Research Digest (DPワンポイント解説)

東アジアの通貨間で拡大する乖離

解説者 小川 英治 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0027
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アジア通貨危機後、東アジア(ASEAN10カ国+日中韓3ケ国)域内における経済的な結びつきが一段と強まっていく中で、通貨・為替制度が貿易や投資の障壁として浮上してきている。

現在のように各国の通貨・為替制度がバラバラで協調が取れていないと、通常の通貨交換コストに加え、域内の為替レートの変動(為替リスク)が大きくなってしまうためである。

小川RIETIファカルティフェローは今回のDPで、自らが開発したアジア通貨単位(AMU)と呼ばれる指標を使って、東アジア各国の通貨間で乖離が広がっていることを実証的に示しつつ、政策面では各国が互いに協調していかねばならない必要性を強調している。

同時に、アジア通貨危機の再発を防ぐためにも、事前に各国の状況を把握しておくためのサーベイランス(相互監視)の重要性を訴える。

――どのような問題意識から、この論文を執筆されたのでしょうか。

1997年のアジア通貨危機の後、東アジアでは事実上の経済統合が進んでいます。具体的には貿易、直接投資、国際金融取引が域内で着実に増加しており、特に製造業を中心に、東アジアでは密接な生産ネットワークが構築され、拡大しています。例えば、トヨタ自動車のタイの自動車生産工場では、東アジア域内の周辺国から調達した部品を組み立てて自動車を製造しているなど、東アジア全体が工場となっています。

こうした東アジア域内の経済関係の緊密化に伴い、これまでは、貿易や直接投資の障壁として関税がクローズアップされていましたが、自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)で関税の撤廃や引き下げが行われてきたことで、関税以外の他の要因が相対的に障壁として浮上してきました。具体的には、通貨の交換にコストがかかり、相場が安定しないというリスクを抱える為替の問題が、貿易や投資の障壁として位置づけられるようになってきたのです。そこで、今回東アジアの通貨の問題に関する研究に取り組んだわけです。

――経済統合に向けた動きが活発になる中で、貿易や投資の側面からみた為替安定化がますます重要になるわけですね。

そうです。かつて日本企業が東アジアに進出する際は、とりあえず米ドルの動きを気にしていればよかったのですが、今では東アジア域内の生産ネットワークの緊密化などに伴う域内諸国間の経済活動の活発化から、域内通貨同士の為替レートの安定性などもにらみながら、為替戦略を立てることが必要になってきました。安定した為替制度を構築することは、東アジア経済の今後を考える上で重要な位置を占めています。

各国為替の実態把握へ「AMU」指標を創設

――それでは東アジア域内の為替制度の実態はどうなのでしょうか。

域内各国の為替制度はバスケット方式からドルペッグ式、変動相場制など多種多様で、協調が取れている状態とはいえません。例えば、中国は2005年7月21日に人民元の改革を発表し、それまでの固定相場制(ドルペッグ)から管理フロート制への移行を決め、米ドル、ユーロ、円、韓国ウォンなど主要通貨のバスケットをターゲットにするとしていました。

その後の動きについて、図表1を見ながら追ってみますと、実際には対ドルに対してだけ人民元の為替レートが安定的に切り上がっており、ユーロや円に対しては安定した連動性が見られません。バスケット式を採用したという宣言が実行されているわけではないのです。

これに対し、中国に続いてバスケット方式の管理フロート制に移行したマレーシアはどうかといいますと、米ドルとの連動性が下がる一方で、他の通貨との連動性は上昇しています。マレーシアは、政府自身が宣言した政策をきちんと実行することで、市場の信任を得ようとしたことを示しています。

このようにバスケット方式一つをとっても、各国が実際に採用した為替制度はバラバラであるのが実態です。これでは域内の為替レートが変動しやすくなってしまい、望ましい状態とはいえません。

図表1:人民元とマレーシア・リンギットのドル/ユーロ/円との連動性

――こうした実態を把握するために、どのような方法を使っているのでしょうか。

この論文のテーマは、域内の各国間の通貨が互いにどれほど乖離しているのかを議論することであり、そのための指標としてアジア通貨単位(Asian Monetary Unit:AMU)と東アジア通貨の乖離指標を算出しています。

AMUという仕組みを考えた背景には、2つの理由があります。1つは、域内各国で為替に関してお互いに安定性を保つことが必要ですが、AMUに対して自国通貨が高いか低いかを見れば、域内における各国通貨のポジションを相互に理解することができるようになります。つまり、互いにどれほど乖離しているかを把握できるわけです。

もう1つはAMUの域外国通貨(米ドル、ユーロ、円)に対する動きをよく見ることです。ドルなど域外の通貨との関係が重要なのは言うまでもありませんが、実はAMUは、域外国の通貨に対して比較的安定した動きをしており、それほど大きく変化しているわけではありません。

それに比べて、域内に目を転じると、通貨間のばらつきは大きく、これが域内為替制度の不安定さを招く原因となっています。これまで、東アジアの通貨問題は、どちらかというと域外国通貨との関係に焦点があたりやすかったのですが、私自身はAMUの分析において、域内の通貨同士の安定性により重点をおきたいと思っています。

――AMUは域内における基準のような役割を果たすということですが、AMUについてもう少し詳しく説明していただけますか。

AMUは、欧州連合(EU)加盟国がユーロ導入以前に採用していた欧州通貨単位(ECU)を算出する際に用いた手法に基づいています。東アジア13カ国の貿易関係と経済規模を反映させるため、AMUは購買力平価で測った各国のGDPのシェアと各国の貿易額シェアを使って加重平均して算出しています。基準となる時期は、域内の貿易不均衡が最も小さかった2000年を中心に、2000-2001年を設定しています。

