解説者 | 佐藤 清隆 (横浜国立大学経済学部准教授)/ 清水 順子 (専修大学商学部准教授) |
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発行日/NO. | Research Digest No.0024 |
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アジアにユーロのような共通通貨が生まれる素地はあるのだろうか。
その問いを、日頃、国境を越えた輸出や部品調達に携わる企業、いわばミクロの「現場」から探るのが本研究の狙いだ。
機械産業の代表格、自動車・電機メーカーの懐に飛び込んで、貿易決済にどんな通貨を使っているのか、佐藤、清水両准教授らの研究グループは丹念に聞き取りを進め、RIETI DP『貿易取引通貨の選択と為替戦略』にまとめた。
見えてきたのは、両企業がアジアに生産ネットワークを築くにつれて、円決済ではなく、意外にもドルでの決済が増えているという事実だ。しかし、それで為替リスクが消えたわけではない。
アジア共通通貨バスケットを軸とした為替安定化にはなお大きな意義がある――本論文は最後にそう指摘する。
――まず本論文の狙いについてお聞かせ下さい。
<清水>
本論文は、2004年10月からスタートした東アジアにおける共通通貨バスケットをテーマとするRIETIの研究プロジェクトの一環です。このプロジェクトでは、これまで貿易不均衡の調整や金融危機の回避など、主にマクロ的な視点から東アジアの為替政策や制度を研究してきました。成果の1つとしてアジア共通通貨単位(AMU)の算出とデータ公表も開始しています。
(詳細はhttp://www.rieti.go.jp/users/amu/index.htmlを参照下さい。)
しかし、これに対して海外の実務家や研究者からは、AMUのようなものに本当にニーズがあるのか、日本はそれを必要としているのかという質問が寄せられました。そこで、アジアに展開している日系企業の実務という視点からも、望ましい為替制度を考えてみようというのが本論文の出発点です。
貿易通貨の取材調査は国際的にも稀
――アンケート調査ではなく、ヒアリングという手法を採用されていますね。
<清水>
この調査では、日本企業の輸出・輸入に使われるインボイス(建値あるいは決済)通貨の種類だけでなく、なぜその通貨を選んだのか、為替リスクを誰が負担するのかなど、企業の考え方・戦略もあわせて理解したいと思っていました。金融・為替制度の変遷に伴い、企業がどのように行動を変えてきたのかという点にも興味がありました。
こうした企業の動機や戦略について、具体的な事例を基に詳細に分析する上で、企業ヒアリング調査は非常に有効な分析手法だと考えています。これまで、こうした詳細な取材調査の前例が国際的にみてもなかったため、本研究が提示する調査結果は貴重なデータになると考えました。
――結果を分析する前に踏まえておくべき、東アジアの貿易動向のポイントは何でしょうか。
<清水>
1つは、機械産業に注目すると、「工程間分業」と言われる生産・調達スタイルが東アジア域内に広がっていることです。ある特定の国に生産拠点が集中するのでなく、中国やASEANなどを含めて、部品の供給拠点が細かく分かれるようになっているのが特徴です。このため、東アジア域内での部品貿易が著しく伸びています。同地域で生産された完成品が、世界各地へと輸出されるという構図も出来上がっています。
もう1つは、その分業体制に日系企業が深く関与し、グループ企業との取引という形でネットワークを作り上げている点です。特に自動車と電機という今回取り上げた2つの産業は海外生産比率も高く、そうした業種の典型例とみることができます。
アジア向けでドル決済増える
――では、企業取材からは「インボイス通貨」についてどんな法則性がうかがえたのでしょうか。
<佐藤>
私たちが調査の対象とした自動車と電機の場合、米国との取引では米ドル建てが多く、先進国向けでは輸入国側の通貨(欧州向けならユーロ)が使われています。これは図1のデータとも整合的です。また、同日系企業の取引先の大半は現地のグループ関連会社であるとの回答を得ました。現地通貨建てで輸出を行うことによって、現地の販売子会社の業績が為替の影響を受けにくくなるという利点があります。インボイス通貨の選択は、輸出先ごとに販売価格を安定させる行動、すなわちPTM(Pricing-to-Market)と呼ばれる価格設定行動と深く関係しています。
半面、対アジア貿易では先行研究と異なる結果が得られました。「日本からアジアへの輸出は円が使われる」としていた既存研究もありますし、図1では日本の対アジア輸出においてドル建てと円建ての比率が拮抗しています。しかし、今回の調査で見えてきたのは、アジア向けで米ドル建てが優勢になっているという点です。
