イベント概要
- 日時:2024年9月26日(木)13:30-16:30(JST)
- 主催:独立行政法人経済産業研究所(RIETI) / オーストラリア国立大学(ANU)
議事概要
大国間の競争、保護主義の台頭、貿易の「武器化」に押される形で、多くの国が経済安全保障政策を導入している。その目的は、政治主導による混乱など、外的なショックから国家経済を守ることである。ルールに基づく多国間貿易体制が弱体化するなか、各国・各企業は多様化・多角化や備蓄、自己保険戦略を頼りにリスクを管理しようとしており、その結果、世界貿易のコストが増大している。自由市場や統合サプライチェーンに経済が大きく依存する東アジアでは、こうした課題が大きなリスクをもたらす。
このような新しい情勢を受けて、東アジアの各国は何ができるか。経済的威圧にどう対応し、これをどう阻止すればよいか。他国との高い貿易シェアを信頼するという立場にどうすれば戻ることができ、それによって比較優位や規模の経済の実現が可能になるか。経済安全保障政策全般が、繁栄を保護・強化する対外志向経済と符合し、これを後押しするようにするため、国内、地域、多国間でどんな政策戦略をとればよいか。RIETIとANUによるこの共同シンポジウムでは、「経済安全保障と繁栄のためのアジアの課題」というテーマの下、そうした重要な問題を検討するとともに、その答えを導こうとする。
開会挨拶
深尾 京司(RIETI理事長/一橋大学経済研究所特命教授)
東アジアは世界経済の成長のエンジンとなりましたが、同時に、自由貿易体制の崩壊によって最も打撃を受ける地域でもあります。大国間の戦略的競争、保護主義への回帰、貿易や経済政策の武器化により、多くの国が経済安全保障政策を追求するようになりました。
東アジアは、グローバリゼーションによって得られた国際的分業と規模の経済のメリットを今後も享受し続けることができるのでしょうか。自然災害や国際紛争、大国による経済的圧力に備えて、サプライチェーンや海外現地法人ネットワークの脆弱性を低減させるために何ができるでしょうか。経済安全保障と、自由な国際貿易による繁栄の維持・拡大を両立させる国際秩序を築けるとしたら、それはどのようなものでしょう。
本日のシンポジウムの目的は、こうした重要なテーマについて、日本、オーストラリア、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国の関係者の皆様と議論し、最も適切な政策の方向性を示すことです。
基調講演
股野 元貞(内閣官房内閣審議官(国家安全保障局))
国際環境の評価と経済安全保障の必要性
2010年代半ばは自由貿易が積極的に推進され、自由貿易協定をめぐる交渉が世界のあちこちで見られました。しかし今日、世界の安全保障環境ははるかに複雑さを増し、地政学的競争の時代に自由貿易は重視されなくなりました。そして国家安全保障は経済の分野にまで範囲を拡大しています。経済的威圧、サプライチェーンの途絶、技術漏洩、軍民融合が話題になるなか、こうした状況にただちに対応策を講じる必要があります。
経済安全保障という考え方に明確な定義はなく、「自由貿易の時代から経済安全保障の時代への移行に際して何を変えなければならないのか」という問いに私たちは直面します。この問いに答えるためには、「スモールヤード・ハイフェンス」という発想がカギになります。つまり、国家安全保障にとって重要な分野だけに必要最低限の規制をかけるという考え方です。日本の目標は、自立ならびに技術的な優位性・不可欠性を目指して経済安全保障を推進することにあります。しかし経済安全保障にはさまざまな「トレードオフ」がつきまといます。国家間の地政学的競争に焦点が当たる一方で、国の内外で経済成長を支えてきた民間企業同士の競争があります。また、経済の活況がなければ国は強くなれませんし、日本の経済と技術力は自由貿易やグローバルサプライチェーンに支えられてきました。経済安全保障の名の下に行動を起こし、本来守ろうとした技術や経済を損なう結果になったとしたら、それこそ逆効果です。「スモールヤード」に何を入れるべきか、「ヤードの大きさはどの程度がよいか」――これは口で言うほど簡単な問いではなく、答えは容易には見つかりません。
日本の経済安全保障政策の継続的進化
