ひとづくり 長期志向で

藤本 隆宏
RIETIファカルティフェロー

昨今、「ものづくりは日本の強みであり、その原点はひとづくりだ」との言説がよく聞かれる。民間調査でも、「当面の収益確保よりも長期のひとづくりが大事だ」との企業の見解が強く支持されている。ひところ、根拠の怪しい製造業悲観論に日本の言論が振り回されたのに比べれば、健全な潮流変化といえよう。

ところが実際は、多くの日本企業で国内拠点の非正規従業員比率が依然高く、中国など海外への生産移転も行き過ぎの面が目立ち、組織能力の空洞化が懸念される。団塊の大量退職で技能・知識が消失すると懸念された「2007年問題」も、雇用延長で先延ばしされた感があり、ものづくり知識の世代間移転は遅れ気味だ。工場の国内回帰、非正規従業員の正規登用、技能伝承の社内道場開設などの動きもまだ十分とはいえない。

むろん、グローバル競争が激化する今日、日本の製造業系大企業が、全員正規社員、全量国内生産に固執するのは現実的でない。必要なのは、あくまで“適材適所”で内外の拠点を展開し、「進化する拠点」は国内に残し、各拠点で組織能力を構築、長期的な全体最適を達成することだ。

問題は、この立場から見てもなお、国内拠点の非正規従業員が多すぎ、国内に残すべき製品まで海外拠点に出す日本企業がいまだ多いことだ。トップのものづくり・ひとづくり重視の発言と、実際の企業行動の間にズレが生じ、いわば「頭と体がばらばら」なのだ。これはなぜか。

まず「21世紀はグローバル化の時代だ」との基本認識から出発しよう。周知のようにグローバル化とは、モノ・情報・資本などが国境を越えて動き回る事態を指すが、それは逆に、「動きにくいもの」が顕在化する時代でもある。そして、その不動者が比較優位の源泉となり、国際分業が進む。ある意味、200年前の古典経済学の予見が顕現化しつつあるともいえる。

そして現代、「動きにくいもの」の筆頭は「組織能力」である。例えば戦後日本の貿易財産業の競争優位を支えてきたのは、長期雇用・長期取引を背景とした「統合型のものづくりの組織能力」、すなわち「多能工のチームワーク」による現場の調整能力だ。

その象徴であるトヨタ自動車では、伝統的に「原単位の改善」が競争力強化の王道であった。一般に製品あたりのコストは、原単位(労働生産性、歩留まりなど)と投入要素価格(部品単価、賃金率など)の「掛け算」で決まる。日本の輸出企業は、原単位の継続的な改善で、石油ショックや円高ショックによるコストアップを吸収してきた。

しかし近年、「グローバル化ショック」や原燃料価格の高騰に直面した多くの日本企業は、「原単位改善だけではコスト削減圧力を吸収できない」と判断した。その結果、日本の貿易財産業は、部品単価や賃金に手を付けるようになった。だが正規工の賃下げが難しい以上、非正規工の比率を上げ、低賃金国への生産移転を加速するしかない。

こうした緊急避難的コスト削減策の慣性が残る中で、本社の意識だけがひとづくり重視に転ずれば、結果的に「頭と体がばらばら」になるわけだ。しかし今は、日本企業が「グローバル化ショック後遺症」から本来の能力構築主義へ復帰すべき大事な時期だ。昨今は減益予想も広まっているが、長期展望なき低賃金策に逆戻りしてはならない。

グローバル化ショックは、ひとづくりに一種の悪循環も生んだ。戯画的にいえば、20代は技能が足りない、30代は少数採用で余裕がない、40代は管理職としての自信がない、50代は先が見え元気がない。60代はもはや仕事がない。非正規社員はリセット人生で希望が持てない。

閉塞状況打開の1つの切り札は、団塊世代の再登板だ。会社の成長期を通じて密度の濃い現場経験を持つ彼らがインストラクター(改善指導者)として残り、20代社員、派遣社員、協力企業、地元中小企業、地域の非製造業などへの知識移転を続ければ、波及効果は大きい。

