Research Digest (DPワンポイント解説)

消費者政策と市場の規範

解説者 谷 みどり (上席研究員)
発行日/NO. Research Digest No.0028
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消費者問題や消費者政策に対する関心が高まっている。

ゲーム論や行動経済学などの分野で消費者政策の議論に貢献しそうな研究が登場しているが、学際的な文献調査や、理論と現実の政策にまたがる資料などは乏しかった。

谷消費者政策研究官は今回のポリシーデスカッションペーパーで、様々な学問分野、一般向け書籍、政策資料を含む既存文献における論点を俯瞰的に整理した。

消費者政策は従来、消費者と事業者の一般的な対立構造を想定して論じられてきたが、各文献・資料から抽出されたのは、「市場の規範」を軸に消費者政策を論じる視点である。

消費者、事業者、政府それぞれが市場の規範を構築・維持する役割を果たす新しい政策が展開できないかを、悪質商法や製品安全に関する最新の政策と関係づけて論じている。

つながり乏しい既存研究まず鳥瞰図を描く

――論文では既存文献の学際的な調査から、「消費者政策」の展開に関する、新しい考え方を提示していますね。まず、今回の論文をまとめた問題意識からお話ください。

経済産業省の消費経済部長、消費者政策担当の審議官を務め、行政官として「消費者問題」「消費者政策」にかかわる中で、そのあり方を考えてきました。昨年10月にRIETIの研究員となってこの分野に取り組むことにし、これまでに行われた研究を調べたのですが、最初に気がついたのは、そもそも消費者政策に関する学問的な研究が少ないことです。また学問分野相互のつながりが乏しく、「消費者政策に関してはこうした研究がある」というような鳥瞰図が描けない。例えば悪質商法について、錯誤による契約に関しては民法学、「だます、だまされる」の心理に関しては心理学といった研究があるのですが、お互いに関心が乏しいようにみえました。そこで、全体を眺めたら、政策のヒントが見えてくるかもしれないと考えました。

次に気がついたのが、消費者政策という発想ではなく取り組まれてきた研究にも、関連するものがたくさんあることです。例えば経済学は、そもそも「取引」を扱っており、多くの研究者は消費者政策など意識せずに研究していますが、実はその多くが事業者対消費者の取引を対象にしているのではないでしょうか。

消費者政策に役立つ可能性のある学問の成果と、現実に消費者がこうだまされ、こんな製品事故が起きていますという消費者行政におけるデータや事例を結びつけると、何が言えるのか。そもそもこうした研究は学問研究としては成立しにくいので、これまで論文がなかったのはいわば当たり前なのですが、政策の役には立つのではないか、国民の税金で政策研究を行っているRIETIという場での研究の一つのあり方ではないか、と考えました。RIETIの研究論文の発表のシステムの中には、専門的なディスカッション・ペーパーとは別に、政策を巡る議論にタイムリーに貢献する目的の「ポリシーディスカッション・ペーパー」というカテゴリーがありますので、その形にまとめました。もちろん個々の学問分野からみれば、不十分な点が多いことでしょう。ただ、論文をまとめる過程でコメントをいただいた一橋大学の松本恒雄教授から、消費者問題や政策が活発に議論されている今、早く出すことに意味があるといったお勧めもいただきました。それで、まず公表して、どんな問題があるかご意見をいただければ、政策議論にも役立てるのではないかと思ったわけです。

多様化する事業者と消費者対立構造でとらえきれず

――理論とつなぐ現実の事例として、タイトルにもあるように、「悪質商法」と「製品安全」の2つをとりあげていますね。

消費者問題は実に幅が広い。私たちが財布を開いて何かすることは、すべて消費者問題に関係するともいえます。その中には例えばマンションの耐震偽装問題もあり、医薬品の安全問題などもあるわけですが、建築や薬品などには許認可、登録などの事前規制があり、業界固有の論点が多くあります。そこで、このような事前規制の無いものの中でよく取り上げられる問題として、悪徳商法と製品安全を対象としました。

2つの問題の原因はどこにあるのかという議論を歴史的にたどると、消費者対事業者のパワーバランスがあり、そのパワーがより事業者に片寄ってきたのだという議論があります。それがどこまで普遍性があるかを検討してみると、いくつかの論点が浮かびます。

