新型コロナウイルスで食料危機が起きるのか?

山下 一仁
上席研究員(特任)

3月31日、国際連合食糧農業機関(FAO)の屈(クー)事務局長、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長、世界貿易機関(WTO)のアゼベド事務局長は連名で共同声明を出し、「食料品の入手可能性への懸念から輸出国による輸出制限の連鎖が起きて国際市場で食料品不足が起きかねない」と警告した(注1)。

この共同声明を受けて、私は「日本は大丈夫なのですか」という取材を受けた。食料自給率40%を切る輸入国日本への影響を心配する人たちがいる。

まず、この問題について検討する前提として、どのような場合に、どのような国によって、輸出制限が行われるのだろうか? 最近の事例を基に説明しよう。

輸出制限に対する国際的な批判と規律

この共同声明のように、輸出制限に対しては、国際的な批判がある。食料が不足すれば価格が高騰する。途上国の貧しい人たちが食料を買えなくなっている価格高騰時に、さらに食料の輸出を制限して、供給量を減らせば、価格はさらに高騰すると考えられるからだ。

1993年ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の最終局面で、食料輸入国である日本は輸出制限を禁止すべきだという提案を行った。米の関税化の特例措置だけでは、日本が食料安全保障の主張を貫徹できたとは言えず、国内から批判を受けるだろうという有力な政治家の主張があったからだ。

私はジュネーブでこの提案を実現すべく交渉した1人だった。しかし、この提案はインドの大使からずいぶん抵抗された。「インドのような国では、作柄などによってある時は輸出国になったり、ある時は輸入国になったりする。食料が足りなくなったときに輸出しろと言われても困る。そもそも自国が困ったときに輸出制限をするのは当然ではないか。」と言うのだ。当初の提案から後退せざるを得なかったが、日本提案は、輸出制限を行おうとする国はWTO農業委員会に通報して、輸入国と協議するという規定(WTO農業協定第12条)となって実現したが、インドの反対によって純食料輸入途上国には適用しないこととされた。

(参考)WTO農業協定第12条

the Agreement on Agriculture
Part VI: Article 12 Disciplines on Export Prohibitions and Restrictions
1. Where any Member institutes any new export prohibition or restriction on foodstuffs in accordance with paragraph 2(a) of Article XI of GATT 1994, the Member shall observe the following provisions:
(a) the Member instituting the export prohibition or restriction shall give due consideration to the effects of such prohibition or restriction on importing Members’ food security;

(b) before any Member institutes an export prohibition or restriction, it shall give notice in writing(書面による通報), as far in advance as practicable, to the Committee on Agriculture comprising such information as the nature and the duration of such measure, and shall consult, upon request, with any other Member having a substantial interest as an importer with respect to any matter related to the measure in question. The Member instituting such export prohibition or restriction shall provide, upon request, such a Member with necessary information.
2. The provisions of this Article shall not apply to any developing country Member, unless the measure is taken by a developing country Member which is a net-food exporter of the specific foodstuff concerned.
(注)太字は筆者による強調部分である。

2008年の穀物危機

2008年に穀物価格が3倍に上昇した。このとき穀物生産が被害を受けたわけではなかった。価格高騰の最大の要因は、トウモロコシを食用やエサ用ではなく、ガソリンの代わりとなるエタノールの原料として使用することが増えたからだった。農業以外の要素により引き起こされた食料危機という点で、今回のコロナウイルスと似ている。

アメリカ政府は、地球温暖化に優しい燃料だ(植物が固定した温暖化ガスを放出するだけで、温暖化ガスを増やさない)という理由で、工場建設への補助などさまざまなエタノール生産の振興措置を講じた。実際には、農産物を生産・流通させる過程で大量の化石燃料を使用するので、この主張には根拠はない。本音としては、新規の需要を開拓して穀物価格を高めようという農家保護の狙いがあった。同時に原油価格が上昇したので、エタノール生産が価格面でもますます有利となり、多くのトウモロコシがエタノール生産に仕向けられた。

アメリカでは、トウモロコシと大豆の作付地域はほぼ重なっている。中西部のコーンベルト地域である。需要が増えたトウモロコシの価格が上昇したので、アメリカの農家は、大豆に代えてトウモロコシの生産を増やした。このため、供給が減少した大豆の価格も上昇した。

また、家畜のエサとして、小麦はトウモロコシと代替関係にある。トウモロコシの価格が上昇すると、畜産農家は、小麦の使用を増やすようになるので、小麦の需要が増え、その価格も上昇した。小麦価格が上昇すると、消費者は代替品である米の消費を増やそうとするので、米の需要が増え、価格も上昇した。

こうして原油価格の上昇によって、トウモロコシだけではなく、玉突き現象によって、大豆、小麦、米の価格も上昇した。アメリカの農業界は好景気に沸いた。後に食料危機を招いたのはアメリカのエタノール政策だという国際的な批判を受けたが、アメリカは政策の変更に応じようとしなかった。

インド等の輸出制限

国際価格が高騰すると、輸出を制限する国が現れる。では、どのような国が輸出制限をするのだろうか?

