新春特別コラム:2024年の日本経済を読む~日本復活の処方箋

国民の生命・健康と既得権

山下 一仁
上席研究員

新春コラムには重たいテーマかもしれない。しかし、長年食料や農業に関する政策に関わってきた者として、これらの政策が、国民の生命・健康を脅かしていることを見逃せなくなってきた。ますます間違った方向に向かっているようなのである。

国民全体の利益とは無関係に一部の既得権者によって政策が実施されてきたことが批判されてきた。公共事業をめぐる建設業界の談合は、さまざまに批判され、是正のための方策も実行されてきた。しかし、多くは、談合によって建設業界がおいしい汁を吸っているという類いの批判であって、国民の生命・健康を危険にさらすような工事が行われたわけではなかった。しかし、今農業村で行われ、また新たに実施されようとしている政策は、この種のものではない。

なぜ食料自給率を上げないのか?

農林水産省が食料・農業・農村基本法を制定し、食料安全保障や食料自給率向上を政策の目的に明示的に掲げてから、25年もたつ。ところが、40%の食料自給率を45%に上げる目標を24年も掲げているのに、逆に38%に低下している。しかし、食料自給率は簡単に上げられる。水田の4割にも及ぶ減反を廃止して輸出すれば、米の自給率は240%を超える。さらに、兼業農家主体の稲作となったため、休みがとれるゴールデンウィーク頃になった田植えの時期を、主業農家主体の稲作に構造改革して、かつてのように麦の収穫後に行っていた6月に戻して二毛作を復活させれば、麦生産も拡大する。こうすれば、食料自給率は70%に向上する。また、われわれは小津安二郎監督の名画「麦秋」とは、どのような風景だったのかを再び楽しむことができる。

しかし、農林水産省は減反を止められない。米価を維持するために懸命に減産している。1960年から世界の米生産は3.5倍に拡大しているのに、日本の米生産は4割も減少している。1967年のピーク時の1,445万トンからすれば今の670万トンは半分以下である。農業村は米の国内需要が減少するに合わせて減反で供給を減らすことにより米価を維持してきた。

1970年代から80年代にかけて、高い農産物の価格支持で同じように穀物生産が増加したEUが、余剰農産物を国際市場に輸出することによって生産を増加させてきたことと対照的である。食料輸入が途絶しても平時に穀物を輸出しているEUには飢餓は起きない。また、価格支持でなくても米国やEUのように政府からの直接支払いを行えば農家所得は確保できる。これこそ、OECDをはじめ世界中の経済学者・農業経済学者が勧める正しい政策である。しかし、減反による米価維持を続けてきたのは、それが農家というよりJA農協の利益になるからである(2023年12月8日RIETI Special Report「農業者が減少して食料危機が起きる? NHKスペシャルの矛盾と疑問」参照)。主業農家主体の農業になって兼業農家が減少すれば、JA農協の政治力も預金も減少する。

ウクライナ紛争で世界的な食料危機が起こったことを好機ととらえ、農林水産省は食料・農業・農村基本法を見直す。食料危機を農業保護の拡大に使おうとしているのも、食料自給率の低さを強調したときと同じである。対策もこれまでと同じ麦や大豆の生産拡大である。しかし、毎年2,000億円使って100万トンの麦しか作れていない。減反廃止なら1,000万トンの米を増産して、減反補助金と備蓄費用の4,000億円を毎年節約できる。それなのに、財務省に乗せられて、水田を畑地化して米をさらに減産しようとしている。

台湾有事に何が起きる?

食料危機が起こるとして農林水産省が盛んに強調しているのは、穀物や大豆の価格が高騰して買い負けるというものだ。しかし、日本の穀物等の輸入額が全輸入額に占める割合は1~1.5%に過ぎない。また、国民が飲食料費に支出している額のうち穀物等を含めて輸入農水産物の割合は2%に過ぎない。高級マグロならともかく、日本が穀物等を買い負けることはない。

日本に起こる食料危機は、このようなものではない。ロシアのウクライナ侵攻に比べ、中国が海を遠く隔てた台湾に侵攻・占領することは、より危険が伴い容易なことではない。船に一発魚雷が命中すると沈没してしまう。中国共産党の歴史的使命という発言通り習近平が台湾を統一しようとすると、米軍を含め敵からの攻撃を受けないよう、中国は周囲を巻き込んだより大がかりで激しい軍事活動を引き起こす可能性がある。日本にある米軍基地をたたいて制空権を確保したり、友好関係にあるロシアや北朝鮮に働きかけて、日本や在日米軍をけん制する行動にまで出るかもしれない。それまで至らなくても、台湾海峡を封鎖するため浮遊機雷を敷設すると、いずれ日本近海に漂着して、物資を積んだ米国の船は怖くて日本の港に行けなくなる。日本への食料・エネルギーの輸入は途絶してしまう。