図表1:消費者相談件数の推移

まず、消費者相談件数の増加(図表1)などから悪徳商法を行う事業者の増加が推定されます。また、高齢者の被害金額や取締り事例などから、悪質事業者が悪質の度合いを増していることが推定されます。しかしその一方で、消費者の立場を配慮した消費者対応を行うなど、一歩ずつ前に進んでいる事業者も増えています。さらに、消費者と事業者の区別がつきにくい場合も増えています。たとえばインターネットオークションでは、売り手が事業者なのか消費者なのか、わかりにくい場合があります。また、「悪質電話機リース」という事例があって、これは高齢者が経営する小規模な商店などの屋号で契約させ、事業者は「事業者対事業者の取引なので消費者としての保護(クーリングオフ)は受けられない」、というものです。それで国は、インターネットオークションで一定量以上売れば事業者だという通達や、屋号での取引でも個人用に使う電話なら消費者取引だという通達を出しました。

このように、事業者も消費者も多様化しています。そこで、消費者政策を事業者と消費者の対立以外の見方で考えると、何か見つかるのではないかと思いました。

「市場の規範」に3類型法で強制するのはごく一部

――そこで、消費者問題の原因は「消費者の力が弱まっている」からではなく、「市場の規範が弱まっている」からという新しいとらえ方を提示していますね。

インターネット通販などでは、相手を裏切れば儲かるような、「囚人のジレンマ」的な取引構造があります。しかし、そのような構造を持つ取引でも、相手を裏切らずに、双方の利益となる取引が行われてきました。そこで、どのような力でそうなっているのかを考え、そのような相互の協力をもたらす力を「市場の規範」と呼んでみました。

市場の規範には、「強制する規範」、「経済社会の圧力で守る規範」、「良心で守る規範」があります。また、立法か立法以外かでも分けられます。図表2は縦軸にその創設の方法として「立法」と「立法以外」、横軸にそれを守る手段として、「強制」、「経済社会の圧力」、「良心」の3つを置いたものです。

図表2:市場の規範の創設方法と遵守手段

「市場の規範」というと、立法で強制するイメージがあると思います。消費者政策においては行政が取り締まることと思い浮かべる人が多いでしょうが、それは実はわずかな部分(図表2中A)です。強調したいのは、横軸の「経済社会の圧力」と「良心」の部分です。ここにはたとえば自主行動基準(図表2中D)や社内システム(図表2中F)など、立法以外の部分も大きいのです。

立法でも、「経済社会の圧力」だけを呼びかけたものがあります。消費者政策ではありませんが、制定当初の男女雇用機会均等法の平等の部分は、行政処分や罰則がなく努力義務規定だけで、それでも均等法制定の前後で働く女性の環境が大きく変わり、世の中への影響は非常に大きかったと言えます。図表2でいえばAでなくC部分です。消費者契約法の事業者の努力義務も、C部分です。

さらに立法で、強制もされず経済社会の圧力も考えにくく、良心で守ることを呼びかけていると考えられる規定(図表2のE部分)もあります。たとえば消費者基本法の第7条は「消費者は、自ら進んでその消費生活に関して必要な知識を修得し、及び必要な情報を収集する等、自主的かつ合理的に行動するよう努めなければならない」としています。この規定は「自ら進んで」とあるように、消費者が自らの良心で守ることを期待した規範ではないでしょうか。

このように、市場の規範は広範であり、国が法で強制するのはそのごく一部です。

――その「市場の規範」がどう論じられてきたのか、という観点からの学説、文献のサーベイも展開していますね。

「市場の規範」があることによって正常な取引が行われ、事業者、消費者の利益が増え得るのだとすると、経済の発展に欠かせない、一種の公共財ということになります。

それでは、「市場の規範」はどう構築されてきたのかという観点で、消費者政策に役立つと思われる文献を4つに分類してみました。

1つは、理論からのいわば演繹的な分析で、ゲーム理論の応用です。理論経済学、社会学、政治学、行政学、倫理学の研究があります。次に、人間の行動を帰納的に研究するものが2つ。1つはいわばミクロの帰納法で、人間の経済社会行動の実験をしましょうというものです。社会心理学や、行動経済学・実験経済学の研究があります。もう1つはいわばマクロの帰納法で、人間集団の実態分析のような分野です。開発経済学、社会学、商学、経営学などの研究があります。最後に「原理の探求」と名づけたのですが、哲学や政治理論の研究があります。たとえば論語にも、ゲーム理論による分析や、人間行動の研究と共通する要素があります。