――実際に、AMUのデータを一般の人が見ることはできますか。

RIETIのウェブサイト上で、アジア通貨単位(AMU)と東アジア通貨のAMU乖離指標を一般公開しています。(http://www.rieti.go.jp/users/amu/index.html

図表2、3をご覧頂ければわかるように、域内各国の通貨が見やすいようにカラーで表示されています。エクセルに収録した原データをダウンロードすることもできるので、関心のある国・通貨のデータだけを集めて編集してグラフを手直しすることも可能です。週一回更新していますので、AMUの状況をほぼリアルタイムで見ることができます。

――AMUには実質と名目の2種類がありますが、どのように異なるのでしょうか。

通常、貿易収支、海外投資やマクロ政策などを考える場合、実質為替相場を見ることが必要ですが、物価水準のデータが必要なために、データがそろって提供できるようになるまで3ヶ月程度かかってしまいます。そのため、直近の状況を詳しく見たいという場合には、あまり適していません。アジア通貨危機の時の経験からも分かるように、資本フローの動きを見るには2-3ヶ月も前の古いデータではなく、できる限り直近のデータが必要だからです。その点で、名目のデータは日々更新が可能で速報性に優れています。目的に応じて両者を組み合わせて使うのが便利ではないかと思います。

図表2:月次名目AMU乖離指標
図表3:月次実質AMU乖離指標
図表4:名目AMU乖離指標(加重平均)
図表5:実質AMU乖離指標(加重平均)

各国に求められる為替政策の協調姿勢

――AMU全体のグラフをみると、乖離は広がっているようにみえます。

その通りです。名目、実質AMU乖離指標ともに(図表4、5)2005年頃からAMU全体でみるとかなり上方に推移しており、乖離幅が広がっています。

――どのように対応すべきなのでしょうか。

乖離指標がこのように上向きで推移して年々広がる傾向を見せているのは、政策面では各国が互いに協調していかねばならないというメッセージにつながります。

ASEAN+3の財務相代理会合ではサーベイランス(相互監視)を行っていますが、GDPやインフレ率、金融セクターの健全性などをカバーしているのにとどまり、為替の安定性までみているわけではありません。為替政策の協調が取れていない現状では、まず、域内における為替の安定性についての重要性を共通認識とすることが大切です。私はASEAN+3の財務相会議のリサーチグループのメンバーだったので、仲間のメンバーとともに「為替レートをサーベイランスの材料とすべきだ」という提案をしてきました。実効性のある政策の実施はまだ先の話だとしても、こうした場で私たちの考えを生かした研究がされるようになったこと自体、大きな前進ではないかと考えています。

危機の再発防止に不可欠な相互監視の体制

――東アジアの為替制度の安定に向けて、今後、どのような政策が求められるのでしょうか。

アジア通貨危機の反省から、チェンマイ・イチシアチブ(Chiang Mai Initiative:CMI)によるスワップ協定が始まりました。これは通貨危機管理には役立つとはいえますが、通貨危機を未然に防止することにつながるわけではありません。危機の再発を防ごうとするなら、どうしても危機が起きる前から状況を把握しておくことが欠かせないわけで、平素からサーベイランスを実施することが必要になります。

サーベイランスの重要性は次の点からもいえます。CMIでは機動的に資金を供給するために、国際通貨基金(IMF)プログラムから独立して対象国に発動できる通貨スワップ量の上限が、10%から20%へと拡大されました。そうした制度を効率よく活用するには、当たり前のことですがIMFよりも早く資金を供給できるようになっていなければなりません。しかし、それには当該国の経済状況などを把握する為のサーベイランスが日ごろから行われていることが肝要なのです。通貨スワップ制度の実効性を高める上でも、サーベイランスの実行、とりわけ、為替レートも含めたサーベイランスがなされることが求められます。

――最後に、今後の研究について聞かせてください。

今後の目標としては、まず、実質AMU乖離指標について、統計学的に精緻な分析に取り組みたいと思います。グラフをみれば視覚的に理解することはできますが、ASEAN+3全体における乖離の大小を具体的な数値で議論していきたいと考えているからです。

このまま右肩上がりに推移していくのか、つまり統計学的には発散していくのか、それとも元々の水準に戻る可能性があるのかということは大いに興味がわくテーマでしょう。さらに、中国が人民元改革を宣言した2005年をもって、何らかの構造変化が起きたと考えるべきなのか、などについても詳しく研究したいと思います。

また、AMUがカバーしている範囲も広げていくつもりです。現在のカバー範囲はASEAN+3の13カ国の通貨ですが、これにインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えたASEAN+6の16カ国の通貨に拡大して、新しいバージョンを今年度内にウェブサイト上で公開する予定です。

また、アジア債券市場構想との関連では、それ以外の通貨に関する研究も必要になります。というのも、域内で起債する場合に使われる通貨は、投資家から見て流動性の高さが求められることも考慮すると、香港ドル、台湾ドルなどASEAN10+3の枠組みには含まれないが交換性の高い通貨についてもカバーする必要が出てくるからです。こちらの研究成果についても、同様に公開していく予定です。

解説者紹介

一橋大学商学研究科博士課程単位取得、同大で商学博士号取得。1986-88年一橋大学商学部特別研究助手(ハーバード大学経済学部客員研究員)、カリフォルニア大学バークレイ校経済学部客員研究員、一橋大学商学部助教授などを経て1999年から一橋大学商学研究科教授。2004年よりRIETIファカルティフェロー。主な著作は『国際通貨システムの安定性』(東洋経済新報社)、『中国の台頭と東アジアの金融市場』(日本評論社)(共編著)、『東アジア通貨バスケットの経済分析』(東洋経済新報社)(共編著)等。