自動車では、1990年代後半まで日本から円建てで輸出していたと回答した企業が多くみられました。しかし、その後に米ドル建ての取引へとシフトしています。特に、北米現地法人の活動規模が大きい企業は部品取引もドルを使う傾向が鮮明です。逆に、アジアや他の途上国市場での事業を中心とする企業の場合には、円建て取引が相対的に大きいという傾向も観察されました。
――アジアでドル決済が増えているのはどんな理由があるのでしょうか。
<佐藤>
いくつかの理由があります。
1つは、市場競合度の高さです。例えば電機の場合、アジアでも韓国や台湾のメーカーと激しい競争をしています。そうした競争相手がドル建てで価格設定をする限り、日系企業もドル建て取引をせざるを得ません。次に、最終消費地としての米国のウェイトの高さが挙げられます。近年アジア域内貿易が拡大していますが、最終輸出先が米国である限り、域内の工程間分業もドル建てで取引される傾向があります。もう一つ重要なのは、世界の外国為替市場でドルが最も使用されており、ドル建ての取引コストが低く、為替リスク・ヘッジの手段も豊富である点です。加えて、船賃、保険料など国際物流にかかるコストもドル建てが一般的です。いわば価格体系全体がドル建てになっているということですから、アジア域内取引においてドル以外の通貨を使用する動機付けが乏しいといえます。
外為法改正で選択肢広がる
――以前は円建てだった決済がドルに置き換わっている一因には、金融・為替に関する制度変更も影響しているようですね。
<佐藤>
1998年に外国為替管理法(外為法)の改正がありました。これは、1996年に当時の橋本龍太郎内閣が金融ビッグバンの一環として実施を決めたものです。それまで残っていた国際資本移動に関する規制のほとんどを撤廃しました。これによって、日系企業は貿易決済をする上で、選択肢が次のような方向で広がりました。
1つは、国内企業間の取引で外貨決済が可能となったことです。以前は仮に取引相手が外貨を必要としていても、手持ちの外貨を銀行との間で円に換え、円決済をせざるを得ませんでした。外貨での国内決済が可能になった結果、銀行に支払っていた為替手数料の節減につながりました。
もう1つは、グループ企業内での「ネッティング」が可能になったことです。以前は1件1件個別に銀行との間で決済していた取引を一括管理・集約して相殺し、残高のみを銀行との間で決済することによって、為替リスクや銀行に支払う為替手数料の大幅な軽減が可能となりました。
この結果、ネッティングを国際的規模で多数の参加者によって行う「マルチネッティング」という道も開けました。多数の地域に広がる多通貨建ての複雑なグループ内取引を集中管理する統括会社(ネッティング・センター)を設ける企業が現れました。
国際的に事業を展開する企業は従来から、決済通貨の自由な選択や為替リスクの集中管理といったニーズを抱えていましたが、外為法の改正により、これが実現しやすくなったとみることができます。以前、円の国際化が盛んに議論されていた時、円建て取引を阻む要因を日本の金融資本取引の規制の大きさや発達した金融資本市場の不在に求める意見もありました。しかし、金融資本取引が完全に自由化された新たな金融環境を所与として、企業は最適な為替戦略(インボイス通貨の選択)を行っています。そして皮肉にも円建てではなく米ドル建て取引がアジアにおいて増加することになっています。
――日本企業がアジアに生産ネットワークを築いたのに、円建て比率は高まっていないということですね。
<佐藤>
それが本研究からわかった興味深い発見の1つです。以前は、「日系企業がアジアへの事業展開を進め、日本とアジアの現地法人との取引が拡大すれば、円建て比率も上昇するだろう」との予想もありました。ところが、そう単純ではなかったということです。
自動車産業は相対的に輸送費用が高いため、販売地(市場があるところ)に生産拠点を置く傾向が指摘されてきました。北米やヨーロッパへの日系自動車企業の進出はその代表例ですが、アジア諸国への進出の場合は最終仕向け地としてよりも、部品の輸出拠点としての性格を強く持っています。その結果、アジア域内の自動車部品取引が増大していますが、その多くはドル建てで取引されているのです。日系企業のアジアへの事業展開に伴い、これまで資本関係のなかった現地企業に対しても出資比率を高めてグループ企業にする例が増えました。グループ外であれば、取引相手に為替リスクを押しつけるというやり方もあるのですが、グループ企業になり連結決算の対象にもなれば、為替リスクを本社が集中管理することが重要になり、決済通貨をドルで統一している方が管理しやすくなります。このドルに統一する傾向は北米での事業規模が大きい企業ほど顕著になりますが、興味深いことに、北米での事業展開が小さい企業も、アジア域内の部品取引を米ドルで行うようになっています。
競争激しく価格動かせず
――この研究では、「パススルー」についても調査されているようですが、パススルーとは何ですか?
