中国経済新論:実事求是

香港ドルの行方
― アルゼンチン危機で崩壊したカレンシー・ボード制の神話 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

昨年末以降アルゼンチンは経済危機が続く中、当局がこれまで採用していたカレンシー・ボード制を放棄し、公定レートを大幅に切り下げた上、二重レートを導入した。今回の事件を通じてカレンシー・ボード制の脆弱性が改めて露呈され、アジアにおいても、同制度を採用している香港ドルの行方が注目されている。

カレンシー・ボード制とは、為替レートを特定の外貨に固定させた上で、法律などに決められる厳格なルールに従って、通貨発行量を外貨準備の水準に連動させる制度である。例えば、香港の場合、当局が1米ドル=7.8香港ドルという公定レートで、無制限に取引に応じる約束を果たすことにより、市中に流通する香港ドル札に関しては100%のドルの裏付けが自動的についているのである。カレンシー・ボード制が一種の固定為替制である上、緊急時には為替を変更する選択が残っているという面においても、多くのアジアの国が採用してきた(調整可能な)ドルペッグ政策と共通している。

独立した金融政策、為替レート安定、自由な資本移動の3つの政策を同時に採用することはできない、という国際金融の三位一体説に従い、カレンシー・ボード制を採用している国において、資本移動と為替の安定を両立させるには、独自の金融政策を放棄せざるをえない。そのコストが非常に高いことを、カレンシー・ボードに基づくドルペッグ制を採用しているアルゼンチンと香港の経験が示している。

まず、アルゼンチンでは、1994年のメキシコ通貨危機当時、メキシコ債券へ投資していた小銀行の流動性危機問題に充分な対処ができず、これが金融システム不安をもたらし、預金引き出しや銀行の淘汰などが進んだ。この背景には、カレンシー・ボード制の下では、中央銀行が間接的に金融緩和を通じて流動性を提供し、または直接的に市中銀行に融資することを通じて最後の貸手として機能することができなかったことが大きい。さらに、1990年代後半にドルが主要通貨に対して上昇すると、実力以上に高くなったペソが輸出競争力を弱め、デフレ圧力を強めた。これを受けて、経済成長率は1999年以降マイナスに転落し、今回の危機につながった。

一方、香港では、為替リスクが発生しない平時には、金利裁定が働くため、金融政策は実質上米国のFRBに任せることになっている。香港と米国の景気循環の連動性が強ければ問題が少ないが、残念ながらこの条件が近年成り立たなくなっている。アジア通貨危機当時のように、香港は生産と物価が大幅に落ち込んでいたにもかかわらず、急落した他のアジア諸国と比べ割高となった公定レートを維持せざるを得ない上、景気が依然として好調だった米国の高い水準に金利を合わせなければならなかった。その結果、98年に成長率がマイナス5.3%に落ち込んだにもかかわらず、実質金利が99年に12.5%まで上昇し続け(名目プライム・レートは8.5%、インフレ率はマイナス4%)、不況を長引かせる要因となった。

その上、これまでカレンシー・ボード制は投機に強いとされてきたが、今回のアルゼンチン危機が端的に示しているように、切り下げという選択肢が残る限り、投機の対象になりやすいという脆弱性を払拭できない。香港においても、アジア通貨危機を受けて、当局の為替レートを維持する能力(または決心)に対する信認が揺るがされることになり、資本流出を止めるために、海外金利を大幅に上回る金利水準(97年10月23日には一時年率300%)を維持しなければならず、経済成長と金融システムの健全性が損なわれる結果となった。

このように、カレンシー・ボード制は金融当局の自由度を制約することによってマクロ経済政策に対する信認を高め、為替投機を防ぐという本来の意図に反して、現実では、金融政策の独立性を奪っただけとなっており、投機を防止するには無力である。カレンシー・ボード制の神話が崩壊した今、香港も為替制度の再考を迫られている。

2002年1月18日掲載

2002年1月18日掲載