会社の嘱託などで3-4日、社内外で「現場の先生」をやり、あとは悠々自適。元の部下の下で週5日も働く必要はない。多くの人にとって、それが良き第二の人生ではないか。この潜在ニーズを、多くの企業は見落としている。

彼らが伝授すべきは、溶接や施盤といった固有技術よりはむしろ、それらをつなぎ顧客に至る付加価値の良い流れ(正確でよどみない設計情報の流れ)をつくる「ものづくり技術」である。トヨタ生産方式はその一例。ムダ、つまり現場で付加価値を生まない時間を削減することで、品質・リードタイム・生産性を同時改善する汎用技術だ。

トヨタに限らず、現場のベテランはたいてい、固有技術とものづくり(流れづくり)技術の両方を知っているが、他社・他産業に伝えていくべきは主に後者である。実際、東京大学で3年間、約40人養成した「ものづくりインストラクター」は、企業も産業も超えて連携し、現場改善や人材育成で活躍している。

従来多くの大企業は、固有技術の伝承には力を入れる半面、「良い流れ」づくりを指導できるインストラクターを養成する社内スクールの設立には熱心でなかった。この間、現場知識の海外流出を招いた。その一因は、彼らを「先生」として遇してこなかった日本企業の側にもある。

一方、政府の科学技術・産業技術政策も、従来は先端技術・固有技術偏重の傾向があり、結果的に国内のあちこちに技術や設備の「離れ小島」を生んできた。不足しているのは付加価値の良い流れであり、それをつくる人材である。

以上を踏まえ、すぐやるべきと考える方策を挙げよう。

(1)団塊ベテラン人材が余る大企業は、業種も固有技術も超えてものづくり技術の改善指導ができる「インストラクター」を育成する「社内師範学校」を設立・拡充すべきだ。また、一部の定年者のみを継続雇用し、その他多数を完全退職させる二者択一的な政策を見直し、現場のインストラクターとして週3日なり嘱託で働く道など、より柔軟なベテラン人材活用策を示すとよい。こうして育成したインストラクターは、社内での若手教育・現場指導だけでなく、地域の中小企業・協力企業の現場指導にも広く活用する。人事担当者は、その波及効果を考え、「高齢者への人的投資はペイしない」との固定観念から脱却すべきだ。

生産・開発拠点のグローバルな立地選択は、長期的な“適材適所”の観点から行い、「進化する現場」を確実に日本に残す。この基準から逆算し、進化の核となる正規従業員をどれだけ確保するかを決める。低賃金のみに依存すれば、会社の進化は止まる。

(2)中小企業は、目前の受注、納期、人材確保、資金繰りで手いっぱいで、「良い流れ作り」に手が回らない。よって、大企業などからインストラクターを招き、流れ改善や事業モデル構築を手伝ってもらうべきだ。効果は大きい。

(3)国は、従来の産業技術政策を修正し、人を介したものづくり技術の産業間移転にもっと予算を割くべきだ。中小企業のインストラクター招へい費用、大企業の「師範学校」立ち上げ費用、双方への助成を拡充する必要がある。

(4)県など地方自治体は、大企業出身のインストラクターを地域の中小企業や非製造業で活用してもらい、地域の産業競争力強化につなげるため、そうした人材の需給をマッチさせる事業を早急に立ち上げるべきである。すでにいくつかの県で動きがある。

(5)大学など学術機関は、文理融合でインストラクタースクールの教材開発・教員育成などを側面支援すべきだ。

ひとづくりの産官学連携以上は、いわば連立方程式の解であり、同時に動かさないと効果は薄い。「ものづくりはひとづくり」を美辞麗句に終わらせず、「ものづくり技術」を次世代への知的資産として確実に残す義務を、我々は負っている。21世紀の日本を「良い流れの国」とする不断の努力が今必要だ。

2008年4月30日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2008年5月14日掲載

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