にあったとすれば、フレックスタイム制度の導入企業は、導入していない企業に比べて1割弱程度低い賃金で労働者を雇うことができるわけです。

図1:補償賃金関数の推計結果
図1:補償賃金関数の推計結果

――仮想質問による分析の結果はどうでしょうか。

黒田: 2つの発見がありました。まず、第1の発見は、企業の半数がどんなことがあってもワークライフバランス制度を導入したくないと考えていること、また、従業員の方にも同制度が導入されても賃下げは受け入れたくないと考えている人が多数いるということです。両者の認識のギャップが大きいことがわかりました。

興味深いのは第2の発見です。企業側と従業員側の回答から、制度導入ないしは賃下げは一切受け入れないという回答を除いた上でさらに分析を加えると、企業がワークライフバランス制度の導入に伴って実施したい賃下げ幅よりも、労働者が同制度と引き替えに受け入れられる賃下げ幅の方が大きいのです。労使双方のニーズをきちんとくみとり、働き方の柔軟性を重視する労働者にはその分賃金を低くするといった選択肢が用意できれば、企業にとっても追加的なコストを払わずに制度を導入することができ、その結果労使双方の厚生も増す可能性がでてきます。

図2:仮想質問にもとづくワークライフバランス施策の賃金プレミアムの分布:柔軟な働き方(男性)
図2:仮想質問にもとづくワークライフバランス施策の賃金プレミアムの分布:柔軟な働き方(男性)

依然として残る制度導入に関する労使間の大きな意識ギャップ

――企業と従業員で、制度導入と賃金引下げについての意識ギャップが大きいのはなぜでしょうか。

黒田: 推測の域を出ませんが、ワークライフバランス制度の導入は、経験していない企業にとっては、コスト高になるのではと恐れられていることが考えられます。実際にはそれほどコスト高にならないとしても、導入前の段階では、どうしてもコスト高への警戒感が先に来てしまいます。

もし、同業他社が同制度を導入して、その結果、自社が質の高い労働者を確保するのが難しくなるという事態が生じるようになれば、制度に対する受け止め方も少しずつ変わっていく可能性はあると思います。

山本: 従業員に「賃下げは絶対認めない」という声があるのは、ワークライフバランス施策を処遇の一部として捉える考え方、あるいは、ワークライフバランス施策を賃下げという費用負担をして自ら獲得するといった概念自体になじみがないことが背景にあるのでしょう。フレックスタイム制度の導入のために、なぜ自分の賃金が下がらないといけないのかという反発があるのが現状といえます。

――ワークライフバランスは女性に関する話題と見られがちですが、介護などを考えれば、男性にとっても重要なはずですね。

山本: 介護を理由とした男性幹部社員の離職を食い止められるとなれば、ワークライフバランス制度の導入の必要性が高まるし、導入する他社をみて、検討する企業も増えるでしょう。制度を入れて離職率を下げることができるなら、制度の導入は進むかもしれません。また、フレックスタイム制度のように、性別に関わりなく多くの労働者の働き方に影響を与える施策も少なくありません。実際に今回の分析で、フレックスタイム制度の賃金プレミアムが男性社員で検出されたことを踏まえても、ワークライフバランスは女性に関する話題、とは必ずしもいえないでしょう。

賃金と働き方をパッケージにした新しい発想が求められる

――研究結果から、どのようなインプリケーションが得られるのでしょうか。

山本: 賃金がなかなか上がらない時代においては、定昇ベアだけを要求するのは限界があります。それも大事ですが、労働者の処遇全般をどうすべきかを考えないといけない時期に来ています。働き方の多様化を促すような賃金パッケージの必要性も高いと思います。

黒田: 現在、多様な働き方を許容する社会に向けて政府も検討を進めていますが、ネックになるのは手厚い制度の導入はコスト高につながりかねないという点です。たとえば、育児休業期間が長いと企業負担が増すといった具合です。ですが、その発想を転換して、企業が全ての費用を負担すると考えるのではなく、ある制度が導入されるならば賃下げを受け入れてもよいと考える労働者がいるならば、そうした労働者に制度導入の費用を一部転嫁するというやり方は考慮に値するのではないでしょうか。労働者の受け入れてもよいと考える賃下げ幅が、企業の期待賃下げ幅よりも実は大きいという結果を考えれば、新しい選択肢が、実際に受け入れられる可能性はあると思います。

山本: 大企業の場合は、ワークライフバランス施策を導入して、生産性が高まる傾向があります。施策導入で生産性が高まるのなら、企業は積極的に導入を進めるでしょう。しかし、中小企業などが施策を導入したら効果がマイナスになる場合もあります。その場合にも、補償賃金仮説に沿ったプレミアム(負の)賃金を設定できるような環境を整備することで導入を促進できるはずです。

――今後の研究計画などお聞かせ下さい。

黒田: 今回実施したアンケートにはメンタルヘルスについての質問も含まれています。日本で精神疾患の人が増えている現実を考えると、従業員の心の健康と働き方との関係や、企業がどのような対応をしているのかについて、労働経済学者の立場から分析することは重要ではないかと考えています。

山本: 従来のワークライフバランス関連の研究は満足度のようなプラス面ばかりに着目してきましたが、その裏返しとして、閉塞感とかマイナス面にも注目したいと考えています。

今回の調査を活用すれば、企業と従業員のそれぞれについてパネルデータができるので、それを生かした研究をしたいと思います。

解説者紹介

黒田 祥子顔写真

黒田 祥子

1994年日本銀行入行。同行金融研究所勤務。2006年一橋大学経済研究所助教授。2007年一橋大学経済研究所特任准教授。2009年東京大学社会科学研究所准教授を経て、2011年4月より現職。主な著作:「日本人の余暇時間-長期的な視点から」(『日本労働研究雑誌』No.625、労働政策研究・研修機構・2012年)、「人々はいつ働いているか?-深夜化と正規・非正規雇用の関係」(共著)『非正規雇用改革』(水町勇一郎・樋口美雄・鶴光太郎編著・日本評論社、・第5章・2011年)


山本 勲顔写真

山本 勲

1995年日本銀行入行。2005年日本銀行金融研究所企画役。2007年より現職。主な著作:『デフレ下の賃金変動:名目賃金の下方硬直性と金融政策』(共著)(東京大学出版会・2006年)、「ワーク・ライフ・バランス施策と企業の生産性」(共著)『国際比較の視点から日本のワーク・ライフ・バランスを考える』(武石恵美子編著・ミネルヴァ書房・第1章・2012年)