著者からひとこと

労働市場制度改革-日本の働き方をいかに変えるか

労働市場制度改革-日本の働き方をいかに変えるか

労働市場制度改革-日本の働き方をいかに変えるか

  • 編著:鶴 光太郎、樋口 美雄、水町 勇一郎

編著者による紹介文

日本の労働市場、雇用制度のあり方とは

バブル崩壊以降、「失われた15 年」という長期の調整過程に一旦は区切りをつけた日本経済は、2008年秋からの世界的な金融危機の広がりを受けて、景気の落ち込みは急速かつ大幅なものとなっている。こうした厳しい状況の下、辛抱強く景気回復に向けた努力を継続させながら、迫り来る人口減少を乗り越え、新たなフロンティアを目指して飛躍の時を迎えるには、潜在成長力の強化が不可欠であることはいうまでもない。特に、人的資本、つまり「ヒトの力」が最も重要なカギを握っている。

この間の労働市場に目を向けると、従来の雇用失業問題に加えて、働き方が多様化する中で、正規・非正規労働者間の格差問題、ニート、フリーター増加による若年労働者の未熟練問題という新たな問題がクローズ・アップされることになった。さらに、2008年以降は景気悪化に伴う雇用調整圧力が特に非正規労働者へ「しわよせ」される形で急速に高まっており、輸出関連の製造業を中心に派遣労働者や期間工の契約打ち切りなどが社会問題化している。一方、勝ち組のように見える正規労働者についても長時間労働問題が深刻化している。こうした問題の解決のためには、働き方の多様性・自律性が生かされる中で労働者が意欲や能力を高めていけるような、労働市場を支える制度・仕組みの新たな「かたち」を追求・具現化していくことが重要である。

(独)経済産業研究所は、このような問題意識の下、新たな研究プロジェクトとして2007年初に労働法学者、経済学者、経営学者をメンバーとする、「労働市場制度改革研究会」を立ち上げ、ヨーロッパ等諸外国の経験を十分踏まえつつ、法学、経済学、経営学など多面的な立場から理論・実証的な研究、検討を精力的に行ってきた。そして同研究会の個々のメンバーによる議論、分析、成果を中心に世に問う場としてRIETI政策シンポジウム「労働市場制度改革:日本の働き方をいかに変えるか」(2008年4月4日)を開催した。本書はそこでの報告を基本とし、新たな書き下ろし、報告論文の大幅な加筆・修正などを行い、まとめたものである。

本書は以下の4つのポイントを狙いとしている。まず、第1に、日本の労働市場制度(labor market institutions)の新たな「かたち」とそれに向けた改革の方向性、考え方を提示することである。ここで、我々が目指しているのは「労働市場制度改革」であり、通常使われる「労働市場改革」ではないことに注意が必要である。「労働市場改革」という言葉の中には、「労働市場をより効率的にし、市場メカニズムを働かせるために必要な改革」というニュアンスがある。一方で「労働市場をモノが取引される通常の市場と同じ次元で考えてもらっては困る」という意見も根強い。我々のアプローチは、むしろ、どのような市場であれ市場がうまく機能するためにはそれを土台から支えるインフラストラクチャーとしての制度が重要であり、その制度も民が自発的に形成する私的秩序(ソフトな制度)と官が法律・規制などで強制する公的秩序(ハードな制度)のインタラクション、連携が重要であり、制度設計のみならず、その運用まで含めた考察が必要であるとする「比較制度分析」の基本認識に立脚している。

第2は、「労働市場制度」の新たな「かたち」を考えるため、法学、経済学、経営学など多面的、学際的な立場から行った研究をまとめたものである。本書の執筆者は労働法学者5名、経済学者7名、経営学者1名と多彩である。個々の労働者の「権利」を重視する法学者と市場全体や資源配分の「効率性」を重視する経済学者。また、既存の制度を出発点に改革を考える法学者と経済学的な最適状態をイメージしそれに向けて改革を考える経済学者。双方とも立場は異なるため、過去幾度か試みられてきた両者の対話は必ずしも十分であったとはいえない。しかし、本書では「制度」という視点を強調することで、両者の間に接点が生まれ、実り多きコラボレーションと学際的なシナジー効果を実現できたのではないかと自負している。労働者、雇用形態の多様化、格差問題の深刻化といった難しい問題を扱うためにはこうした複眼的な見方が不可欠となっているのである。

