ルール対裁量

渡辺 努
ファカルティフェロー

ルール対裁量は金融政策の運営スタイルに関する古くからの論争である。裁量とはそのときどきの判断に基づき政策を決定するというスタイルである。これに対してルールとは、中央銀行が先行きどのように行動するかを事前にアナウンスしておくというスタイルである。市場に対する事前の約束(コミットメント)ともよばれている。

ゼロ金利をきっかけに転換を図った日銀の政策運営スタイル

過去の日銀の政策を振り返ってみよう。日銀は1999年の2月に超緩和政策(ゼロ金利政策)を開始したが、その直後の4月に当時の速水総裁が異例ともいえる談話を発表している。それは、金利をゼロにする政策は一時的なものではなく、ある程度、継続すると考えて欲しいという市場への呼びかけであった。日銀がこの奇妙な談話を出した背景には、2月の超緩和政策の導入後、翌日物金利はゼロに近くなったものの、もっと長い期間の金利が十分に下がらないという日銀にとって予想外の事態が生じたという事情がある。

市場には、過去の日銀の政策運営を踏まえれば、金利をゼロにするなどという異常な政策が長く続くわけはなく、明日にでも終わるはずだという読みがあり、その結果、長い期間の金利が十分に下がらないという事態が生じたのである。速水総裁の談話は、市場参加者に対して「日銀は過去の政策パターンから乖離し、市場が考えるよりもっと長い期間ゼロ金利を継続するつもりだ」ということを伝え、市場予想の変化を促そうとするものであった。

このときの総裁談話は、市場の予想外の反応に対する日銀の苦し紛れの対応という印象が強い。しかしその後、2001年3月には「消費者物価上昇率が安定的にゼロを上回るまで」量的緩和政策を継続するとアナウンスするなど、より巧妙かつ確実な方法で「日銀は市場が考えているよりも長く超緩和政策を続ける意志がある」というメッセージを市場に送ってきた。当時行っていた緩和が過去のパターンと異なるというメッセージを強く発することにより、将来の日銀の政策に関する市場の予想を緩和方向へと改定させ、それによって景気を下支えようというのがその意図であった。これらは将来の中央銀行の政策について約束しているものであり、ルールの色彩が濃い。

日銀は当時なぜ約束をしたのか。約束はゼロ金利下で金融政策の有効性を確保するための苦肉の策であったと考えられる。コール翌日物がゼロに到達してしまうとそれ以上の引き下げは不可能である。では金融緩和はそれで終わりかというとそうではない。明日または明後日さらには1年後のコール翌日物の水準について約束することによりさらなる金融緩和効果を得られる。市場が1年後までコール翌日物ゼロが続くと予想すると、今日の市場で成立している1年物金利がゼロに近づき、それが景気刺激効果を持つからである。

日銀の政策運営スタイルは、ゼロ金利に入るまでは裁量の色彩が非常に濃いものだったことを考えると、スタイルの転換は日銀にとって非常に思い切ったものであったといえる。ゼロ金利という非常事態だからこそ可能だったのだろう。

しかし約束が有用なのは実はゼロ金利下だけに限らない。最適な金融政策ルールに関する最近の一連の研究によれば、一般に裁量よりもルール型(約束型)の政策運営の方が高い経済厚生を実現できる。約束に基づく政策運営では、中央銀行自身が近い将来どのような行動をとるかをアナウンスすることにより市場参加者の予想に働きかけ、それによって現時点での経済の状態に影響を及ぼすというチャネル(金融政策の「予想チャネル」)が新たに加わるからである。金融政策が経済に影響を及ぼすチャネルがひとつ増えるのだから、経済厚生が改善するのは自明である。最近注目を集めているインフレ・ターゲティングは約束型の一形態である。

予想チャネルの放棄を意味する裁量への回帰

本年3月の量的緩和政策解除の直前には、日銀の「次の約束」は何かを巡って市場でさまざまな憶測が飛び交った。01年3月の量的緩和に関する約束が終わろうとしているのだからそれに代わる次の約束を市場が求めたのは自然といえよう。市場は日銀の先行きの行動を読むための情報を欲していたのである。しかしそれに対する日銀の答えは、物価安定の「理解」の公表であった。日銀はこれが目標値でも参照値でもないことを強調しており、その意味で市場が求めていたものとは明らかに異なるものである。「総合判断」という名のもと裁量に回帰しようとしているともみえる。

将来の政策を今決めてしまうことは窮屈であり、将来時点における政策選択の自由度を奪う。つまり、金融政策の機動性と約束は相反する面がある。これは古くから指摘されてきたことであり、日銀が懸念しているのもこの点である。また意外なことに、市場参加者の中にも同様の懸念があり、日銀を支持する声も少なくない。しかし裁量への回帰は予想チャネルの放棄を意味する。人々の予想の揺れが金利変動の支配的な要因となっている現代の市場構造を前提とすれば、予想チャネルを放棄することのコストは大きいと見るべきであろう。

2006年6月6日

2006年6月6日掲載

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