インフレ目標論は日本経済破綻のシナリオではないか

藤原 美喜子
客員研究員

短期決戦・特効薬を探す一部の役人・学者

今まで、あまりにも日本の経済問題を先送りしてきたため、単に問題が大きくなっただけでなく複雑になりすぎ、変えたいと思っている人達でも、いざその場に直面すると現状維持を望んでしまうようだ(筆者が「外務省を変える会」でODAの改革を提案した時も大変であった)。そればかりか頑張っても解決できないかもしれないという諦めと自信喪失が大きくなり、短期決戦の道や特効薬を探しだそうとする。インフレターゲット論が最近、話題になっているが、筆者は何でもありの世界に日本が突入してしまう不安を感じる。金融・経済の苦手な小泉総理に対し官僚・学者は次期日銀総裁はデフレ退治に積極的に取り組む方がいいと圧力をかけている。この方向性は正しい。しかし、なぜこれがインフレターゲット論になるのか理解に苦しむ。金融政策で構造的デフレなど解決できないと筆者は思う。日銀がベースマネーを前年比で30%も増やしている。しかしマネーサプライは2-3%しか増えていないのである。これは金融政策の効果がないことを意味している。

ゼロ金利政策は誤りだった

資本主義を維持しているわりには、日本政府は突然世界をあっといわせるようなことをする。一例を挙げるなら日銀の「ゼロ金利政策」である。デフレでマイナス成長だから当然だという。デフレ経済とはいえ、先進国のリーダーはゼロ金利政策の導入をさける。「流動性の罠」の恐さを知っているからである。英国シティのバンカーの友人達は、「日本は自力回復できない」と切り捨てているので最近は日本へ出張に来ないが、以前は「なぜ日本は金利をゼロにしたのか?」と官庁訪問の際によく聞いたものだ。彼らは日本のゼロ金利政策は誤りだと思っている。これに対する役所の答えは、「何度も利下げを行ってデフレ不況からの脱却を試みたが景気回復の効果があがらず、量的緩和政策を使いゼロ金利に誘導した。これにより、景気が上向くと期待している。一方、大型企業倒産も回避できるし、デフレ不況の深刻さに比べると日本の失業率の上昇を免れる」また「政府は国債の発行体であるから、金利が安くなれば資金調達コストが安くなる。企業も過剰債務を抱えているため、同じ利点を享受できる。企業の業績回復にも繋がる」等というものだった。金融市場で長く仕事をしてきた筆者は、ゼロ金利政策は投資家や銀行にとっては命取りであると考える。投資のリスクとリターンが合わなくなるからだ。生保や年金は構造的運用難に何年も悩まされている。保険会社が業績をあげられないのはデフレとゼロ金利のためである。一方、日本のコール市場は全く機能しなくなった。金利がゼロになると短期市場の資金が流れなくなり、いくらただの資金が潤沢にあっても資金需要は減っていく。日本が流動性の罠に嵌ってしまったことは世界的に知られている。量的緩和政策の結果、株価が額面割れした倒産リスクのある企業がほとんど倒産しなくなった。2001年3月から2年続いている量的緩和政策は、最近では「失業対策的」な意味合いが強く、モラルハザードを進行させている。ゼロ金利を普通の金利に戻した時が危険である。倒産する企業が増えるからだ。

なぜ、インフレ目標論なのか

金利をゼロにし、資金をジャブジャブにしてもデフレ退治ができず、デフレ脱却の特効薬としてインフレ目標論がマスコミで注目されている。日銀がインフレ目標(例2-3%)を設定し、無制限の国債買いオペや株式・不動産などの購入を積極的に行い、インフレ目標を達成させようというのが基本的な考えのようだ。狙いは、日銀がインフレを実現させるための意思表示を強く押し出すことにより、企業や国民のインフレ期待を高め、投資を前向きにさせることによりデフレから脱却すること。つまり、日銀が土地・株(例ETF:上場投資信託)を積極的に買うことにより、株価・地価が上昇し、その結果、国・企業や家計のバランスシートが改善され不良債権処理も加速されるということだ。

インフレ目標は本来インフレを押さえ、物価安定のために使われてきている。デフレ脱却のためには使われたことはない。日銀は実質経済の将来に対する成長期待や生産性を向上させる努力という裏付けのないまま、インフレ率だけを高めようとするのは「無謀な賭け」だと反対している。

