長時間労働 是正できるか
総労働時間の上限規制を

山本 勲
ファカルティフェロー

少子高齢化による人手不足が懸念される中で、正社員を中心とした日本の長時間労働への関心が高まっている。

日本の労働時間の長さは先進諸国の中で際立っている。国際労働機関(ILO)統計などによると、近年でも週49時間以上働く長時間労働者の比率は欧米諸国が10〜16%程度に対し、日本は22%程度と高い。こうした長時間労働は、現政権が掲げる「一億総活躍社会」の実現にとって大きな障壁の1つとなっている。

画一的な長時間労働があると、女性や高齢者などの貴重な労働力を企業で活用することは難しい。そこで性別・年齢にかかわりなく能力が発揮できるようなダイバーシティー経営や、健康を保ちながら生き生きと長く働けるようになる健康経営、仕事と生活の調和(ワークライフバランス)がとれる働き方などへの転換が求められている。

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経済産業研究所での筆者らの研究では、日本でそうした転換を進めた企業ほど業績が高まりやすく、また転換には共通して労働時間の短さが重要な役割を果たしていることがわかった(図参照)。長時間労働の是正は一億総活躍社会の実現に重要であるとともに、従来の画一的な働き方を見直し、効率的に付加価値を生み出す人材活用モデルヘの転換を図る契機になりうる。

図:短い労働時間が経営・働き方の転換、企業業績の向上につながる
図:短い労働時間が経営・働き方の転換、企業業績の向上につながる
(注)筆者らの推計結果に基づく整理

それでは、どうすれば長時間労働は是正されるのか。

長時間労働の背景にはいわゆる日本的雇用慣行がある。企業が長期にわたり労働者に人的投資をして、高まった人的スキルからのリターンを享受する人材活用モデルでは、ある程度の長時間労働は必要となる。育成した正社員に長く働いてもらうことで企業の生産性は高まる。平時から残業を確保し、不況期には残業調整により育成した正社員の解雇を回避することは、企業にとって合理的といえる。

ということは、こうした人材活用モデル自体を改め、外部でスキルを培った人材を企業が必要に応じて活用するような形に転換できれば、長時間労働は自然と是正されるという期待も持てる。しかし、そうした転換は一部の企業だけで進めることは難しく、労働市場全体で雇用の流動化が進むことで初めて実現する。

かといって日本的雇用慣行を抜本的に見直す場合、移行期に大量の失業が生じたり、企業内の人的資源管理上の支障が生じたりするなどの社会的費用も発生しうる。よって、こうした抜本的な転換の実現可能性は不透明といえる。

一方で、日本の長時間労働には、長く続いた雇用慣行のもとで醸成された非効率な部分もある。そこでまず、その行き過ぎた長時間労働を是正することから始めるべきだ。行き過ぎた長時間労働とは、自分の仕事が終わっても帰りにくい職場風土や長時間働いた人が評価される慣習、業務の範囲が明確になっていない仕事特性、上司と部下のコミュニケーション不足などにより生じる付加価値につながらない長時間労働のことだ。

黒田祥子・早稲田大教授と筆者の共同研究からは、これら行き過ぎた長時間労働は平均して週数時間になるという推計結果も得られている。

行き過ぎた長時間労働はどうすれば減らせるのか。そもそも長時間労働のどの部分が行き過ぎた非効率なものかを見極めることは難しい。ゆえに企業や労働者が自ら是正策を見つけるのも容易でない。このため政府による介入、例えば残業に対する割増賃金率の引き上げや労働時間の上限規制の強化が正当化される。

割増賃金率の引き上げは残業代が増えるため、企業にとっては長時間労働を減らすインセンティブ(誘因)として働くことが理論的には導かれる。しかし企業は残業代の増加分を賞与などの賃金引き下げで相殺できるため、実際には割増賃金率の引き上げが残業時間削減にはつながりにくい。内外の研究でもそうした結果が多く示されている。

一方、残業に対する割増賃金の考え方自体を改め、一部の労働者の残業規制を撤廃する「高度プロフェッショナル制度」の導入も検討されている。仕事の評価と労働時間を切り離して効率的な働き方が実現できる可能性は否定できないが、黒田氏との共同研究によれば残業規制の撤廃は労働時間削減にはつながらず、不況期にはむしろ長時間労働を誘発する恐れがある。

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労働時間の上限規制の強化については、その手段がポイントとなる。所定内労働時間の削減を進める場合には、仕事の進め方など他の条件が同じならば、必要な仕事量が変わらないため、所定内労働時間と所定外労働時間(残業)の内訳が変わるだけだ。その結果、残業としてカウントされる労働時聞か増え、1人当たりの人件費が増える。このため企業は雇用を減らし、限られた人材に長く働いてもらおうとするので、労働時間削減にはつながりにくい。

これに対し、所定内労働時間でなく、総労働時間あるいは残業時間の上限を厳格に定めたり実質的に上限を引き下げたりすることは、従業員1人当たり人件費の増加を招かないため、長時間労働是正の実現可能性が高いといえる。さらにこうした取り組みは法改正を待たなくても、個々の企業の取り組みとして実施できる。実際、先駆的な取り組みを進めている企業では、労働時間削減が実現している。

総労働時間の上限規制を強化する際に、個々の企業や労働者が留意すべきは、労働時間の削減に伴って働き方や業務内容を見直し、生産性の向上を図っていくことだ。

単に総労働時間を減らすだけでは、産出される付加価値が減少し、企業の競争力が低下してしまう。労働時間を削減しても、以前と同じだけの付加価値を生み出せるような効率的な働き方に転換できれば、結果的に時間当たり生産性が高まる。つまり労働時間削減は目的でなく生産性向上の手段として認識すべきだ。短縮された労働時間内でどのような働き方をすれば仕事が終わるかを模索することは、行き過ぎた長時間労働を発見し是正する糸口になりうる。

企業や職場単位でこうした取り組みを展開する際には、どの程度の労働時間短縮が効率的な働き方の発見につながるかを試行錯誤しながら進めていくことも重要といえる。

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加えて、総労働時間の上限規制を強化する場合に重要になるのが、法令順守の徹底だ。

総労働時間の上限規制があっても、多くの企業が順守しなければ、労働時間削減は望めない。日本には違法に長時間労働を強いる「ブラック企業」が存在するといわれる。本来であればそうした企業には人材が集まらず、自然と淘汰されるはずだ。そうならないのは、日本で雇用の流動性が低く、労働市場のチェック機能が働きにくいからだといえる。そうした状況では、市場の代わりに政府が取り締まりにより法令順守を徹底させるような介入が必要となる。

かつて再生できない企業が銀行などによる融資で生き永らえる「ゾンビ企業」が問題視された。ブラック企業も違法な長時間労働を強いなければ利益を上げられないという意味で「雇用版ゾンビ企業」といえる。労働時間を削減し、日本全体の時間当たり生産性を高めるためにも、雇用版ゾンビ企業の撲滅は重要な政策課題といえよう。

政府の取り締まりの強化のほか、行き過ぎた長時間労働をしていない企業を優遇するような融資・取引の普及や表彰制度の導入も望まれる。

2016年5月16日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2016年5月24日掲載

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