経済安全保障は極めて複雑な政策課題であり、日本はそのために経済安全保障推進法を成立させ、経済安全保障の課題に対応するために緊急的に講じるべき施策を整理しています。これには、半導体や抗菌性物質製剤といった重要物資の安定的な供給の確保、基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、宇宙やサイバー関連など先端的な重要技術の開発支援、国家安全保障に関わる特許出願の非公開という4つの柱があります。これらの施策は各方面から評価されています。日本はまた、国際基準に適合し、同盟国やパートナー国との協力を促進するセキュリティクリアランス制度を導入する予定です。これにより、外国政府調達の入札や国際研究協力の分野で日本企業のチャンスが広がるでしょう。サプライチェーンや技術漏洩、軍事利用に関連した経済安全保障課題という点で、対内投資審査についても対応が進んでいます。
もうひとつ重視すべきは研究安全保障です。オープンな研究環境はイノベーションに不可欠ですが、技術漏洩のようなリスクは管理しなければなりません。そうしたリスクの管理は国際研究協力の新しい領域を切り開くものであるため、私たちは今、研究機関が研究安全保障の施策を推進するためのガイドラインを策定しているところです。
経済安全保障とアジアの繁栄:地域のレジリエンスと自立を促すための取り組み
先ほど述べたように、経済安全保障に確たる定義はなく、万能の経済安全保障政策もありません。アジア地域がグローバル経済につながるサプライチェーンネットワークを築くなか、日本はサプライチェーンのレジリエンスや、域内の同志国の自立支援を重視します。
私たちは「ラージヤード」をカバーする多国間貿易システムを尊重します。スモールヤードに何を含めるかを検討する中で、例えば一部の国が経済的依存を「武器化」し始める中、ルールに基づく国際経済秩序の強化が一層重要になっていると考えるようになりました。私たちは他のG7諸国と立ち上げた「経済的威圧に対する調整プラットフォーム」のように、経済的威圧に対抗するための国際協調を重視しています。日米豪印戦略対話(QUAD)も、地域経済のレジリエンスを促進する取り組みのひとつです。
その他、アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)の枠組みも立ち上げました。そこではアジア諸国が脱炭素の原則を共有し、エネルギー・トランジションを推進すべく協力しています。また、インド太平洋経済枠組み(IPEF)をはじめ、サプライチェーンのレジリエンス強化に向けた協力体制も築いています。
おわりに
従来の安全保障と経済安全保障との大きな違いは、後者の場合、民間セクターの組織が主なプレーヤーのひとつだということです。私たちの取組は、政府と民間セクターの間の密接なコミュニケーションや協力を基礎としなければ、真に効果的なものとはなりません。そして取組を進めるにつれて、「スモールヤード」の境界はどこにすべきか、フェンスはどれくらいの高さにすべきか、「スモールヤード」の外側つまり「ラージヤード」をどう管理すべきか、そしてこの経済安全保障の時代に自由貿易はまだどんな役割を果たせるのか、といった課題にも向き合わなければならないのです。
セッション1:サプライチェーンの回復力
セッションチェア:冨浦 英一(RIETI 所長・CRO・EBPMセンター長/大妻女子大学教授)
プレゼンテーション1
ジェニー・ゴードン(オーストラリア国立大学名誉教授)
経済安全保障の法的枠組みについて股野氏がおおよその説明をしてくださいましたが、誤ったターゲットではなく、本当に重要なターゲットに対して「小さな庭、高いフェンス」を実現するのは簡単ではありません。産業政策については、先進国のほうがそれを進める余裕があります。私たちはどんな問題に直面しているでしょうか。ひとつ大きな懸念は、中国が重要サプライチェーンに対する統制を強めていることです。しかし、この点ばかりが注目され、グローバルサプライチェーンにおける中国の役割にとどまらない、経済安全保障に対するもっと幅広いリスクが往々にして見逃されがちです。他にも例えば、スエズ運河やパナマ運河など重要な貿易ルートに影響を及ぼす戦争や気候変動といった要素も検討する必要があります。サプライチェーンの安全を確保するため、より広範なリスクを考慮に入れた包括的なアプローチが求められます。
政策の検討・決定に当たってはまず、安全保障に対するどんなリスクに対応しようとしているのかを明らかにしなければなりません。「抑止」だけを重視するのではなく、自給自足、供給源の多様化あるいは、状況依存的な契約のような保険メカニズムの確保などを通じた、レジリエンスの構築にも着目すべきです。経済的レジリエンスや自給自足に関して、日本とオーストラリアは置かれた立場こそ違いますが、同じツールを用いてこれらの問題に対処します。