第3は、「労働市場制度」全般に目を向けながらも、それぞれの構成要素の相互関係や制度補完性に目配りし、特に、縦割り・垣根を越えた見地から包括的な労働法制のあり方について考察していることである。この問題は改革の中身だけでなく、改革を生み出していく政策決定プロセスまでも見直すことにも繋がる。例えば、非正規雇用についても、その形態によりパートタイム労働法や労働者派遣法などに分かれており、共通ルールの設定が重要な課題となっている。このように、「木を見て森を見ず」ではなく「広角レンズ」の視点で制度改革を考えていく必要がある。

第4は、諸外国の経験や分析を改革提言に生かしていることである。もちろん、労働市場は国毎に制度や歴史的背景も異なり多様である。しかし、そうした差異を考慮に入れても政策や改革を考える際に諸外国の経験から学ぶことは大きい。日本の場合、何かとアメリカの例が引かれることが多いがむしろ労働市場や雇用システムに関してはヨーロッパの経験が参考になる。例えば、正規雇用、非正規雇用の格差問題、労働市場の二極化も有期契約労働の規制緩和が進展したスペインやフランスでは既に1990年代から大きな問題となっている。また、ヨーロッパがアメリカと比べて企業家精神やイノベーションで遅れをとっているのはむしろ労働市場に問題があり、解雇規制が強すぎることが企業のリスク・テイキングを抑制しているからだという認識も強まってきている。このようなヨーロッパでの経験や分析の日本への政策インプリケーションは大きいといえよう。

以下では本書の概要を紹介することする。まず、第1部では、労働市場制度改革に向けた包括的な問題提起を扱っている。まず、第1章(鶴論文)では、本書の「鳥瞰図」、「水先案内」としての役割を果たすため、市場の機能を土台から支える制度の役割を強調する比較制度分析の立場から日本の労働市場制度改革の5つの視点を提示している。具体的には、(1)「インサイダー重視型」から「マクロ配慮型」へ、(2)「他律同質型」から「自律多様型」へ、(3)「一律規制型」から「分権型」へ、(4)「弱者」から「エンパワー化された個人」へ、(5)「縦割り型」から「横断型」へ、といった新たな方向に向けた労働市場制度改革の必要性を強調している。

次に、第2章(八代論文)では、経済学者の視点を強調する立場から、労働市場制度改革の課題を論じている。所得格差を拡大については、労働市場の規制緩和によるものではないと反論した上で、生産性の低い分野から高い分野への労働移動が賃金水準引き上げを通じた格差是正の基本になることを強調している。また、派遣労働等を「悪い働き方」として規制を強化するのではなく、正社員・非正社員の区別なき、多様な働き方を前提とした均等ルールや、正社員以外の労働者への雇用・社会保険の適用拡大を促進することが本来の労働市場改革の目指すべき方向であると指摘している。

一方、第3章(諏訪論文)では、法学者の立場から労働者市場制度改革への関わり方を論じている。労働法の市場機能との向き合い方が、1999年に、許可される分野が例示される「ポジティブリスト型」から禁止される分野のみ例示される「ネガティブリスト型」に変更される形で大きく転換したが、法における「慣性」の法則が働き、関連する諸制度、主体、行動様式は一気には変わらなかったことを強調している。その中で、法学者が個別的な正義(解釈論)、から一般的な正義(制度設計・立法論)に向かうか、また、経済学者も新古典派の市場認識ではなく制度派経済学的な見方ができるかで、実りある法学と経済学の対話ができるかが決まるとの見方を示している。

