コラム

最近の雇用情勢について:非正規雇用増加の背景と課題

山本 勲
慶應義塾大学商学部准教授

急激な景気後退とともに雇用情勢が悪化するなか、現在、日本の労働市場における非正規雇用のあり方が問われている。派遣社員や期間工などの非正規雇用は、不況期の雇用が過度に不安定にならぬよう、その活用にある程度の制限を設けるべきか。正社員との格差が拡大しないように、不況期にはワークシェアリングを行って非正規雇用の職を守るべきか。非正規雇用は労働市場の伸縮性を高めるための潤滑油としての役割が大きいため、セーフティネットを整備したうえで、これまで同様に活用していくべきか。こうした点を検討するためには、非正規雇用の特性や役割を整理し、そもそも非正規雇用がなぜ増加してきたのかを把握することが重要といえる。そこで、以下では、経済学の見地から、日本で非正規雇用が増加したことの背景を整理し、今後の対応策について若干触れることとしたい。

非正規雇用増加の背景:バッファーとしての役割

日本の労働市場で非正規雇用が増加してきたことの理由としては、労働者派遣法の改正がよく指摘される。労働者派遣に関する規制が段階的に緩和されたことで、多くの業種・職種で派遣労働者が活用されるようになったのは事実である。しかし、規制が緩和されたからといって、非正規雇用に対する供給や需要そのものが増えなければ、実際の非正規雇用者数の増加にはつながらない。このため、非正規雇用の増加には、制度面だけでなく、労働供給や労働需要にも何らかの要因があるはずである。

労働供給側の要因としては、多様な働き方やワークライフバランスに適した就業形態として自発的に非正規雇用が選択されるようになったこと、さらには、就業機会が豊富な非正規雇用が非自発的に選択されるようになったことが挙げられる。最近の調査(『慶應義塾家計パネル調査』)では、非正規雇用の4人に1人が非自発的に非正規雇用を選択しているという結果も示されており、労働供給行動にも、正規雇用の需要不足という労働需要側の制約が少なからず影響していることがわかる。

それでは、労働需要側の要因とは何か。企業が非正規雇用を活用する理由としては、賃金が低いことがしばしば挙げられる。もっとも、専門職を除き、平均的にみれば非正規雇用の生産性は正規雇用よりも低いとされており、生産性に見合った賃金が支払われているとしたら、企業にとって非正規雇用を活用することのメリットはさほど大きくない。むしろ、企業にとっての最大のメリットは、非正規雇用の調整費用の小ささにある。ここでいう雇用の調整費用とは、雇用者数を増減させる際に生じる費用のことであり、たとえば採用費用や解雇費用、社会保険料、教育訓練費用などが含まれる。一般に、こうした調整費用は、正規雇用よりも非正規雇用の方が小さいため、企業は、景気の良し悪しに応じて非正規雇用の数を増減させることで、調整費用を抑えることができる。バブル崩壊以降、不確実性が増大するなかで、日本の企業はさまざまなショックに迅速に対応できるようなバッファーが必要となった。そのバッファーとして、企業は非正規雇用を活用することで、競争力を高めてきたと考えられる。

こうしたバッファーとしての非正規雇用の役割を踏まえると、景気後退期に非正規雇用が減少することはいわば当然の帰結といえる(逆に、景気回復期には、再び非正規雇用が増加することも予想される)。そもそもバッファーとしての役割を期待されて企業で雇用されていたとすれば、不況期に非正規雇用で雇用調整を実施することは、企業行動からすれば合理的なものであり、そうした行動は実際に景気が悪化して非正規雇用が減少する前から十分に予見できたはずである。問題は、バッファー機能としての非正規雇用は不況期に失職しやすいという特性が、社会全体で必ずしも正しく認識されてこなかったことといえる。だからこそ、労働市場のバッファーとして非正規雇用が活用されることの是非が十分に議論されず、また、不況期に職を失う非正規雇用に対するセーフティネットの整備も進んでこなかったのではないだろうか。今からでも遅くないので、非正規雇用が労働市場のバッファーとして今後も活用されるべきなのか、活用されるとしたらどのような対策が必要なのか、といったことを社会全体で議論し、方向性を定めていくべきであろう。

労働者派遣の規制強化やワークシェアリングは有効か?

非正規雇用の職が失われていることを受け、労働者派遣の規制を再び強化してはどうか、といった意見が出されている。しかし、バッファーとしての非正規雇用の役割を踏まえると、規制で非正規雇用を減らすことには、慎重に対応すべきであろう。非正規雇用をバッファーとして活用することは、日本だけでなく、アメリカをはじめとする先進諸国の企業でも進められている。このため、非正規雇用への規制強化によってバッファー機能が低下すると、日本企業はショックに伸縮的に対応できなくなり、国際競争力が低下するおそれがある。そうした状況が続くと、日本国内全体の雇用量が減少してしまう、といった本末転倒な事態も招きかねない。

もっとも、労働市場のバッファー機能は非正規雇用だけでなく、労働時間でも担えるはずであり、例えば不況期には正規雇用の労働時間を減らすことで柔軟性を確保し、その代りに非正規雇用は維持する、といったワークシェアリングの実施を求める声もある。事実、かつて1970~80年代の日本の労働市場では、ショックに対して時間外労働時間が伸縮的に変動することで、不況期にも失業率が上昇しにくかったとされており、当時のバッファー機能は労働時間が担っていたといえる。

しかし、ここで留意すべきは、企業はすでにバッファーの主たる担い手を労働時間から非正規雇用にシフトさせており、正規雇用と非正規雇用の間での役割分担が明確化させている可能性があることである。この点について、近年の産業別データを用いて、非正規雇用比率の上昇率と時間外労働時間の上昇率の関係を示した図をみてみると、両者は正の相関関係にあることがわかる。もし、正規雇用の仕事を非正規雇用で代替できるのであれば、非正規雇用比率が上昇した産業ほど、時間外労働時間が減少していてもおかしくはない。しかし、データが示しているのはその逆の関係であり、企業で非正規雇用が活用されているものの、コアとなる仕事は一部の正規雇用に集中する結果、非正規雇用の増加と正規雇用の長時間労働化が同時進行してしまう、といった構造が浮き彫りになっている。このように、最近の日本の労働市場では、正規・非正規の二重構造が明確化してきており、そうした状況下では、正規雇用の労働時間を減らして非正規雇用を維持するといったタイプのワークシェアリングは成立しにくいと考えられる。

こうしたことを踏まえると、労働市場のバッファー機能を一部の非正規雇用者に任せるような現状の仕組みを変えるためには、正規・非正規雇用にかかわらず労働時間の調整が広く行われるようなシステムを構築することが重要といえよう。そのためには、正規・非正規間の生産性格差や待遇格差を縮め、両者の代替性を高めていくような長期的な取り組みが必要と思われる。

図:非正規雇用比率の変化と所定外労働時間の変化
図:非正規雇用比率の変化と所定外労働時間の変化
2009年2月16日

2009年2月16日掲載

この著者の記事