Research Digest (DPワンポイント解説)

最低賃金は日本において有効な貧困対策か?

解説者 川口 大司 (ファカルティフェロー)/ 森 悠子 (日本学術振興会特別研究員/一橋大学)
発行日/NO. Research Digest No.0046
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最低賃金の引き上げは貧困問題への対応策としてどの程度有効なのか?この喫緊の問いに対して、川口FFと森氏は就業構造基本調査の個別データを基に分析、検証を行った。結果は、最低賃金で働いていると考えられる労働者の約半数は、年収が500万円以上の中所得世帯の世帯員、つまりパートタイムで働く主婦やアルバイトをしている子供であることから、貧困世帯の世帯主に対する経済的な支援という本来の目的への効果は期待通りとはいい難い。さらに、最低賃金の引き上げによって、10代の男性や既婚中年女性の雇用が失われる可能性が高いことも明らかになった。低賃金労働者への対応策としては、最低賃金の引き上げだけに頼るのではなく、勤労所得税額控除など他の選択肢の導入についても幅広く検討する必要があると両氏は指摘する。

――どのような問題意識から、この論文を執筆されたのでしょうか。

川口:貧困問題への関心が高まる中、貧困解消の有力な方策法として議論されているのが最低賃金の引き上げです。実際問題として最低賃金の水準が生活保護支給額を下回るような逆転現象が起きていることが指摘され、逆転解消のために法律を改正するなど社会的な動きもある状態では、最低賃金を引き上げることが効果的ではないかという考え方が増えるのは自然でしょう。

そこで、最低賃金の引き上げが、貧困対策として期待通りの効果を生むのか、貧困解消に有効かということを検証したいと考えました。この研究では最低賃金の引き上げの効果について、2つの論点について議論をしています。第1に、最低賃金水準で労働している人たちは、所得の少ない貧困層に属しているのか。第2に、最低賃金を引き上げても、最低賃金水準の労働者は雇用を失うことなく、収入の増加を享受できるのか。

この2点について、海外ではかなり研究が進んでいますが、日本ではこれまで実証的な研究があまり行われていませんでした。

データ制約が阻んだ日本の実証研究

――貧困対策は非常に関心を呼ぶテーマですが、日本で実証研究が少なかったのはなぜでしょうか。

川口:その理由は、政府統計のような大規模な統計を使った実証研究ができなかったからです。たとえば、日本では、就業状態に関するマイクロレベルのデータをカバーしている就業構造基本調査(就調)のような大規模データがありますが、研究者が通常利用可能なのは公開されている集計データに限られ、回答者ごとの個別データを利用することはできません。もちろん、回答者のデータ全てを公開することは、個人情報保護の観点から不適切です。しかし、最低賃金は都道府県別に決定されており、それぞれ水準が異なるので、最低賃金の効果について分析の精度を高めていくためには、居住している都道府県をはじめ、年齢など個人の属性に関する情報が必要なのです。

今回の研究は、RIETIのプロジェクトとして就調の回答者ごとの個別データである個票データの利用を特別に申請して実現しました。集計データは先行研究で利用されていますが、個票の利用による研究は初めてでしょう。就調の調査対象は約44万世帯、15歳以上の約百万人で、1982年から2002年まで5年ごとに実施されています。

本年4月の統計法改正により、研究目的での大規模政府統計へのアクセスは改善していますが、それでも、回答者個人のプライバシーを保つという観点から、居住している都道府県の情報は得られません。その意味で、私たちの研究は、かなり細かな属性情報を活用したものといえます。

――最低賃金制の仕組みについて簡単にご説明下さい。

川口:日本の最低賃金は地域別と産業別の2種類があります。都道府県ごとに設定される地域別の最低賃金は全ての労働者に適用され、産業別の最低賃金は特定の県の特定の産業について適用されるものです。2000年度で、前者は労働者5200万人、後者は労働者450万人を対象としていました。このように産業別最低賃金はカバー範囲が狭く、徐々に廃止される方向にあるので、この研究では地域別最低賃金にのみ焦点を当てました。

最低賃金を改定する場合は中央最低賃金審議会(厚生労働相の諮問機関)が各地域の最低賃金の値上げ幅に関する目安を示します。審議会は労働者側委員、使用者側委員、公益委員で構成されていますが、通常は労使双方の意見の溝が埋まらないので、結果として中立的な立場の公益委員の意見が目安に反映される格好となります。

中央最低賃金審議会の答申を受け、都道府県ごとの最低賃金審議会が議論し、地域の実情を踏まえた上で最終的に改定しますが、中央最低賃金審議会の目安にほぼ従う形で決められているのが実情です。

最低賃金労働者の半分は世帯年収500万円以上

――この研究では、最低賃金労働者をどのように定義していますか?

