Research Digest (DPワンポイント解説)

八幡・富士製鐵の合併(1970)に対する定量的評価

解説者 大橋 弘 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0056
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日本における企業の買収・合併(M&A)件数は1996年から急増し、2005年までの約10年間で5倍増となった。企業活動のグローバル化の進展から、合併の必要性が高まっているが、その効果や影響についての分析は決して多くない。大橋弘FFらは、日本の合併史上で審判審決に至った数少ない事例として八幡・富士製鐵の合併を取り上げて定量分析を行った。今回の研究は、合併審査において伝統的に用いられてきた市場占有率の妥当性を評価しつつ、動学的な効率性を加味した包括的な経済分析を行ったのが特徴だ。

当時の鉄鋼業界の動向を振り返りながら、1970年における八幡・富士の合併が個々の企業の生産性や鉄鋼市場に与えた影響を評価するとともに、合併に係る競争回復措置についてもその影響を分析した。約40年前の新日鉄誕生を回顧し、今後に向けてのあるべき競争政策について考察する。

――どのような問題意識から本研究に取り組まれましたか。

近年、企業の連携や合併の必要性が高まっています。わが国においては、主に内需主導型産業を中心にして、市場における企業数が国際的に見ても多いことが特徴でしたが、少子高齢化で国内マーケットが縮小しつつある中で、これまでの企業数を維持したままでは国内企業が行き詰まってしまう深刻な状況が生まれつつあります。同時に、海外へ市場を求めていくには規模が小さい企業群が、今後グローバル化の進展にどう向き合っていくかという問題もあります。

他方で、合併による市場支配力の増強により、消費者利益が毀損されるのではないかというおそれも古くから指摘されてきました。ある程度の規模以上の企業が合併をする際に、公正取引委員会(以下「公取委」)による事前審査が必要とされる所以です。

八幡・富士製鐵の合併は、日本の合併史上で数少ない審判審決による合併事例です。合併の可否をめぐり世論を二分する激しい議論が交わされ、最終的に条件付ながら合併が認められました。合併の事後評価および事前規制のあり方を考える上で、今回の分析に耐えうる正式届出による事例を探すと、40年前近くさかのぼらないといけないわけですが、そうした合併事例を取り上げることにより、今後の競争政策を考える上での論点を浮き彫りにしたいと考えました。

国民の関心を集めた富士・八幡合併

――当時の鉄鋼業界の状況を教えていただけますか。

昭和45(1970)年3月に八幡・富士両社の合併が実現し、新日本製鐵が誕生しました。粗鋼生産高でUSスチールに肉薄する、世界第2位の企業の誕生でした。歴史を振り返ると、明治34(1901)年、鉄鋼王カーネギーと金融王モルガンとが手を組んでUSスチールを作り上げたとき、日本では最初の製鐵所である官営八幡が産声を上げました。それから1世紀近くがたち、USスチールという社名はもはや無く、代わりにNipponスチール(新日本製鐵の英語名)が世界の鉄鋼産業を代表するまでに至ったのです。昨今の金融危機後、中国やインドなど新興国の鉄鋼産業が急激に伸びており、重厚長大を代表する鉄鋼産業にも往年の面影に翳りが見えるのは否定できませんが、日本の鉄鋼業の歴史を俯瞰するときに、1970年の新日鉄の誕生は衝撃的な出来事だったといえます。

八幡製鐵と富士製鐵は、1950年に国策会社である日本製鐵が解体されて生まれた企業です。戦後のGHQによる財閥解体は、過度経済集中排除法に基づいた大企業の分割にまでおよび、日本製鐵のみならず王子製紙や三菱重工業なども解体の対象となりました。このとき以来、八幡製鐵と富士製鐵にとって、再統合による新しい日本製鐵の復活はいわば悲願でもありました。

八幡・富士両社の合併は、そもそも昭和43(1968)年に発表されたものでした。当時、IMF(国際通貨基金)やGATT(関税および貿易に関する一般協定。WTOの前身)加盟により先進国の仲間入りをすることになった日本は、その責務として貿易・資本の自由化を果たす必要に迫られました。それまで関税や為替規制により保護されてきた日本企業は、自由化により海外企業との激しい競争に直面すると考えられていました。海外企業と伍していくためには合併や再編をすすめて企業規模を拡大すべきだ、とのいわゆる新産業体制論がうたわれるようになったのもこの時期です。実際に、1950年代には年間500件余りで推移していた企業合併の件数は、その後10年余りの間に2倍を上回るまでに増加したのです。

八幡・富士両社の合併は、こうした数ある合併の1つと見れば、なぜ特段注目に値するのかと思われるかもしれません。この鉄鋼業における合併が国民の大きな関心を集めた理由は、世界第2位の企業が誕生するという企業規模もさることながら、鉄鋼産業がそれまでの戦後の日本経済の牽引役でもあった点が指摘できるだろうと思います。実際に、東京大学の成績優秀な卒業生の多くが、今以上に鉄鋼業界への就職を希望していた時代だったのです。この合併公表は、世論を巻き込む大きな議論を引き起こし、公取委から合併承認を得るまでに、さらに2年近くもの時間を要することになったのです。

