国際ワークショップ

発展途上国における貧困と脆弱性 (議事概要)

イベント概要

  • 日時:2009年9月15日 (火) 13:00~17:15
  • 会場:経済産業研究所 1119/1121会議室
  • 議事概要

    先進国、途上国を問わず、人々は暮らしを脅かすさまざまな不確実性にさらされている。まず、事故や病気、突然の死、自然災害、天候不順等に起因する農業生産に対する価格・収量に関する不確実性、都市の商工業セクターにおける売上・所得に関する不確実性などがある。また、マクロ経済の不安定化や不況も、時に激しいインフレ・デフレや失業を生み、家計の所得や資産の実質的価値を大幅に悪化させうる。特に発展途上国において、このような不確実性による影響は一時的な所得の毀損に止まらず、投資効率の低下による資本蓄積の阻害にまで及び、根源的な貧困の解消を妨げる大きな要因となっていると考えられる。RIETIでは、「開発援助の先端研究」プロジェクトの一環として、2009年9月15日(火)に国際ワークショップ「発展途上国における貧困と脆弱性」を開催した。本ワークショップでは、プロジェクトの研究成果を発表するとともに、ベトナムから開発経済学の気鋭の研究者2名を招き、ベトナムにおける貧困と脆弱性の問題についての活発な議論を行った。

    貧困と脆弱性についての基礎データ

    1. Introduction to the RIETI-CAP survey

    澤田 康幸 (RIETIファカルティフェロー/東京大学)

    所長藤田昌久の開会挨拶に続き、まず、澤田FFによるRIETI-CAP(ベトナム農業政策研究センター)の災害に関する共同調査結果の紹介が行われた。当調査では、ベトナム全土を対象とした世帯調査であるVietnam Household Living Standard Survey (VHLSS)の2006年度調査の対象世帯のうち、鳥インフルエンザ被害の多かったHa Tay県、洪水などの自然災害被害の多かったNghe An県、両災害の多かったQuang Nam県、これらの被害の少なかったLao Cai県の調査世帯、約2000世帯の再調査が行われた。2008年初頭に実施されたこのRIETI-CAP調査データは、VHLSS2006のデータと統合することによりパネルデータが構築できるように慎重に設計されているが、それとともに、さまざまな災害リスクに対する人々のリスク認知を明らかにするための独自の調査設計も行われている。

    2. Asking Retrospective Questions in Household Surveys: Evidence from Vietnam

    澤田 康幸 (RIETIファカルティフェロー/東京大学)

    RIETI-CAP調査に基づいて、回顧的な質問の持ちうる観測誤差の問題と、それを改善するための調査手法のあり方について、本報告では、4つのポイントが紹介された。第1は、RIETI-CAPデータに含まれている、カテゴリー別の回顧的な消費データを、VHLSS2006の消費データと比較すると、回顧調査誤差が世帯のさまざまな属性と相関し、さらに平均回帰(mean-reverting)の傾向を持っていることである。このことは、消費データを従属変数に用いる場合においても回帰係数の誤差をもたらすという、非伝統的観測誤差(non-classical measurement error)の問題を示している。第2に、他方、消費総額に関する回顧的な質問は、これらの問題を示しておらず、回顧調査における調査項目として総消費を加えることが望ましいと考えられる。これらの結果は、先進国における数少ない既存研究とも整合的である。第3に、回顧調査誤差は、世帯構成員数と相関しており、回顧調査データを用いた回帰分析においては、回答世帯の構成員数を制御することが望ましいであろう。最後に、自家消費については、より回顧調査誤差が大きいことがわかった。

    フロア討論として、黒崎卓教授(一橋大学)からは、途上国における観測誤差についての数少ない貴重な研究であると高く評価された一方、非伝統的観測誤差のより統一的な分析枠組みを考えるべきであるなどの有益なコメントがなされた。

    3. Agricultural Price Volatility and Vulnerability in Vietnam

    Trang TRUONG (CAP地方経済分析長 (Head of Rural Economics Unit))

    この論文では、ベトナム全国レベルの世帯パネル調査である、Vietnam Living Standards Survey (VLSS)の1993年と1998年のデータを用い、Ethan LigonとLaura Schechterが開発した、貧困脆弱性を貧困度とリスクに分解する手法に従った実証分析を行っている。当報告では、貧困層が同時に高い貧困リスクにも直面している脆弱層であり、世帯の脆弱度・貧困度・貧困リスク度ともに、世帯の教育水準とシステマティックな相関関係があることが発見された。

    同報告に対し、フロアからさまざまなコメントがなされた。本論文では、農業価格の変動を明示的には分析しておらず、そうしたデータを取り入れていくべきこと、また、不確実性が実現した後での事後的なリスク対処に焦点を当てているが、むしろ事前の生産リスク削減というような不確実性を削減するための生産や労働配分リスク管理の分析をあわせて行うべきことなどのコメントがなされた。

    4. Entropy Characterization of Insurance Demand: Theory and Evidence

    中田 啓之 (エセックス大学講師)