しかしまた、政策の思わぬ影響も考慮しなければなりません。政策立案者はその行動が生産性や社会の安定、国際的な影響力にマイナスの影響を及ぼしていないか自問する必要があります。米国だけでなく東南アジア諸国とも強い関係を築かなければならないオーストラリアのような国にとって、これは特に重要です。
サプライチェーンのデリスキングによって国はもっと安全になるでしょうか。経済的レジリエンスを高めるための政策は、自給自足の促進、供給源や国内生産の多様化、混乱に備えた保険の提供――そのいずれかを可能にしなければなりません。レジリエンスを本当に高めようとするなら、この3つのうちのひとつを、あるいは3つすべての要素を実現しなければなりません。多くの政策はレジリエンスを高めるといいながら、こうした点から見ると効果がありません。政策目標を決める上では、どの製品が混乱の影響を受ける恐れがあり(脆弱性)、入手不可能な場合に地元の人々に高いコスト負担が生じ(不可欠性)、現地生産にとって必要なのか(重要性)を明らかにすることが非常に有効です。また、(いざというときの)代用品の入手可能性を高める政策がどのようなものかを考えておくのも大切です。
要するに、答えを必要とする問いがたくさんあるので、本当に大きな研究課題があるということです。何が本当に危険にさらされているのかを見極める必要があります。どんな貿易ルールが代替品の入手可能性を高めるのかを考える必要があります。政策の幅広い費用と便益、他国への影響について、よく考えなければなりません。
プレゼンテーション2
戸堂 康之(RIETIファカルティフェロー・プログラムディレクター/早稲田大学政治経済学術院経済学研究科教授)
本日のプレゼンテーションでは、サプライチェーンの途絶がもたらす大きな経済的影響に焦点を当てます。これは特に、日本企業100万社から得られた豊富なデータを用いて私が行った研究から明らかになりました。中国からの輸入の80%が2カ月間途絶するというシミュレーションでは、付加価値生産額の減少が日本の国内総生産(GDP)の40%に相当します。これは極めて大きな影響です。というのも、途絶による混乱は国内サプライチェーンを通じて伝播し、大きく拡大する可能性があるからです。また、この伝播が起きるため、下流よりも上流の品目の途絶のほうが影響が大きいこともわかりました。
データによると、サプライチェーンパートナーを多様な国々に確保しておくと、レジリエンスが高まります。2012年に米国で起きたハリケーンの影響に関する研究では、国外のサプライヤーとつながりがある企業は、国内のサプライヤーだけに依存する企業よりも効果的に途絶の影響を緩和できていました。同様に、コロナ禍のASEANとインドでは、複数の国にサプライヤーを持つ企業のほうが高いレジリエンスを示しました。
アジアの多くの国がサプライチェーンを中国に大きく依存しています。2017~23年のデータによると、米国は総輸入額を増やしながら中国への依存を減らすことに成功しました。対照的にオーストラリアは中国への依存を増やし、日本はまちまちの結果を示しました。日本はまた総輸出額と中国への輸出額を減らし、それが経済的損失につながりました(米国やオーストラリアなどの他国は損失を回避しています)。
経済安全保障と経済的便益のバランスをとることが重要ですが、日本は他の国々と違って、特に多様化の取り組みでこのバランスをとるのに苦心し、経済的損失を被っています。多様化はレジリエンスに必要な手段であるだけでなく、中国のレアアースメタル輸出禁止(2010年)のような経済的威圧を回避する方策でもあります。この威圧を受けて、日本はレアアース輸入の多様化を成功させ、中国への依存を減らしました。実際のところ、中国は経済的威圧を行うに当たって、ターゲット国で持続可能性が低い製品を狙っているように見えます。つまり多様化が自衛戦略になるのです。
しかし最近の経済的威圧の事例では、昨年、水産物の日本から中国への輸出が制限された結果、水産物の総輸出額が減少し、それが現在も続いています。対照的にオーストラリアは、中国からワインや大麦、石炭の輸入を制限されると、中国への依存を減らしながら、その後の総輸出額を増やしています。つまり日本はオーストラリアに比べて輸出パートナーの多様化がうまくいかなかったわけであり、同国の事例から学ぶ必要があります。
