知的財産権の保護と貿易ルール

若杉 隆平
研究主幹・ファカルティフェロー

はじめに・・・WTOへの提訴

知的財産権の保護が不十分であることを理由として、米国は中国との協議を要求してWTOの場に提訴することになった。中国の知的財産権の法制度が不十分であるため映画DVDや音楽CDのコピー商品が中国市場に出回っていること、真正品の輸入に障壁を有していることが結果的に模倣品の流通を助長していることを理由としている。同時にEUも米国の提訴に追随して、WTOへの提訴を検討し始めている。EUの場合には、多数のブランド商品が中国製の模倣品の流入によって被害を受けていることを取り上げ、不十分な中国の法制度の改善を求めている。日本は、協議当事国としてではなく、利害関係を有する第三国として協議に参加することを求めている。日本企業のブランドを模倣した商品が中国市場に流通することによって、被害を受けていることが理由である。

WTOのTRIPS協定の合意の際には、途上国に対して厳密な知的財産権の保護を求めることが現実に困難であるとする国際世論を反映して、途上国に一定の猶予が設けられた。また、医薬品の特許に関しては特例を設けることがドーハ閣僚宣言に盛り込まれ、途上国への柔軟な対応が見られた。これに対して今回のWTO協議への動きは、高い経済成長を達成し、大幅な貿易収支の黒字を計上し、世界貿易の第2位の地位を占めるに至った中国に対してルールの履行を求める動きとして、注目すべきである。所得水準や経済規模が一定の水準に達した国において知的財産権のルールがどのように定着するかを見定める上において重要な問題を含んでいる。

開放経済下での権利保護メカニズム

知的財産権の保護が経済活動に与えるメカニズムを消費者余剰と生産者のインセンティブから議論してみよう。我々が消費する財・サービスに占める知的財産価値のウエイトは年々高まっており、消費される財には多くの技術、ノウハウ、ブランド価値(これらを知的財産と総称しておこう)が体化されている。知的財産は、たとえ、他者に使用されたとしても自らが使用する分には直接的な影響を受けにくいこと(消費の非排除性)、その利用の利益を自らが独り占めにすることが難しいこと(利益の専有不可能性)が特徴である。こうした知的財産を自由に模倣することが可能とされる条件下では、模倣された財・サービスが市場に競争的に出回ることで消費者は利益を得る。しかし、その場合には知的財産に関する収益はゼロに等しくなるため、そうした技術やノウハウを生み出そうとする経済的誘因はなくなる。

知的財産を法的手段によって権利として確定するのは、創造者の利益の専有可能性を回復することにその目的がある。知的財産権の保護が強化されると、模倣品は排除され、財・サービスは知的財産権を保有する者によって市場で独占的に供給される。この結果、財・サービス価格が高くなって消費者余剰は低下するが、知的財産権を保有する者の利潤が確保される結果、知的財産の創造に投入される費用は回収される。そうしたことを予想すると、新しい知的財産を生み出そうとするインセンティブが生まれる。従って、知的財産権の保護は創造者が知的財産を生み出すインセンティブを確保することを条件として、消費者の利益を最大化するように制度設計されるのが望ましい。閉鎖経済下で一国内に発明者と消費者が存在する場合には、このような原則を実現するような法制度とすることで解決を見る。しかし、オープン経済下で、知的財産の創造者と財・サービスの消費者が異なる国に存在する場合には、それぞれの国における最適な制度設計が一致する補償はない。そのことが貿易上の紛争をもたらす原因となる。今回の中国を巡るWTO提訴はその一例である。

知的財産の創出者と消費者が別々の国に存在する場合、知的財産の利益をどこから回収することがそれぞれの国にとって最も望ましいかを考察してみよう。自国には知的財産を創出する者が存在しない場合には、自国にとって保護の直接的利益はない。知的財産を生み出す者が自国にいた場合でも、自国では知的財産権の保護を緩めることによって消費者利益を増大させ、他方、外国に対しては知的財産権の保護を厳しく求めることによって、知的財産の利益を確保し、それによって自国の知的財産を生み出すための費用を賄うことができるならば、それが自国利益を最大化する方策となる。自国市場が小さく、いくら自国で知的財産権の保護を厳しくしたとしても得られる利益が小さいとすれば、なおさらである。このため、知的財産権の保護は、本来的には自国には緩く、外国には厳しくする性質を有している。しかし、各国とも同じことを目論むと、国際的な知的財産権の保護は成り立たないであろう。