デフレ退治の処方箋としてインフレを起こすことが可能であるならば、巨額な財政赤字を抱えている政府にとっては都合のいい選択肢であろう。通常、財政赤字を減らすには1)景気を回復させる。2)歳出を減らす。3)増税するの3つの方法しかない。2)と3)は政治家と政府は好まず、1)は金利をゼロにしても実現不可能であった。インフレにより、貨幣の価値が下がれば、増税という言葉を使わずに増税した時と同じような債務削減効果を政府は得られるのである(税を徴収する手間もはぶける)。

インフレの利点として国の借金や企業の不良債権が減る可能性があるのは解った。戦後の財政危機はハイパーインフレにより救われたという(注1)。しかしインフレ目標論には解らない点が多い。1)インフレをどうやって起こし、そしてコントロールするのか(インフレ目標論を主張する学者は、第一次世界大戦後にドイツが行った、輪転機でお札をどんどん印刷して引き起こしたインフレとの違いを強調している)。もし、インフレをコントロールできない場合は誰が責任を負うのかも明らかではない。2)インフレ期待が強くなると、当然名目金利は上昇するので新発債の調達コストも上がる。既発債の価格は下落する。その際、国債・地方債・財投債の発行計画と引き受け状況はどう影響されるのか(既発債を保有している投資家は損失を被るため、新発国債の買い控えをするかもしれない)。国の格付が下がり金利が急上昇しても、財政破綻に繋がらないと確約できるのか。3)インフレ(例5%)が起こった場合、雇用はどうなるのか(人件費が上昇するはずだから失業率は上昇するだろう。企業は就業者をパートに切りかえるかもしれない)。倒産しかけている企業は生き返るのか。中小企業の企業価値は上がるのか。産業の供給過剰問題はどうなるのか。国の税収は増えるのか。4)インフレによる貨幣価値の低下は年金生活者の生活水準を下げる。彼らの不満は自民党への支持率低下に繋がらないのか。高齢者の自殺が増加しないのか。等である。

デフレ対策に特効薬はない

高度経済成長の帰結がインフレ目標政策なのかと考えると、何か割り切れない気持ちになる。インフレ目標論はデフレ脱却論ではなく日本経済破綻のシナリオではないかと思う。マクロ経済学者のインフレ目標論には、彼らのインフレ目標政策が仮に失敗した場合、1億2千万の日本国民が不幸のどん底に陥ってしまうかもしれないというリスクに対する説明が抜けている。インフレ目標論を導入するぐらいの勇気があるのなら、国民に対し国の財政の危機的な状況や不良債権処理問題の深刻さを解りやすく開示し、この危機から脱却するにはいくつの選択があり、各々どういう国民負担を要するのかを説明する方が賢明な選択に思える。国民に危機感がないのは本当の情報が届いていないからかもしれない。筆者はインフレ目標論よりかは国民に増税への理解を求めた方がまだいいと思う(そのためには、国の債務返済計画をディスクローズすべきである)。また、国有財産の徹底的な民営化や規制改革の実施、中央・地方政府への公会計導入による労働生産性向上に努める方がより効果的だと思う。今回のインフレ目標論はデフレ脱出・需要回復政策にも見えるが、本当は不良債権と財政赤字の削減が狙いなのかもしれない。公的セクターも金融セクターも赤字であり、自力での再生はほとんど不可能なため、唯一黒字である家計セクターの1400兆円の個人金融資産を利用し、日本経済の再生を試みようとしているように思えてならない。1400兆円の個人金融資産は、大部分が年金生活者の預貯金だという。この人達の預貯金が日本経済再生のために狙われているのかもしれない。戦後の預金封鎖を覚えている世代は政府に対する不信感も強い。自民党はインフレ目標論導入で自民党を支持する有権者を敵に回してしまうかもしれないのだ。

2003年2月25日

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脚注
  • 注1)井掘利宏氏の著書『財政再建は先送りできない』(岩波書店)によると、1945年に猛烈なインフレが生じて約2000億円あった日本の実質債務残高は1年で3分の1以下に減少。その後のインフレで日本の債務残高は結果的になくなってしまったという。しかしこれは統制・封鎖経済下での出来事であると述べている。

2003年2月25日掲載

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