まとめると、必需素材・部品の輸入途絶は影響が大きいため、多様化や技術革新を通じてサプライチェーンの柔軟性を高めることが必要不可欠です。
プレゼンテーション3
張 紅詠(RIETI上席研究員・政策アドバイザー)
外生的ショックがグローバルサプライチェーンに与える影響は多岐にわたり、自然災害やパンデミックの場合、その影響は比較的短期に収束します。例えば2011年の東日本大震災や2020年の新型コロナウイルス感染症により日本企業は大きな打撃を受けましたが、いずれも約1年で回復しています。
一方、政策変更や制度変更の場合、その影響は長期的に続きます。例えば2016年のBrexitは、短期的な売上や雇用の減少にとどまらず、EUの生産拠点および輸出プラットフォームとしての英国の役割低下という長期的影響を及ぼしました。また、2019年に日本は韓国に対して半導体生産に必要な化学物質3品目の輸出規制を行い、2023年に撤廃した後も輸出は回復していません。
ここから得られる政策インプリケーションとしては、自然災害など緊急時の政策サポートは必要ですが、過度な国内回帰を進めるような補助金は望ましくないということです。政策・制度変更の際には、当事国やWTOの加盟国間での政策協調・貿易協議が必要でしょう。産業政策や経済安全保障政策は、サプライチェーンに長期的な影響を与える可能性があると思います。
ディスカッション
冨浦:
まずゴードンさんからお願いしましょう。政策議論の枠組みをご提案いただきましたが、その場合、レジリエンスをどのように定義されますか。また粒度という観点から、どのレベルでレジリエンスについて議論すべきでしょうか。レジリエンスについて話し合うとき、どのような時間軸を想定されていますか。
ゴードン:
時間軸はその品目の重要性に左右されます。品目によっては、サプライチェーンの短期的な途絶が経済活動や国民の健康・福祉にとって大きな打撃になることがあります。こうした点も見ておかなければなりません。短期的な途絶と長期的な途絶のどちらを想定しているのか、それから代替品についても、それを確保するのにどれくらいの時間がかかるかを理解する必要があります。そうした考え方が非常に重要だと思います。また、多様化のための施策が本当に効果的なのか、あるいは代替品の開発がないままサプライチェーンを長くしているだけなのかを判断することも重要です。例えば米国は(中国依存を減らして)インドにシフトしましたが、インドはまた同じくらい中国と経済的につながっているわけです。
冨浦:
戸堂さんは先ほど、企業レベルのミクロなデータ、それから産業レベルの集計データに基づいて研究結果を報告してくださいましたが、サプライチェーンのレジリエンスを論じるとき、どんなレベル、どの程度の細かさで話をするべきでしょう。
戸堂:
それはとても重要なポイントです。企業レベルのサプライチェーンネットワークは大変複雑ですから、仮説や想定などによってシミュレーション結果は大きく変動します。しかし時に、企業レベルのデータを使っていると、サプライチェーン途絶の影響が、産業や国レベルの分析結果よりずっと大きくなることがあります。これはサプライチェーンネットワークの複雑さによるものです。つまり、企業レベルのデータを活用してサプライチェーン途絶の影響、そしてまたサプライチェーンのレジリエンスを定量化する必要があるのだと思います。
冨浦:
張さんに質問があります。自然災害やパンデミックでは影響が短期的だが、政策変更の場合は影響が長引くとおっしゃいました。しかし、その違いは変化や変更の持続性がどう認識されているかに起因するのではないか、と考える人もいるかもしれません。この違いについてどう評価されていますか。
張:
パンデミックや地震の場合、企業内の取引は企業間の取引に比べて反応が速いと思います。しかし英国のEU離脱や米中貿易戦争の場合は、外生的なショック、政策変更または制度変更の後、多国籍企業は企業間においても企業内においてもサプライチェーンを再編しなければなりません。生産拠点を中国からASEAN諸国へ移したり、日本に戻したりするわけで、それは大きな違いになります。
冨浦:
貿易政策についてどのような政策提言がありますか。
張:
一方的な輸出規制は幅広い目標の達成にあまり効果がありません。各国は対象とする国と貿易交渉を行い、それら関係国の間で産業政策を調整すべきです。例えば「中国製造2025」という中国の産業政策は同国の視点からは正当なものです。なぜなら政府は主要製品のイノベーションを促進したいからです。しかし米国政府はこの政策を批判しました。両国はこの点について調整を図る必要があります。
