著者からひとこと

日本のM&A

日本のM&A

日本のM&A

    編著:宮島 英昭

編著者による紹介文(本書「はしがき」より)

計量的な手法を用いてM&A増加を実証的に分析

1990年代末から2000年代初頭にかけて、日本企業の構造と行動は大きな変化を見せた。中でも、最も大きな社会的関心を集めた変化の1つとして、M&Aの急増が挙げられる。高度成長から安定成長期の間、日本企業では、M&Aを行うことが重要な経営戦略となることはなかったし、逆に、買収される脅威を現実に感じることも少なかった。しかし1990年代末から、日本でもM&Aが急速に増加することとなった。産業再編を目的とした大型合併、メガバンクの成立によって始まったM&Aブ-ムは、IT関連企業の積極的M&A戦略による成長の実現、ファンドによる大量買付け、ライブドア騒動を経て、現在は、事業法人による買収提案や大型のTOBへと広がっている。また、海外企業を買収主体とするM&Aも現実味を帯びつつある。いまや日本でもM&Aは非常に身近なものとなり、新聞や経済雑誌でM&Aに関する話題が取り上げられない日はほとんどない。

そして、このM&Aの増加と並行して、とくに敵対的買収や海外企業による買収を焦点として、やや過熱気味に賛否両論が展開されるようになり、また、M&Aに関する実務的な書籍が堰を切ったように出版されることとなった。

だが、その反面、M&Aに関する実証分析の結果の蓄積はけっして多いとはいえない。そもそも、なぜ近年M&Aが急速に増加したのか。急増するM&Aは経済的にどのような役割を果たしたのか。M&Aは、本当に企業価値を引き上げているのか。企業価値を引き上げているとすればその源泉は何なのか。M&Aの急増は、日本でも英米型の企業支配権市場が形成されたことを意味するのか。こうした基本的な問いに対してすら、実証的に厳密な分析が試みられることは、これまでほとんどなかった。

本書は、こうした一連の問いに対して可能な限り包括的に解答を与える試みである。そのため本書は、多様な形態をとるM&Aに対して、主として計量的な手法によって接近を試みる第I部と、ケース分析によって企業価値上昇の源泉の探求を試みる第II部から構成される。第I部では、M&Aの発生原因やその機能に関して、独自のデータベースの構築を前提に、標準的な分析手法によりながら実証分析が試みられる。また第II部では、重要なM&A事例に即して、M&Aがいかなる経路を通じて企業価値を引き上げるかが明らかとされる。さらに、序章では、近年のM&Aブームの歴史的位置を理解するために、20世紀日本のM&Aの歴史を簡単に回顧し、終章では、分析結果を総括するために、日本のM&Aの国際的な特徴を概観した。

本書のメッセージをやや大胆に要約すれば、次のようになろう。
M&Aが急速に増加したのは、技術革新や需要の急減といった正負の経済ショックによる。M&Aは、事業再構築、あるいは、グリンフィールド投資の代替として重要な企業戦略となり、M&A市場は、ビジネスモデルの評価のメカニズムとして日本に着実に定着しつつある。だが日本のM&Aは、英米とは異なる形態・取引の特徴を持ち、それは日本の企業システムの進化から強い影響を受けていた。増加するM&Aは、低収益部門の縮小と、成長性の高い部門の拡張という意味で資源移動を促進し、経営資源・ノウハウの移転による企業の組織効率の上昇に寄与している。この移転は、部門は限定されているものの、海外企業によるM&Aにおいて強く確認できる。他方、ファンドによる敵対的買収・大量買付けは、企業の財務政策に影響を与えつつある。ただし、M&A後の組織効率の上昇にはばらつきがあり、いまだ大きな改善の余地があるといえる。M&Aによる企業価値の上昇の源泉は多様である。統合による規模の経済性の実現や集約効果といった古典的な要因に加えて、寡占化による価格交渉力の上昇といった産業組織論的要因や、組織間の相互学習、操業レベルでのノウハウの移転、さらにIT関連部門を中心に範囲の経済性や「時間を買う効果」の実現の持つ意味が上昇した点に1990年代末からのブームの特色がある。総じて、M&Aはこれまで、日本経済の構造調整に寄与している。しばしば指摘されるターゲット企業の過大評価や、信頼の破壊といったM&Aの負の側面は、顕在化していない。したがって、過大なM&Aの発生や、M&Aによる競争制限に対して十分に配慮する必要があるとはいえ、今後、日本経済の構造調整を促進し、成長分野の拡充を促すために、M&Aを促進する制度基盤の整備が不可欠ということとなる。

