RIETI-KEIO Conference on Japanese Economy

Leading East Asia in the 21st Century?-21世紀の日本経済:東アジア諸国との競争と協調-

イベント概要

  • 日時:2003年5月30日(金)9:00-16:45
  • 会場:慶應義塾大学(北館ホール)
  • 開催言語:英語
  • 講演議事録

    第一部:生産性予測のための想定

    1990年代、日本は依然として景気低迷から抜け出せずにいたが、米国の成長には持続不能の要素が見られる。米国の場合、労働時間は年2%程度の伸びを示したが、同時に生産年齢人口は年1%程度で上昇した。このことから、労働時間の増加は持続可能ではないといえる。従って今後の成長を予測するに当っては、成長率は、生産年齢人口の伸び率に近いものになると想定できる。

    日本では状況が逆で、1990年代には労働時間に対して生産年齢人口が伸びた。つまり生産年齢人口に対して労働時間が相対的に減少したが、これには、総需要の沈滞のほかに、極めて重要な理由があった。中でも重要なのは「経済ダイナミクスの再検討」で分析されている、週40時間という制度の変化で、これについては、今後の日本経済を予想しても、逆行することはないと想定される。

    そこで米国の経済成長分析(先ほどご覧いただいた日本についてのものと似たもの)で使われた資料を検討し、平均労働生産性の潜在成長について予想したい。ここでいう潜在的成長とは、就労率が生産年齢人口と一定の関係を保つ。その後で、日本についても同様の予想を検討してみたい。

    過去の記録から見てみると、GDPの伸びは、総労働時間と労働生産性の伸びを表す。ここでは1995年を境に前後を比較してみる。これは1995年に生産性成長率が変化したためである。1995年以前の数値を見ると、ここでは1973年の米国の場合だが、労働時間は年率1.4%で伸び、その後は年率2%となった。労働生産性は1.3%から2.07%になった。

    この労働生産性の伸びは一体何に起因するのだろうか? 1つは資本の深化である。資本の深化とは、労働時間あたりの投入資本と定義される。直感的には、投資によって労働者により多くのより良い資本が提供されるため、高価な要素=労働の代わりに安価な要素=資本が用いられるという典型的な例と考えられる。労働の質の伸びとは、生産性の高い労働者の割合が増えることである。そこで最終的に、全要素生産性(TFP:Total Factor Productivity)の伸びに到達することになる。このTFPとは資本及び労働投入量の単位当りの産出量と定義される。

    では1995年を境に何が変わったのだろうか? 1973年から1995年までの低成長期と1995年から2000年の高成長期との間で、労働生産性が約0.75%伸びた。0.5%は、ITの投入という形での資本の深化によるものだった。これはIT投入による労働の代用だったが、また非IT部門への投入に対する代用でもあった。というのは、もう1つのカテゴリーである非IT部門における資本の深化は実際にはマイナスであったからである。すなわち、労働だけでなく非IT部門で代用がおこったのである。もちろんその理由は、ITの価格変化である。

    労働の質とは、労働者1人当りの生産性が上昇するという、労働の平均限界生産性の概念である。そしてこの平均限界生産性が、ややマイナスとなっていた。一般的に、学歴の高い経験豊富な人材が労働人口に加わることによって、労働力が向上すると考えられるかもしれない。しかし実際には1995年から2000年にかけて全く逆のことがおこり、また労働時間が著しく伸びた。失業率が低下し、労働力の就労率が上昇した。その結果、資質生産性の面で低い人材が採用され、労働の質上昇にマイナスの影響を与えた。

    そして最後に、全要素生産性となる。投入単位当りの産出で、IT部門と非IT部門の間でここでは同じように配分した。IT部門の生産では年間約0.25%、それ以外では約半分となる。結局、労働生産性の伸びは全てITに帰することができる。その約3分の2が資本の深化によるもので、3分の1が、ソフトウェア通信装置やコンピュータを生産する極めて限定された業界グループにおけるIT生産の投入単位当りの産出によるものだ。他の要素についてはここでは考慮しない。つまり基本的にはITにかかわる話となる。

    平均的な生産性の潜在成長を予期するに当って、このような一時的な影響を排除するため、大きく2つの仮説を述べたい。まず、今後は産出と再生可能資本とが同じ割合で成長すると仮定する。再生可能資本とは、経済活動によって生産されるもので、再生不能資本とは自然に、つまり土地によって生み出されるものである。

