コラム

最近の雇用情勢を巡って――リスク・シェアリングに関する一考察

黒田 祥子
東京大学社会科学研究所准教授/前一橋大学経済研究所特任准教授

米国発金融危機が深刻化した昨年秋から今年3月までに、失職したか失職することになる非正規雇用の労働者は日本全国で少なくとも15万人強に上ることが厚生労働省から報告された。また、大手紙の集計では、この半年間に正規社員の希望退職の募集人員も2万人に上ることが報告されるなど、深刻な雇用調整を連想させる数字が連日のように報道されている。以下では、今般の景気後退局面にわが国の労働市場で観察された現象について、経済学的な見地から考察してみることとしたい。

非正規雇用問題

年末の寒空の下、職を失った人々が日比谷公園に集結した派遣村の衝撃的な報道は記憶に新しい。こうした中、非正規雇用問題をこれ以上深刻化させないためには、派遣労働の規制を強化すべきといった意見も聞かれる。しかし、非正規雇用問題は、正規雇用のあり方と切っても切れない関係にあり、どちらか一方だけの規制を強化することでは問題は解決しない。何故なら、昨今非正規雇用が急増した背景には、正規雇用が手厚く保護されてきたというわが国の雇用慣行が関係しているからである。

その傍証として、経営上の解雇が法的に是認させる際の要件である「整理解雇の4要件」の1つに、「解雇回避努力義務」というものがある。これは正規社員の解雇が是認されるためには、まずその前提条件として同じ事業所あるいは企業で雇用されている非正規雇用を先に削減したかどうかが法的に問われるというものである。つまり、これまでの日本では、深刻な経営危機に陥った企業が雇用調整を行う際には、まずは非正規雇用を調整のバッファーとして利用し、それでもダメな場合に初めて正規雇用に手をつけるという流れが社会的にも法的にも是認されてきたわけである。冒頭で述べたように、突然の解雇や雇い止めで職を失った非正規雇用者がかなりのオーダーに上るのに対して、正規社員の調整は主として希望退職の募集といったかたちで実施されていることも正規社員重視の慣行を端的に表している。このように、わが国で非正規雇用が急増してきた背景には、不確実性が非常に高まる中で、企業が雇用調整が難しい正規社員ではなく、いざというときに雇用調整しやすいバッファー的な働き手を多めに確保してきたことがあったと考えられる。

景気後退のたびに雇用調整のリスクに晒される非正規雇用の問題は、規制を強化すれば解決するのだろうか。正規雇用が保護されている現状で、非正規雇用の保護も強めた場合、当然ながら労働需要は海外に向かう。その場合、日本全体で労働需要が沈下してしまい、雇用の空洞化が起きる可能性は十分に考えられる。非正規雇用の規制強化というその場しのぎ的な対策はおそらく問題の抜本的な解決とはならないだろう。

それでは、どうすべきか。それは、国民が起こりうるリスクをどうシェアしたいと考えるかによる。現状のように、正規社員が過度に保護されるような社会が存続すれば、当然ながら今後も非正規社員の増加はとどまらないであろう。運よく正規社員になれた人と、運悪くなれずに非正規雇用という働き方を余儀なくされる人が二極化する社会が望ましいか。あるいは、すべての人が等しくリスクを分担する社会がいいか。これはまさに国民の選択の問題である。人間は、既得権益を一旦手にするとそれを手放すことは難しい。しかし、非正規雇用問題を考える際には、現在正規社員として雇用を保護されている人も含めて、今後どのようにリスクを分担すべきかを国民全体で議論していく必要がある。

上述のとおり、景気後退局面に非正規雇用から雇用調整が行われることは、長期間にわたって確立してきたわが国の慣行であり、今回に限って観察される現象ではない。しかし、以前は非正規雇用が、世帯主以外の配偶者やその家族といったいわゆる縁辺労働力が中心だったために、たとえば雇い止めにあった場合も家族がシェルターになるということが一般的であった。今回の景気後退局面の大きな特徴は、従来は家族が果たしてきたセーフティネットの役割が小さくなり、孤独な人が増えているということである。こうしたことを踏まえると、セーフティネットをマイクロなレベルに委ねてきたこれまでの体系から、社会全体でネットを張るという体系へと、新しい時代に合わせたかたちで整備し直していくということが必要であろう。

もちろん、その1つは雇用保険の充実である。すでに、雇用保険の加入見込み期間の1年から6カ月への引き下げがいわれているが、それでもカバーされない非正規雇用者は存在する。そういった労働者も、モラルハザードを最小限にとどめるかたちで、制度でカバーするように設計を見直すことも一案であろう。また、これまでも何度か議論の俎上に載りながらも棚上げとなってきた、解雇時における金銭解決のルールを再度検討することも一案である。