森:就調のデータは年収ベースですが、最低賃金は時給ベースで表示されます。ですから、まず就調のデータセット、つまりそこに示された個々人の年収が最低賃金水準なのかどうかを検討する必要があります。

そこで、仮に最低賃金で1年間働いたとした場合の個人の年収を計算し、算出された金額と就調に記載された実年収を比べ、実年収が最低賃金に基づく年収を下回っている場合は最低賃金水準の労働者としました。なお、就業時間・日数は幅を持って示されているので、その点も考慮して比較する必要があります。

川口:このように最低賃金水準で働く労働者を定義したのですが、この計算は必ずしも厳密な推計ではなく、誤差があります。そのため最低賃金水準の労働者が正確に何人いるかといった議論はできません。しかしながら、最低賃金水準の労働者がどのような属性を持っているのかを分析するには十分なデータを得ることができました。

森:なお、この計算をするにあたって、年間労働日数が200日以内の労働者(サンプル全体の12%に相当します)は、労働時間や日数の記録が取れないので、分析対象から除外しました。また、自営業者や家族従業員についても、最低賃金法の対象ではないため除外しました。

――最低賃金労働者はどのような特徴を持っているのでしょうか?

森:まず、最低賃金水準の労働者の特徴を、学歴別、性別、年齢別に1982年と2002年を比較してみました。

学歴別で最低賃金労働者の割合が高いのは、中学、高校卒などの低学歴層です。

一方、年齢別では若年層、とりわけ10代で高くなっており、60歳以上の高齢労働者も高い傾向にあります。また、女性労働者は、年齢層に関係なく高くなっています。

地域別では沖縄や青森などが高く、東京などは低くなっています。産業別では、卸売り・小売り、飲食店・宿泊業が1982年に比べて2002年に上昇しています。これはパート労働者やアルバイトが増えているためと考えられます。

次に、こうした最低賃金水準の労働者の中で、本当に貧しい家計層に属する人はどれだけいるだろうかという疑問に答えるための分析を行いました。まず、最低賃金水準の労働者を世帯主か世帯員かに分けたうえで、年収ごとに6段階(~99万円、100~199万円、200~299万円、300~399万円、400~499万円、500万円以上)に分類しました。その結果、年収が200万円以下の世帯の世帯主は2002年時点で9.5%にすぎませんでした(表1参照)。300万円以下でも15%弱です。つまり、最低賃金水準の労働者の中で貧困世帯の世帯主である割合はごく一部にとどまっています。では、どのような人が最低賃金労働者なのかといえば、最も多かったのは年収500万円以上の世帯の世帯員です。

表1:最低賃金労働者の家計面から見た属性

その比率は50.5%に達しており、2人に1人という格好です。

これは世帯主の配偶者がパート労働者として働いたり、もしくは世帯主の子供がアルバイトしていることを示しています。こうしてみると、最低賃金の引き上げで本当に恩恵を受けるのは、むしろ中所得以上の世帯の世帯員ではないか、ということになります。

最低賃金引き上げは10代男性と既婚中年女性の雇用に負の効果

――最低賃金の引き上げによる就業率への影響を教えてください。

川口:過去5年間の最低賃金の引き上げによる影響を受けた労働者、すなわち、引き上げ前には収入が最低賃金の水準を超えていたが、引き上げ後の最低賃金水準は下回ってしまう労働者が、各都道府県でどの程度の割合を占めるのかに着目しました。そして、そうした労働者の割合と、過去5年間の就業率の変化にどのような関係がみられるかどうか分析しました。

WLS(重みつき最小二乗法)と呼ばれる推計方法を使っていますが、その際、日本全体の景気変動の影響を除外するために、平均賃金(=平均賃金が上昇すると最適な生産規模が変わってしまいます)と25~59歳の男性労働者(=最低賃金労働者で働く割合が低い層ですが、景気変動の影響は受けます)の失業率を追加的に説明変数として推計式に入れています。

図1:就業率の変化と最低賃金率引き上げの影響を受ける労働者の割合

図1は、男性15~19歳の平均賃金・失業率の変化の影響を取り除いた上で、最低賃金引き上げの影響が就業率の変化、つまり雇用に影響を与えるかどうかを見たものです。推計値の直線の傾きが右下がりになっていることは、負の影響を与えていることを意味します。つまり、最低賃金引き上げは、就業率にマイナスの効果を与えているのです。特に、10代の男性と中年の既婚女性に対して就業率を下げる効果を生んでいます。

――最近、注目を集めている若年層への影響についてはいかがですか?

