2023年初頭、衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。米紙The New York Timesが「2023年に訪れるべき世界の52カ所(52 Places to Go in 2023)」において、一番目のロンドンに続き、二番目に盛岡を選んだのだ(The New York Times 2023)。これがきっかけとなり、日本国内でも盛岡が大きな話題となった。
なぜ盛岡が二番目なのか。われわれ、日本人であっても、訪れるべき世界の52カ所を選ぶときに、盛岡がその選択肢に上がってくることは、まずないと言ってよいし、まして、ロンドンに続いて二番目に位置付けることも、まずないと言ってよいだろう。海外紙が海外の読者に向けて発信する情報に、なぜ盛岡を推すような内容を盛り込んでいるのだろうか。
記事では、東京から新幹線で数時間というアクセスの良さに加え、歩いて回れる規模の街であること、歴史的建造物の素晴らしさ、美しい自然との距離の近さ、おいしい食やそれを支える人々の魅力が紹介されている。
文化遺産経済学では、その土地の人々から十分に評価されてこなかったものが、外部者の目によって価値を見いだされる場合があることが指摘されてきており(Klamer 1997; Klamer 2013)、今回、注目を浴びた盛岡はまさに典型的なケースと言える。盛岡が今回選ばれた理由において指摘されているように、盛岡には歴史的建造物が多く残されているが、日本においてはそれほど有名というわけでもなく、知る人ぞ知る存在であったことが、今回の驚きにつながっている。それでは、外部者の目によって価値を見いだされた盛岡の街を歩いてみよう。
盛岡街歩き
盛岡は北上川が北から南へと流れる盆地に位置し、橋を渡る際に上流方向を眺めると、岩手山のどっしりとした威容を楽しむことができる。東から雫石川、西から中津川が流れ込んでいる合流点の突端が小高い丘になっていて、そこが盛岡城跡である。残念ながら明治時代に城の建物は破却されてしまい、現在では一部の石垣が残る市民公園として整備されているのみで少し寂しさはあるが、盛岡藩の中心都市として栄えてきたこの街を見守ってきた姿を今日に伝えている。
城跡の正面には櫻山神社が鎮座し、向かい合うように岩手県庁、岩手県議会議事堂、盛岡地方裁判所などが並び、明治の近代国家建設時代を経て現代に至る歴史の流れを感じられる街の構造となっている。盛岡地方裁判所の敷地は盛岡藩家老の屋敷跡で、巨大な岩の割れ目に桜の木が生えていることで有名な石割桜があり、国の天然記念物に指定されている。
岩手県庁の隣には昭和2年竣工の岩手県公会堂が当時の姿のまま残っており、国登録有形文化財となっている。私が訪れた際には高校生のグループが合唱の練習をしていて、まさに現役の公会堂として活用されている様を体感することができた。
街の中心地からは少し距離があるが、国指定重要文化財の岩手大学農学部農業教育資料館は大正元年竣工の木造二階建て洋風建築で、旧盛岡高等農林学校本館として建てられ、宮沢賢治もここで学んだことが知られている。旧正門と門番所も共に国指定重要文化財となっており、冷害に長らく苦しんできた盛岡において、農学への期待が高かったことが見て取れる。
盛岡城跡から中津川を渡った街の南東側は、江戸時代に職人や商人が居住して栄えたエリアで、明治の銀行設立ブームの影響を受けた洋風建築が並んでいる。
写真映えするスポットとして有名なのは岩手銀行旧本店赤レンガ館で、明治44年竣工、東京駅舎の設計者として有名な辰野金吾と、その弟子で盛岡出身の葛西萬司が設計した国指定重要文化財である。赤レンガと白色花崗岩による白い横線がおしゃれな外観で、ミニ東京駅舎のような佇まいである。2階まで吹き抜けの営業室や事務室に残された金庫などが往時の銀行の営業状況をイメージさせてくれる。
赤レンガ館の斜め向かいには昭和2年竣工の旧盛岡貯蓄銀行本店があり、ギリシャ神殿を彷彿させる外観が街並みに華を添えている。現在は盛岡信用金庫本店として活用されており、もりおか啄木・賢治青春館として公開されている明治43年竣工、国指定重要文化財の旧第九十銀行本店とともに、このエリアの顔と言える存在である。
その並びには、江戸時代から今に続く商家があり、また、旧紺屋町消防番屋の木造洋風建築が街を見下ろすような独特な風貌を見せている。このエリアからさらに10分ほど徒歩で南下すると、明治和風建築の南昌荘、多くの町家建築が残る鉈屋町など歴史的建造物が目白押しである。