    米国の国土はここ100年以上変化していない。そして再生可能資本は全体のおよそ80%を占める、その部分が産出量と同じ割合で成長していくことになる。もう1つ仮定すべきことは、就労時間の増加は労働力の増加と一致するということである。これは重要である。というのは、失業率が低下したり雇用率、つまり労働人口の割合が上昇するのではなく、このような要素は安定化に向かうと仮定することを意味するからだ。

    日本についても同様の仮定を2つ行うが、日本の失われた10年と、景気循環要因が堅調にプラスで推移し復活を遂げた米国経済とを分けることがわかる。そして異なった可能性を説明するために、悲観的、基本ケース、楽観的という3つのシナリオを用意した。経済におけるITとそれ以外のTFPの伸びについては、シナリオによって変化するものと想定する。また資本の質の伸びの向上も認めることとする。これは資本ストックの中でIT部門が非IT部門に代替される割合を示すものである。さらに時間と労働の質の向上については、全てのシナリオで共通し、人口統計予測に則していると想定する。

    10年後に労働人口となる殆どの人をカバーできることを考慮すると理に適うといえる。つまり、彼らは、現在働いているか、現役の学生で10年後には労働人口に入るからである。さらに米国では人々の教育レベルはここ30年変わっていない。資本労働の割合と、経済全体における割合としてのITの産出量は、10年間ほぼ同じである。事実、資本労働比率は、それ以前から長らく一定であることから、過去の平均値で一定のものと想定する。

    さて、測定に使う数値を設定しよう。基本ケースでは、1990~2000年の平均値を採用する。というのは、より速い製品サイクルを反映して、情報技術の進歩のペースに変化が生じているが、最終的には以前の製品サイクルに逆戻りすると推定している。その結果、1990~2000年は2つのサイクルのちょうど真ん中に位置していることがわかった。言い換えれば、ITの技術進歩が減速すると推測しているのであるが、永続するとは推測していない。ここでは内生的生産性の成長モデルではなく、楽観ケースを想定している。

    例えば、非常に革新的な情報技術業界の勢いが1990年代後半のペースで続くと仮定する。これが楽観的シナリオである。一方、悲観的シナリオでは、米国の成長回復はあくまでも歴史的にみると一時的な特異現象で、1975年前の状態に逆行し、持続可能でないと想定する。

    さてその結果だが、1995~2001年にかけてのITによるTFP貢献度は年率0.4%となり、基本ケースではITの生産性成長予測が低くなると予想し、楽観的なケースで高くなり、悲観的なケースで若干低くなる。だがこれらは重要な成長源である。ここでは1995~2000年の平均値を採用しているが、これは2001年に景気後退局面となったためである。これにより、基本ケースでは1990年代全体の0.11、楽観ケースでは0.17、そして悲観的ケースでは1995年以前の低成長になると想定した。

    前述したが資本の質の成長とは、ITが非ITに代替される割合である。ここではこれが非常に重要な意味をもつ。そして1995~2001年の平均値は実に年率2.5%にも及ぶ。これを成長への影響に換算するには、資本シェアを乗じる。その結果、成長への影響率は約1%となる。基本ケースでは、成長への影響率が1990年代の平均値近くにまで低下し、楽観的ケースでは1990年代後半のように加速し、悲観ケースでは1995年前の状態になるとそれぞれ想定している。

    さてここでまとめたい。ここで利用する人口統計上の予想は「国勢調査局」から入手している。標準的な予測では、生産年齢人口の増加を反映した総労働時間の増加は年率約1%となるが、これは3つのシナリオ全てで変わらず、1995~2001年にかけてのレベルをはるかに下回る。

    2つ目に、労働の質の向上は緩やかな状態が続くものと想定する。高学歴の人々の割合は、過去20年間に新社会人となった集団で一般的とされるレベルで安定化するだろう。そして年齢の高い労働者が退職するにつれて、誰もが基本的に同じ技能を持つことから、幾分減速すると思われる。1995~2001年にかけては、労働の質がかなり急速に向上した。これに労働分配率0.6を乗じると、0.24という数値が得られるが、これが今後はかなり低下すると思われる。人口統計の条件から、労働時間の増加は鈍化し、労働の質の向上度は低下すると思われる。そこで生産性と資本の質に関する仮定を要素とし、以下の結果が得られる。

    第二部:米国と日本に対する予測

    米国の1995~2001年における、労働時間当りのGDPとして定義される労働生産性の成長率は約2%となり、1995~2000年の平均値よりもやや高くなるが、これは前述のように、2001年に景気が後退したためである。基本ケースの適正な数値は1.78である。そこで今後はTFPの成長がやや促進され、資本の深化の伸びはやや鈍化して1.2となり、その要素の鈍化を反映して労働の質の成長も大きく鈍化すると予想される。ではどのようにして1.4から1.2に落ちたのでしょうか? 基本ケースでの資本深化が、過去より低くなるのはなぜでしょうか?

