メガバンク頭取の給料は責任のわりに安すぎる

藤原 美喜子
RIETI客員研究員

現在の株式市場は危険な状態にある。株価が下落するばかりで、底が見えてこないからだ。
業績不振に陥っているメガバンクの株価の下げ幅は、史上最悪である。みずほフィナンシャルグループ(FG)の株価は、2000年9月28日の設立時の87万円にくらべ、2年8カ月で9割も下落している(5月27日現在、7万2800円)。これは、銀行経営者が株主の評価が高まるような経営をしてこなかったことの表れだろう。

ガバナンス不在の日本

低迷している市場に底打ち期待感を与えるためには、「コーポレートガバナンス(企業統治)」を確立し、銀行改革に拍車をかけることが重要である。1999年に公的資金が注入されてから4年になるが、改革のできない経営陣には退出してもらわなければならない。

コーポレートガバナンスが確立されている英米では、会社は株主・投資家のものであり、取締役会はプロの経営者集団である。経営の目的は「企業価値」(=時価総額=株価×発行済み株式数)を上げ、株主にとっての利益を最大化することである。

それ故、企業が大幅に赤字になった場合、株は売られ株価が下落し、経営陣は責任を取って辞任することになる。経営陣が退出しない場合はガバナンスが働き、株主や機関投資家が圧力をかける。つまり経営者の入れ替えが行われるのである。5月12日付英『フィナンシャル・タイムズ』紙によると「世界のトップ2500社で02年度中に辞任したCEO(最高経営責任者)のうち、40%は解任による退出であった」という。新しい経営者は収益改善のための経営戦略を作成することになる。

この一連の動きが、株主や投資家に対し将来的に企業価値の増大と株価上昇の期待感を与える。投資家は経営者が変わると株を買い出す。すなわち、会社が蘇るチャンスが高くなるとみるのである。

最近の例を挙げてみよう。

世界一の保険会社である独のミュンヘン再保険のCEOシンズラー氏(62)は、01年9月11日に米国で起きた同時多発テロ以来、企業収益が悪化し、株価が過去1年間で7割下落したことと、03年1~3月期で大幅赤字になったことの責任を取って4月末に辞任し、自身の後継者として46歳の取締役を選んだ。 市場はこの動きを好感し、その日だけで株価は8.7%上昇した。それ以前にもシンズラー氏が辞任するという噂を受けて、同社の株価は4月中に8割も上昇したという。

9.11の同時多発テロはシンズラー氏のせいではない。しかし、いかなる理由であれ、業績が下がり株価が下落すると、企業は株主・投資家に損失を与えることになる。数字を上げられなかった経営者は自ら辞任するのである。株主や投資家は、投資リターンの最大化を求めているのであり、業績回復まで2年は待つとしても、5年も待たない。

日本でも赤字企業の株価は下がる。しかし、経営陣が責任を取って辞任することはあまり多くない。業績が悪化すると経営者は「業績が悪くなったからといって、ここで投げ出すのは無責任。業績を回復させるまで責任を持ってやる」と言って続投する。損失を被った株主も経営陣を強硬に退出させようとはしない。

株主は発言を

03年4月末現在、メガバンクの株価は昨年4月1日に比べ、半値以下になっている。三井住友銀行株は12月以来、5カ月間で55%下落。三井住友の株価は、西川善文頭取就任時(97年6月)の1680円から198円(03年5月27日現在)へと88%も下落している。

表1最近のメガバンクの株価推移

みずほFGは、昨年前田晃伸社長が就任して以来、現在まで株価は75%も下落している。時価総額は4月末の株価で6500億円。先進国に存在する銀行としては、非常に安く、敵対買収の対象にいつなってもおかしくない状況である。

メガバンクはここ数年赤字続きであるばかりか、業績がいつ回復するか、そのメドさえ立っていない。両行が欧米の銀行であった場合、経営者は株主・投資家に対し、業績悪化と株価下落の経営責任を取り、辞任せざるを得ないだろう(みずほFGの前期赤字は2兆4000億円)。日本では、なぜ銀行経営者が経営責任を取らずに済み、また株主・投資家は経営責任を追及しないのだろうか。その理由はいろいろある。

