中国経済新論:実事求是

時代とともに前進すべき為替政策

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

海外から人民元の切り上げを求める声が高まり、また市場における切り上げ圧力を象徴するように、中国の外貨準備が急増している。しかし、当局は、切り上げの必要性がないと繰り返して強調し、マスコミに至っては人民元の切り上げ論が日本をはじめとする諸外国の「陰謀」であるという警戒論に支配されている。客観的に見て切り上げの条件が整っているのに、なぜ中国はその実施を拒否し続けるのだろうか。

まず、これまでの成功体験が逆に新しい思考への妨げとなっている。1997-98年のアジア通貨危機当時、中国は豊富な外貨準備をバックに、人民元の安定に努め、危機の中国への波及を免れた。これにより、アジア諸国間に起こった切り下げ競争を避けられたことから、中国は世界各国から、アジア通貨危機の終息に大きく貢献したと高く評価された。こうした経緯から、当局は為替の安定と外貨準備の拡大を、政策手段というよりも目指すべき目標と見なすようになった。

第二に、現在中国経済のパフォーマンスが概ね良好であり、当局はマクロ政策を変更する必要性を感じていない。一般的に、外貨準備がこれだけ増えると、マネーサプライもそれに連動する形で急増し、その結果、インフレが起こり、物価の安定のために、為替レートを切り上げて対処するというのが通常の処方箋である。しかし、中国の場合は、現在、インフレが起こるどころか、いまだに物価が下がり続けているというデフレ状態にある。また、切り下げ圧力にさらされる場合、対外収支が悪化し、外貨準備が不足することにより輸入の決済や債務の返済に支障が生じるなどの緊急事態が発生するが、これとは対照的に、現在のように外貨準備が上昇する局面では、当局が切り上げ実施に追い込まれることがない。

第三に、元の切り上げは、国全体で見れば望ましくても、それによってマイナスの影響を受けるグループは反対するだろう。具体的には、元高になれば、中国の製品がドル換算で高くなり、国際競争力が低下する一方、輸入価格は人民元で見て逆に安くなることから、農業をはじめとする、輸入との競争にさらされている比較劣位の部門や、効率の悪い国有部門が打撃を受けることになろう。

最後に、日本を始めとする海外からの切り上げ要求は、為替政策という中国の国内経済問題を国際政治問題に変えてしまっている。

しかし、このコラムでも繰り返し強調してきたように、国内外の経済情勢が大きく変化した今、これまで上手く機能してきた為替政策も見直すべき時期に入っている。上述の論点の誤りを明らかにすることを通じて、改めて人民元切り上げの必要性を訴えたい。

まず、アジア通貨危機当時、人民元の安定(切り下げないこと)は各国が求めたものでもあったのに対して、現在の人民元の安定(切り上げないこと)は国際社会から批判の対象となっている。日米欧の対中貿易不均衡が拡大し、特に2002年の米国の対中赤字が1000億ドルを超えている中で、中国が切り上げを避けようとすると、貿易摩擦の激化という代償を支払わなければならない。

第二に、3000億ドルに上る現在の外貨準備の保有量はアジア通貨危機当時と比べて倍増しており、その運用益が国内投資と比べて非常に低いことをあわせて考えると、はるかに「最適規模」を超えていると見られる。また、外貨準備の急増はすでにマネーサプライのコントロールを困難にし、不動産市場におけるバブルの膨張を助長している。

第三に、WTO加盟後も輸出が堅調に伸びており、輸出業者からの反対が弱いものと見られる。本来、為替政策の目標はあくまでもマクロ経済の安定、中でも対外均衡に限定すべきものであり、無理して比較劣位部門の保護といった他の目的に使えば、その副作用が大きいことを覚悟しなければならない。産業政策や弱者の救済は、為替政策ではなく、財政などより直接な手段で行うべきである。

最後に、海外からの切り上げ要求に対して感情的になってはならない。為替政策は自国の利益を基準に冷静に判断すべきである。実際、ついこの間まで、中国のマスコミにおいても人民元の切り上げに賛成する意見が多く登場したのに、外圧が高まるにつれて完全に反対論に取って代わられた。政府主導のこのような世論形成は、当局が採れる政策の余地を自ら狭めるだけであり、決して中国のためにはならない。

そもそも、どこの国でも、ある政策または制度が一旦実施されると、その有効性が失われてからも、継続される傾向が強く、中国の為替政策はその一例にすぎない。こうした慣性の打破を目指して、江沢民主席が、2002年の秋に行われた共産党第16回全国代表大会における報告で、「改革を行うには、絶えず思想を解放し、実事求是をむねとし、時代とともに前進しなければならない」と訴えた。これからの人民元のあり方を考える際に、まさにこのような精神が求められている。

2003年3月28日掲載

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