    労働時間の増加がさらに鈍化し、産出量と再生可能資本が同じ割合で成長するとすれば必然的に、資本深化も鈍化する。これに労働時間の推定値である1%とを合わせて考えると、米国の潜在的GDPの基本ケースにおける成長予測は2.78となる。これは、1973~1995年間の産出量増加と完全に一致する。つまり米国経済は、IT業界が活況を呈し、ITが他の種類の資本の代替として急速な展開を見せているが、人口統計的要素の減速のため成長率は、比較的成長の緩やかな1995年以前の状態と同じになりつつある。

    ここで日本に対する教訓を述べるにあたり、仮定をまとめてみたい。まず、労働年齢の基準を利用する。年率-0.55%という公式な数値を用いる。米国の場合は1%であった。つまり米国経済の成長率は、労働時間の増加の違いのみによって、1.5%高いことになる。これは非常に重要なポイントである。人口統計は、運命論的に決まったものではないが、背景説明としては重要な意味をもつ。だが日本における労働の質の向上は、かなりの期間非常に高い状態が続いており、今後も続くと予想している。というのは、これ以上適切な仮定は想定できない。

    さて、基本ケース、悲観的ケース、楽観的ケース全てで、1995~2000年と比較して、労働生産性の伸びは著しく鈍化すると予測している。TFPは日本のほうが高くなるが、これは、ITにおけるTFPが米国と比肩する割合で成長し(両国とも同じ技術にアクセス可能)、キャッチアップの側面も引き続き見られるためである。過去の非IT部門におけるTFP成長をもとに単純に予測すれば、かなりのキャッチアップが予想される。労働時間が減少するため、資本深化は大幅に低下すると思われる。資本深化の推定値は、国際的に調整された価格を用いているため、公式統計より、かなり高くなる。今後は、資本深化は0.82程度と大幅に低下する。そして労働の質の予測は0.28となる。最後に産出量の成長はどの程度になるだろうか? 米国よりも約1%低い約1.72になると予測される。

    これははたして望ましい状態なのだろうか。労働生産性に話を戻すが、米国の労働生産性の成長は、1.78程度になる。これはかなり正確だと思うが、日本の場合はこれよりも0.5%高くなると予想される。1人当たり産出量に焦点を当て、今後10年間で日本の人口が減少傾向にあることを考えると、労働生産性は、かなりのキャッチアップがあるといえよう。労働生産性は、年率0.5%という米国の極めて高い水準に向かって収斂していくだろう。これは望ましい状態と言える。

    望ましくない面もある。経済成長そのものは米国よりも1%も低くなると思われるのだ。私としては、こちらのほうが現実的と思うが、もし過去10年間を「失われたもの」とお考えなら、こちらのシナリオを強調したいと思うのも無理はない。いずれにしても、失われた10年の焼き直し状態である。少なくとも価格を国際的に調整すれば、過去10年の間に日本経済はすでに回復の兆しを見せている。

    今後10年間で人口の減少が予想され、生産年齢人口が年率約0.5%の割合で減少していくことになる。そして今後40時間労働が続き、就労率も変化しなければ、日本の成長はかなり低い状態になるだろう。これを楽観的な視点から見て、人口1人当たりの成長という観点で捉えると(もちろんこのほうが日本の生活水準に合っているのだが)、非常に楽観的な様相を呈するようになり、日本の1人当たりの生活水準は、他先進諸国と比較しても、年率0.5%程度の割合で上昇していくことになる。

    このコンファレンスは、生産性という経済成長を考える上で重要な指標を中心的に取り上げ、実体経済から見た日本経済の長期的なあり方について議論を行うために企画されたものです。しかし、長期的不況の原因としては不良債権問題などの金融面での対応の遅れやその背後にある政治システムの問題まで幅広い議論が行われました。また、生産性の動向についてもいくつかの分析結果が紹介され、データの整合性についても議論が行われました。分析する対象範囲を限定した実験が可能な自然科学と異なり、経済学における実証研究には、マクロ経済やミクロ経済といった経済学のディシプリンを超えた総合的なアプローチが必要となります。また、分析を行うためには経済実態を反映したデータが重要であることはいうまでもありません。有効な政策インプリケーションを導出するための実証分析には、マクロ経済全体をとらえる「総合的アプローチ」とそのためのデータが不可欠であると再認識させられた会議でした。