冨浦:
戸堂さん、経済安全保障の名の下に正当化される積極的な産業政策による予期せぬ影響について、どうお考えでしょうか。
戸堂:
産業政策の明らかなデメリットのひとつは、市場経済における効率が低下しかねないということです。それはともかく、この問いに答えるため、経済安全保障のための現在の日本の産業政策について評価してみましょう。日本政府は先般、台湾積体電路製造(TSMC)を日本の九州に誘致するために多額の補助金を提供するとともに、ラピダスという国内企業を設立しました。こうした補助金は効率を下げる可能性もありますが、ここまでは有効だったように思われます。TSMCが存在することで他の企業も惹き寄せられ、九州に産業集積、地域サプライチェーンが築かれています。
さらに、こうした政策はナレッジスピルオーバー(知識の溢出)を促進することができ、これも一種の「規模に関する収穫逓増」です。日本政府はまたTSMCの研究開発センターを筑波に誘致しました。同センターは日本の企業や大学と協力して、国際的なナレッジスピルオーバーを促進しています。それでもやはり、効率が失われないように目を配りながら、今後の政策がこうしたスピルオーバー効果を高めるようにしなければなりません。
冨浦:
ゴードンさんにうかがいます。戸堂さんは中国がオーストラリアに加えた経済的威圧について話されましたが、オーストラリアとしての見方について詳しく教えていただけないでしょうか。
ゴードン:
オーストラリアは調整をうまく行い、政府はその中で大きな役割を果たしました。その間、オーストラリア貿易投資促進庁(オーストレード)のような政府機関は、輸出業者が代替市場を探すのを支援し、契約締結を手助けするために努力しました。混乱期の市場では情報ギャップが何よりも高くつく問題です。当該ビジネスのあらゆる側面で新しい道を歩む必要があるからです。政府の取り組みは、衛生基準や認定基準の確保から、販売網の編成まで多岐にわたりました。ワイン業界は何十年もかけて中国市場を構築しており、最も痛手を負っていました。ワインは市場に合わせた商品なので、別の市場をすぐに見つけるのは大変困難です。
経済的威圧への対処法のひとつは、他の貿易パートナーがその市場に供給しないことで、影響を受けた国を支援することですが、実際には米国、アルゼンチン、チリ、南アフリカがオーストラリアの代わりに中国市場への供給を行いました。つまり、経済的威圧に抵抗するための信頼できる同盟を築くのは難しいということです。
こうした重圧にもかかわらず、政府の取り組みの結果、オーストラリアはうまく適応することができました。ほとんどが日常的な商品だったこともあります。結局、中国の貿易措置の目標はよく理解されませんでしたが、オーストラリアがその要求に屈しなかったため、彼らが当初の成果を達成できなかったとは言えるでしょう。中国が市場の他の国々に恐怖を植え付けようとするなら、そのような威圧に屈しないことが大切です。その後、政権交代によって関係は改善していますが、中国がこの戦略から何を得たのかという根本問題は残ります。
冨浦:
レジリエンスを測るのに使える具体的指標が何かありますか。
ゴードン:
レジリエンスの測定は確かに重要ですが、簡単に測定できるとは思えません。水利用など測定可能なものもあるでしょうが、それを効果的に制御できるかどうかは別問題です。結局は、いわゆる「代替の弾力性」を測定するようになるのでしょう。つまりインプットが途絶したとき、企業がどれくらい簡単に代替品を見つけられるかということです。企業レベルの時系列データを使って、企業がどんな戦略を使って、どれくらい素早く混乱に適応するかを分析することができます。それによって問題の大きさだけでなく、企業の多様化やレジリエンスを促進するための政策の効果も測定できます。
セッション1 結び
冨浦 英一(RIETI 所長・CRO・EBPMセンター長/大妻女子大学教授)
私の力ではこのディスカッションを簡単にまとめることはできませんけれども、確かなのは、これら重要な問題についてまだまだ議論すべき点があるということです。レジリエンスという観点では、時間軸や分析レベルの選択、そしてダイナミックな視点が重要だということを確認しました。政策議論については、メリットとデメリット、費用と便益、そしてとりわけ産業政策の隠れたコストや予期せぬ影響について議論する必要があります。
セッション2:世界経済秩序の将来
