脱デフレ、銀行健全化で─増資で貨幣量増加─

小林 慶一郎
研究員

預金決済への信認動揺原因

デフレ脱却が叫ばれる中で、デフレの原因についての分析は不十分だ。「需給ギャップがあるから」というのは、デフレが貨幣的な現象だと言う以上、満足のいく答えではない。デフレの原因を貨幣的に説明し、その原因に即した政策を考える必要がある。

デフレは、日本経済を循環する貨幣量が増えないこととほぼ同義である。経済全体の貨幣量が増えないからモノの価格が下がり、デフレ(物価下落)が生じる。貨幣量は、現金、普通預金、定期預金の合計(M2)と譲渡性預金(CD)との和で表される。通常なら、日銀がベースマネー(現金+日銀当座預金)の供給を増やすと、銀行セクターで信用創造がおき、その結果、ベースマネーの10倍程度のM2が発生する。ところが、90年代以降、日銀のベースマネー供給がM2+CDに変換される倍率(貨幣乗数)が、低下しているのである。特に、日銀が量的緩和政策で急激にベースマネーを増やし始めた2000年末から、まるでベースマネーの増加を打ち消すかのように、貨幣乗数は急低下している。

経済学者がいま考えなければならないのは、「なぜベースマネーの増加が貨幣量の増加に結びつかなくなったのか」という問題ではないか。

完全な答えがすぐ見つかるわけではないが、「銀行の過小資本が貨幣乗数を低下させ、貨幣量が増加しなくなった」という仮説が疑わしい。

銀行部門の資本が過小になれば、銀行の破綻リスクが高まる。銀行が破綻しても預金保険で預金は保護されるが、預金引き出しや口座振替などの不便はある程度さけられない。こうした予想が蔓延すると、決済手段としての銀行預金の信頼性が動揺し、その結果、預金者は早めに預金を引き下ろして、現金保有を増やす。つまり、決済手段として使われる銀行預金の量が現金の量に比べて減少するため、預金通貨(M2)が減少するのである。

これは、1月21日付けの本欄で、エール大学の浜田宏一教授が指摘している点とも関連する。

銀行危機でM2減少確認

このようなメカニズムは単なる理論的な可能性ではない。ミネソタ大学のジョン・ボイド教授とテキサス大学のブルース・スミス教授らの研究グループは、近年銀行危機に見舞われた23ヶ国について実証分析を行った。銀行危機の定義は、銀行の総貸出の5%~10%以上が不良債権化した状態とされる。これは不良債権がこの比率を超えると、銀行が実質的に債務超過になってしまうからである。

ボイドらが調べた結果、このような銀行危機が発生すると、M2が急減し、インフレ率が低下することが統計的に確認された。インフレ率があまり高くない経済では、インフレ率と経済成長に正の相関があるため、スミスは「銀行危機の時に実体経済が不況になるのは、銀行危機がM2の減少を招くからだろう」と述べている。

日本のデータをみても、非金融部門の現金保有が増えてきたことが確認できる。80年代までは、日銀が現金を供給すると、ほぼすべてが銀行部門に吸収されたが、90年以降の増加分は、大部分が銀行から流出し、非銀行部門に滞留している。これは、決済手段としての銀行預金に対して信頼が失われたことを如実に示している。ちなみに、銀行部門のバランスシート上、M2(=銀行の預金債務)の減少は、銀行が保有する現金の減少と有価証券の減少が対応しており、貸出はあまり減っていない。これは、「近年の銀行危機では銀行貸出は減らない」というボイドらの観察結果と一致している。

これらの結果が示すのは、必ずしも「銀行のせいでデフレが起きている」ということではないが、銀行の過小資本という「マクロ的状況」が決済システムへの信認を動揺させ、デフレを引き起こしている、と考えられる。