――合併にはどのような手続きが必要ですか。

日本のみならずたいていの先進国では、大企業が合併をする場合には、競争当局から事前の審査を受けなければなりません。日本の場合、その根拠は、独占禁止法(以下「独禁法」)とよばれる法律にあります。独禁法とは、企業による自由な競争を確保し、消費者の利益を保護することを目的とする法律です。合併により企業が市場を独占するようになると、価格が高止まりするなど、市場競争が制限される可能性があるために、独禁法を所管する公取委は、審査の上で合併の可否を判断し、場合によっては合併を断念させる権限まで持っているのです。

――世論を二分する議論とは、どのようなものでしたか。

八幡・富士の合併に対して、国内の世論は賛成と反対で真っ向から対立することになりました。当時の財界は、生産性の向上や技術力の向上をもたらす可能性が高いとして合併を歓迎する意見が大勢を占めていました。他方で、近代経済学者を中心とするグループは、強い反対の意を表明していました。反対の理由は、市場における自由な競争を可能にする土壌の確保こそが経済発展の原動力であり、大型合併はこの自由な競争を実質的に制限するおそれがあるというものだったようです。この2つの相反する主張は、企業合併を評価するときの難しさを如実に反映しているといえるでしょう。

企業同士の合併は、このように2つの効果を国民経済上の厚生にもたらすことが知られています。「効率性向上効果」と「競争制限効果」です。前者は、規模の拡大や部門の統廃合を通じた生産・販売・流通部門のスリム化が期待できる面を指します。この「効率性向上効果」は、より高い品質の製品をより安く需要者に提供できる可能性が高まる点で国民経済的に見て好ましい効果です。一方「競争制限効果」とは、合併により企業数が減少することを通じて企業の間での競争が緩和される効果を指します。市場競争の緩和は、数量などのコントロールを通じて価格の支配力を高められる点で売り手企業にはメリットがありますが、需要者は高い価格を甘受せざるを得ず、社会的な厚生を悪化させる効果を持つといえます。財界が歓迎する「効率性向上効果」が大きければ八幡・富士の合併は認められるべきですが、学者などが指摘する「競争制限効果」の方が大きければ合併はそのままの形で承認されるべきではないということになります。これらの効果の比較考量を、合併が行われる前に判断することが公取委に求められました。八幡・富士製鐵の合併は、わが国の企業合併史上でも稀な合併届出による審判手続きを経て、条件付で承認され、1970年にようやくにして新日本製鐵が誕生することとなったのです。

国民経済的な観点から正しい判断だった合併承認

――研究の内容を教えてください。

この合併が論じられてから40年近くが経った今、企業同士による合併についての知見も蓄積され、データ解析技術の向上によって企業合併を評価する科学的・定量的な手法も経済学の一分野である産業組織論を中心にして格段の発展を遂げています。今回の研究では、そうした手法を駆使して当時の合併を評価しました。

1960年から1979年までの鉄鋼大手6社の生産・投入データに基づいて、当時の鉄鋼産業の需要・供給構造を推定した上で、シミュレーション分析により合併の影響を考察しました。具体的には、八幡・富士が合併しないという仮想的な反事実のもとでの市場均衡をシミュレーションモデルで導出し、現実のデータとの比較を行いました。この手法を構造推定手法と呼びますが、比較可能な実データを持ち得ないケースでの政策評価においてとても有効な手法です。なお、評価においては動学的な効率性を評価するために企業の(戦略的な)投資行動についても分析対象としました。

まず推定された鉄鋼需要は、どのモデルにおいても価格に対して高い弾力性値(3.0から4.0の範囲)であることがわかりました。このように高い弾力性が得られた理由の1つとして、潜在的な競争相手として当時電炉メーカが存在していたことが大きいと思います。1960年代には、産業用の電力供給も安定的になり、電炉の大型化や高電力化が進んだことから、電炉メーカは高炉大手各社と品質的に見劣りしない粗鋼を供給できる体制になっていました。電炉メーカが当時に実現した市場シェアは、それほど大きくはなかったですが、潜在的な競争企業として合併による競争制限を抑制する役割は十分に担っていたと考えられます。実際に、シミュレーション分析においても、合併による鋼材価格の上昇(それによる消費者厚生の減少)は懸念するほど高くないことがわかりました。他方で、八幡・富士の合併は設備投資の拡大を通じて生産効率性を大きく向上させていました。この効率性向上効果は、実際に当時、連続鋳造設備の改良や大幅導入が行われたことと整合的です。つまり、八幡・富士製鐵の合併には、競争制限効果も効率性向上効果が並存して見られますが、後者の生産効率性の上昇が格段の差で大きいことが推定されたのです。