裕福な日本人には実感できないかもしれないが、途上国にとって、食料を買う経済力があるかどうかということは、決定的に重要だ。2008年にインドは米の輸出を禁止した。このときインドが不作になったわけではない。アメリカのエタノール政策によって穀物の国際価格が高騰しただけである。

しかし、自由な貿易に任せると、穀物は価格が低いインド国内から高い価格の国際市場に輸出される。そうなれば、国内の供給が減って、国内の価格も国際価格と同じ水準まで上昇してしまう。これを経済学では価格裁定行為と言う。

収入のほとんどを食費に支出している貧しい人は、食料価格が2倍、3倍になると、食料を買えなくなり、飢餓が発生する。インドはこれを防ごうとしたのだ。ベトナムもインドに追随した。ただし、米の輸出国でも、タイは所得水準が高いので、同調しなかった。

確かに、このようなインドやベトナムの行為は、国際価格をある程度押し上げ、フィリピンなどの輸入国の貧しい人に影響を与えたかもしれない。しかし、国際社会として、国内で飢餓が発生するかもしれないインドなどに、輸出しろとは言えない。しかも国際価格の高騰にインドは何らの責任もない。インドは、舞い落ちる火の粉を払い落しただけである。

次のグラフを見ていただきたい。米輸出国の上位3カ国はインド、タイ、ベトナムである。これらはいずれもアジアの途上国である。米は伝統的にモンスーンアジアの生産物であることからすれば、これは当然である。さらに、輸出量が生産量に占める割合は、インド7%、タイ35%、ベトナム14%(2017年)であり、後に示す小麦や大豆に比べて輸出に回される量は少ない。インドの大使が作況のいかんで、輸出国になったり輸入国になったりすると主張したのもうなずける。

米の貿易は、他の穀物と異なり、極めて不安定なのである。主要な輸出国が途上国で輸出が不安定であることが、米について輸出制限が行われやすい理由である。

米輸出量・生産量(2017)

穀物の大輸出国が輸出制限をするか?

では、穀物の大輸出国であるアメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジルなどが、輸出制限をするだろうか。これら主要輸出国では、生産量の相当部分が輸出に向けられている。

小麦の場合、輸出が生産に占める割合は、輸出量が多い国の順に、EU36% 、ロシア38%、アメリカ57%、カナダ73%、オーストラリア69%、ウクライナ65%、アルゼンチン72%となっている。大豆では、ブラジル59%、アメリカ46%である(2017年)。

このうちEUはかつて輸出補助金をつけて輸出していた地域であり、輸出補助金を出さなくなってからは、あくまでも域内自給が基本である。ロシアはかつては穀物の大輸入国であり、同国やウクライナは近年輸出が増加した地域である。アルゼンチンの大豆輸出が少ないのは、国内で大豆油に加工し、付加価値をつけてから輸出するため、大豆には輸出税を課して輸出を規制しているからである。同国でも、国内での大豆製品の消費は極めて少ない。同国の小麦と同様、輸出のための生産である。

アメリカやオーストラリアが食料を輸出するのは、生産量が多いので、貿易をしなかった場合の国内価格が、国際価格よりも低いからだ。つまり、生産量が多少減少して国内価格が上昇したとしても、それが国際価格より低い限り輸出を続ける。それが、輸出産業である農業のメリットになるからだ。

ロシアやウクライナを除き、価格が上がっても、先進国なので豊かな消費者は食料を買うことができる。輸出を規制する必要はない。価格上昇時は、主要輸出国の生産者にとって稼ぎ時である。輸出制限をすれば、輸出に向けられた膨大な量が国内市場にあふれ、国内価格は大暴落し、農家経営は破綻する。経済的にも、輸出制限は割に合わない。

なお、今回ロシアが輸出制限を行っていると報道されているが、ロシアは4~6月の輸出を前年同期の720万トンから700万トンに抑えるとしているだけである。

小麦輸出量・生産量(2017)
大豆輸出量・生産量(2017)

過去、世界最大の農産物輸出国アメリカが輸出制限をした例が2回ある。

1973年アメリカは飼料として利用していたアンチョビーが不漁になったので、それに代わり、国内の畜産農家へ大豆を優先的に供給するため、大豆の輸出を禁止した。味噌、豆腐、醤油など大豆製品を食料として多く消費する日本はパニックに陥った。将来の供給不安を覚えた日本は、ブラジルのセラードと呼ばれる広大なサバンナ地域における大規模な農地開発を援助した。以来ブラジルの大豆生産が急激に増加し、瞬く間に大豆輸出を独占してきたアメリカを超えるほどの大輸出国になってしまった。

最近の米中貿易戦争でも、世界最大の大豆輸入国である中国は、アメリカからの大豆輸入を制限し、代わりにブラジルから輸入した。1973年に大豆を禁輸さえしなければ、アメリカは世界最大の大豆輸出国としての独占的な地位を維持できていたのだ。そうであれば、唯一と言ってよい大豆供給国であるアメリカに対し、中国は大豆の関税を上げることはできなかったはずだ。自ら大豆の供給を断つことになるからである。米中貿易戦争の展開は、かなり違ったものとなっていただろう。

