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第7回:インフレ目標政策への批判に答える

高橋 洋一 コンサルティングフェロー

要旨
  1. インフレ目標政策は、ほとんどの先進国で採用されている標準的な金融政策の枠組である。日本はOECD諸国で唯一のデフレに陥っている国である。インフレ目標政策は、インフレを押さえるばかりか、デフレを克服しデフレに陥らせない効果もあり、デフレ対策として望ましい。
  2. インフレ目標政策には、効果がないという批判があるが、通貨発行増による金融緩和は同時に通貨発行益をもたらし、その支出効果を考えると、必ず物価は上昇する。一方、インフレ目標政策は、逆に物価上昇に歯止めがかからないという批判もある。そうならないように金融引締めを行えばよく、インフレ目標採用国でハイパーインフレになった国はない。
  3. インフレ目標政策によって、名目長期金利が上昇しバランスシートが毀損されるという批判もある。しかし、過剰な現金があるときはすぐには長期名目金利は上昇しない。大恐慌からの回復期でも長期名目金利は上昇しなかった。

はじめに

インフレ目標政策は、米国と日本以外の先進国で採用されている標準的な金融政策の枠組である。ニュージーランド、カナダ、イギリス、スウェーデン、フィンランド、オーストラリア、スペイン、韓国、チェコ、ハンガリー等の国のほか、欧州通貨制度加盟国については、ECB(欧州中央銀行)がインフレ目標を採用しているため、全てがインフレ目標政策の採用国といえる。なお、アメリカは事実上雇用とインフレの両方に対してFRB(米連邦準備理事会)が責任を負っているので、インフレ目標のみを掲げることができないという事情がある。

ところが、インフレ目標政策について、日本では信じがたいほどの反対論がある。そこで、筆者は岩田規久男氏らとともに『まずデフレをとめよ』(日本経済新聞社)を書き、デフレの克服に有効であることを示した。同書では、大恐慌のリフレ政策にも言及しており、是非ご覧いただきたい。

インフレ目標に対する批判

インフレ目標政策については日本で次のような批判がある。

1.インフレ目標政策はデフレ(持続的な物価下落)を克服できない《無効論タイプ》

  1. デフレは中国などからの輸入のためであり日本では対処できない【輸入デフレ論】
  2. 効果の波及メカニズムがない【波及メカニズム論】
  3. 実績・実例がない【実例論】

2.インフレ目標政策には副作用がある《弊害論タイプ》

  1. インフレはコントロールできずハイパーインフレになる【ハイパーインフレ論】
  2. 名目金利が上昇し金融機関や日銀のバランスシートを毀損させる【金利上昇論】
  3. 財政規律を弱める【財政規律論】
  4. 構造改革が阻害される【改革阻害論】

これらの批判の特徴は、しばしば同一人物が、互いに矛盾しがちな無効論タイプと弊害論タイプを同時に主張することである。インフレ目標政策を無効であるといいつつ、突然ハイパーインフレをもたらすという人もいる。また、これらには、名目値と実質値が区別されていないものが多い。素朴にインフレは悪、物価は安い方がいいという「庶民感覚」によるものもある(かつて「よいデフレ論」もあったが、最近は聞かれなくなった)。

さらに、金利・債券に従事するボンド・トレーダーなどの金融・市場関係者の間でも反対論が強い。彼らがインフレ目標政策に反対する理由は、インフレ目標政策が採用されると名目長期金利が上昇(フィッシャー効果)し保有債券の評価損が生じると信じられているからである。

インフレ目標に対する批判への答え

これらの批判に対する筆者の答えは以下のとおりである。

a. デフレは中国などからの輸入のためであり日本では対処できない?【輸入デフレ論】

最近、OECD諸国で中国からの輸入の対GDP比率はどの国でも上昇しているが、デフレになっているのは日本だけである。

さらに、直近時にOECD諸国で中国からの輸入の対GDP比率が日本より大きいのは、韓国、ニュージーランド、チェコ、ハンガリーであるが、いずれの国もデフレでない。また、最近、中国からの対GDP比率の上昇幅が日本より大きい国は、ニュージーランド、韓国、カナダであるが、いずれもデフレでない。なお、注目すべきは、これらの国はいずれもインフレ目標政策を採用していることだ。

しばしば、香港がデフレであるという反論がある。しかし、香港は、カレンシーボードという為替相場制度をとっている。この制度では、香港ドルを固定平価によって米国ドルに完全に釘付けし、香港ドルの発行量は受動的に外貨準備高の範囲内になる。この政策の下では、アジア危機のような経済ショックがあると、自国の相対価格を低下させるようなデフレが生じる。デフレがすぐに解消できないのはカレンシーボードによって自前の金融政策を放棄しているからだ。

これらの事実から、中国からの輸入とデフレの関係はないが、仮にあったとしてもインフレ目標政策で克服できる。

b. 効果の波及メカニズムがない?【波及メカニズム論】

モノの価格とマネーの関係は単純である。世の中のモノが増えればその価格は下がるが、逆に世の中のマネーが増えればその価値は下がる(=モノの価格が上がる)。これは、ワルラスの法則として知られており、世の中全体でみると、貨幣部門と非貨幣部門は均衡しているが、貨幣部門が超過供給になれば、非貨幣部門(消費財、資産、労働)はその分だけ超過需要になる。このメカニズムをみると、貨幣部門の超過供給は、広義の政府部門(政府と日銀)の通貨発行益を生み、それが、非貨幣部門の超過需要となっている。つまり、政府・中央銀行(広義の政府)が通貨を発行すれば、ほぼその残高に等しい通貨発行益が生じてそれが有効需要を創出するのでモノの価格が上がるわけだ。