とかく法律は一般市民にはなじみが薄く、いざ自分が困った状況に陥ったとしてもどうすべきか分からないということは案外多いものである。とりわけ、解雇権濫用法理のように、判例の蓄積によって確立してきた法理を理解している人は全国でどの程度存在するだろうか。今回の派遣村に象徴されるように、突如として職も住居も失った人々の気の毒な状況をかんがみると、経営上の都合によりやむを得ず解雇をする際には、「賃金の○カ月分を支給しなくてはならない」といった誰にも分かりやすいルールを明文化しておくことにより、少なくとも今日から食べる物も住むところもない、という状況を免れる可能性は高くなる。当然ながら、金銭解決をルール化する際には、賃金の数カ月分さえ払えば企業にとって都合が悪い労働者をいつでも厄介払いできる、といったことに悪用されないよう十分な法整備が必要なことはいうまでもない。

この点に関連して、既に実施されている制度や政策も分かりにくいものが多く、本当に必要としている人にその情報が届いていない可能性が懸念される。たとえば、昨年の12月中旬頃から開始された制度として、住宅・生活支援のための資金貸付制度(「就職安定資金融資」)がある。これはハローワークを窓口として、労働金庫が職も住宅も失った人々に対して、住宅入居のための初期費用や生活費を最大6カ月間まで貸付するという制度である。これ以外にも、必ずしも世間に周知されていない制度が多数存在しているように思われる。インターネット等を通じて、複雑な制度を分かりやすく、必要な人々に伝達していく工夫をこらしていくことも喫緊の課題である。

ワークシェアリング

今後の雇用制度のあり方として、最近盛んに議論されている方策に、「ワークシェアリング」がある。(一部の企業ではすでに導入を始めているところもあるが)一般的に、ワークシェアリングといったときに、それが正規間だけの話しなのか、それとも非正規も含めたシェアリングなのかということは余り明確になっていない。それにもかかわらず、比較的耳障りがいい言葉ということもあって、その言葉だけが一人歩きしているような状況が続いている。

ワークシェアリングは、景気後退により減少した仕事を多数の人で分け合うというコンセプトからも想像できるとおり、実施する際には個々人の賃金を下げることが必須となるが、この際の賃下げが実際には難しいのではないかという議論がなされている(これを「賃金の下方硬直性」と呼ぶ)。今回の春闘における組合側の要求をみると、雇用問題が深刻化している中にあっても、昨年よりも高いベアや定期昇給の確保を要求するという姿勢が垣間見られる。これはまさに賃金の下方硬直性である。賃下げのデメリットとしては、労働者のやる気が著しく阻害されてしまうという懸念がしばしば聞かれるが、さらにもう1つの負の影響としては、住宅ローンなどをはじめとするほとんどの債務契約が名目値で固定されているということがある。ワークシェアリングにより大幅な賃下げを受けたときに、ローンの支払い額は賃下げを受ける以前のままだとすると、消費が一層減退する可能性は高く、労働者の理解を得ることが難しい可能性もある。

それでは、実際に賃金を引き下げることはどの程度困難なのだろうか。その点を予測する際には、1990年代の経験が参考になる。筆者と慶應義塾大学の山本勲氏との共同研究(『デフレ下の賃金変動』、東大出版会、2006年)によれば、(1)バブル崩壊直後から1998年頃にかけては、確かに賃金は下がりにくく、この間に失業率は増加した、(2)ただし、下方硬直性の度合いは他の先進諸国と比べると相対的に小さく、(3)さらに景気が一層深刻化した1998年以降は、ボーナスを中心にかなり弾力的な賃下げが行われた、ということがわかっている。したがって、わが国の失業率が既往最高値といっても、5.5%程度(2002年)にしかならなかった背景には、このボーナスを中心とした賃下げによって、少なくとも正規社員間では広義のワークシェアリングが成立していたとも解釈可能かもしれない。賃下げによるワークシェアリングのメリットは、雇用不安を最小限にとどめることができるということであろう。景気後退が一層深刻化した1990年代末以降、消費がそれほど減退しなかった理由としては、賃下げをすることによって大量失業だけは食い止められたということが背景にあったとも考えられる。

現状の日本では、雇用が失われることの不安が非常に大きい状況になっていることを考えると、他国に比べてボーナスのウエイトが高いという利点を生かして賃下げをするということは、(労働者の理解を得られるまでに時間はかかるかもしれないが)実現はそう難しくないかもしれない。この点、1990年代の教訓から我々が学べることは、賃下げを行う際には労使が協調して、できるだけ迅速にかつ持続的とならないような方向で行われる必要があるということである。なぜなら、一時的な賃下げにより労働者が我慢している間に、景気が自律的に回復すれば問題はないが、タイミングを逸した持続的な賃下げは、消費の減退効果のほうが、雇用不安の払拭による消費の下支え効果を上回る可能性があるからである。雇用調整を抑制するためだけの緊急避難的な賃下げは、あくまでも臨時的なものであり、抜本的な解決策にはなりえないことは認識しておく必要があろう。

グローバル化の進展や、債権の証券化により各国経済・金融市場の連関が強くなってきている今日では、一国で生じた負のショックが国内だけで完結せず、連鎖するリスクが一層高まってきている。こうしたことを踏まえると、今後もリスクは発生しうることを想定して、その場しのぎの対応策ではなく、今後どのようにリスクを分担していくことが日本社会にとって望ましいかを、国民全体で冷静に考えるべき時期に来ていると考えられる。

2009年3月17日

2009年3月17日掲載

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