農林水産省は、危機をあおっているのに、このような深刻な事態は考えていない。12月6日出された同省の有識者会議の報告書は、米が2割程度不作になるような場合と一人1日当たり最低限必要な1,900キロカロリーを供給できない場合を危機として挙げた。前者は1993年の米の不作を念頭に置いているものだが、食料には代替性があるので、国民は米が食べられなくても、パン、食肉等他の食品を多く食べた。飢餓は生じなかった。国産の減少分の代わりに輸入したタイや中国産米は日本人の嗜好に合わず大量に売れ残ってしまった。特定の食料の供給が減少しても、ある程度の社会的な混乱は起きるかもしれないが、食料危機は起きない。これは危機ではない。

後者の場合は食料危機と言ってもよい事態だが、農家にカロリーの高いイモ等への転換を要請するとしている。しかし、台湾有事等でシーレーンが破壊される事態には、石油等も輸入できないので、今の農地では必要となるイモさえも作れない。このような事態が食料輸入が途絶して国民が飢餓の直面する唯一の事態なのだが、それを想定していないのである。もっとも想定しなければならない事態を想定外としてしまっているのである。先日、東欧の国防大学の研究者は、農林水産省が書いているものは危機ではないと言って、意見交換のために私を訪問している。

本当の危機が起きるとどうなるのか?

もし輸入が途絶すると、今の備蓄等を入れた800万トン程度の米供給では。半年後に国民全員が餓死する。今減反を止めて1700万トンを生産していれば、危機が発生した後の1年間は、辛うじて生きながらえる。

しかし、その後はどうか? 危機後の食料・農業生産は悲惨な状態になる。石油等が輸入できないので、終戦直後と同じく、(肥料はある程度あったが、)農薬、農業機械は使えない。終戦直後の単収(面積あたりの農業生産)を維持できたとしても1,000万ヘクタールの農地が必要だが、農家による転用や耕作放棄で今は430万ヘクタールしかない。当時は、石炭生産があったので、化学肥料として硫安を製造・利用できたが、今は難しい。肥料用の人糞も豚用の残飯も今は利用していない。急に使おうとしても無理だ。農業労働力で代替しようにも、それが豊富だった終戦直後の単収さえ確保できない(米の平均単収:2019年539kg/10a、1943~47年平均294 kg/10a)。国民皆農のようなことを考えても、農地がなければ増産はできない。600万ヘクタール以上の農地が追加的に必要になるが、これは九州と四国を合わせた面積に匹敵する。ゴルフ場を強制収容してイモ畑にしても間に合わない。どうすればよいのだろうか?

農林水産省は、イモだけ食べれば今の農地面積で十分だというが、肥料、農薬、農業機械、その元となる石油エネルギーが現在と同じように使えるというありえない前提の試算である。シーレーンが破壊されたときに、食料が輸入できなくなって石油は輸入できるという事態を、農林水産省は想定するのだろうか?

農業村のための農政

農林水産省は、どうなってしまったのだろうか? 省としての能力が低下していることもあるが、それだけではなさそうだ。

農林水産省には、戦前農政の大御所と言われた石黒忠篤による2つの遺訓があった。1つは戦後すぐに守られなくなったが、農林省の役人は食料生産に貴重な土地を使ってゴルフなどしてはならないというものだった。もう1つは最近まで比較的守られていた。それは“農協に天下るような輩は役人の風上にも置けないやつだ”というものだった。しかし、天下り先に困るようになって、農林水産省OBがJA農協の関連先に多数天下るようになった。

かつては、農家戸数を減らして構造改革を進めようとする柳田國男以降の農政本流の役人と、農家を丸抱えしたいJA農協との間には、緊張・対立関係があった。農家の所得を上げようとするなら、規模拡大・構造改革によってコストを下げるべきであり、米価を上げて貧しい国民を圧迫すべきではないというのが柳田國男の主張だった。

それが、今では、農林水産省、天下り先のJA農協、農林関係議員の農政トライアングルの結束がますます強固なものになっている。農林水産省は25年間も食料安全保障を言いながら、ゴルフ場の転用など有事法制が必要になることさえ考えてこなかった。

農業村の目には国民は映らない。戦前陸軍省がつぶした、主食である米の減反政策は、水田面積の4割、半世紀以上に及ぶ。それなのに、選挙の際の農業村の力を恐れて、止めるべきだという政治の声は与野党ともに出てこない。いくら軍備を増強しても、食料等の兵站が十分でなければ戦闘は継続できないことが、国防関係議員にも理解されない。福島の原子力発電所の事故が起きた際には、原子力村の存在が批判された。国民は生命の危機に直面するまで、農業村の行動を放置するのだろうか? そろそろ農業村に食料・農業政策を任せるのを止めた方がよいのではないだろうか。この無作為が大きな危機を招きそうである。

2023年12月22日掲載

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