Research Digest (DPワンポイント解説)

Impacts of Japanese FTAs/EPAs :Post Evaluation from the Initial Data

解説者 安藤 光代 (一橋大学大学院経済学研究科)
発行日/NO. Research Digest No.0015
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日本はアジア諸国を中心にFTA(自由貿易協定)/EPA(経済連携協定)の締結に力を注いでいる。しかし、発効済みのFTA/EPAが貿易など2国間の経済関係にどのような影響を及ぼしているのか、詳細な分析は行われてこなかった。こうした状況を踏まえ、安藤光代慶應義塾大学専任講師は、日本がシンガポール、メキシコとの間でそれぞれ発効させたEPAを対象に、計量モデルを用いて実際の効果を検証した。その結果、EPAでの貿易自由化を通じた日本の対メキシコ輸出における効果が明らかになるとともに、メキシコ国内における日本企業のビジネス環境の改善や、メキシコの政府調達の国際入札への日本企業の参加など、EPAによる貿易自由化以外での効果も認められた。

日本のEPA を事後的に評価

――この研究は、日本が既に発効させたFTA/EPAについて、事後的な評価を下すことを目的としています。動機は何ですか。

本研究は、RIETIにおけるFTAの効果に関する研究プロジェクトの一つです。このプロジェクトは、FTAの質的な評価に重点を置く形で一昨年度から始まり、2年目に入って量的な側面からの評価へと拡張され、その一環として今回の研究に取り組みました。

日本も遅ればせながら近年FTA/EPA締結への動きを加速させています。しかし、FTA/EPAの効果を量的に評価した従来の研究は、CGEモデル(計算可能な一般均衡モデル)のシミュレーション分析にもとづいてGDPへの影響などを事前的に計測するものが多く、既存のFTA/EPAに事後的な評価を下したものはあまりありませんでした。もちろん、FTA/EPA発効前後の貿易額の変化を調べるといった作業は行われていましたが、統計学的な手法も用いた分析は見当たりませんでした。

このため、本研究は、(1)FTA発効後の貿易動向を自由化の中身と関連付けながら評価する、(2)計量モデルを用いてFTAによる貿易自由化の効果の有無を検証する、(3)ビジネス環境など貿易自由化以外の分野での効果の有無を考察する――という3つの柱で構成しました。分析対象は、日本がシンガポール、メキシコとの間でそれぞれ発効させたEPAで、今後のFTA/EPA政策に関する含意を探ることを狙いとしています。

日墨EPAに見られる貿易拡大効果

――まず、日本とシンガポールの経済連携協定(日星EPA)からお聞きします。EPAに盛り込まれた自由化策が、両国間の貿易にプラスの効果を及ぼしているのでしょうか。

日星EPAが発効したのは2002年11月です。2006年までの統計を見ると、2国間の貿易額は拡大傾向を続けています。しかし、これを単純にEPAの効果と見なすわけにはいきません。なぜなら、日星EPAで無税が約束された品目のほとんどは、世界貿易機関(WTO)で無税が約束されているか、そうではないものの、すでに実際に適用されている最恵国待遇(MFN)関税が無税であり、EPAによって新たに関税が撤廃された品目が少ないからです。日星EPAは日本にとって初のFTAであり、その意味では非常に意義深いものでしたが、貿易面での直接的なプラスの効果は乏しいのが実態です。

――日墨EPAはどうでしょうか。まず、日本からメキシコへの輸出については、EPA効果が見受けられるのでしょうか。

2005年4月の発効以降、日本の対メキシコ輸出は増加しています。特に自動車や電気・電子の部品、完成車の伸びが目立ちます。ただし、自動車や電気・電子の部品については、EPAの効果で増えているわけではありません。メキシコには特定品目に対して優遇税率を適用する「PROSEC」と呼ばれる国内生産促進制度があり、これらの部品の多くは、MFN関税か、このPROSEC関税が既に無税なのです。従って、これらの品目の対メキシコ輸出の増加は、日墨EPAの効果というよりも、米国での液晶テレビに対する需要拡大などに伴って、メキシコ国内における生産活動が活発化したといった事情が考えられます。