セッションチェア:シロー・アームストロング(RIETIノンレジデントフェロー/オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院教授)
プレゼンテーション1
浦田 秀次郎(RIETI名誉顧問・特別上席研究員(特任)/早稲田大学名誉教授/東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)シニアリサーチフェロー)
近年、世界貿易に関して多くの保護主義的な政策が進み、その結果として経済効率の低下と経済成長の鈍化を招いています。その中で、世界貿易機関(WTO)には本来、貿易の自由化、新しい貿易ルールの構築、紛争処理・解決という3つの役割が期待されていますが、それが機能していない。その理由は、全会一致の意思決定システムにあると思われます。そこで、これを代替もしくは補完する貿易システムとして、同志国によって形成される地域貿易協定(RTA)と複数国家間貿易協定(PA)があります。
RTAは、貿易の自由化だけでなく、投資の自由化や知財権のルール作りなど包括的な内容を含む貿易協定ですが、メンバーシップは限定的です。PAは、基本的には1つのテーマについて多くの国が参加する貿易協定で、私は経済安全保障についてもこの枠組みで議論できるのではないかと考えています。
日本が採用すべき政策は、こうした動きに多くの国の加盟を奨励し、その内容をより深く、より多くのテーマを包括的に扱うことであります。特に同じような考えを持つオーストラリアなどの国々と協力しながら話を進めていくことが重要です。
プレゼンテーション2
ジャヤント・メノン(ISEASユソフ・イシャク研究所上級研究員)
ASEANと日本は非常に強い多面的な関係を結んでいますが、その経済的つながりの重要な部分はグローバルサプライチェーン(GSC)とリンクしています。GSCはダイナミックな性質を持っており、コスト競争力のわずかな変化によって、GSCの労働集約的なパートが入れ替わる可能性もあります。ASEANのサプライチェーンの再編は米中貿易戦争の前に始まりましたが、この貿易戦争はASEANが対処すべき新たな課題をもたらしました。それは大きな混乱要因であり、極めて困難な問題です。ASEANのサプライチェーンは、特に技術および資本集約的な部門では、今後も中国中心が続くと思われます。
リショアリングやニアショアリング、フレンドショアリングは、それが結果的に中国をサプライチェーンから追い出すという目標達成につながるなら、短期的なメリットはあるでしょう。しかし長期的には、すべての関係者が損失を増やすことになるでしょう。IPEFのようなメカニズムはASEANをこの対立構造に引きずり込み、何ら利益を生まない可能性もあります。
米国では、貿易政策は通商代表部(USTR)よりも商務省が策定するようになっており、この変化はより保護主義的な政策へとつながっています。NVIDIA、インテル、クアルコムなど米国の大企業はこうした政策に懸念を表明しています。特に輸出規制は、市場および生産拠点としての中国へのアクセスを脅かす恐れがあります。
米国の半導体製造支援・科学法(CHIPS法)やインフレ削減法(IRA)などの政策も、ASEAN全域に波及効果を及ぼしています。シンガポールは別としてASEANで米国と自由貿易協定(FTA)を締結している国はほとんどなく、日本のような重要鉱物をめぐる限定的なFTAも結ばれていないため、IRAのひずみがこの地域に影響を及ぼしています。
長期的には、中国をサプライチェーンから締め出すことはASEANに混乱とコスト高をもたらすでしょう。新しい貿易枠組みにおいては、中国はASEANの経済的利益を担う重要な存在であり、今後もそれは変わらないという点を考慮しなければなりません。中国をサプライチェーンから締め出そうとしても失敗するでしょう。またコストアップやサプライチェーンの途絶という混乱を考えると、それを成功させ、問題化させる必要もないでしょう。中国を仲間に迎え入れるのが現実的な選択です。
プレゼンテーション3
川瀬 剛志(RIETIファカルティフェロー / 上智大学法学部教授)
多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)は、機能停止に陥っているWTOの上級委員会に代わる仲裁制度です。現在54のWTO主要加盟国がこの協定に加盟しており、MPIA締約国間の紛争は空上訴せず、必要であればMPIAの仲裁で上訴審議を行うことを約束しています。
