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経済政策分析シリーズ4
転換期のWTO─非貿易的関心事項の分析-
編著:小寺 彰
編著者による紹介文
「非貿易的関心事項」を軸に政治力学、法学、経済学など、さまざまな角度からWTO体制を徹底分析
まずはじめにWTOのこれまでの流れについて軽く触れておこう。1995年、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)が発展的に解消してWTO(世界貿易機関)が発足したときに、モノの貿易だけを規律する国際レジームから大きく脱皮して、サービスの貿易(GATS)と知的財産権(TRIPS)をその視野に収めた。しかも紛争解決手続を整備・強化して規制力を増強した。権限の拡大・強化によってWTOは世界の注目を集め、グローバルガバナンスの一翼を担うものとして高く評価されるようになった。この成功経験を踏まえて、投資、競争政策、環境、文化、さらには労働基準や人権までWTOの傘に収めるべきだという主張が現れ、WTOの拡大は大きなうねりのようになった。
しかし、1999年12月にシアトルで開催された閣僚会議では、労働基準を交渉項目に入れるべきだというクリントン・アメリカ大統領の発言が途上国の反発を招いて会議が紛糾し、そのことも原因となって、予定された新ラウンドの開始を宣言できなかった。会議場外では各国から集まったNGO関係者が反グローバリズム・反WTOを叫び、一部が暴徒と化す様子が世界に報じられた。WTOの成立によって得られた成果が、マイナスと評価される状況が、白日の下に示された。WTOの拡大・強化の正しさは自明のものではなく、検証を要するものだという認識が広く共有されるようになったのである。当然この問題は世界の学界の大きな関心事となり、多くの論考が発表され、それを議論するシンポジウムも数多く開催された。
ちょうどシアトル会議の直前に通商産業研究所(現・経済産業研究所)で、中堅若手の研究者を集めて、WTOの拡大・強化の評価、具体的には「非貿易的関心事項」の検討に関する研究会が結成された。「非貿易的関心事項」とは、貿易以外の事項という意味で使っていて、さきに挙げた投資等のことである。現在農業交渉で頻繁に用いられている、農業政策を律するべき非貿易的な要素というのとは少しニュアンスが違う(農業交渉では非貿易的な要素を考慮して自由化を抑制すべきだという使い方がされる)。
研究会では現役交渉官やOBにも参加してもらい、非貿易的関心事項を傘に収めてWTOを多面化することの意味、またその功罪を自由闊達に議論した。本書はその成果をまとめたものである。
本書では、非貿易的関心事項をWTOの傘のもとに入れるべきだという主張が、WTO体制をめぐる政治力学に内在する反面、法学的・経済学的には自明ではなく、そしてそれらの組み込みがWTO体制の変質を招来することがさまざまな角度から分析・検討されている。
最近の国際通商分野では、FTA(自由貿易協定)が大きな話題になっている。昨年から始まった「ドーハ開発アジェンダ」の進行もはかばかしくなく、WTOはやや影が薄い。しかし、FTAによって国内の規制緩和や構造改善を促進できるとしても、わが国が相手国に自由化を迫れるかというとはなはだ心許ない。WTO加入によって中国の経済自由化は著しく進んだ。投資保護条約を含む日中間の協定によってこれらの成果を得ることができなかったことをわれわれは肝に銘ずるべきであろう。5年前までのように、わが国の国際通商政策をWTOだけに依存するのは行き過ぎであるが、FTAはあくまでWTOの補完的な役割を果たすにすぎない。いぜんとして、そして近い将来にわたって、WTOの在り方が、世界の通商秩序、そしてわが国の通商政策を強く規定することが間違いない以上、WTOの将来の在り方はきちんと見据えられなければならない。本書がこの要請に応えられたかどうかは読者の判断にまちたい。
小寺 彰
著者(編著者)紹介
経済産業研究所ファカルティフェロー、東京大学大学院総合文化研究科教授。1976年東京大学法学部卒業。東京都立大学法学部教授等を経て現職。主な著書に『WTO体制の法構造』、『経済のグローバル化と法』(共著)等。