以下の章では、上記の問題提起を受けて、個別分野における労働市場制度改革を論じている。近年の労働市場では、女性就業・非正規雇用・高齢労働者の増加など、働き方や働き手の多様化が進んでいる裏で、格差・差別の問題も深刻化してきている。第2部では雇用の多様化の中で必要とされる労働市場制度改革に焦点を当てている。まず、第4章(小嶌論文)は、過去10年の規制改革の現場を振り返り、特に、請負労働者への指揮命令の禁止や有期社員の正社員化などを例に取りながら、企業ができないことまで一律に押し付けられているのはないかという問題提起を行い、一律適用ではなく緩衝材・潤滑油としての適用除外を認めるべきと強調している。次に、第5章(森戸論文)では、年齢差別に焦点を当て、年齢にかかわりなく働けることを目指すエイジフリーの法政策の問題点を指摘し、欧米に比べ人権保障アプローチを前提とする議論が不十分であること、また、募集・採用時の年齢制限については、理由説明義務を中心に据え、年齢制限を課している理由を企業自身に見つけさせるべきと論じている。

最近の労働市場の問題といえば、非正規雇用の問題に目が奪われがちであるが、正規雇用(正社員)の問題も忘れてはならない。労働市場の二極化が進展する中で正規と非正規の雇用保護のアンバランス、正規雇用者の長時間労働の是正は大きな課題である。第3部では正規雇用を巡る問題として、解雇規制と長時間労働を取り上げ、経済学的な視点から分析を行っている。具体的には、まず、第6章(奥平・滝澤・鶴論文)で、日本の整理解雇規制の企業の生産性に与える影響に着目し、「企業活動基本調査」のパネルデータを使った分析を報告している。整理解雇無効判決の蓄積が相対的に多い都道府県で主に活動する企業ほど全要素生産性や労働生産性の伸びが有意に低いことを示し、雇用保護は労働市場に止まらず、企業の生産性を通じて経済全体に影響を与え得ると結論付けている。第7章(大竹・奥平論文)は、長時間労働を促す要因についてワーカホリック(仕事中毒)の影響を強調した上で、アンケート調査を利用した実証分析を報告している。特に、男性については、過去長時間労働を行った人は継続しやすい、また、後回し行動をしやすい人ほど(勤務時間はさぼって残業するため)長時間労働になりやすいことを示し、定時に仕事を終わらせる強制的なメカニズムが必要と指摘している。

働き方の仕組みを実際に構築していく際には、安全・生命に関わるような最低の基準設定については公的な規制(強行法規)が重要な役割を担うが、それ以外の分野ではなるべく労使自治の原則に委ねることが望ましい。そのためには労使間のコミュニケーションの円滑化が重要であるという観点から労働市場制度改革に焦点を当てたのが第4部である。まず、第8章(水町論文)は、ヨーロッパの「手続的規制」理論、アメリカの「構造的アプローチ」といった新たな法理論に共通する視点に基づき、法規制の複雑化、マニュアル化で法と実態が乖離し、機能不全に陥っている日本の労働法に対し、多様な労働者の意見を反映できる分権的なコミュニケーションの基盤構築および当事者による集団的コミュニケーションを重視する事後的な規制への移行の重要性を指摘している。一方、第9章(神林論文)は、労働紛争処理の変遷及びその特徴について焦点を当て、1990年代以降、整理解雇が増加する中でむしろ集団的な労働争議は減少する一方、個人単独で争う訴訟する紛争の個別化傾向を示した。そうした動きは近年の個別紛争処理窓口や労働審判制度の登場によっても強まり、苦情処理の役割を担っていた労使コミュニケーションの意味合いが相対的に変化している可能性を指摘している。

第5部ではこれまでのマクロの視点からの労働市場、労働法制の問題からやや離れ、ミクロ、企業の視点からの改革を考察する。具体的には、経営学及び法学それぞれの立場から企業組織内における望ましい労使コミュニケーションのあり方とそれに向けた企業システム改革について分析している。まず、第10章(守島論文)は、成果主義や非正規雇用の増加により企業内での公正性への関心が高まる中、手続きの公正性(分配の意思決定に使う仕組みの公正さ)が着目されることを指摘している。また、企業レベルのアンケート調査を使い、手続きの公正性が担保されるような労使協議の常設機関設置や苦情処理制度が企業の売り上げを伸ばし、評価結果の本人への開示が労働者の納得感向上に繋がっていることを示した。次に、第11章(島田論文)は、企業のあり方が変容し、様々な局面で市場的な要素が取り入れられるようになると労働法学も企業と労働市場の有機的関連を意識した理論の構築が必要との問題意識を示した。その上で、日本型雇用慣行・企業社会に変わる社会イメージの国民的合意形成が必要なこと、企業から退出した労働者に対し他の企業への就職が容易になるような多様な支援措置を充実させるような労働市場の整備を強調している。