自国が自ら知的財産権を保護することを必要とするのは自らが生み出した知的財産の価値を守ることが必要な場合である。こうしたことは、それぞれの国が有している知的財産を生み出すための人材・資源の豊富さの違いによって影響を受ける。知的財産の生産に要する人材・資源を保有しない国は、保護の利益が小さく、知的財産権の保護を緩やかにすることによって自国の消費者や生産者が得る利益が大きい。知的財産を生み出す人材・資源は高い付加価値を生むこと場合が多い。この結果、途上国は知的財産権の保護の制度を整備することに消極的となることは容易に想定される。

知的財産権保護と所得水準

知的財産権の保護の程度は実際に国際的に大きな差異がある。ここでPark and Wagh (2002)の示す特許権の保護に関する指標を紹介する。知的財産権の保護の程度を客観的に指標化することは容易な作業ではないため、数少ない試みの1つである。この指標は、それぞれの国における特許権保護の現状を(1)権利保護の対象がどのくらい幅広いか、たとえば医薬品・微生物をカバーしているか否か、(2)パリ条約、特許協力条約など特許権を保護するための国際条約に加盟しているか否か、(3)国が特許権の強制実施を施したり、権利が利用されていないことを防止する法的権利を有することがないかどうか、(4)特許権の侵害に第三者が協力するようなことを排除するような措置を設けるなど、権利侵害に厳しく対応しているかどうか、(5)20年間の権利保護期間が確保されているか否かなど5つのカテゴリーの下に制度を評価し、各項目を得点化し加点したものである。

図1は、1995年、2000年における主要国の指標を示しており、ここから2つのことが読み取れる。第1は、1995年から2000年の5年間で確実に保護の程度が高まっていることである。WTO/TRIPS協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)が締結され、知的財産権の保護に関する国際合意が具体的成果を結びつつあることが読み取れる。第2は、保護の程度は国際間で依然として格差があることである。知的財産権の保護に関する国際的な不一致が幅広く存在しするため、中国と米・欧・日の間に生じていることと同じような問題が他国においても発生する可能性は多分にある。

途上国は知的財産権の保護に消極的である理由を述べたが、このことを確認するために、知的財産権の保護の程度が1人当たりの所得とどのように相関するかを観察する。具体的にはPark and Wagh (2002) による2000年の特許権の保護に関する指標を被説明変数(Y)とし、2000年の1人当たりGDPを説明変数(X)として、両者の関係を観察する。サンプル数は53カ国である。この結果は以下の式と図2で示すように、知的財産権の保護の程度は1人当たりのGDPによってかなりの程度説明することが可能である。

式

上記の計測結果は知的財産権の保護に関する構造方程式を示すものではない。所得水準は教育水準、科学技術の水準、労働の質など諸要因によってもたらされる結果である。知的財産権の保護の程度はその国の所得水準で代表される諸要因によって内生的に決定されると考えることができる。知的財産権の制度を整備する上で、その国の経済的豊かさが決め手になる。

貿易・直接投資への影響

知的財産権の保護が内生的に決定されるとともに、それが一旦社会の制度として定着するとき、それは翻って経済活動に対して影響を与える。保護が強化されれば、知的財産を生み出す上でのインセンティブが芽生え、新しい技術、ブランド、財・サービスの供給に取り組む新規参入者の活動を促す効果がある。その結果、市場は競争的となって、市場規模が拡大する。このような好循環が実現する場合には、短期的な独占の弊害は長期的な利益によって相殺され、消費者はプラスの利益を得る。知的財産権の保護の強化が独占による弊害をもたらすだけで終わるのか、長期において便益を生むかは、それぞれの国に存在する人材、資源の豊かさに依存する。