(1)銀行と企業間の株の持ち合いは、企業1に対し銀行がその10倍近く保有している場合が多い。また企業は銀行から融資を受けている関係上、経営責任を追及しづらい。

(2)「株式の持ち合い株主」は「安定株主」かつ「物言わぬ株主」であることを美徳としてきた。そのため、急に「物言う株主」にはなれない。

(3)機関投資家である生保は、自身の業績が悪く、銀行の経営責任を問える立場ではないと考えている。

(4)日本で他の企業の人事を公の場で口にするのは、タブーとされている。

(5)銀行経営者は「業績が悪いのは自分たちのせいではない。不良債権は過去の経営者の産物であり、自分たちは引き継いで処理しているだけ。金融庁がデフレ下での不良債権処理加速を強要しているため、赤字に転落しているのだ」と考えている。加えて、度重なる役員の給料カットの結果、待遇も悪くなり、今辞めると帳尻が合わないのかもしれない。

(6)銀行は長い間、株主ではなく、旧大蔵省の方を向いて経営に専念してきた。だから、急に向きを変えることはできない。

(7)銀行経営者は不祥事では辞めるが、株価の下落では辞めない。

(8)間接金融が中心であるため、銀行経営者が赤字企業の経営者を辞めさせることはあってもその逆はない。

これまで日本の銀行経営者は、「マクロ環境が悪化しているため業績が回復しない」と何年にもわたって言い続けている。外国人投資家の中には、「経済環境が悪化しているから業績が回復しないのではなく、資本主義のもととなる銀行の業績が回復しないから、マクロ環境がなかなか改善しないのだ」と言う人たちもいる。銀行経営者は経営を引き受けた以上、黒字転換にもっと真剣に取り組むべきである。メガバンクの経営者には切迫感がない。

日産自動車は、社長のカルロス・ゴーン氏が業績回復を命題として、このデフレ不況下で業績回復を実現し、同社の株価は、99年の300円弱から875円(03年5月27日現在)と大幅に回復した。ゴーン氏は日産の企業戦略を策定し、実施にあたり日産の経営陣を入れ替え、要所要所にフランス人のマネジャー30人弱を配置し、中間管理職以上約500人に過去3年間、インセンティブとして業績の連動するストックオプションを毎年与え、業績改善を達成した。辞めたくない経営者の交代は痛みを伴うし、反対する有識者も多いだろう。しかし、赤字メガバンクに経営陣が交代する利点は、数多くある。

(1)株式市場にチェック機能が加わり、赤字銀行の経営者に退出リスクが加わる。その結果、経営陣は経営の専門家集団を目指すようになる。

(2)経営の効率化を意識せざるを得なくなり、難題の先送りにストップがかかる。つまり、不良債権処理の加速化や費用対効果の合わない事業の撤退、顧客サービスの向上、また支店数の削減を余儀なくされる。

(3)株主利益を上げる経営を目指すようになる。収益率に敏感となり、融資を実施する際もリスクに見合ったリターンを追求するようになる。今後は、企業の債権放棄を2回も行うとか、債権放棄した会社が倒産してしまうといったことが避けられるだろう。

(4)しがらみがなくなり経営陣が若返ることで、活力のある銀行が出現する(欧米の銀行の経営陣は40代~50代前半が中心だ)。

(5)公的資金注入に比べ国民負担はかからない。これにはもちろん、デメリットもある。1)痛みを伴う改革になるため、実施を躊躇する関係者が多くでる。2)経営者が短期的に収益最大化を目指すようになる。

リスクに見合った報酬を

メガバンクの新経営陣の報酬を上げるべきである。具体的な額はわからないが、ゴーン氏や新生銀行の八城政基社長の報酬は、みずほ銀行のトップよりかなり多いと推測する。

デフレ下でのメガバンクの再建は、CEOとして経営リスクの非常に高い仕事である。この仕事は、ドイツ銀行の頭取よりリスクの高い仕事かもしれない。にもかかわらず、日本のメガバンクの頭取の年収がドイツ銀行頭取の10分の1以下というのはあまりにも低すぎる(表2参照)。すなわち、経営者の取るリスクにリターンが見合っていないのだ。