一般理事会で上級委員の指名を多数決で強行すればいいと言う意見もありますが、それをすれば米国がWTOの紛争解決手続きから離れていくことは間違いないでしょう。米国を紛争解決手続きの改革に関与させながら、当面、法の支配の空白を何とか埋めなくてはいけない。その両方の要請に従うためには、MPIA以外の現実的な選択肢はあり得ないと思います。
むろん、上級委員会を完全に機能させることが最善策ではありますが、MPIAを通じて早期にWTOに法の支配を回復することが、われわれミドルパワーにとっては不可欠です。英国、インド、韓国、より多くのASEAN諸国など他のWTO主要加盟国にMPIAへの加入を促し、不都合があればルールを更新し続け、そして何より紛争解決手続きの改革交渉を粘り強く続け、上級委員会を再稼働させることが重要だと思います。
プレゼンテーション4
渡邉 真理子(学習院大学経済学部経営学科教授)
中国は産業政策に秀でた国ではありますが、規模の経済の効く技術に産業政策で向き合うと、急速に他国の産業ベースを破壊する「国際的な市場の失敗」は不可避となります。そこで、規模の影響を緩和し、公正な競争を確保する新たなルールが必要となるのです。
事前の策としては、海外直接投資(FDI)や産業協力の形で1つの産業に多国間で協力することで、規模の利益を分配できます。実際、デジタル分野は情報技術協定(ITA)もあって、グローバル・バリュー・チェーンが構築され、小国を含む多くの国に裨益することができています。FTAやRTAも非常に重要です。
事後の措置としては、既にあるWTOの救済措置に加えて、規模の経済を濫用するような行動にペナルティを付すルール作りや、安全保障例外の運用の厳密化が必要になります。例えば、ある産品について高い市場シェアを持っている国が、規模の権力を濫用するような行動を取った場合、関税が付加的に高くなるような制度が考えられます。CPTPPをこうした新しいルールの実験場として使っていくことを提案したいと思います。
ディスカッション
アームストロング:
浦田さん、WTOへの信頼が本当に揺らぐとしたら、RTAとPAはグローバルシステムをオープンなものにしておくのに十分でしょうか。それとも根底を成すWTOになお依存していくのでしょうか。
浦田:
RTAとPAはWTOの代わりにはなりません。WTOへの信頼が崩れたら、残念ながら、それは世界の貿易体制の終わりを意味するでしょう。しかし少なくともRTAとPAがあれば、世界貿易体制の完全な崩壊は避けられる可能性があります。しかしやはり、それらはWTOの代わりにはなりません。
アームストロング:
CPTPP参加国拡大の大きな試金石となるのは、中国の加入申請です。同国は実際に参加できるでしょうか。そしてそれは今後へ向けた建設的な道筋になるでしょうか。15年を要した中国のWTO加盟プロセスから学ぶべき教訓はありますか。
浦田:
加入は可能だと思います。建設的なものにもなるでしょう。ただもちろん、中国はCPTPPが求める規則やルールをすべて受け入れる必要があります。英国のCPTPP加入交渉はよい事例となります。私の理解が正しければ、交渉は極めて厳格に行われました。中国も同様の厳しい審査を受けなければなりません。
アームストロング:
メノンさん、中国とCPTPPについて、このようなボトムアップのルールを作る上で理解しなければならない設計上の特徴はどのようなものでしょうか。オープンな加入で十分でしょうか。また、QUADのようなミニラテラリズムの台頭が見られますが、こうした取り決めはグローバルなマルチラテラリズム(多国間主義)にとって有益だとお考えですか。それとも有害になる可能性があるでしょうか。
メノン:
中国をCPTPPのような協定に引き入れることは、ASEANだけでなく世界の大部分の国や地域にとって重要です。中国はルールに従って行動するようにしなければなりません。これは米国などの他国も同様です(米国もアンチダンピング税と相殺関税などのメカニズムによって貿易ルールを曲げてきました)。
CPTPPは厳格であると同時に柔軟でもあることが示されました。国有企業が主流のベトナムやマレーシア、シンガポールなどの国は柔軟なスケジュール交渉を行いました。中国もルール遵守を促すような形で組み込むことができるでしょう。中国を罰しても効果がありませんでしたが、こちらへ取り込めばルールに基づいた行動ができるかもしれません。さらに、台湾と中国は同時に加入すべきです。別々に加入すれば、一方が他方を拒否するからです。