終章(樋口論文)では、法と経済学両面の視点から再度、労働市場の二極化の問題を取り上げ、実効性のある労働市場制度改革に求められる雇用政策や法体系のあり方についてこれまでの議論を踏まえながら総括的に検討している。特に、(1)経済環境の変化から取り残された労働者の就職・能力開発支援と受け入れのための雇用機会創出、(2)パートと一般労働者、または、有期雇用と無期雇用のバランスのとれた労働者保護規制や均等処遇の促進、(3)非正規労働者のセイフティ・ネットの拡充の重要性を指摘している。また、政策や法律の実効性を高めるために、企業は雇用関連の目標値を外部に公表し、それに向けて労使の話し合いを進め、社員意識を改革し、整合的な市場インフラを用意し、働き方を改善していく政府の新たな枠組み作りが求められていると結んでいる。

雇用・労働問題は財政問題と並んで、今の日本経済にとって最も重要であり緊急性の高い改革テーマである。これまでの日本の豊かさを築き、支えてきた要因は労働者の勤勉性や高い能力であり、また、政治経済の安定化に貢献してきた社会的一体性といっても過言ではない。それを次世代へ確実に引き継いでいくためには人や働き方の問題に大胆にメスを入れる必要があるのは明らかである。しかしながら、過去2~3年ほどの議論を振り返るとホワイトカラー・エクゼンプションや包括的な労働法制改革を目指した「労働ビックバン」などは、労使の対立が並行線を辿ったり、政治的にタブーとなったりしたため、残念ながら生産的な議論は十分行われなかった。また、昨年秋以降、雇用環境が急速に悪化する中で、緊急的な雇用対策が組まれているがそれはあくまで応急的な措置であり、また、特定の派遣形態を狙った場当たり的な規制強化は多様な雇用機会を狭め、かえって失業問題を深刻化させることになりかねない。

むしろ、今、求められているのは短期的にはセイフティ・ネットの拡充等の緊急対策を施しながらも、中長期的に向かうべき労働市場、雇用制度のあり方とそれと整合的な労働法制についてしっかりとした展望・方向性を持つことである。正規雇用と非正規雇用の間の雇用保護と待遇両面における不均衡の一体的解消など労使双方にとっても必ずしも解決が容易でない問題は依然積み残されたままである。労働者と使用者、法学者と経済学者など立場の異なる者達が包括的な労働市場制度の改革のあり方について同じ土俵に立ち、胸襟を開いて議論できるような出発点を本書が提供することができれば望外の喜びである。最後になったが、本書を生む母体となった「労働市場制度改革」プロジェクトに熱意ある励ましと惜しみないサポートをいただいた経済産業研究所の及川耕造理事長を始めとするマネジメント、スタッフの方々、及び、きめ細かな心配りで編集を担当していただいた齋藤博氏(日本評論社)に心からお礼を申し上げたい。

2009年1月
編者を代表して 鶴 光太郎

著者(編著者)紹介

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鶴 光太郎

RIETI上席研究員。1984年東京大学理学部卒業。オックスフォード大学大学院経済学博士号(D.phill.)取得。1984-1995年経済企画庁、1995-2000年OECD経済局エコノミスト、2000-2001年日本銀行金融研究所研究員、2001年より現職。慶應義塾大学大学院商学研究科特別招聘教授、慶應義塾大学経済学部特別招聘教授、中央大学公共政策研究科客員教授、一橋大学経済研究所非常勤講師、内閣府本府政策企画調査官を兼務。主な著作物に『日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて』、日本経済新聞社、2006、
『日本の財政改革―「国のかたち」をどう変えるか』、東洋経済新報社、2004(青木昌彦氏と共編)等。