表2英独の銀行経営者の報酬

「銀行が赤字だから頭取の給与を下げよ」という巷の理論は確かに一理ある。しかしそれであれば、本当に優秀な人材は銀行再建のためのリスクを取ろうとはしないだろう。報酬が低いと、経営者はリスクを取らずに、同じ地位にできるだけ長く居座ることでリスクとリターンを合わせようとするだろう。再建を願い企業価値が増大することを希望する株主にとって、これは最悪のケースだ。

BIS(国際決済銀行)規制を重んじグローバル競争の中で生き残っていかなければいけない銀行のトップが、競合相手の頭取の10分の1以下の年収で、対等に競争しろというのは、どう考えてもおかしい。雇用の保証もなく、その上、夜も寝ずに会社建て直しのために人生を賭けて頑張っている経営者には、公務員とは違った支払い方法があっていいはずだ。ある外国人の証券アナリストは「10分の1以下の報酬で頭取職を引き受けてしまう日本の銀行経営者のリスクとリターンに対する感覚のなさは、海外の株主や投資家を不安にさせている。そういう経営陣がいるメガバンクに株主価値向上は期待できない」と言う。

デフレ不況を乗り越えるためにも、経営陣に払うものを払い、銀行再建のために頑張ってもらい、結果が出せなかったら辞めてもらうという仕組みを作るべきである。そのためには、下から上に地位が上がる順番待ちの人事システムではなく、経営ができる人材を経営陣に選ぶ、新しいシステムを構築すべきである。

今年を「企業統治」元年に

資金が不足した銀行に公的資金を注入し、金融システムリスクを回避することは可能である。しかし、それだけでは銀行が改革されるわけではないということを、われわれは過去の資本注入という失敗から学んだ。改革は市場という力によって進めていくしかないのである。

日本の株主・投資家は、今年こそコーポレートガバナンスを確立し、「物言う株主」となり、赤字経営を続けてきたメガバンクの経営陣に退出願うべきである(株価以外に銀行経営者のビジョンや戦略のなさ、組織統廃合のスピードの遅さ、土地担保主義からの脱却の遅さ、収益力改善の遅さなどに関し、経営責任を追及できるはずだ)。理由は、経営陣を代えると銀行も変わるからである。その結果、株式市場に底打ち期待感が高まり、内外の投資家は日本株を買い始めるであろう。金融庁は後任になる人材がいないと反対するかもしれないが、欧米ではそういった議論はでない。「代わりはいつでもいる」が欧米流のスタンスだ。

過去、野村証券が不祥事を起こし、役員10人が辞任した時も40代中心の役員たちは何の支障もなく、同社の経営改革を実行した。大事なのは役員の年齢ではない。数万人の行員が働いているメガバンクの中から40代の経営ができる人間を20~30人選ぶことは難しくないはずだ。

主要な株主・投資家が経営陣の交代を求め、新経営陣は黒字転換するための事業計画を策定することを、株主総会での承認事項にしてみてはどうか。いわば、政治の世界の“公約”にあたるものである。その際、株主が納得の上で、新経営陣にストックオプションや業績連動のボーナスなどを含めた報酬を与えてもいい。そして株主がその後の実施状況をモニターしていく。達成できない場合は辞めてもらうという条件をつけてもいいだろう。

最後に1つ加えたいことがある。それは、銀行や企業にとっては「安定株主は必要である」ということだ。コーポレートガバナンスを確立しても、急に「持ち合い株」をゼロにする必要はない。大事なことは欧米のガバナンスのいいところだけを日本に導入することだ。銀行の企業価値が上がり、株価が上昇し出すと、持ち合いは今ほどお荷物ではなくなる。日本の組織には、まだまだいい点がたくさん残っている。

2003年6月10日号 『週刊エコノミスト』 (毎日新聞社)に掲載

2003年6月18日掲載

この著者の記事