競争政策のいま 司法が規制強化の壁にも

川濵 昇
ファカルティフェロー

各国の競争法は、市場支配力(価格・品質・イノベーション=技術革新=などを左右する力)を形成・維持・強化する企業結合を規制している。欧州連合(EU)と米国では2021年以降、競争当局による企業結合規制の執行が急に厳しくなってきた。EUを離脱した英国も同じ状況にある。これまで企業結合規制が慎重すぎたという批判への対応でもある。

まず全般的に市場支配力を増大させる企業結合が増えてきたという批判が米国内で高まっている。さらに米GAFAに代表されるビッグテックがM&A(合併・買収)により市場支配力を強化してきたのに、競争当局が見逃してきたと思われる印象的な事例が多数報告されるようになった。

例えば、支配的な事業者がスタートアップ企業を買収してライバルを初期の段階で妨げるキラー買収や、成長し得るライバルの機会を妨げて市場から締め出すケース(市場閉鎖)などが挙げられる。最近では、当局が重視してこなかったタイプの悪影響を及ぼす企業結合が存在することが強く意識されている。

最近の競争当局による執行強化は、規制スタンスの全般的な強化と新たなタイプへの対応の双方を反映したものだ。こうした潮流を象徴する出来事として、23年7月の米競争当局による企業結合ガイドライン草案の公表がある。

市場支配力の形成などの評価は、将来の状況に対する高度の経済的判断を踏まえてなされる。同時に司法審査の対象となる法的基準でもあるため、規制の透明化を目的に各国当局はガイドラインを公表してきた。米国のガイドラインは、各国の企業結合規制に常に大きな影響を与えてきた。

今回のガイドライン案は規制の潮流を大きく変える革命的なものと受け止められている。これまでの経緯を振り返ろう(表参照)。

米国の企業結合ガイドラインの変遷
米国の企業結合ガイドラインの変遷

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最初のガイドラインは1968年に公表された。当時の産業組織論の主流だった「構造・行動・成果(SCP)パラダイム」に忠実な内容となっている。

高度に集中した市場構造では競争的行動ひいては市場の成果が悪化するという経験的証拠に依拠して、集中度を大きく上昇させる行動を原則として規制する立場をとった。また競争関係にある水平型企業結合だけでなく、垂直型・混合型も市場閉鎖、参入障壁、潜在競争の阻害をもたらす危険性があり、市場支配力問題が引き起こされるという経験的証拠を重視した。高度に集中した市場で、集中度をさらに上昇させる企業結合は違法と推定する最高裁判例に依拠したものだ。

だが82年のガイドラインで状況は一変する。全般的にミクロ経済理論による基礎付けがなされ、集中度の上昇のみに注目するのではなく、どのようなメカニズムで市場支配力の形成などがもたらされるのかという経済理論的説明を重視するようになった。これらは独占には寛容に対応する「シカゴ学派」による革命的変化とされた。当時の理論的枠組みとしては、どのような場合に市場集中が寡占的協調をもたらすのかということに力点が置かれた。

そして92年のガイドラインでは、ゲーム理論の進展の影響を受け、寡占的な市場での合併により競争圧力が低下することで、協調せずとも市場支配力が発生する理論的枠組み(非協調寡占)に焦点が当てられた。

10年のガイドラインは、米競争当局が開発してきた分析道具のカタログのようなものとなった。水平的な企業結合が競争を阻害する様々な理論的説明が列挙され、競争当局が利用する計量的技法が紹介された。特に非協調寡占における競争事業者間の合併の価格引き上げ効果を数値化する手法が注目された。こうした理論と計量技法の進展は、企業結合の効率性を競争促進効果として具体的に評価する方法も生み出した。

一方、非水平型企業結合は長らく軽視されてきた。だが現実に悪影響が生じているという実証研究が増えたことを受け、垂直型企業結合に特化したガイドラインが20年に公表された。

82年以降のガイドラインの発展は超党派で技術的な漸進主義を採用したものだったが、23年の草案は次の点から従来の枠組みを逸脱したものだと考えられる。

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まず82年以降のガイドラインでは全体的に経済学的説明に依拠した叙述だったのが、23年の草案では経済学的な説明は付録の部分に置かれ、分析指針は判例の引用の多い法的なものとなった印象を与えた。次に68年に採用された集中度の上昇が反競争的な企業結合だという経験的な基準が重視されるとともに、閾値(いきち)となる集中度がかなり低い水準に置かれた。それ以外にも、集中度を市場支配力と同一視しかねない表現が多用されている。

さらに、最近問題となっているタイプの企業結合に対しても過去の判例理論への言及が目立ち、理論ではなく直感的判断を重視しているような表現となっている。競争当局の高官に市場集中それ自体を問題視する「新ブランダイス学派」の論者がいることもあり、82年以前の経験と直感の時代に戻った印象を与える。

もっとも、今回のガイドライン案は本文を含めて経済理論に基づくアップデートも目立つし、直感的説明とされる部分も経済理論的な基礎を持った形で読み込むことが可能だ。

なぜこうした表現をとったのか。一つは最近の裁判所の対応と法執行のあり方のバイアス(ゆがみ)への対処だ。一部の下級審裁判所は、企業結合が高い確度で競争に大きな害をもたらすことを示すよう競争当局に求める傾向がある。そのため当局は定性的な説明よりも、定量的な価格上昇を示すことに集中する傾向が生まれている。そうなると、狭い市場でのごく短期の影響に焦点を合わせがちで、定性的に証明可能な理論的説明(寡占的協調や市場閉鎖、潜在競争分析)を軽視する傾向を生んでいる。

EUでは同様の問題に、23年7月の欧州司法裁判所(最高裁に相当)判決で対処がなされた。競争当局が計量的分析も含めた証拠に基づき企業結合を違法と判断したのに対し、下級審は米国の一部裁判所と同じく企業結合が効率性をもたらすと推定し、それを上回る反競争効果の立証を求めるなど独自の経済観から決定を取り消した。だが司法裁判所は下級審の認識の誤りを詳細に指摘し、原判決を破棄した。司法内部でバイアスを是正したといえる。

適切な企業結合の規制水準を実現するには、理論・実証を含めた経済分析の高度化に加え、司法部門にもそれを的確に伝えて理解してもらう必要がある。

日本では企業結合規制への司法審査は長い間実施されていない。だが想定される裁判所の対応は、公正取引委員会と当事会社による問題解決の枠組みをつくることになるはずだ。規制水準が適切だったかどうかの事後検証と分析道具のアップデートとともに、一層高度化する説明に対し、司法部門が適切に理解できる枠組み設定が望まれる。

2023年9月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2023年9月27日掲載

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