著者からひとこと

金融ビッグバンの政治経済学

金融ビッグバンの政治経済学

経済政策分析シリーズ2
金融ビッグバンの政治経済学

  • 著:戸矢 哲朗
    監訳:青木 昌彦
    訳:戸矢 理衣奈

刊行によせて

本書は、故戸矢哲朗氏の博士論文、The Political Economy of the Japanese Financial Big Bang: Institutional Change in Finance and Public Policy Makingの全訳である。同論文は2000年春にスタンフォード大学のGraduate School of Humanities and Sciencesに提出され、Walter W. Powel(社会学)、Daniel Okimoto(政治学)、Stephen Krasner(政治学)、Barry Weingast(政治学)、青木昌彦(経済学)からなる審査委員会の口頭試問をパスし、同年6月には同氏にPh. D. 学位が授与された。博士論文の主題や構想が浮かび上がってわずか一年以内に達成された稀れに見る業績である。同委員会は論文の学問的価値を高く評価し、その早期の出版を慫慂した。オックスフォード大学出版局による原文出版に先立ち、ここに日本語版の出版が実現し、氏の業績が広く世に問われうることとなったのは喜ばしいことである。

戸矢氏は帰国後直ちに財務省に復職し、官房文書課における激務に従事することとなったが、時たたずして不治の病に倒れ、壮絶といってもよい闘病生活の後、翻訳を自らの手で完成することなく逝った。翻訳は、同氏の逝去以前からその共同作業に当たっていた夫人理衣奈さんが、訳者謝辞にあるさまざまな方々の助力を経て完成にこぎつけた。翻訳の最終稿には、私が細部にわたって目をとおし、学術用語の翻訳の適性には特に注意を払うことによって、監訳者としての責をいくばくかでも果たそうと努めた。

私は、同氏の博士論文の指導教官の一人として、この論文の構想から完成に至るまでの過程を共体験するという幸運に恵まれた。そして、この論文がタイムリーであると同時に普遍的な主題、分析枠組みの確かさと斬新さ、文析結果の豊かで明るい含意を併せ持つことを確信し、一刻も早くその成果が公のものになることを切望した。そこで2001年4月に経済産業研究所が独立行政法人として発足する事業に私自身が参加する機会を得たとき、財務省の激務にある同氏を客員フェローとして迎えたいと同氏と同省にお願いした。本格的な政策研究機関を目指す当研究所が、質が高く、深い政策関連性を有する研究の発表媒体として企画した『経済政策分析シリーズ』の発足に当たって、本書はまたとない範を示してくれるだろうと考えたからである。その異例ともいえる願いを快く引き受けてくださった財務省関係者の方々に、この場を借りてお礼申し上げたい。

まず本書の主題について。かつて社会科学の創始者の一人であるデュルケムは、「経済学は市場を研究対象とし、社会学は制度を研究対象とする」と学際領域を定義したが、1990年代になって、社会科学の諸分野では軌を一にして制度に対する関心が高まった。当の社会学はいうまでもなく、経済学や組織科学、戸矢氏が専攻した政治学、ひいては認知科学というような新しい研究領域でも事情は同じである。その背景には経済や社会のパーフォーマンスの理解には“Institutions matter"、すなわち制度が重要である、という認識の高まりがある。さらに、もしそうであるとすると、制度はいかに変わりうるのか、という問題が大いに現実関連性を持った研究課題として浮かび上がってくる。

戸矢氏と私が在籍したスタンフォード大学は、上記の学位審査委員会の構成が示すように、こうした問題意識が従来の学際領域を越えて深く共有されるような研究環境を作り出してきた。戸矢氏は、そうした環境が生み出した有形、無形の知的共有資産に依拠しつつも、日本の金融ビッグバンという具体的な素材を詳細に分析することを通じて、制度変化はいかに起こりうるか、という制度分析の核心に向かって突き進んでいった。そこに普遍的な問題意識と具体的な状況分析の見事な結合がある。

