やさしい経済学―動かぬ物価の深層

第3回 メニューコスト

渡辺 努
ファカルティフェロー

商品の価格はなぜ粘着的(硬直的)なのか。考え方はいくつかあるが、なかでも有力なのがメニューコスト仮説とよばれるものである。

ある商品のある店舗での価格変化

図はあるバーコードに対応する商品の価格の推移を示している(特売などの一時的な価格変化は除く)。この図を見てすぐわかるのは、商品の価格変化は連続的でないということである。同じ価格が何十日も続いたかと思えば、ある日突然、改定される。

この不連続性が粘着的な価格の正体である。スーパーの仕入れ値、もっとさかのぼって生産者の費用は日々変化しているにもかかわらず、消費者が目にする店頭価格は頻繁には変化しないのである。

原価の変化が直ちに末端価格に反映されないのはなぜか。最も素朴で受け入れやすい答えは、価格改定に費用がかかるというものである。レストランでの価格づけを考えてみよう。その価格はメニューに書いてある。店の材料仕入れコストや人件費が変化した際に経営者が価格を改定しようとすればメニューを書き換える必要がある。メニューを書き換えるには印刷代などの費用がかかる。これがメニューコストである。もちろんレストランのメニューというのは比喩であり、メニューコストとは価格改定に伴う取引費用全般を指すものである。

ただし、価格改定に取引費用がかかり、その結果、価格が頻繁には変更されないということ自体はメニューコスト仮説の一部にすぎない。この仮説の真骨頂は、取引費用がメニュー書き換えのコストのように小さいものだとしても、価格変更の遅れをもたらすというところにある。

レストラン経営者がある日メニューの印刷代を払って価格を改定したとしよう。店の収益は新価格リストの下で最大化されるはずである。つまり価格がそれ以下でもそれ以上でも収益が減る、新価格はそういう微妙なバランスのうえに設定されているはずである。したがって、メニュー改定の翌日に材料の仕入れ費用が少々変化したとしても経営者はこのメニューを再度作り直そうとはしない。作り直してもそれほど大きな収益改善が期待できないからである。

2007年8月6日 日本経済新聞「やさしい経済学―動かぬ物価の深層」に掲載

2007年8月27日掲載

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