再考イノベーション もの造り現場発の視点で

藤本 隆宏
RIETIファカルティフェロー

イノベーション論議を深めるには、付加価値を生む設計情報の流れをきちんと押さえた、現場発のもの造りの視点が不可欠である。低生産性部門に組織能力を移植し、底上げできるかがカギであり、団塊を中心とした現場のベテランをインストラクターとして活用するのが有効だ。

生産性の向上 道筋が見えず

イノベーションをめぐる議論が盛んである。確かに、少子高齢化による労働人口の減少が不可避な中で経済をさらに成長させるには、1人当たりの付加価値額、つまり付加価値生産性の向上しかない。そして製品や工程や事業のイノベーションは生産性向上の決め手となりうる。筆者も「イノベーション→生産性向上→人口減少下の経済成長」との流れには賛成だ。

しかし、具体的にどんなイノベーションで生産性を向上させるかとなると、明確な道筋が見えてこない。今の流れでは一方に、巨額の科学技術予算で日本発の画期的な科学技術や新産業を興そうとの「ビックプッシュ」論がある。他方、未来の素晴らしい生活スタイルを描き、そこから逆算して必要な新製品や新技術を列挙する「ビッグプル」論がある。イノベーションの未来像としては分かるが、一体それは、生産性向上や経済成長とどう結びつくのか。議論がここで終わってしまうと、過去にもあったように、新産業に結びつかぬ科学技術の孤島群、開発したとたん海外に覇権を奪われる新製品群、企画倒れの新事業群などの死屍累々となりかねない。

今の議論に足りないのは、顧客に至る付加価値の流れを地道に作るもの造り現場の視点、すなわち現場発のイノベーション論ではなかろうか。

シュンペーターも示唆する通り、イノベーションとは新設計による事業化のことだ。新しい知識や技術から新しい設計情報が生まれ、それが製品や工程といった人工物に仕込まれ、顧客に届き、その期待や満足さらには購買意思につながるという一連の流れ、つまり「付加価値を生む設計情報の流れ」が完結してはじめてイノベーションは成立する。画期的な新技術も売り上げが立たねばイノベーションといわない。

顧客に至る「設計情報の良い流れ」を作る活動の総体を「もの造り」という。この流れを統御する最小の単位が「現場」である。したがって、イノベーションを生産性向上に結びつける陰の主役は、もの造り現場なのだと筆者は主張したい。

企業の能力構築努力により設計情報の良い流れが進化し続ければ、その現場は生産性を高め国内で生き残る。「産業」とは、こうして生き残ったしぶとい現場の集合体であり、その集積が一国の経済成長をもたらすのだ。

固有技術以上に汎用技術が大事

現場発のイノベーション論導入には、現場論の側にも「開かれたもの造り」という新発想が必要となる。昨今の一部マスコミのもの造り報道は、ともすると、感動的な話や良い映像が撮れる伝統的製造現場の名人芸(匠の世界)に集中しがちだが、もの造りが日本経済に与える影響は、それよりずっと広いのだ。

第1に、「開かれたもの造り」の根幹は「もの」ではなく「設計」にある。もの造りとは「ものをつくること」ではなく、設計情報を「ものにつくりこむこと」である。新しい設計情報を転写した人工物で顧客を満足させることであり、生産現場だけでなく開発も購買も販売も含まれる。

第2に、開かれたもの造りは製造業の枠も超える。付加価値の根源は設計情報にあり、それが有形の媒体に転写されれば製造業、無形の媒体に転写され顧客に発信されればサービス業になる。「設計情報の良い流れをつくる」という基本は変わらなく、製造業とサービス業を峻別する議論はもはや古い。優良製造企業と優良サービス企業の相互学習こそが重要なのである。

第3に、開かれたもの造りの知識は、既成の産業分類の壁を超えて共有される汎用技術である。つまり、「もの造りの汎用技術」と「固有技術」を混同すべきでない。電子工学、機械工学、化学工学などの固有技術もむろん大事だが、そればかりにこだわれば、産業間の知識共有が阻害され、「固有技術で勝てれば日本企業は勝てる」とのハイテク幻想にもつながる。固有技術偏重のイノベーション論は危うい。