大豆の輸出量上位6ヵ国の輸出量推移

1979年アフガニスタンに侵攻したソ連を制裁するため、アメリカはソ連への穀物輸出を禁止した。しかし、ソ連はアルゼンチンなど他の国から穀物を調達し、アメリカ農業はソ連市場を失った。あわてたアメリカは、翌年禁輸を解除したが、深刻な農業不況に陥り、農家の倒産・離農が相次いだ。独占的な輸出国でない限り、輸出制限を外交・政治的観点から戦略的に利用することはできない。二度の失敗に懲りたアメリカは再び輸出制限を行おうとはしない。

アメリカのような国際価格を左右するような大輸出国が輸出制限をすることはないし、インドのような途上国が輸出制限をしても、なかなかやめろとは言えない。輸出制限についての国際規律は、このような限界を持っている。世界の食料安全保障の解決のためには、途上国における貧困の解決、食料生産の拡大がより重要なのだ。

そうはいっても、輸出制限が起きるかもしれないとWTOが警告することに対して、WTO農業協定第12条の導入に関与した私としては、釈然としない思いがある。同条は、上記条文のとおり輸出制限をしようとする国はWTO農業委員会に通報するよう求めている。しかし、これまで多くの国が輸出制限をしたが、通報した国はなかったはずである。WTO農業協定第12条は、WTO加盟国から無視されていると言ってよい。WTOが、本気で輸出制限を問題視するなら、せめて農業協定第12条が活用されるよう、真剣に努力すべきである。

日本に食料危機は起きるのか?

では、2008年穀物価格上昇の日本への影響はどうだったのだろうか。このとき世界の穀物価格は3倍に高騰したが、食料品の消費者物価指数は2.6%上昇しただけである。

日本の飲食料の最終消費額のうち輸入農水産物は2%程度にすぎない。国産農水産物でも11%、87%は加工、流通、外食などが占める(2015年)。輸入農水産物の一部である穀物の価格が上がっても、最終消費には大きな影響を与えない。このような消費のパターンは先進国に共通する。われわれは農産物ではなく、加工、流通、外食にお金を払っている。

フィリピンのような食料危機は日本などの先進国では起きない。パンの価格が上がったので、国産で供給される米の消費が一時的に少し増加した程度の影響だった。日本で2008年食料危機を感じた人はいないはずだ。

穀物国際価格指数と国内CPIの推移
飲食料の最終消費額に占める農水産物の割合

食料安全保障の2つの要素

食料安全保障には、2つの要素がある。①食料を買う資力があるかどうかと、②食料を現実に入手できるかどうか、である。経済的なアクセスと物理的なアクセスと言ってよい。貧しい途上国では2つとも欠けている。食料品価格が上がると、収入のほとんどを食費に支出している人は、買えなくなる。特に、生命維持に必要なカロリーを供給する穀物の価格高騰の影響は深刻である。コロナウイルスによって収入や所得が減少しても、同じことが起きる。このとき、先進国が港まで食料を援助しても、内陸部までの輸送インフラが整備されていないと、食料は困っている人に届かない。物理的なアクセスが問題となる場合である。今回の新型コロナウイルスでは、この両面から、途上国に食料危機が起きる可能性がある。

日本で起こりうる食料危機と対策

所得の高い日本では、穀物価格が高騰しても、食料危機は生じない。日本が輸入している小麦、大豆、トウモロコシなどの輸出国はアメリカなどの先進国が主体である。輸出量が生産量の大きな割合を占めているこれらの国は、輸出を制限しない。穀物でも米については、輸出国はインド、ベトナムなどの途上国であり、生産量のうち輸出に回る量はわずかなので、輸出制限が行われやすい。しかし、米について日本は減反をしているくらいなので、国内供給に不安はない。

日本で生じる可能性が高い食料危機とは、東日本大震災で起こったように、お金があっても、物流が途絶して食料が手に入らないという事態である。最も重大なケースは、日本周辺で軍事的な紛争が生じてシーレーンが破壊され、海外から食料を積んだ船が日本に寄港しようとしても近づけないという事態である。

今回の新型コロナウイルスによって、一部の国が輸出制限を行ったとしても、日本に食料危機は起きる可能性は少ない。今回シーレーンが破壊されるという事態が生じることは少ないだろう。しかし、本当にシーレーンが破壊されてしまうとどうなるか? 日本の農業関係者は、農業保護を正当付けるために食料安全保障を利用してきただけである。その対策など検討もしてこなかった。シーレーン破壊に対処するためには、本気で具体的な食料安全保障対策を検討しなければならない。

脚注
  1. ^ "Uncertainty about food availability can spark a wave of export restrictions, creating a shortage on the global market. Such reactions can alter the balance between food supply and demand, resulting in price spikes and increased price volatility. We learned from previous crises that such measures are particularly damaging for low-income, food-deficit countries and to the efforts of humanitarian organizations to procure food for those in desperate need." http://www.fao.org/news/story/en/item/1268719/icode/

2020年4月21日掲載

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