経済産業研究所・中信出版社『比較』編集室共催セミナー

制度変換期の日本経済

イベント概要

  • 日時:2003年8月29日 9:00-12:30
  • 会場:北京京倫飯店(北京)
  • 主催:経済産業研究所・中信出版社『比較』編集室
  • 政府行政の透明性、政府機能及び公共能力等の問題について

    秦海 (中央情報化推進ユニット、シニアエコノミスト、『比較』編集委員)

    青木教授、ただ今のスピーチ誠にありがとうございました。私たちは皆、相当前から青木教授の比較制度分析の本や文章に親しみ始め、それに併せて中国の社会主義的市場経済体制の完備過程を観察しつつ、同時に林毅夫教授の「農業技術の移り変わり」、「中国の奇跡」、「国営企業の自己能力」等、テーマの著作にあわせて中国改革の動向がいかがなものかを見て取ろうとしています。ここでは職業上の関係で、経済問題には触れないことにして、政府機能の調整が次の改革の重点だというのが今政府上下の共通認識であることから、この場をお借りして先程の青木教授のお言葉に対し、政府行政の透明性、政府機能及び公共能力等の問題について私の考えを少し申し上げます。

    私が思うに、モジュール化時代であれ、政府における情報技術の応用であれ、とにかく大きな変化が起きています。このような変化によって、1980年代初期にロバート・ソローが提言した生産性のパラドックスという状態が改善を促されつつあります。つまり、どこでもコンピュータ時代が到来したといわれながら、生産性統計だけにはその現象は見られなかったという情況が、1990年代後期に経済活動面においてやや改善しました。とくにアメリカでJensen、Gordonなどが研究でいくつかの証拠となるものを得て、また中国もそれらの証拠を得ました。これが経済活動面での変化で、政府活動面においても大きな変化が起きました。これがすなわちE-government=電子政府の始まりです。電子政府の始まりはIT革命と関わるものですが、同時に政府活動に関与あるいは政府に何らかのサービスを要求する「プレイヤー」の範囲に大きな変化が生じたことにも関係すると思われます。スタンフォード大学に非常に有名な2人の比較歴史制度分析の教授がおられます。1人はPaul David、もう1人はAvner Griefです。Paul Davidは「歴史は制度変遷の経路依存である」といっています。このPath Dependence(経路依存性)の概念は、彼の1980年代の論文から出た非常に重要な見解です。制度を一種の規則と見なす観点から、Griefは非常に重要なことを提起しました。青木教授も『比較制度分析』の著書の中で引用されたのですが、それがcommon belief、つまり「共有された予想」ということです。私たちは経済活動に参与するすべての人々によって演出する可能性がある、共有予想と理解していいのです。

    「プレイヤー」としての予想が制度の変化にとって非常に大事なことであり、もしこれをIT革命と結びつけ、しかもこうした変化への政府部門の対応がもたらす方向性と結びつけるのであれば、政府の類型について提示する必要があると思います。私は中国電子政府プランの討議と起草に参与しましたが、その研究過程において、地球規模の非常に長い歴史の中で、政府の類型は概ね次のようなものであることを発見しました。まず1つめは「福祉型政府」といわれるもので、北欧あるいはサッチャー(元首相)以前のイギリスに見られるタイプで、何事も政府が面倒を見ます。中国的に言うと、「ドアを開ければ7用事」、つまり薪、米、油、塩、醤油、お酢にお茶、すべての面倒を見てくれるというものです。このような状況は日本でも具現されていると思います。2つめは「監督管理型政府」、いわば管理すべきは管理し、それ以外は一切構わないというもので、サッチャー以降のイギリス、アメリカ政府あるいはイギリス連邦国家がその典型です。3つめは「発展型政府」、極めて典型的なのが日本です。東アジアも含めてですが…。「発展型政府」は1980年代以降または1990年代以降、比較的大きな変化がありました。これは日本で称す「迷走の10年」または「失われた10年」ですが、青木教授は大きな変化だととらえられています。同じく東アジアの他の国においても、これら「発展型政府」はあらゆることを管理すべきだ、政府は強い権力をもつべきだ、あるいは市場との間に友好関係を形成すべきだと考え、管理すべきでないものまでもすべて政府の懐に抱え込んでしまったのです。4つめはラテンアメリカのような「依存型政府」です。彼らは一連の社会的、経済的な考え方を国際体系に頼り、出現する可能性がある循環メカニズムに頼るため、非常に大きな投機性を帯びているわけです。ラテンアメリカの経済は国際経済に対して投機的行為をするだけではなく、自国本土に対しても非常に大きなかけをし、多額の金を使っているのが見て取れます。そして5つめは「捕虜型政府」です。この典型がアフリカ、中東政府で、完全に利益集団の捕虜になっています。

    中国の場合はクラスや地域ごとに、それぞれ異なる類型の政府が存在し、具現していると考えています。

    IT革命は折よく非常に重要なチャンスを与えてくれました。先ほど栄教授が提示し、林教授がより明解にした制度の5つの特徴はとても重要だと思います。ここで補足したい点は2つあります。まず1つは、制度変遷の内因生成は自国本来の力の変化によるものだということです。では、いったい何が本来のものなのか、そしてどんなものが制度に対して移植を通してあるいは意識的にこの種の方式を模倣して制度上の特性を生み出すのでしょうか。とても難しいことだと思います。先ほど林氏も重化工産業又は重工業化戦略失敗の原因をお話されましたが、それは、当時、制度が強制的に移植され模倣されたことによりもたらされた結果であります。これも私が強調し補足するところなのですが、制度を移植するときには、その国の資源や制度変遷の特定要素を重視しなければなりません。

    もう1つは、『経済の慣習』(Customs in Economy)という本の中で著者Schmidtが指摘されているように、制度変遷のプロセスにおいて、特定の社会的ルールを踏みにじるまたは尊重しない場合、このような制度変遷の方向性がおかしくなるということがあります。何処から来て、何処へ行くのかもわからなくなってしまうというわけです。これからの政府の能力あるいは行政の透明性については中国政府も関心を寄せていますが、まずはSARS以降、とくに公共サービスと社会奉仕に重点を置き、情報の開示と規範の開示で、各レベルの行政府ひいてはすべての行政府の各部門を指導し、各自の公共管理強化を促すことでしょう。次に、モジュール化のデザインやモジュール化の管理理念を政府に導入すること。伝統的な概念では、公共物資は市場価格で定められないという認識がありますが、モジュール化が出現してからは、それを導入した政府に非常に有益なものがもたらされ、少なくとも行政のコストダウンは図られたはずです。自己の執政または行政にコスト観念のない政府により発揮される能力には限界があるのです。この点について、日本はすでに認識していることと思います。

    これらのことが、私たちが日本から得た教訓です。ありがとうございました。