中国経済新論:実事求是

「元高」に追随しない香港ドル
― 人民元ペッグへの移行は時期尚早 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

近年、人民元の切り上げ期待につられる形で、香港ドルも上昇圧力にさらされるようになった。このような状況は、昨年7月に中国が人民元の2.1%の切り上げを実施し、「管理変動制」に移行してからも、変わっていない。緩やかに上昇している人民元の対ドル相場は、1対7.8という香港ドルの対ドルの公定レートに近づいてきており、海外市場で取引されている12ヶ月先物(NDF)に至ってはすでに7.8を突破している(図)。これをきっかけに、香港ドルはこれまで採ってきたドルペッグから、1香港ドル=1元というレートで人民元ペッグに移行し、人民元とともにドルに対して上昇するのではないかという思惑が、新たに香港への投機的資金の流入を誘発している。

香港ドルが、人民元の動きに翻弄される背景には、香港が1997年に中国に返還され、大陸との経済交流も盛んになる中で、香港ドルと人民元の連動性を強め、さらには一本化すべきだという認識が高まっていることがある。しかし、香港ドルは人民元とは別の通貨として存続されることが、香港返還後の50年間に維持される「一つの国、二つの制度」の象徴になっているため、当局は為替制度とレートの変更には非常に慎重な姿勢をとっている。その上、中国はまだ十分なマクロ管理能力を備えておらず、資本取引に関する人民元の交換性が保証されていない現状では、人民元との一本化に向けた為替制度の変更は、香港ドルに対する信認の低下につながりかねないことから、実施される可能性が極めて低い。

振り返ってみると、香港ドルは、83年10月中国への返還問題に伴う政治不安の表面化で急落したことを契機に、変動制から現在のドルペッグ制へと移行した。その後も、香港経済が87年10月のブラックマンデーや、89年6月の天安門事件に伴う株価の暴落、95年初メキシコ通貨危機に伴う米国を中心とする機関投資家の新興市場からの資金引き揚げ、1997-98年のアジア通貨・金融危機など数多くのショックを経験したにもかかわらず、当局は一度も公定レートの変更を許さなかった()。今回は、香港ドルが受ける圧力がこれまで経験した切り下げから切り上げへと変わったが、ドルペッグを守るという当局の断固たる態度は貫かれるだろう。

しかし、中長期的に、香港と中国経済の結びつきがさらに強まり、中国の国力の向上とともに人民元の国際的地位が上昇すれば、香港ドルの対人民元ペッグ、最終的には、人民元との一本化がむしろ自然の流れであろう。実際、曾蔭権・香港特別行政区行政長官は、今年5月に行われたラジオのインタビューにおいて、人民元の交換性の実現を前提に、将来的には、香港ドルの人民元ペッグの可能性があることについて初めて言及した。

結局、「一つの国、二つの通貨」という香港ドルと人民元との関係は、あくまでも過渡期の措置であり、中国と香港の政治・経済制度と発展段階の収斂が進めば、両通貨を区別する意味がなくなる。返還後の香港の枠組みを決めた「中英共同宣言」や「基本法」の作成に当たって、当事者達はこの収斂には50年程かかるだろうと想定していたようだが、中国経済がこれまでの四半世紀と同じ高成長を続ければ、両通貨の統一がもっと短期間に実現される可能性も出てこよう。

図 人民元と香港ドルの対ドルレートの推移
図 人民元と香港ドルの対ドルレートの推移
(出所)中国国家外匯管理局、香港金融管理局、Bloombergデータより作成

2006年6月28日掲載

脚注
  • ^ もっとも、為替レートの安定は、必ずしも経済全体の安定を意味しない。実際、これまでドルペッグを維持するために、香港は高いコストを払ってきた。ドルペッグの下では、金利裁定が働くため、香港の金融政策は実質上米国のFRBに任せることになっている。香港と米国の景気循環の連動性が強ければ問題は少ないが、残念ながらこの条件が近年成り立たなくなっている。アジア通貨危機当時、香港は生産と物価が大幅に落ち込んでいたにもかかわらず、急落した他のアジア諸国と比べ割高となった公定レートを維持せざるを得ない上、景気が依然として好調だった米国の高い水準に金利を合わせなければならなかった。金融政策の独立性が失われた結果、アジア通貨危機の影響を受けた他の国や地域と比べて、香港はもっとも回復が遅れたのである。
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2006年6月28日掲載