本書は、独立行政法人経済産業研究所内に組織された、コーポレートガバナンス研究グループの成果である。2002年に青木昌彦所長(当時)によって組織された同グループは、当初、変容する日本の企業システムの理論的・実証的分析を課題とし、メインバンク関係、株式持合い解体、取締役改革、雇用システムの変化、商法の改正、破綻法制の整備などの包括的分析を試みてきた(注1)。2003年秋に、上記の研究が一段落するとともに、同研究グループは、新たな課題としてM&Aに関する研究に着手し、これまでの研究の整理やヒアリングを開始した。M&A、とくに敵対的買収は、企業支配権市場(Market for corporate control)として企業統治の重要なメカニズムの1つと理解されるから、急増するM&Aの分析にテーマを定めたことは、コーポレートガバナンス研究グループとしては研究の自然な流れでもあった。

もっとも、一口にM&Aといってもその実態は多様である。ファンドによる大量買付けはその一部にすぎない。日本のM&Aの中心はむしろ、事業法人を主体として友好的な形で進められる産業再編成や戦略的M&Aである。企業の統治構造は、こうしたM&Aの選択に対して買収・被買収側のいずれにおいても重要な影響を及ぼしている。したがって、M&Aは包括的に分析される必要があり、実証的に解答を引き出すべきは、M&A急増の起動因であり、それが実態面に与える影響であった。こうした問題意識から、最低限明らかにすべき実証上のポイントと、ケース分析の対象に関する議論を重ねた。それがほぼ定まったのは2005年春であったと記憶する。この構成案に従い、コーポレートガバナンス研究グループのメンバーに加えて、現時点で最もふさわしいと思われる方々に執筆をお願いした。序章を含む本書の各章は、2005年11月、翌年3月のワークショップの討議を経て改訂が施された。最後に、各章の成果をもとにGregory Jackson氏との共同研究の成果を加えて編者が終章を執筆した。

本書の執筆者は、経済学、経営学、金融論の分野でM&Aに関心を寄せる気鋭の研究者たちである。各章はいずれも独自のデータセットの構築やヒアリングの成果に基づいている。各執筆者には執筆に当たり、M&Aの実証分析としての厳密さを求めながら、研究者以外のより広い読者が当然に抱く疑問に、多少のフライングは覚悟で答えていただくようお願いした。いく度かの改訂に快く応じていただいた執筆者の方々には、心より感謝申し上げたい。もちろん、M&Aの株価効果の分析が不十分であるとか、ケース分析が網羅的ではないといった問題が残されていることはよく自覚している。M&Aによる企業価値向上の源泉に関する結論も、M&Aのブームはまさに進行中であるだけに、暫定的な性格を持たざるをえなかった。しかし本書を通じて、日本のM&Aについて、ある程度まで整理された全体像を描くことができたのではないかと自負している。また、本書の分析が、今後の本格的なM&Aに関する実証分析の出発点になればと、強く願っている。

本研究プロジェクトの実施に当たっては、経済産業研究所の吉冨勝前所長をはじめ、スタッフの方々から多大な支援を受けた。とくに、本プロジェクトのリサーチアシスタントである矢尾板俊平氏の行き届いた配慮に、本書は多くを負っている。また、M&Aプロジェクトの構想からこうして編集が終了するまで、第1章の共著者である蟻川靖浩氏は、一貫して編者に協力と助言を惜しまなかった。厚くお礼を申し上げたい。本書の編集が最終段階に入ったころ、編者の関与する早稲田大学ファイナンス総合研究所は経済産業省と協力して企業再構築に関する企業ヒアリングを集中的に行う機会を得た。このヒアリングは、われわれの推論の妥当性をチェックするまたとない機会となり、その成果の一部は終章にも反映されている。ヒアリングシリーズの開催に御尽力いただいた同省、新原浩朗氏、並びにヒアリングに御協力いただいた各社の方々にも心より感謝申し上げたい。

最後に、出版に当たってお世話になった東洋経済新報社の佐藤朋保氏に感謝したい。もし本書がアカデミクスの手になる書籍の中で、類書に比してメッセージ性がクリアであるとすれば、最初の読者としての同氏の忌憚のない意見と助言によるところが大きい。

2007年5月
宮島 英昭

注1)その成果は、Aoki, M., G. Jackson and H. Miyajima(eds.), Corporate Governance in Japan: Institutional Change and Organizational DiversityとしてOxford University Pressから近く出版される。

著者(編著者)紹介

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宮島 英昭

経済産業研究所ファカルティフェロー、早稲田大学商学学術院教授、同大高等研究所副所長。1978年立教大学経済学部卒業。85年東京大学大学院経済学研究科単位取得終了、商学博士(早稲田大学)。東京大学社会科学研究所助手、ハーバード大学客員研究員等を経て現職。主な著書に『産業政策と企業統治の経済史』、『現代日本経済』(共著)、Corporate Governance in Japan(共著)、Policies for Competitiveness(共著)等。