<佐藤>
為替レートの変動に伴い、輸入国の輸入価格や小売価格がどのくらい変化するかということです。「パススルーが高い」というのは、たとえば日本の対米輸出において、円高ドル安になった時に米国のドル・ベースの輸入価格が大きく上昇することを指します。
――パススルーと本研究の問題意識はどのように絡むのでしょうか。
<佐藤>
パススルーは、為替変動が起きた時に、輸出側、輸入側のどちらが価格変動の影響を負担するかという問題と絡んでいます。仮に円高・ドル安が進んだ場合、インボイス通貨が円建てであれば、米国の輸入価格はドル・ベースで上昇します。逆に日本からの輸出がドル建てで契約されていると、日本側は為替の変動分を米国の輸入価格に転嫁することができず、米国のドル・ベースの輸入価格は変わりません。このように、インボイス通貨の選択は、誰に為替変動のリスクを負わせるかという問題と深く関係していると言えます。
――では、企業はどのように価格を設定・調整しているのでしょうか。
<佐藤>
為替レートが大幅に変化した場合には、たとえ輸入国側の通貨でインボイスしていても、企業は輸出価格そのものを改定するという対応をしているかもしれません。どの程度為替レートが変化したときに、企業は輸出価格そのものを改定しているのか、また、その頻度やタイミングはどうなっているのか、についても調査を行いました。しかし、今回調査した限りでは、そうした為替レートの大幅な変化に起因する価格改定はあまり行われていないようです。
むしろ、自動車、電機とも国際市場での競争が非常に激しく、価格を動かす自由度はほとんどないという回答が目立ちました。電機の場合、韓国や台湾のメーカーと競争しており、彼らがドル建てで価格設定する限りは、こちらもドルで価格を提示せざるを得ないということです。
価格を変えるのは、モデルチェンジが1つの契機になります。単純な値上げや値下げではなく、製品の仕様や質も変えながら価格を調整するということです。パソコンが四半期ごとに新しいモデルを投入していることから想像できるように、電機では四半期に1度というのが価格変更頻度の目安になります。米国の自動車市場では「年式」が重要ですから、1年に1回が目安になります。
こうしたことからうかがえるのは、価格はメーカーが決めるものではなく、市場で決まる色彩が濃いということです。企業の価格設定、インボイス通貨の選択は、市場での競合他社の行動から大きな影響を受けているといえます。
東アジアの為替安定、企業にも恩恵
――では、今回の調査からアジア共通通貨バスケットを企業が必要としていると言えたのでしょうか。
<清水>
決済や為替ヘッジの利便性、市場に合わせた価格表示という点で、米ドルの使い勝手が良いのは確かです。ただ、現地通貨とドル、ドルと円との間には、依然為替リスクが残っています。中長期的な視点に立てば、この為替リスクは、企業の収益や立地選択などに無視できない影響を与えるはずです。
アジアに展開する日系企業や、その生産ネットワークに参加している関連企業にしてみれば、アジア域内での為替の安定が最終的には望ましいはずです。そこにアジア共通通貨バスケットの意義があります。
――しかし、ユーロを生んだ欧州とは差がありそうですね。
<清水>
以前の欧州では、対米ドル取引より、独マルクと他のさまざまな欧州通貨の間で活発な為替取引が行われていました。そのため、欧州企業は、多種多様の為替リスクにさらされた上、膨大な取引コストも負担していました。ユーロの導入はそれらを一挙に解消するという点で、企業や国民のニーズに沿ったものだったのです。
それと比べると、確かにアジアでは、ほとんどの通貨が米ドルを中心に取引されており、東アジア通貨間のクロス取引はあまり見かけません。このため、東アジアの共通通貨バスケットに、ユーロが欧州で果たしたような役割を最初から期待するのは難しいでしょう。
――東アジアの共通通貨バスケットにはどんな期待がかかるでしょうか。
<清水>
同バスケットを中心に東アジアで為替安定に向けた協調体制がとられるようになれば、企業にも恩恵があります。今回の調査でも、企業からそのような期待が寄せられました。域内の為替が安定化すれば、共通通貨建てのアジア債券市場なども、アジアで活動する企業が中長期的な資金を調達する場として意味が出てくるでしょう。アジア債券市場の構想は、2006年5月ハイデラバードでのASEAN+3財務大臣会議で報告されています。また、将来的にアジアが最終消費地となり、大きな市場として育っていけば、アジア共通通貨にはより大きな役割が出てくるはずです。
――今後の研究課題は何でしょうか。
<佐藤>
1つは、対象業種を広げることです。今回は自動車と電機に注目しましたが、ともに国際市場での競争が熾烈で、価格面で日系企業が主導権を取れるとは限らない分野です。
これに対し、日系企業が大きなシェアを握っていたり、独自の強みを持つ分野、たとえば工作機械や精密機械、高付加価値型の素材などでは、メーカー側が強い立場に立てるはずで、通貨選択も違った姿になっている可能性があります。
解説者紹介
佐藤 清隆
横浜国立大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。
(財)国際東アジア研究センター研究員、横浜国立大学経済学部附属貿易文献資料センター准教授を経て、現職。主な論文は、"Exchange Rate Changes and Inflation in Post-Crisis Asian Economies: VAR Analysis of the Exchange Rate Pass-Through,"Journal of Money, Credit, and Banking, 近刊掲載(共著)。
清水 順子
一橋大学商学研究科博士課程修了。一橋大学商学研究科助手、明海大学経済学部准教授を経て現職。主な論文・著作は、"Stabilization of effective exchange rates under common currency basket systems," 2006, Journal of the Japanese and International Economies, Vol.20, No.4, pp590-611 (共著) 、『東アジア通貨バスケットの経済分析』(東洋経済新報社、2007)(共著)。