さらに興味深いのは、合併によって競合会社の生産性にも向上が見られた点です。たとえば、神戸製鋼の投資は、合併が無かった場合と比べて増加しましたが、これは、企業の戦略的な投資行動が合併の時期を境にして変化したこと、および合併以後に新日鉄が投資を減らしたこととの相乗効果からもたらされたものと分析されました。こうした分析の結果を踏まえると、八幡・富士製鐵の合併承認は今日の我々の眼から見ても国民経済的な観点から正しい判断であったといえるでしょう。

――競争回復措置とはどのようなものですか。

日本だけでなく欧米でも、現在までに認められた合併の半数近くが、資産の売却など何らかの「競争回復措置」を行うことを条件に承認されています。こうした競争回復措置の効果を評価することは、競争政策の観点からも重要な課題です。

当該合併における公取委の同意審決では、八幡・富士製鐵からの申し出による競争回復措置にかかる計画を実行することを命じています。計画の内容は、設備譲渡、株式譲渡および技術やノウハウの提供など多岐に亘りますが、今回の研究においては、その内容を、ある仮定に基づいて生産設備に換算をしたうえで、競争回復措置の効果を分析しました。

まず上述した合併における分析と同様に、シミュレーションを用いて事後的な形で競争回復措置を評価しました。当該措置によって譲渡された生産設備の限界生産性や投資に与える弾力性を調べた結果、競争回復措置を実行しない形での合併の方が社会厚生上望ましかったとの結論が得られました。もちろん、企業結合規制は事前規制ですから、競争回復措置の判断も合併前の情報に基づいてなされます。そこで1969年時点という事前段階でのデータによる定量分析も行ってみましたが、定性的な結果は事後的な分析結果と変わりませんでした。たしかにこの競争回復措置は、競争企業(とりわけ神戸製鋼と日本鋼管)に対してはメリットがありましたが、社会厚生の最大化の観点からは疑問が残る措置だったといえそうに思います。

図1:合併と競争回復措置が産業に与えたインパクト

――類似の研究は多いのでしょうか。

競争政策の経済分析においては、これまで、企業合併が生み出す効果の中でも競争制限効果の分析に重点が置かれてきました。本研究で扱ったような合併が生み出す効率性向上効果についての定量的な分析は、国内外を問わずほとんどなされていません。また、合併の効率性向上効果を企業の設備投資行動なども含めた動学的な観点から定量化し、その分析に当たっては、合併の効果だけでなく合併承認の際にしばしば課される競争回復措置にも注目して定量化を行った点も、過去の文献ではみられない新たな試みだと思います。

合併審査の過程は公共財、過去データ蓄積・公開の仕組みを

――どのような政策インプリケーションが得られますか。

より良い合併審査のあり方を考える上での論点を提示できたのではないかと思います。第1に、マーケットシェアの大小に基づいて合併の可否を判断することには、経済学的な妥当性が乏しいことが再確認できました。また、グローバル化の進展により、日本企業にとっても海外市場の位置づけが大きくなっています。合併の影響は、海外市場も視野に入れて考えるべきケースが増えてきているのではないでしょうか。

第2に、合併可否の判断基準として、短期的な消費者余剰だけを注視することには問題があるという点です。生産者余剰も、長期的にみれば新製品の開発などを通じて消費者余剰に還元されうる点を見落としてはいけません。

最後に、公取委は、法で定められた事前届出ではなく事前相談にて実質的な審査がなされているとの指摘がありますが、その審査の結果を、ある種の公共財として蓄積する仕組みが必要だと思います。競争制限のおそれがあると判断する公取委と、効率性向上効果が見込めると考える合併を希望する社との間で、どのような議論が交わされて合併可否の判断に至ったのか、事前相談では中々見えてきません。合併を将来検討している企業が、合併審査に対して過剰に萎縮することがないように手続きの透明化などの配慮が必要かもしれません。閉塞感にあえぐ日本経済を活性化させるために、合併審査のあり方は1つの重要な環境整備の論点となりえます。国民経済全体の観点から、制度のさらなる改善の余地がないか点検していく必要もありそうです。

――今後のご研究課題について教えてください。

産業政策と競争政策の関係についてさらに考察を深めてみたいと思います。産業政策と競争政策は対立軸で考えられてきましたが、今後両者はより補完的な側面を強くしていくと思います。透明性・公平性を確保するために競争政策的な考え方は不可欠であり、そうした考え方のもとで市場の規律を生かしつつ産業政策のあり方も考えていく必要があります。経済危機後の新しい産業政策を展開する意味でも、競争政策的な視点を理論的・実証的に肉付けしていく研究が求められているのではないかと思います。

解説者紹介

東京大学経済学部卒業。ノースウェスタン大学経済学博士号取得。2000年から2003年までブリティッシュコロンビア大学経営学部助教授を経て2003年から現職。
主な著作は、"Effects of Transparency in Procurement Practices on Bidding Behavior: The Experience of Municipal Public Works"; Review of Industrial Organization(2009)など。