一方、完成車の輸出については、日墨EPAのプラスの効果が見てとれます。メキシコ政府は、同国内に生産拠点を持つ外国メーカーに対し、前年の国内生産台数のある一定割合までの無税輸入を認めています。これに加え、日墨EPAでメキシコ側は、現地生産の有無にかかわらず、同国内での前年の販売台数のある一定割合までを無税で輸入できるという新たな優遇措置を日本メーカーに付与しました。完成車のMFN関税が50%と高い中、これらの無税輸入枠の拡大を受けて、日本からの完成車輸出は確実に増えています。また、このEPAにおける無税輸入枠の追加は、日本メーカーによる現地販売拠点の開設や現地工場の拡充といった対メキシコ投資を刺激することにもなりました。(表1)

表1 メキシコにおける完成車の無税輸入割当

――日本の対メキシコ輸入については、EPA効果が見て取れるのでしょうか。

日本の対メキシコ輸入の主要品目は農水産品ですが、結論から言えば、直接的な効果は現時点では限定的です。日墨EPAによってある程度自由化が進んだのは事実ですが、例外品目が多いうえに、自由化品目の中には、無税輸入枠が小さい、MFN関税とEPA関税との差があまりないといったものが目立ちます。また、差額関税、従量関税、季節関税、輸入関税割当など、MFN関税の複雑な保護構造がそのままEPA関税に温存されています。これらの要因から、メキシコからの農産物輸入に対するEPA効果は今のところ僅かです。

グラビティモデルを用いた検証

――日星EPA、日墨EPAの効果について、計量モデルによる分析結果をご説明ください。

この分析では「グラビティモデル」と呼ばれる手法を用いています。具体的には、日本の対シンガポールおよび対メキシコ輸出入額について、相手国の経済規模や日本との距離などから想定される理論値を算出します。そして、この理論値と実際の貿易額(実測値)の乖離の度合いやその推移から、EPAの効果の有無を検証します。例えば、EPA発効後に実測値が理論値を大幅に上回るようになった場合には、EPAの効果があったと判断するわけです。もちろん、乖離の変動をEPAのみで説明することはできませんが、ここではその推移とEPA発効のタイミングに着目します。(表2)

表2 二国間貿易の実測値と理論値との乖離

推計結果によれば、日本の対シンガポール輸出・輸入については、日星EPA発効の前も後も実測値が理論値を上回ってはいるものの、その乖離度はほとんど変化しておらず、EPAの効果があったと判断することは出来ません。

一方、日本の対メキシコ輸出については、実測値がEPA発効前から理論値を上っていますが、その乖離の度合いがとりわけ発効後の2005、06年と著しく大きくなっていることから、EPAの効果があったと考えられます。日本の対メキシコ輸入については、依然として実測値が理論値を下回っているものの、発効後に乖離幅が縮小しており、EPAによるプラスの効果が僅かながら観察されます。今後、日墨EPAのもとでの日本側の輸入自由化が進めば、メキシコからの輸入がさらに増えるかもしれません。

ビジネス環境の改善と政府調達

――日本のEPAが、貿易自由化以外の分野にもたらしたプラスの効果には何がありますか。

EPAという呼称は日本以外ではあまり使われていませんが、貿易自由化以外の分野での効果も期待するものです。途上国に進出する日本企業にとって、現地での事業活動を円滑に進められるような環境づくりは非常に重要です。日墨EPAのもとでは、ビジネス環境を改善するため、民間部門を巻き込む形で「ビジネス環境整備委員会」が発足しました。同委員会は定期的に招集され、日本企業が現地で直面する経営上の問題などを協議します。その成果はすでに出始めており、首都メキシコシティの国際空港周辺の治安の改善や、米国との国境における出入国手続きの簡素化などはその好例です。このほかにも日墨EPAの締結によって、FTA締結国である欧米の企業と同等の条件で日本企業もメキシコの政府調達の国際入札に参加できるようになり、すでに入札した案件もあります。

