BSEとアメリカ産牛肉輸入禁止問題

山下 一仁
上席研究員

昨年末アメリカでBSEが発生して以来、我が国はアメリカからの牛肉輸入を禁止している。このため、牛丼が食べられないという問題が発生している。アメリカは輸入禁止を解除するよう要求しているが、日本政府は国内で行っているのと同様の全頭検査をアメリカが行わない限り、輸入再開を認めないという立場をとっている。これに対しアメリカは、BSEの原因である異常プリオンは月齢の少ない牛では少ないこと、現在のBSE検査の迅速診断方法では30カ月齢未満の牛について異常プリオンを検出しにくいこと、危険部位を除去すればよいこと、このため世界の国の多くは30カ月齢以上の牛についてのみ検査していること、危険部位を除去すれば安全であること、日本が要求する全頭検査は牛肉業界に多大なコストを強いることなどの理由をあげて、全頭検査をしなくても日本がアメリカ産牛肉の輸入を認めるよう要求している。アメリカ国内では日本が全頭検査を要求するのであれば、日本向けのみ全頭検査を行えばよいのではないかという業者も出てきているが、アメリカ政府はこれを認めていない。

世界の通商交渉の基本的な性格を現すアメリカ産牛肉輸入禁止問題

売り手であるアメリカが消費者である日本にアメリカの牛肉を買えといい、買わなければWTOに提訴し日本の輸入禁止を解除させるといっている状況である。これを聞いてどこかおかしいと思わないだろうか。日本の消費者が全頭検査した肉を買いたいといった時、アメリカはその必要はなく、30カ月齢以上の牛についてのみ検査したアメリカの牛肉を買うべきであるといっているのである。あなたが肉屋さんに行ってスライスした肉が欲しいと言ったのに、肉屋さんがブロック肉しか売らないことにしていると言った時、それを買わないあなたがおかしいのだろうか。

ここに世界の通商交渉の基本的な性格が現れている。貿易の利益は輸入・消費の利益であって輸出・生産の利益ではない。国際経済学を学んだ人であれば、より高い社会的無差別曲線、すなわちより高い消費の水準に到達できる政策がよい政策であると教わったはずである。しかしながら、通商政策を担当する世界の交渉家にはこの論理が理解されない。輸出はいいことだというクラシックな重商主義の論理が世界の通商交渉を支配しているのである。

消費者主権や「消費者は王様」という言葉とは裏腹に、世界の通商交渉を支配するのは売り手主権、買わない者がおかしいという論理である。これが今回のアメリカ産牛肉輸入問題の背景にある。通常の商売の論理からすれば、アメリカのある牛肉業者と同じように、全頭検査が必要と買い手がいうのであればそれに従った牛肉を供給すべきであるという発想をするだろうが、通商政策を担当するアメリカの交渉家は逆の発想をするのである。
さあ、あなたが農林水産省の交渉者だったらどうする。

アメリカからはWTO提訴をちらつかされながら輸入解禁を求められる。しかし、国内の消費者はこれに反対である。特に、国産牛肉について全頭検査を求めながら、輸入牛肉には求めないというのは筋が通らない。逆に輸入牛肉と同様、国産牛肉についても全頭検査を求めないとすれば、国内の消費者は安全性基準を下げたとして猛反対するだろう。仮に、アメリカの主張するように全頭検査に科学的根拠がないとしても消費者は納得しない。右を立てれば、左が立たずという状態である。次に述べるのは、ひとつの対応である。

日本がアメリカにとるべき対応とは

まず、アメリカに対して、日本に輸出するもののみについて全頭検査を行うよう要求する。アメリカは拒否するだろう。認めてしまえばアメリカ国内でも全頭検査の声が高まるかもしれず、その場合にはアメリカの牛肉業界は大変なコストを負担しなければならなくなるからである。上で述べたような生産者重視の発想である。

では、次にどうするか。何もしないことがベストである。WTO提訴を脅されても、日本は買い手なのだ。買ってもらえなくて困るのはアメリカであって、日本ではない。困ったアメリカはWTOに提訴するかどうかを決断しなければならない。アメリカの交渉者が思慮深い人物であれば、WTOに提訴することにより日本の消費者に反WTOの感情をまき起こすかもしれないと考え、躊躇するに違いない。WTO農業交渉にも影響しかねないからである。アメリカ政府は牛肉業界だけでなく、小麦業界等の反応も考える必要がある。また、WTO提訴により紛争処理が長引けば、その間にオーストラリア等他の輸出国が日本市場を奪い取ってしまうかもしれない。アメリカもよくやるように、日本はパネリストの選択等で紛争処理手続きの時間稼ぎをすることが可能かもしれない。しかし、アメリカの交渉者が単細胞な人物であれば、何も考えず、WTOに提訴するだろう。

アメリカが提訴したとしよう。日本は勝てるだろうか。日本では21カ月齢の牛についてBSEを検出した例があること、フランス、ドイツでは24カ月齢以上の牛についての検査が行われていることを主張するのだろうが、全頭検査をWTOが支持してくれるかどうかは厳しい。

しかし、勝てなくても良いのだ。負けた場合、日本の消費者は政府に輸入禁止に替わり消費者を保護するための別途の対策を要求するだろう。あなたは何をすればよいのか。表示である。アメリカ産牛肉かそうでないかの表示、検査を行った牛肉かどうかの表示をさせることにより、消費者が危ないと思う牛肉を買わないことができるようにすればよい。日本が牛肉のトレーサビリティに関する法律を成立させようとした際、野党が外国産牛肉にもこれを適用すべきであると主張したことに対し、アメリカは日本政府に圧力をかけてこれを潰している。今回も同じ反応をしてくるだろうが、2002年アメリカ自身が牛肉の原産国表示を要求する法律(農業法)を成立させているのである。

消費者には食品の情報を知る権利がある

表示は消費者に対する情報の提供である。たとえ安全な食品でも消費者はそれがどのような食品なのか知る権利がある。全頭検査をしていない牛肉や遺伝子組換食品について食品としての流通を認めるかどうかという安全性の問題と、消費者にそれが全頭検査をしていない牛肉かどうかを知らしめる表示の問題は、切り離して理解すべきである。消費者は安全性の観点だけで食品を購入するのではない。消費者は、手にした食品がどのようにして作られたのか、どこで生産されたのかに正当な関心をもつだろう。それは安全性とは関係ない。そのような情報を提供するのが表示である。牛肉生産州であるサウス・ダコダ州出身の上院議員達は、アメリカ農業法による牛肉の原産国表示に関して、表示は安全性の問題ではなく消費者に食品の情報を与えるためのものであると主張している(2003年6月12日プレス・アンド・ダコタン紙)。表示を行うことにより、アメリカ産牛肉の輸入が解禁されても、アメリカ産牛肉(全頭検査をしていない牛肉)という表示のある牛肉は消費者に購入されにくいものとなろう。

これで、あなたは長い日米農産物交渉の歴史において初めてアメリカをギャフンといわせた交渉者として永く記憶されることになろう。卓越した交渉力を評価され、農林水産行政のトップまで登りつめることも可能であろう。

2004年4月13日

2004年4月13日掲載

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