最近では、盛岡バスセンターが新装オープンし、北上川沿いに木伏緑地が整備されるなど新しい見どころも続々と登場してきている。
記事では歩いて回れる規模の街と書いてあるものの、実際はすべてを歩いて回るのはかなり大変であり、盛岡駅前から発着するバスを使って各所を訪れるのが良いだろう。途中、街として一押しである宮沢賢治や石川啄木ゆかりのスポットを訪れたり、記事で紹介されている店で買い物をしたり、カフェに寄ったりするのも楽しい。
盛岡から学べる地方創生のヒントは何か
ここまで盛岡の地勢や街の様子を紹介してきたが、改めて、盛岡の魅力を確認してみよう。
大都市圏から数時間でたどり着けるアクセスの良さがあり、歩いて回れる規模で、歴史的な建造物が残っていて、美しい自然があり、おいしい食事があり、その街を支えている魅力的な人々がいる、そう聞いて思いつく街は、日本各地に他にもあるのではないだろうか。
東京・大阪などの大都市や、京都のような歴史的都市と同じことはできないが、盛岡に学ぶことができる街は多くあるはずである。2023年は、盛岡が取り上げられることとなったが、日本には他にも多くの魅力的な街があるはずで、それぞれの魅力を磨くことによって世界からも注目を集めるだけの価値ある場所にすることができるのではないだろうか。
人・もの・カネ・情報が猛スピードで移動し、かつ、その移動速度が加速度的に増している今日、土地に根差したローカルなものは短期的な経済合理性において劣後する場面が増えてきている。歴史的建造物も短期的に見れば費用対効果が低いと見なされる場合が多く、残念ながら取り壊しの危機にひんしている建物も多い。しかしそれらの中には、意図的に消滅から守り、その魅力を磨くことが、100年単位の超長期で日本の競争力に資するものもあるだろうと考えられる。
コロナ禍で一度停滞したものの、盛岡以外の各地でも外国人観光客数が増加しており大きな経済効果が出てきている。そして、大都市圏以外の地方を訪れている観光客がその土地を訪れる理由として挙げているのが、地域ごとのユニークな魅力である(観光庁 2015; JNTO 2016)。どこに行っても同じようなものがあふれ、同じような風景が広がり、同じような生活文化に出会うだけであれば、わざわざ時間とお金をかけて訪れる価値はない。Porter(1996)によれば競争力の源泉はユニークな価値を提供し続けることであり、日本においては土地ごとに存在するユニークなものこそ競争力の源泉のはずである。
篠原(2004)が指摘するように、日本には各地に固有の風景があり、それが明治の文明開化から高度経済成長期を通じて破壊され、無個性な地方都市が増加した。これらの都市が昔ながらの風景を残していたならば、どれほどの価値を今日産み出していたことだろうか。
その街の風景や歴史的建造物がわれわれに教えてくれるのは、まさにその街の歴史である。そして、その街で生きてきた人々が紡いできた日々の記録である。そこに建造物が存在し続けていることによって、われわれの想像力をかき立て、一瞬でもわれわれをその時代に連れていってくれる効果は非常に大きい。
その一方で、歴史的建造物は金喰い虫でもある。メンテナンスが十分に行き届かなければその価値は低下してしまう。しかし、無い袖を振ることはできないため、さまざまな工夫を凝らして利活用を進めることで、必要な費用を工面してその価値を維持する必要がある。また、目に見えて価値がある状況になれば、メンテナンス投資に費用をかけることに対する市民の理解も得やすくなるため、歴史的建造物の利活用が重要となっている(Benhamou 1996)。
地方創生が議論されて久しいが、それぞれの地域の魅力の源泉は、それぞれの地域のユニークさにある。そして、そのユニークさは、その地域に長く暮らしてきた人々にはつまらないものに見えている場合が多くある。まずは、その地域の地勢・風土・歴史・生活文化・風景・街並みなど、その土地にしかないものに注目し、その土地で暮らしてきた人々が紡いできた日々に埋もれた宝物を掘り起こす作業が必要となるだろう。その際に、外部者の目を入れるなどの工夫をしつつ、改めてその地域の評価をしてみるのがよいのではないだろうか。短期的には経済合理性がないように見えるものも、少し長期的に見れば、地域の宝物となるものがあるかもしれない。そのような考え方を取り入れることによって、世界から高い評価を受ける街が、盛岡に続いて現れてくることを期待したい。