関税の「逆転現象」防止を

――この研究から得られた日本にとっての政策的含意は何でしょうか。

今後のEPAの設計においては、まず段階的な関税削減がもたらしうる弊害を考慮する必要があります。メキシコでは2004、06年と相次いでMFN関税が引き下げられました。この結果、段階的な関税引き下げ品目の一部(2007年1月時点で鉱工業品の約半分)において、日墨EPA関税がMFN関税を上回るという「逆転現象」が生じてしまいました。特恵的であるはずのEPA関税がMFN関税より高くなれば、わざわざ原産地証明を取ってEPA関税を使うメリットはありません。EPA発効に合わせて関税を即時撤廃すればこんな事態は起こりませんが、もしそれが難しく、関税を段階的に削減せざるを得ないのであれば、このような問題が生じないような方法を考えるべきです。その例として、シンガポールとインドのFTAでは、基準となる関税をEPA締結時でなく実際の輸入時点でのMFN関税とし、そこからの削減率を規定しています。(図1)

図1 メキシコにおける関税逆転の例

また、特に農業分野について、日本はEPAの関税体系を簡素化、透明化すべきです。先に述べたように、日墨EPAには、保護したい品目ほど、MFN関税に見られる日本側の複雑な税体系が残存しています。このため、EPA関税が極めて使い勝手の悪いものになっています。

貿易自由化以外の分野については、とりわけ日本企業の直接投資が多い途上国とのFTAにおいて、日墨間の「ビジネス環境整備委員会」のような場を設け、日本企業の要望を相手国政府に効果的に伝達し、環境改善を働きかけていくことが重要です。貿易自由化以外の分野も効果的に盛り込み、活用しやすいFTAを設計する努力が必要なのです。

最後に、貿易自由化の推進に関して、バイラテラル、リージョナルな自由化とマルチでの自由化の関係について述べたいと思います。貿易自由化に限っていえば、当然マルチでの自由化が望ましいです。しかし、メキシコが近年2回に渡ってMFN関税を引き下げた背景には、同国が様々な国とのFTA締結を進めるなかで、未締結国からの部品の輸入が割高となり、国内で生産する多国籍企業が同国から撤退することを懸念したことが考えられます。言い換えれば、場合によっては、バイラテラル、リージョナルでの自由化がマルチでの自由化を促進することもあり得るのです。

――今後の研究テーマについてお聞かせください。

私は、FTAの研究の他に、東アジアを中心とする国際的な生産ネットワーク、いわゆるフラグメンテーションと呼ばれる現象を主要な研究課題にしています。企業は、様々な国の通商政策を考慮しながら生産配置を決定しているため、国際分業パターンは通商政策の変化にも影響を受けます。その意味で、様々な国が主要な通商政策としているFTAの研究は今後も続けていきたいと考えています。

また、私は現在、日本企業の国際分業が進むなかで、日本国内のオペレーション、例えば雇用などにどのような変化が生じているのか、という研究にも取り組んでいます。この研究で分かってきたことは、アジアを中心に国際分業を強化している企業は、そうでない企業に比べ、国内の雇用などを増やす傾向にあるということです。つまり、国際分業は、日本国内のオペレーションと代替的というよりは補完的な関係にあるわけです。こうした分析結果を踏まえ、日本企業の国際分業について更なる考察を進めていく考えです。

解説者紹介

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安藤 光代


慶應義塾大学商学部専任講師。慶應義塾大学経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科にて修士号、博士号(経済学)取得。2001年から04年まで慶應義塾大学経済学部研究助手、その間、米州開発銀行統合・地域プログラム部門インターン(2002)、世界銀行研究所リサーチ・アナリスト(2003 ~ 04年)を務める。慶應義塾大学経商連携21世紀COEプログラムCOE研究員、一橋大学大学院経済学研究科専任講師を経て、2007年より現職。主な著書・論文は、「東アジアにおける国際的な生産・流通ネットワーク~機械産業を中心に~」、"Fragmentation and Vertical Intra-industry Trade in East Asia"、"Two-dimensional Fragmentation in East Asia: Conceptual Framework and Empirics"、 "Estimating Tariff Equivalents of Nontariff Measures in APEC Member Economies"等。