    報告は、エントロピーの概念を用いることで、稀で大きな損害をもたらす確率事象である自然災害を理論的に特徴付けるという前半部分と、ベトナムのRIETI-CAPデータを用いることにより鳥インフルエンザ・洪水に対する、インデックス型の災害保険と被害に応じた伝統的な保険を分析した、後半の実証分析から構成された。前半部分では、特に、稀な事象である災害の発生確率の主観値が、実際に災害を経験することに対して大きく反応することが示され、後半部分では、これを裏付けるように、村や世帯が鳥インフルエンザを経験することが、鳥インフルエンザの発生確率を10倍から25倍も増加させ、洪水の経験については、洪水への主観確率を87倍から100倍も増加させることが示された。また、インフルエンザ・洪水に対する、インデックス型の災害保険と被害に応じた伝統的な保険への支払い意志額(willingness-to-pay:WTP)のデータを被説明変数とし、発生確率や保険金支払額を説明変数とした回帰分析によると、一度鳥インフルエンザ・洪水を経験することが、WTPをそれぞれ30%・50%増加させるという結果が得られたことが報告された。

    フロアからは、稀な確率事象に対して保険市場がうまく機能し得ないことを示す結果であり、興味深いものの、より明確な政策的示唆を議論すべきであることや、仮想質問に基づくWTPと実際の意思決定にはギャップがありうる、など重要な指摘がなされた。

    5. Diversification, Risk Management and Risk Coping Strategies Evidence from Rural Households in Three Provinces - Central Vietnam

    Tung Phung DUC (ハノーバー・ライプニッツ大学研究員)

    本報告では、ベトナム全国の220村に居住する2200世帯を報告者らが独自に調査したデータを用い、村落世帯のリスク管理・リスク対処行動を実証的に分析した結果が紹介された。より具体的には、さまざまな過去のショックと、将来のショックの予想に対してどのように労働や土地の配分がなされるかを実証的に分析している。実証結果はまず、将来のリスク予想に対して、世帯はより強く労働の配分を変化させており、リスク管理の方法として労働供給の調整が重要であるということを示している。他方、信用市場へのアクセス、世帯主の教育や富の水準、灌漑設備などのインフラストラクチャーに対して資源の再配分やリスク分散行動が強く関連しており、市場の不完全性によって世帯のリスク管理・対処行動が強く影響を受けることが示されている。

    フロアのコメントとしては、リスク分散も重要な世帯の行動でありうるが、比較優位に特化することによる便益も重要であり、資源の分散行動は、このような特化の利益を犠牲にするという深刻なトレードオフの関係を今後は検討していくべきであるという、重要な指摘がなされた。

    6. Consumption Insurance against Unforeseen Epidemics: The Case of Avian Influenza in Vietnam

    澤田 康幸 (RIETIファカルティフェロー/東京大学)

    最後に、2003年-2004年から2005年-2006年までの3年間にわたるベトナムの2村における136世帯を調査した独自のパネルデータを用いた分析について報告された。本分析では、この独自のパネルデータを用いることにより、3つの分析が行われている。1)鳥インフルエンザのリスクに対して、フォーマル・インフォーマルな保険メカニズムが有効に機能したかどうかについての、消費リスクシェアリング仮説の検証。2)そうしたリスクシェアリングの経路として、信用市場が果たす役割についての検証。3)鳥インフルエンザのみならず、疾病のリスク・冠婚葬祭リスクに対する、さまざまなリスク対処法の実証分析。これらの分析結果はまず、完全な消費リスクシェアリング仮説はデータから棄却されるものの、3年間のパネルの2年目以降には棄却されておらず、未知のリスクとしての鳥インフルエンザが2年目以降にはある程度既知の事象となり、さまざまな保険機能が働くようになったことを示している。また、信用市場も鳥インフルエンザに対するリスクシェアリングの機能を発揮したという結果も得られている。最後に、鳥インフルエンザに対して機能したのは、特にインフォーマルな信用供与であることが明らかにされ、他方、冠婚葬祭のショックに対しては、フォーマルな信用市場や私的トランスファーが有効であったことが示されている。

    フロアからは、鳥インフルエンザは集計的なショックであり、個別的なショックに対して有効に働きうるインフォーマルなメカニズムにはそもそも限界があるのではないかというコメントがあり、またそうした場合の政策のあり方についての活発な議論がなされた。

    開発経済研究・開発政策への教訓

    これらの報告を通じて、開発経済研究と開発政策を設計する際に考慮すべきいくつかのポイントが明らかになった。第1には、近年の開発経済学の文献がリスクと貧困・脆弱性についての研究を深めているものの、稀な事象である自然災害については、その負の影響が広く認知されているとはいえ、実態把握が不十分であること、第2には、稀な事象である自然災害に対しては、インフォーマルなセーフティーネットに限界があり、人々のリスク管理・リスク対処行動を補完する公的なプログラムの設計が不可欠であること、そしてそのためには何よりも自然災害を焦点に当てた精緻な実証研究が不可欠であること、である。エビデンスに基づいた丹念な研究から、これらの諸点についての将来の研究・政策への教訓が得られたことが、本ワークショップの成果である。