オープンな加入、はい、これは重要です。また、引き続き外向きで、補助金や輸出規制、その他あらゆる形の保護主義に対処する必要もあります。言い換えれば、保護主義の新たな手段としてアンチダンピング税を使わせないということです。
WTOの代替策として最もふさわしいのは、CPTPPと地域的な包括的経済連携協定(RCEP)の一定の組み合わせだと思われます。QUADは地政学が絡みすぎていますし、インドを巻き込む協定はインドの思惑通りのスピードでしか進まないでしょう。つまり時間がかかります。
アームストロング:
川瀬さん、MPIAの参加国拡大は重要です。ではインドネシアのような国をどのようにしてMPIAに参加させ、メンバーシップを拡大すればよいでしょう。
川瀬:
インドネシアなどの新興経済大国の説得は常に困難を伴います。ですが私の答えはとてもシンプルです。自国の利益を考えさせるということです。他のWTO加盟国を説得してMPIAに参加させる効果的な方法は、具体的なケースでMPIAの必要性が生じたとき、そのチャンスを活かすことです。例えば現在、インドネシアはEUに対してWTOに3件の提訴を行っています。これらに関するWTOパネル報告書が出たら、インドネシアはMPIAへの参加を検討せざるを得ないでしょう。たとえ勝ったとしても、MPIAに参加していなければ、EUは空上訴する可能性が高いわけです。
また、インドネシアは他の東南アジア諸国と同様、南シナ海の島をめぐって中国との領土紛争を抱えています。領土紛争は経済的威圧につながりやすく、中国による貿易制限措置がとられかねません。中国の圧力に対応するための政策オプションとして、MPIAはインドネシアにとって有効な方法だと思います。
アームストロング:
渡邉さん、産業補助金や規模の経済について、米国は長らく中国の補助金政策を批判してきたのに、今やもっと多額の補助金を出しています。米国が制度の実行において果たしていた役割を果たさなくなった今、法の支配を守らない国々に私たちはどう対応すればよいでしょう。CPTPPはその対応策として十分でしょうか、それとももっとやるべきことがあるでしょうか。
渡邉:
私は米国に特に焦点を当ててきたわけではありませんが、米中の摩擦に関して言うと、補助金は中国の競争力の一面にすぎません。中国市場の規模そのものがコスト減を後押しする結果、同国はその力を利用して他国に損害を与えられるようになるのです。権力を濫用するこうした事後的な行動はグローバルな経済厚生を損なうため、規制する必要があります。
アームストロング:
現状を考えたとき、ルールを今も守っている国――基本的には米中以外のすべての国ですが――は、米国にもっと一貫した行動を促すような仕組みを築くべきでしょうか。
渡邉:
中国にとってWTOとそのルールは、米国やEUと向き合うときにとても重要です。中国は日本を提訴したことがありませんが、日本は中国を提訴したことがあります。実際のところ、中国が重視しているのは米国やEUとの紛争です。つまり中国にとって、WTOのルールは大国への対抗手段なのです。
アームストロング:
中国経済をもっと市場のルールで縛ることが私たちの共通利益になるようです。これは関係国が共同で取り組む必要があります。
セッション2 結び
シロー・アームストロング(RIETIノンレジデントフェロー/オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院教授)
世界経済安全保障にとっての数多くのリスクについて議論してきました。変化や不確実性は避けられませんが、まず変わらないものが3つあります。1つ目は米国。6週間後の大統領選で誰が勝つにせよ、解決するのに時間がかかる国内の構造的要因のせいで、貿易政策は変わらないか、さらに悪くなることが予想されます。2つ目は中国の台頭です。中国はグローバル市場を混乱させ、既存のルールや規範に圧力を加えるなど、引き続き私たちに挑むような行動を起こすでしょう。3つ目は米中関係です。両国の実質的な主導権争いは今後も私たちの政策の選択肢を狭め、世界的な経済安全保障を脅かすでしょう。
私たちは経済的な相互依存を維持することで、これに対抗する必要があります。政治同盟に基づいて相互依存を減らしてはなりません。多国間主義や平等な処遇、平和的な紛争解決を維持する上で、日本やASEANのようなミドルパワーは欠かせない存在です。経済的威圧や脅迫的な貿易政策にさらされたときは特に、共同で行動し、多国間プロセスに訴えることが、私たちの利益、そしてルールに基づく秩序を守ることにつながります。