森:就学と就業の状態によって、1)就学・非就業、2)就学・就業、3)非就学・就業、4)非就学・非就業の4つのカテゴリーに分けました。

このうち、1)のカテゴリー(就学・非就業)が93%と大多数を占め、2)のカテゴリー(就学・就業[パートタイム])は2.5%でした。また、3)のカテゴリー(非就学で就業)は3%、4)のカテゴリー(非就学・非就業)は2%でした。

ここでは高校在学の年齢(15~18歳)を前提にしていますが、実際には16歳と17歳のみを分析対象に絞り込みました。15歳と18歳は生まれた月によって高校在学かどうかが異なってしまうのですが、1997年以前の就調のデータではその点がわからないためです。

その上で、就業率の場合と同様のような推計式をたてて分析したところ、最低賃金の引き上げの影響を受ける労働者の比率が高ければ高いほど、高校に通いながらであれ、高校を退学後であれ、就業する若年層の比率も高いことがわかりました。

より効果的な他の政策の検討が必要

――こうした結果を総合すると、どのようなことがわかるのでしょうか。

川口:今回の研究では、最低賃金の引き上げは、貧困対策として適切に対象をとらえているか、そして雇用に関する副作用を起こしていないかどうかを検証しました。その結果、最低賃金の引き上げは、貧困対策として全く意味の無いものではないが、必ずしも期待された効果を挙げているわけではないことが明らかになりました。

貧困対策の選択肢として考えられるのが、勤労所得税額控除(Earned Income Tax Credit)と呼ばれる還付金つきの税額控除でしょう。図2が示すように、現行の生活保護の制度には労働時間を増やしても手取りの所得が増えない領域があり、労働のインセンティブをそぐことになってしまっています。その一方で勤労所得税額控除は賃金の補助をつうじて所得移転をするものですが、低賃金労働者の働くインセンティブを阻害しないようにしながら、所得移転ができます。すでに、欧米ではEITCが導入されています。効果に関する研究も行われており、低賃金労働者の就業意欲を刺激して就労率を上げる効果があることが発見されていますので、少なくともインセンティブを削ぐことにはならないと思います。

他方、最近になってEITCの副作用も指摘されるようになってきました。賃金補助によって結果的に労働供給が増えるので、均衡賃金が下がってしまうこと、すなわち企業は賃金を上げなくても労働者を雇うことができるようになるため、EITCの効果が企業に帰着してしまうという問題があります。とくにEITCが母子世帯などに限定されてしまうと、対象から外れる単身中高年フリーターのような人々が直接支援を受けられないばかりか、EITCの補助対象となる人々との競争で賃金が下がってしまう可能性すらあります。このようにEITCも思わぬ効果が無いわけではないので慎重な制度設計が必要ですが、就業インセンティブを削がないという点からみて、現行の生活保護制度に比べて望ましい政策ではないかと考えられます。

図2-1:現状の生活保護制度
図2-2:勤労所得税額控除制度

――今後の研究の課題は何でしょうか?

川口:今回は、最低賃金の引き上げの影響を労働者個人について考えて見たわけですが、これを家計の視点からみたらどうなるかという点に興味があります。つまり、生活保護世帯の年収水準に近い貧困世帯にとって、最低賃金の引き上げによる収入増と就業機会の増減が、世帯主と世帯員のそれぞれにどのように影響をするのかということです。

例えば、今回の研究により、最低賃金が引き上げられると雇用が失われる可能性があることがわかりましたが、最低賃金労働者の半数を中高年の女性が占め、多くは世帯主ではないパート労働者であることから、雇用が失われても家計への影響は大きくない可能性があります。ひょっとすると世帯主である夫の所得が最低賃金の引き上げの恩恵を受けて上昇する結果、妻や10代の子供たちがパート労働者としての仕事を失ったとしても家計全体としては所得が上がるかもしれません。

最低賃金の引き上げの影響を家計全体で捉え、世帯収入のレベルで、貧困層に位置づけられる世帯数が減るのか、また平均収入が上がるのかなどについて研究をしていきたいと思います。

解説者紹介

一橋大学大学院経済学研究科准教授。米ミシガン州立大学・経済学博士。2002年大阪大学社会経済研究所講師、2005年から一橋大学大学院経済学研究科准教授(助教授)。2005年-2006年に米カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員。2006年から経済産業研究所ファカルティフェロー。主な著作は、"A Market Test of Sex Discrimination: Evidence from Japanese Firm-Level Panel Data," (International Journal of Industrial Organization, Vol.25, No. 3, pp. 441-460, 2007), "Wage Distribution in Japan: 1989-2003,"(神林龍・横山泉との共著Canadian Journal of Economics, Vol. 41, No. 4, pp. 1329-1350, 2008)など。


森 悠子顔写真

森 悠子

北海道大学農学部卒業。一橋大学大学院経済学研究科博士課程在籍中。経済学修士。