このような金融面の原因に着目すれば、銀行システムの資本強化がデフレ脱却に有効だと考えられる。銀行資本が強化されれば、預金者の信認を回復することができ、国民はより多くの財産を銀行に預けるようになる。この行動がM2を増加させ、日本経済をデフレから脱却させる。これは大恐慌時の1933年に米国経済がデフレから脱却したメカニズムでもある。

ボイドらも、銀行システムの再生のためのコスト(破綻処理や資本注入など)を国内総生産(GDP)比で1%使うと、M2の増加率が5%増える、という統計的に強い結果を報告している。つまり、「過大な不良債権を抱えた国では、銀行システムの資本を増強し、銀行システムを健全化させると、貨幣量が増加し、インフレ率が上昇する」ことが示されたのである。

銀行の資本が早急に増強されることがデフレ脱却のためには重要だと言える。こうした観点から、最近一部のメガバンクで大規模な増資の動きが活発化していることは、非常に高く評価できる。しかし一般的には、銀行危機時には、情報の非対称性などの問題から、銀行が独力で十分な増資額を調達することは困難である。危機時には、隠れた不良債権の懸念など、銀行のもつ不確実性が大きくなりすぎ、民間投資家が銀行への増資を嫌うからである。

したがって、政治的な実現の困難さを度外視して言えば、なるべく早い段階で政府が公的資金により銀行の資本増強を行い、その後、信認が回復してから迅速に銀行株を民間投資家に売却する、と言う政策がデフレ脱却に効果的だと言えるだろう。

現状のように、「必要になれば資本注入を行う」と宣言するだけでは、預金者の銀行システムへの信認を回復するには不十分であろう。むしろ資本注入を避けたい銀行が資産圧縮を行い、貸し渋りや「貸しはがし」に走って不況とデフレを悪化させるおそれが大きい。

銀行システムの健全化とデフレ脱却の両方に効果がある政策としては、銀行部門に公的資金を注入し、その財源の国債を日銀が買い入れてファイナンスする、という手法がある。そうすれば、銀行預金に対する国民の信認を回復させるとともに、ベースマネーを大幅に供給することができるので、貨幣量が大きく増加し、インフレ率が顕著に上昇することが期待できる。

ただし、この方法は、当面の政府債務を大幅に拡大させ、財政の先行きに対する懸念を高める副作用を持つ。

財政への先行き懸念は、将来不安を生み、消費や設備投資を過剰に縮小させる。これは単なる増税予想による節約ではなく、「不確実性」による経済活動の萎縮と考えるべきである。したがって、むしろ増税や歳出削減のスケジュールを早期に明確に示し、不確実性を払拭することが、消費や投資の回復につながるのではないか。社会保障制度、公務員人件費などの抜本的な歳出構造の改革と消費税など税制全体の改革を含めた財政再建のスケジュールを早期に確定すべきだろう。ただし、その前提として、銀行への資本増強のための当面の財政支出増をも一体的に認める必要があろう。

「負担なきインフレ」は幻想

最後に、日銀による非伝統的金融緩和(株や土地の買入)でインフレを起こす、という政策について付言しておきたい。銀行の増資が、政治的・制度的な制約の中で遅々として進まない、という現実的判断に立てば、日銀が非伝統的な手段でベースマネーを増やす、という選択肢は、次善の策としてはあるかも知れない。しかし、これで財政の負担なしにインフレを起こせるというのは幻想だろう。日銀が収益性の低い株や土地を買えば、日銀が不良資産を抱え込むことになり、その含み損を2%や3%のマイルドなインフレで消すことはできまい。将来的に、税金(財政支出)を投入して日銀の含み損を償却せざるを得なくなるはずである。非伝統的な金融政策は、「先送りされた財政政策」だ、という認識を持つべきである。

また、ボイドとスミスらの研究は、「銀行問題をインフレで解決した国では、その後、繰り返し、不良債権問題と銀行危機が再発する」という観察結果を示している。これも留意すべき事実である。

2003年1月28日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2003年2月5日掲載

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