米自動車危機 教訓と展望-古い設計思想温存 裏目に

藤本 隆宏 RIETIファカルティフェロー

今回の不況で世界の主要自動車メーカーの業績は軒並み悪化したが、中でも米国系企業は、より深刻で構造的な危機にある。その根底に、社会が求める製品設計と、米国企業が持つ組織能力の間に長く存在したズレがあるからだ。

自動車は公共空間を高速移動する重量物であるゆえ、交通事故、大気汚染、温暖化など社会への迷惑も大きい。社会から課される要求や制約は、年々厳しくなるばかりだ。

一般に制約条件が厳しくなる時、製品設計は複雑化する。設計とは、人工物のあるべき機能(はたらき)と構造(かたち)を結ぶ構想のことだが、要求機能や制約条件が厳しくなれば、機能完結部品を積み上げるモジュラー型の設計思想(アーキテクチャー)では対処が難しく、むしろ全体最適のため微細に調整された新規設計部品群が必要となる。こうした設計形式を「擦り合わせ(インテグラル)型」という。

かくして先進国の自動車設計は複雑化した。例えば10年前に比べ、日本車平均の共通部品比率は下がり、電子制御の比重は高まり、新製品開発の作業量は増えた。設計の簡素化が進められたが、経済社会という淘汰環境がモジュラー型設計の貫徹を許さず、製品全体はむしろインテグラル化した。そこがパソコンとの設計進化の違いである。

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一方、20世紀前半に燃料・安全・環境とも制約条件がまだ緩かった時代に固まった米国車の設計思想とは、基本的に「トラック型」、すなわち車台(シャシー)と車体(ボディー)が明確に機能分担するモジュラー型であった。例えば、1908年のT型フォードはシャシーこそ擦り合わせ設計だが、全体構造はトラック型だった。米ゼネラル・モーターズ(GM)の有名なフルライン政策やモデルチェンジ政策もトラック型が前提で、車台を共通化しつつ車体を多様化させ、製品変化と部品量産を両立させた。

戦後、米国車はさらに大型化・大馬力化・スタイル重視へと走る。50-70年代、GM全盛期の収益源で豪勢な車体デザインを誇ったシボレーやキャデラックも、設計思想はトラック型だった。90年代の収益復活を支えたのも、ミニバン、スポーツ車、ピックアップなど、多くはトラック型大型車だった。結局、米国企業100年の歴史に登場する「儲かるビジネスモデル」は、すべてトラック型設計思想が前提だった。

他方、組織能力も歴史の産物だ。流入する移民を即戦力としてきた米国には、「分業重視・調整回避」の製造思想が長くあった。19世紀の「アメリカ製造方式」は、部品の加工精度を高め、組み立ての調整作業をなくす「互換部品」に立脚した。それを完成させ、組み立てライン、専用工作機、垂直統合、大量生産による圧倒的な原価低減を達成したのがフォードである。

20世紀前半、米国製造業はこうした標準化と大量生産を武器に経済超大国を築く。世紀の後半に、小型化・多様化する擦り合わせ型製品(家電や小型車)で競争劣位に陥ったが、世紀末、得意の「分業重視・調整回避」路線と相性の良いデジタル技術に遭遇した米国経済は、それをテコに復活、情報サービスやソフトや金融商品で他を圧した。

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しかし自動車設計の進化経路はこれらと違った。前述の制約条件から、米以外の乗用車設計の主流は小型車となった。燃料価格が高く、小型・軽量化が不可避な日本車や欧州車は、制約を先取りし、部品配置を緻密化し、複雑な前輪駆動方式や、鋼板で車体剛性を出すモノコックボディー(車体・車台一体構造)を発展させた。小型エンジン系の制御・燃焼・触媒技術も伸び、車全体は徐々にインテグラル化へ向かった。

日本の製造企業の組織能力は、この設計思想と適合的だった。戦後、長期雇用・長期取引を背景に、設計・生産現場の多くが、多能工のチームワークによる統合型組織能力を構築しており、小型車はそれと相性がよかったのだ。