知的財産権の保護の程度は貿易・直接投資に対しても影響を与える。近年の国際貿易の拡大は、多国籍企業の直接投資による生産工程の国際的分業の拡大とアウトソーシングによるところが大きい。生産工程の立地に関する企業の意思決定は、知的財産権の保護の程度によって左右される。知的財産権が保護されている国には知的財産を豊富に体化した財の輸入やそうした財を生産する工程が立地する傾向があり、保護の弱い国ではそうしたことは避けられる傾向にある。その結果、保護が強い国では、外国からの投資や新規性のある技術が流入し、技術機会が高まり、経済が活性化する可能性がある。こうしたことはMaskus and Penubarti (1995), Smith (2001)などによる実証研究において明らかにされている。

知的財産権の保護に関するルールが国際的に調和していることは、国際貿易やグローバルに活動する企業の生産活動に与える歪みをそれだけ少なくする。WTO/TRIPSのもとに国際的に調和した知的財産権制度を実現しようとする理由もこの点にある。しかし、途上国にとって先進国と同等の制度を一律に導入することは、消費者余剰の大幅な低下をもたらし、短期的には経済厚生を悪くする可能性がある。こうしたことに国内での賛同を得ることは容易ではない。保護の水準を高めるための制度の整備は、それぞれの国において研究開発能力を高めるための人材・資源が蓄積され、制度の整備が長期的にはその国にとって利益となる条件が伴ってはじめて実現可能となる。そうなれば知的財産権の保護は各国の自発的意思によってさらに進んで行くであろう。このことは多くの日本企業が生産工程の分業を拡大する東アジア諸国においても例外ではない。WTO/TRIPSの実施に関する国際的協調を実現する上では、単に法制度の整備を求めるだけでは不十分であり、途上国の研究開発能力を高めることが必要となるのは以上のような理由からである。

おわりに・・・WTOの紛争処理機能

最後に、WTOルールとの関係に再び戻って締めくくりたい。知的財産権の保護は財産権の侵害から保護することであり、法制的には民事上の問題として取り上げられることが多い。このため、保護の制度設計の問題だけでなく、その制度と実際に実行される保護の度合いとが乖離するという問題が起きる。現実に、知的財産権の法制度が整備され始めたものの、その執行が十分でなく、制度と施行が著しく乖離していることが指摘される国は少なくない。中国に関する法的問題においても制度上の保護と実際の保護とが乖離している点が指摘される。いかに立派な法制度が存在していたとしても、知的財産権が実際にどの程度保護されるかが不明である時には、貿易や直接投資に対する歪曲的影響は避けられない。自らの有する知的財産権が実際にどの程度保護されるかについて、それぞれの経済主体があらかじめ分かっていることが必要である。こうした透明性の確保は、制度の整備と国際的な調和と並んで重要な点である。

WTOでの協議には二国間での協議に勝る点がいくつか存在する。WTOではMFN原則が重視される。また、加盟国に対して協議内容の透明性が確保される点でも優れている。いずれも二国間協議を行う場合に懸念されることが回避される。筆者はこれまでも「知的財産権の保護制度の国際的調和は重要な課題であるが、その前提として知的財産権の保護が各国でどのように履行されているかを示す情報を開示し、制度履行の透明性を高めておくことが知的財産権制度の国際協調を進める上で不可欠である」ことを主張してきた。(日本経済新聞『経済教室』2006年10月18日を参照頂きたい)WTOの紛争処理手続きは、制度の国際的調和を促すことはもちろんであるが、各国の制度の透明を高める上でも有効であり、二国間協議にくらべて決して後ろ向きの対応とは思われない。

引用文献

  • Maskus, K. and M. Penubarti (1995), "How Trade-Related Are Intellectual Property Rights?" Journal of International Economics 55: 161-186.
  • Park, Walter G. and Smita Wagh (2002), "Index of Patent Rights," in Economic Freedom of the World: 2002 Annual Report, 33-43, Washington DC: The Cato Institute.
  • Smith, Pamela J.(2001) "How do foreign patent rights affect U.S.exports, affiliate sales, and licenses?" Journal of International Economics 55: 411-439

世界経済評論 2007年7月号に掲載

2007年8月3日掲載

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