GDPギャップがどの程度あるかは、いろいろな計算方法があるが、仮に5-6%であるとすれば、ネットで30兆円ほどの通貨発行でよい。政府通貨を発行して財政支出をしてもいいし、中央銀行が市中国債を買入れ政府がそれと同額の国債を発行し財政支出・減税・社会保険料減額をしてもいい(money-financed transfer)。要するに、実務的には広義の政府による通貨発行は財政支出・減税・社会保険料減額と同時に行われる。広義の政府で考えれば(狭義の政府と日銀の政策協定はこのための手段になる)、金融政策と財政政策の区分はあまり意味がない。

c. 実績・実例がない?【実例論】

これは事実でない。過去にはスウェーデンの例があり、現在でも、一時的な物価下落に対応したニュージーランド、カナダなどの例がある。スウェーデン、ニュージーランドの例は月例経済報告等に関する関係閣僚会議配布資料 (平成15年1月17日) [PDF:198KB]でも紹介されている。

これらの国では、インフレ目標政策を導入した結果、深刻なデフレに陥らなかったのである。

d. インフレはコントロールできずハイパーインフレになる?【ハイパーインフレ論】

この批判は a.の批判とは逆に、ハイパーインフレになるというものである。まず、ハイパーインフレとは、標準的な定義では年率13000%以上のインフレであり、国として壊滅的な状況で現れる極端な現象であることをまず指摘しておく。しかし、インフレ目標政策では、目標の上限として例えば3%を設定しているから、3%を恒常的に超えるような状況が予想されたり、実際にそうなってしまった場合には、中央銀行は金融引締政策に転ずればよい。実際に、この10年ほどの間に、インフレ目標政策を採用している国で、ハイパーインフレになった国はひとつも存在しない。

さらに、「物価の先物」といえる物価連動国債(これまで日本ではなかったが、2003年度から発行される予定である)から得られる「予想インフレ」情報を活用すれば、インフレ率が高まる可能性をより早く察知することができ、先を読んだ金融政策が行えるだろう。

e. 名目金利が上昇し金融機関や日銀のバランスシートを毀損させる?【金利上昇論】

インフレ期待が生じた場合に名目金利が上がるという批判がある。しかし、フィッシャー方程式「名目金利=実質金利+予想インフレ率」において予想インフレ率の上昇分だけ名目金利が上昇するためには完全雇用でなければならず、今のデフレ状況では直ちにフィッシャー効果は実現しない。つまり、現金需要がきわめて旺盛な流動性の罠の状態であれば、現金がじゃぶじゃぶ状態であり、インフレ期待が生じてもそれらの一部が債券購入資金にまわり、債券価格の下支えになって金利はなかなか上昇しないのだ。

これは、景気回復期と後退期でフィッシャー効果が非対称になっているという実証研究からも裏付けられる。さらに、1930年代大恐慌において、米国や日本の歴史事実を見ても、名目金利の上昇は見られなかった(図参照)。

図:大恐慌からの回復時に名目長期金利は上昇しなかった

もちろん、市場関係者が理由もなく名目金利が上昇すると信じれば、一時的に上昇する可能性は否定できない。しかし、大量に退蔵されている現金を考えれば、名目金利の上昇はすぐ修正されるだろう。さらに景気回復とともに名目長期金利はいずれ上昇することも忘れてならない。

なお、名目金利の上昇によって日銀のバランスシートの毀損を危惧する向きもあるが、日銀といっても広義の政府の一員であるので、民間企業と同じ意味でバランスシートを気にする必要はない。バランスシートの毀損を心配して金融政策に支障がでたら本末転倒である。

f. 財政規律を弱める?【財政規律論】

欧州の国をみても、インフレ目標政策があっても財政規律は日本よりは保たれている。というのは、財政赤字や債務残高を制限する予算制度のルールが存在しているからだ。国際比較研究によれば、日本の財政規律については、そのような予算制度のルールがないことや財務大臣の権限の弱さ等の問題点が指摘されている。財政規律を問題とするなら、先進国では常識になっている予算制度のルールを作成すればよい。

インフレ目標政策を主張する本当の目的は、政府債務の削減にあるという論者もいるが、インフレ目標政策が掲げる年率1-3%程度のインフレ率では、実質的に債務削減に貢献しない。

なお、政府には、デフレ期には通貨発行益による拡張的な政策をとるインセンティブがあるし、それはデフレを是正するためにも合理的である。しかし、人々がこのような政府のインフレ・バイアスを認識している場合、GDP増大にならずインフレだけが実現する危険性もある。インフレ目標政策は、政策についての拘束的なルールを設定することによって、こうした政府のインフレ・バイアスを抑制する役目も持っている。

g. 構造改革が阻害される?【改革阻害論】

インフレ目標政策に批判的な論者は、インフレ目標政策ではなく、不良債権処理、特殊法人の民営化や規制改革などの政策を行うべきであると主張する。

しかし、インフレ目標政策とこれらの政策は同時に行うことができる。筆者は、景気の善し悪しにかかわらず、不良債権の処理について会計的な観点から一括して処理しなければ、金融機関経営者は商法違反であると実際の裁判において証言したことがあるし、特殊法人の民営化や規制改革にも異論はない。

なお、ゼロ金利が構造改革を遅らせるという批判もあるが、デフレ下では名目ゼロ金利でも実質でみると高い金利になってすべての主体が等しく負担しており、構造改革でいう停滞産業からも成長産業への資源移転を阻害していない。

2003年3月7日

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2003年3月7日掲載