他方、大型車で儲ける米国企業は、小型車技術の発展には無頓着だった。そこへ第一次石油危機が襲来したが、米国勢は「儲かる大型車のサイズ縮小」でしのいだ。だが、第二次石油危機で燃油浪費の大型車が行き詰まり、米国企業ははじめて一体型・前輪駆動の小型車市場に本格参入した。いわゆる世界小型車戦争だ。

だが米国勢は、なれない小型車の開発で手間取り、また同じ土俵で競争することで、生産性や製造品質や開発スピードなど、現場力での対日劣位が判明した。要するに、米国企業の分業型組織能力と小型車の擦り合わせ設計思想のズレが顕在化したのである。

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そこで米国は政治を頼る。81年に日本製乗用車の対米輸出自主規制(事実上の輸入規制)が成立。米国勢は時間を稼ぐ中でトヨタ自動車などの統合型組織能力に学び、現場競争力で追いつこうとした。いわゆる「トヨタ生産方式」ブームだ。他方、米国企業は「儲かるトラックビジネス」の復活を図る。さすがにこの面で米国企業の戦略構想力は高く、トラック型製品の市場開拓戦略は奏功した。北米トラック市場参入が遅れた日本勢の戦略ミスもあり、米国企業は90年代、日本企業を上回る利益を出した。競争を回避し、楽に儲ける米国流競争戦略の成功例ともいえる。

つまり、組織能力と設計思想のズレに直面した米国企業は、一方で小型車の設計思想に合わせて統合型組織能力の向上に努め、他方で伝統の分業型組織能力に合うトラック型設計思想を温存する「両面戦略」を採ったわけだ。

皮肉なことに、後者のあまりの成功が米国企業の長期判断を誤らせた。結局、彼らの統合型組織能力の構築は中途半端になった。工場の生産性や製造品質では対日差が縮小したが、製品開発の生産性は日本の半分程度、開発スピードも3分の2程度にとどまった。小型車開発の停滞が最大の弱点という認識が経営陣の多くに欠けていた。GMは、巨大な北米販売網と不足する開発力を埋めるため、開発力のある日韓欧の提携企業や子会社の小型車を投入するびほう策でしのいだ。

北米の大型車が「延命」する環境もあった。第1に政治的理由もありガソリン価格が低く抑えられた。第2に80-90年代がベビーブーム世代7000万人の標準世帯形成期で、大型ミニバンなどの需要が高かった。第3に、これらの追い風に陰りが見え始めたころ、今度は金融バブルが発生し、無理な借金で高額・大型車を買う消費者が増えた。トラック系大型車は米国内工場、一体型高級車は日本や欧州からの輸入で対応した。

かくして、米国企業はトラック延命に傾注するあまり、統合的な開発組織能力の構築という根本的問題解決に、正面から地道に取り組み続けることができなかった。巧みな本社戦略や国際企業提携に一時の幸運や敵失も加わり、問題を先送りできたが、次第に策が尽き、業績が悪化した。

加えて、金融子会社が金融バブルに手を染めて強引な販売に走り、墓穴を掘った例、「収益は川下のサービスに移った」との経営者の設計論的大錯覚で巨額資金をサービス業に投資し雲散霧消させた例、合併相手の混乱した政策で自社の持ち味を消された例など経営ミスも続出。年金や医療費など巨大な人件費負担も抱え、今に至ったのだ。

一見賢い競争戦略ゆえに、長期的な能力構築を怠ることの怖さを我々は教訓とすべきだ。この産業に奇策はない。電機自動車で一発逆転はない。400万台、600万台つくらないと生き残れないという幻想も根拠はない。結局、地道な能力構築競争・技術開発競争で、安全・環境・燃費の面でさらに数段高い製品をいかに安価に迅速に供給するかだ。次のステージは、高級大型車から環境安全対策車に土俵を移した、地道な能力構築と製品進化の競争再開ではないか。厳しい制約が続く限り、日本企業にチャンスはある。

2009年5月22日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2009年6月9日掲載

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