もの造り汎用技術の二本柱は、アーキテクチャー知識(設計情報のつなぎ方)と、もの造り組織能力(設計情報の上手な流し方)であるが、どちらも固有技術の違いを超え業種横断的に共有できる知識である。そして、産業の壁を超えたもの造り知識の共有は、一国の産業競争力を左右する。

こうした開かれた概念を適用すれば、もの造り現場発のイノベーション論の骨格が見えてくる。

まず、日本経済全体の生産性向上には、経済の大きなウエートを占める「競争不全部門」、すなわち非製造業を中心に規制や保護、談合などで国際競争力を欠く分野の生産性向上が不可欠である。もの造り組織能力や生産性で世界をリードするのは、製造業を中心に国際競争にさらされてきた「競争貫徹部門」だが、それは日本経済のおそらく十数%に過ぎない。

競争不全部門の大幅な生産性向上には、定番的に指摘される規制緩和・民営化・構造改革などだけでなく組織能力の注入が大事である。IT(情報技術)導入の必要性もいわれるが、我々の十数年の実証分析が示すのは、ITという固有技術だけでは競争優位は得られないという現実である。ITが生産性に結びつくには、ITを使いこなす「もの造り技術」の存在が必須である。

競争不全部門へ能力の注入必要

結局、非製造業を中心とした競争不全部門への「もの造り技術」の注入こそがポイントだとの結論に至る。画期的な固有技術の創造以上に、業界や製造業・サービス業の枠を超えたもの造り汎用知識の大々的な移転が、イノベーションによる生産性向上の本命ではないか。トヨタ自動車などがスーパーや郵便局や病院で行ってきたような競争貫徹部門から競争不全部門への知識移転を今の数十倍規模で行うべきだ。

その主役は、競争貫徹産業の現場経験を持ち、他の産業の人にもの造り技術を教えることのできる人材、すなわち「ものづくりインストラクター」であり、その最大の潜在的供給源は、団塊世代を中心とする現場のベテランだ。彼らが定年で特定企業との雇用契約を解かれる今年以降が、その大量育成の好機だ。

東大でも主に50歳代を対象に、ものづくりインストラクター養成スクールの実証実験を2年間実施、約30人の修了者を出した。その結果、産業を超えた知識の共有や他産業に知識移転を行う人材育成は可能との確信が深まった。後は、全国の企業、諸団体、地域、国などが、そうした担い手を育成する仕組みを迅速に立ち上げることだ。

企業側も、60歳を過ぎたもの造り人材を自社内で過度に囲い込まず、他産業でも適用する指導者として養成すべきである。例えば、40-50歳代の現場のベテランをものづくりインストラクターとして再教育し、定年前から、自社の若手や非正規従業員、近所の中小企業、地域の非製造業の現場などへの知識移転で活躍してもらう。これで、製造業の20-30歳代の非正規従業員への多能工教育が進み、彼らの正規従業員への雇用も進み、非正規従業員過多と見られる多くの現場もバランス是正に向かう。

そうすれば、非製造業の現場の生産性も高まり、過労状態の製造中核人材(30-40歳代)にも自己研鑽の余裕が生まれる。経営者も日本の現場に対する自信を回復し、日本に残せる現場を短絡的に海外に移すような失敗も減る。現場の生産性が高まれば、今より良い賃金で従業員を遇しながらも日本で生き残れる現場が増える。こうして、もの造り汎用技術の共有は、自社だけでなく産業や社会全体に好循環を起こす、一種の起爆剤になる。そのときも、もの造り現場は、イノベーションと経済成長をつなぐ連結ピンになろう。

イノベーションの一大源泉は他産業からのもの造り知識の導入だ。ある産業で当たり前の知識が移転先の別の産業でオンリーワンの組織能力に化けることはよくある。そうした知識移転の担い手として、団塊を軸にしたものづくりインストラクターへの期待は大きい。

2007年3月28日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2007年4月6日掲載

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