上記の問題意識を掘り下げていく本書の方法論は、明示的にはゲーム理論の数学的手法を用いてはいないというものの、基本的には「比較制度分析」のそれにもとづくものである。すなわち分析対象とする領域(ドメイン)にあるアクター(ゲームの理論でいうプレーヤー)が、それぞれの持つ社会関係のあり方に関する不完全で主観的なモデルにもとづいて、戦略的に相互作用する。そうした相互作用の結果、アクターの間で安定的に共有されるようになる社会的なゲームのルールに関する共通認識を制度と見なすのである。そうした共通認識は、実は社会における一種の均衡状態を要約的に表現したものである。従って、制度変化は、アクターの間の共通認識を揺るがすような何らかのショック、たとえば大きな外的環境の変化や領域の内的矛盾の累積、それに対する各アクターの戦略的な対応によってもたらされうるであろう。こうした視点から、戸矢氏は、いわゆる「護送船団方式」に象徴されるような、従来当然と見なされてきた共通認識=制度にヒビを入れるビッグバン政策が、なぜ1990年代中半という時点で突如として導入されたか、の分析を試みた。そこから得られる洞察には、従来の静態的なネットワーク社会論や合理的選択理論にはなしえない鋭いものがある。

そうした分析を通じて、戸矢氏は、次のような重要な政策的含意をも導き出した。すなわち、1993年の自民党の一党支配の終焉を期にして、日本の政策策定プロセスは、選挙民の選択という民主政治の枠組みのなかに深く埋め込まれることとなった。すなわち公共政策の策定が単に政治家や官僚の裁量的な決定や、強力な利益団体(銀行業界、証券業界、産業界など)の利益との擦り合わせを反映するだけでなく、政策選択に対する選挙民の潜在的な反応が重要なファクターとして登場してきたということである。このことは、旧来の政治家たちやマスメディアによってはまだ十分に理解されているとは言い難いが、氏の事実にもとづいた鋭い分析は、今日本の政治経済の構造に起きつつある大きな地殻変動を我々に認識させる。

戸矢氏の博士論文は、同氏が国際的な学界においても有力な発言力を持ちうる学者として出発することを保証するものであった。しかし、彼はまたよき公僕としての高い志と、献身的な忠誠心をも持っていた。そしてこの二つの可能性は、実は矛盾したものでなく、彼のなかで見事に統一していた。1990年代に始まった日本の静かなる制度変化の本質は、行政プロセスや政治統治機構が政権交代の可能性を含んだ民主過程の文脈のなかにますます埋め込まれつつあることだ、と理論的に喝破する一方で、そうした文脈のなかでの行政機構のありかたについて、多くの示唆に富む洞察をも行っているからである。行政官としての経験のなかで、そうした分析的洞察力をますます深めていき、同僚の同志たちと共に切磋琢磨していったならば、彼は霞が関における行政官の新しいロール・モデルとなりえたであろう。いや、すでにその一歩を踏み始めていたといってもよい。病床にあっても、我々は、1年前のスタンフォードでそうしていたように、今日本で起こりつつある変化は何なのか、この変化の過程にどう主体的に関わっていくことができるのか、を熱心に論じあった。病魔が彼の体を深く蝕んでいたにかかわらず、彼の議論は熱を帯び、ほとんどその姿は鬼気迫る、といってもよいほどだった。彼の病魔との戦いは壮絶であり、その死はほとんど討死という形容がふさわしい。だが、今著作が念願の公刊の運びとなって、彼の魂は安らぎを得ているに違いない。また、それによって最愛のご子息を失われたご両親をはじめとしたご親族の方々のお心も和まれることになるだろう。

戸矢氏は博士論文執筆に当たって、公刊されたさまざまな資料と博士候補大学院学生として可能なインタビューにのみもとづいて事実を再構成し、研究者としての解釈を施した。従って、大蔵省(当時)の行政官にのみ許されるような非公開内部資料の利用は一切行っていない。それゆえ、将来そうした資料が公開されたときには事実の再構成がなされる余地がないとはいえない。また事実の理論的解釈も一人の独立の研究者としてのそれであって、大蔵省またはその継続組織としての財務省の公式の見解を代表するものではない。最後に、かつての論文指導教官として、これらのことを証言しておきたいと思う。

青木昌彦(RIETI所長・CRO/スタンフォード大学経済学部教授)

著者(編著者)紹介

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戸矢 哲朗

1972生まれ。1995年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1997~2000年までスタンフォード大学大学院政治学部に留学し、Ph.D取得。2000年に大蔵省に復職し、経済産業研究所客員研究員(兼務)となる。2001年6月、白血病のため逝去。