コラム

「日本版フレキシュリティ・アプローチ」の導入を 「安心」、「育成」、「柔軟」三位一体の雇用制度改革を目指して

鶴 光太郎
RIETI上席研究員

昨年秋からの世界的な金融危機の広がりを受け、景気の落ち込みのスピードと深さは予想以上に進んでいる。2008年10~12月期のGDP前期比・年率は12.7%減と同時期の先進諸国と比べても最も大きな落ち込み幅を記録することになった。雇用情勢もそれに応じて急速に悪化している。特に、非正規雇用に「しわ寄せ」される形で雇用調整がまず進み、輸出関連製造業における派遣労働者、期間工の失業問題が社会問題化した。2009年度の実質経済成長率が民間機関予想のようにマイナス3%以上となれば、失業率も5%台後半にまで上昇する可能性も否定できない(注)

このような状況の下、たとえば、製造業への労働者派遣事業を罪悪視し、それを禁止することで労働者の保護を図ろうとする「場当たり的なアプローチ」は、多様な雇用機会を狭め、失業問題を更に悪化させることになりかねない。したがって、現下の状況に適切に対応するためには、短期的な緊急・応急措置と長期的な制度設計・制度改革のビジョンが必要である。本稿では、その具体的な対応として、「安心」、「育成」、「柔軟」といった3つのキーワードから成る「日本版フレキシュリティ・アプローチ」を提案したい。これら3つの政策は「3本の矢」のように互いに相互補完的である。

フレキシュリティ(flexicurity)とは、柔軟性の"flexibility"と保障の"security"を合わせた造語であり、雇用保護を弱める一方、失業保険を手厚くすることで労働移動を高め、訓練などの積極的労働施策で入職を高めるような雇用・労働政策のアプローチを指し、デンマークの事例が有名である。

フレキシュリティ・アプローチはなぜ必要か

今、なぜ、フレキシュリティ・アプローチなのか。急速な雇用情勢の悪化により雇用不安が明らかに家計の消費・投資行動を萎縮させ、景気のスパイラル的な悪化の大きな一因となっている。したがって、こうした「負の連鎖」をストップさせ、まずは、国民の「安心」を確保するための「保障」にしっかりコミットメントすることが重要であるからだ。

具体的には、「安心」とは特に短期的に景気の急激な落ち込みの影響を集中的に受けている非正規労働者に対し、セイフティネットを早急かつ大胆に拡充させることである。特に、雇用保険については、適用基準が現在の1年以上の雇用見込みから6カ月以上に緩和される方針であるが十分ではない。雇用見込み期間はあくまで雇い主側の主観的な判断に依存するため、保険料負担を逃れるために適用基準となる期間よりも低く見積もるインセンティブが生じるためである。雇用見込み期間にかかわらず、労災保険と同様すべての雇用者に適用されるようにするべきである。また、年金・医療等の社会保険における短時間・有期労働者の加入制限なども見直し、雇用関係の保険と一体的な運用ができるような制度設計も考えるべきであろう。

「安心」の強化と「育成」、「柔軟」を一体的に

しかし、セイフティネット施策のみが寛大になりすぎると、労働者のモラルハザードを誘発し、労働市場を硬直化させるという副作用が生じてしまう。70年代の石油危機後、福祉国家に邁進したヨーロッパ諸国は、若年の未熟練労働者の失業が長期化することで景気が回復しても失業率が低下しないという構造失業に長年苦しんだ経験は忘れてはならない。したがって、「安心」を強化するのならば、以下に述べる「育成」、「柔軟」という視点も取り入れて長期的な制度設計を行うべきだ。

「育成」とは失業した場合でも入職が高まるような訓練、補助金付き雇用、公的職業紹介などを通じて積極的労働政策を行うことである。諸外国の積極的労働政策に使われる政府支出の規模(GDP比)をみると、失業給付の水準の高い国ほど労働者のモラルハザードを抑止するため積極的労働政策の支出規模は大きくなっている。日本はヨーロッパ諸国に比べ、いずれの支出規模もかなり低い部類に入っており、拡大の余地は大きいといえる。しかしながら、「積極的労働政策万能論」を振りかざす主張には注意が必要だ。OECDは、そのプラス効果は期待されるものの、既存の政策の多くは失敗しており、ジョブ・マッチングの効率性や対象者の経験・能力を高めるためには各種政策の適切な組み合わせが重要と強調している。

また、スウェーデンを対象としたある実証分析は、失業者が新たな職を見つけるための最も有効な方策は企業に補助金を与え常用で雇い入れるようなプログラムであり、公的セクターの有期雇用や企業外での職業訓練は何もプログラムを受けない失業者よりも更に入職の確率は低くなるという結果を示している。これは何よりも企業の一員としてしっかり働けることこそ新たな雇用主に一番アピールできる能力であることを示している。したがって、一般に教育、訓練に対する政府介入の効果にあまり過大な期待をかけるべきではない。積極的労働政策で注目されるには、失業者が新たな職を見つけるインセンティブを高めることを目的とした失業者活性化対策(アクティベーション)である。雇用カウンセラーが失業者と定期的にインタビューを重ねることで職探しをサポートしたり、訓練等のプログラムを受けない者には失業給付を厳しく制限するなど「アメ」と「ムチ」を巧みに使い分ける対応(オランダ、スイスなど)は日本でも参考になる。

最後に、「柔軟」とは労働市場や働き方の柔軟性・流動性を高める方策である。
80年代以降、ヨーロッパの長期的・構造的な失業継続を説明する考え方として「インサイダー・アウトサイダー理論」がある。この理論によれば、雇用が保障され、労働組合に加入する「インサイダー」(正規雇用者)の交渉力は強いため、不況でも賃金が下がらない一方、「アウトサイダー」である失業者はより安い賃金で働きたくとも職を見つけることはできない。このような状況では失業は長期化し、それとともに失業者の人的資本は劣化するため、「アウトサイダー」の労働市場への影響力はより小さくなる。つまり、失業者はますます失業のプールから抜け出すことが困難になるため、失業は長期的、構造的になるのである。

構造的失業を増加させないためには

日本の場合、非正規労働者、特に、有期労働者が失業者になれば、二重の意味で「アウトサイダー」の影響力が弱まり、正規・非正規労働者、就業者・失業者の二極化構造、更には、労働市場の硬直化が進展することが懸念される。したがって、構造的失業を増加させないためには、まず、「インサイダー」の交渉力に基づく実質賃金の上昇を防ぐことである。たとえば、ワークシェアリングで労働時間が短縮されても賃金の受け取り総額が変わらなければ、時間当たりの賃金は上昇してしまう。これは結局、「アウトサイダー」の失業を長期化させる方向に働くことに留意する必要がある。また、賃金のみならず、正規労働者の待遇・保障も正規・非正規問題がここまで深刻化した以上、見直さざるを得ない。具体的には、まず、福利厚生の優遇是正から始めるべきである。最終的には雇用保障のあり方の見直しまで視野に入れて制度設計を行い、正規、非正規両サイドから均衡処遇に努め、労働市場の二極化現象を改善していくことが不可欠である。

2009年2月18日
脚注

オークンの法則を日本経済に当てはめた最新の分析(小峰隆夫氏の「経済教室」日本経済新聞朝刊2009年2月11日参照)によれば、実質GDP成長率が1%低下すれば、失業率は約0.3%上昇するという関係がみられる。

2009年2月18日掲載

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