こうした文献をみると、「市場の規範の構築」について共通項が浮かんできます。市場の規範はどうやってできるのか。まず第一に、人々が信頼感に基づき、取引を繰り返す。そうすると、市場の規範を自ら創設・遵守し、他人にも遵守に向けた圧力を加えるという経路がある。これが基本です。ところが、第二にそれがうまくいかない場合があるから強制が必要だ、ということになります。

これは、先の「立法か、立法以外か」「強制か、経済社会の圧力か、良心か」の議論につながります。立法による強制、消費者政策をひたすら政府が規制し強制することと考える人もいて、それに反対の立場からは、消費者政策という言葉で官僚が自らの仕事をつくりだして、天下り先を増やしているという批判もあります。これらの議論は、図表2の「A」だけを考えているわけですが、現実には「CDEF」の領域で動いていることが多いのです。確かに強制は必要ですが、それは、すべての事業活動を強制するということではありません。「CDEF」が働かない場合を「A」によって減らすことで、政府が経済社会の圧力や良心をサポートするということです。

図表3:市場の規範構築の経路

協力しやすい構造を作り調整コストを下げる

――消費者政策はどのような位置づけになりますか。

政策ができることは3つに分類できます。

第一に、取引相手と協力しやすい構造をつくること。典型的なのは、ともすれば相手を裏切りやすい一度きりの取引でなく、繰り返し取引の構造をつくることです。最近の消費者問題でいえば、英会話学校NOVAの例があります。多数回の役務をまとめて、例えば3年600回分のチケットを一度に契約するといったものは規制しましょうというのがこれにあたります。もし10回分ずつチケットを売るなら、学校は11回目も生徒が来るように、予約を取りやすくするなど努力をするでしょう。

第二に、よい行動方針をとりやすくすること。図表3のa.の「規範を自ら創設・遵守、他人にも遵守に向けた圧力を加える」に貢献するのは、大きな製品事故が起きればきちんと公表する、その時きちんとリコールするなどよい行動をとれば評価されるようにすることです。また、悪質商法にはb.のように業務停止命令などの形で法を執行することで、よい事業者がお客を取られずにすみます。

第三に、調整コストを下げる。取引相手との間で情報が共有されにくく、消費者取引で繰り返し取引が減少している状況では、取引相手との協力に至るまで、時間がかかります。政策的には、情報をとりまとめて、売り手と買い手が共通に知る情報として提供するといったものがあります。たとえばインターネット商取引に関する政府の審議会での議論を公表することだけでも、この調整コストを引き下げることになるのではないかと思います。たとえば特定商取引法の改正に関する審議会の議論の公表が、インターネットモール大手の対応を促したと思われる事例もありました。

――こうした議論は具体的にどのような政策に反映されていくことになりますか。また、今後の研究の発展方向に関してもお話ください。

論文では通常国会で可決された「特定商取引に関する法律及び割賦販売法の一部を改る法律案」について触れました。法改正の概要は①規制の抜け穴の解消、②訪問販売規制の強化、③クレジット規制の強化、④インターネット取引等の規制の強化――ですが、これは前記の消費者政策ができる3項目に沿うものです。

市場の規範の構築と遵守は、消費者、事業者を含む多様な市場関係者の参画によって実現するものです。政府だけで規範の低下を反転させることはできませんが、政府がなんら関与せずに市場の規範を構築・維持できる可能性も低くなっています。消費者政策は、消費者、事業者、政府のすべてがどのように市場の規範を構築、維持するかという観点から考える必要があります。今回の論文に様々な観点からご意見をいただき、改善していけると嬉しいです。

解説者紹介

東京大学経済学部経済学科卒業。スタンフォード大学大学院修士課程修了(政治学)。通商産業省(当時)入省後、通商調査室長として1994年版通商白書作成。国際エネルギー機関国別審査課長、通産省地球環境対策室長、内閣官房参事官、経済産業省貿易振興課長を経て、環境省環境計画課長として2004年版環境白書作成。2004年環境省水環境部企画課長、2005年経済産業省消費経済部長、2007年経済産業省大臣官房審議官(消費者政策担当) を経て、2007年10月から2008年7月までRIETI上席研究員。