新春特別コラム:2011年の日本経済を読む

創造性があり質の高い政策立案に向け、政策分析力の向上を
―1億円プレーヤー報酬開示制度の行方を中心に―

小黒 一正 コンサルティングフェロー

石田 良 財務省財務総合政策研究所主任研究官

いま日本経済は閉塞感に包まれている。これは、先進国のなかで、少子高齢化のトップランナーに位置する日本が最初に直面せざるを得ない「生みの苦しみ」かもしれない。

だが、新年の2011年こそ、この閉塞状況から脱却する分岐点となってほしい。少子高齢化や経済のグローバル化の進展が進もうとも、持続可能な財政・社会保障、高い成長を促進する成長戦略が求められている。このためには、当然、政治の役割も重要だか、より科学的かつ定量的な議論に基づいた創造性があり質の高い政策立案が不可欠であり、その基盤としての政策分析力の向上も図っていく必要がある

閉塞感という点で、2010年を振り返ると、依然として厳しい雇用情勢、長期化している緩やかなデフレをはじめ、日本経済に関しては暗い話題が多かった。

そのようななか、日産ゴーン社長の報酬8.9億円をはじめ、1億円以上の役員報酬等が個別開示されたニュースはひときわ目を引いた。2010年7月7日付の朝日新聞によると、国内上場企業で1億円以上の役員報酬を受け取った経営者が累計で289人にのぼるとのことで、国内で久々に聞くリッチな話であった。

そこで、以下では、政策分析力との関係で、この役員報酬個別開示制度について、少し考察してみたい。

開示制度導入により、役員報酬にどのような影響があるのか?

既にドイツ、イギリスでは全員の役員報酬、アメリカでも上位5名の役員報酬が個別開示されており、わが国においても2010年3月期決算を発表した上場企業から順次、報酬1億円以上の役員名とその報酬額を、有価証券報告書で個別開示する制度が導入された(図1)。この制度自体はコーポレート・ガバナンスに関する開示の充実のために導入されたものであるが、このような開示制度が導入されると役員報酬の動向は今度どうなっていくだろうか。役員報酬は少なくなるのか、多くなるのか。

図1 主な国の役員報酬開示の仕組み
報酬額の開示額の決め方
ドイツ全員の報酬額を開示開示
イギリス全員の報酬額を開示開示
アメリカ上位5人の報酬額を開示開示
日本
2010年3月期決算より前
役員報酬の総額だけを開示非開示
日本
2010年3月期決算から
・1億円以上の役員は個別に開示
・1億円未満の役員は取締役、監査役ごとに総額を開示
開示
(出所)Asahi.com 2010年6月4日「報酬1億円以上の役員名開示 企業側、恨み節たらたら」を参考に作成

たとえばアメリカでは役員報酬の開示義務が拡大・強化されてきたにも拘らず、役員報酬の高額化傾向は進んだ。

その理由として、徳永・松﨑・斉藤法律事務所レポートは、井川真由美弁護士の論文を引用して2点をあげている(注1)。1つは、開示ルールにより他社よりも低額であることを知った役員が増額要求をするようになったことである(アメリカでは、優秀な役員のヘッドハンティングも多い)。もう1つは、報酬情報を与えられても、株主が役員報酬決定に影響を与えるシステムが確保されていないことである。このような場合、役員報酬の開示は、高額化を促進する可能性も考えられる。

しかし、プライバシーの問題、犯罪誘発等の懸念等から「限度内に減額して、開示を逃れたい」という話も聞かれ(注2)、当開示制度により役員報酬が減額化されるということも十分に考えられる。

実際には増額、減額どちらの効果もあろうが、どちらの効果が支配的かは必ずしも定かではない。このような議論をするとき、得てして感覚に訴えかけた定性的な議論ばかりが取り上げられることが多いが、定量的な研究を紹介することにより、役員報酬開示制度の影響を考えてみよう。

「長者番付」と聞くと、まだ御記憶の方も多いだろう。正確には「高額納税者公示制度」と呼ばれるが、1950年から2005年まで、高額所得税納税者、高額所得法人、高額贈与および高額相続を公示していた制度である。特に所得税に関しては、1000万円以上の所得税を納付している人が7~8万人いたこともあり、さまざまな業者が各税務署に行っては高額納税者リストを収集し、あるいは高額納税者名簿のような形で販売されたり、あるいはワイドショー等で関心を集めたりした。個人情報保護法の施行を契機に2005年に廃止されたが、投資顧問会社の運用部長が所得税納税額トップになったことや、芸能人の納税額の上がり下がり等はテレビでよく報道された内容であり、たまに思い出される。

この長者番付はさまざまな側面で役員報酬開示制度と酷似している。前者は納税額1000万円(注3)であり後者は報酬額等が1億円との差があるものの、開示に当たり明確な下限が存在すること、報道等で注目を集めること、氏名や納税・報酬・所得額等の個人情報が開示されること等が類似点である。後者は上場企業の役員報酬に限られ、開示にあたる下限も非常に高いことから、開示人数には大差があるものの、両制度に対する高額納税者の反応には類似する点があるだろうと推察できる。

長者番付により、高額納税者の申告所得額が増えるか減るかについても議論はあった。第三者の通報により税務調査を受けることへの恐れや高額納税者として公示されることによる顕彰効果により高額納税者の申告所得額は増えるであろうという意見もあった。

その一方、長者番付は、所期の目的外に利用されている面がある、犯罪や嫌がらせの誘発の原因となっている等、種々の指摘がなされていて、長者番付に載らないように公示逃れをしている高額納税者がいるという指摘もさまざまな場所でなされていた(たとえば税理士法人ATO財産相談室(注4))。

この問題に対して定量的な分析をした論文にHasegawa, Hoopes, Ishida, Slemrod(2010)(注5)がある。

この論文は、日本の高額納税者公示を用い、高額所得の分布が理論的にはパレート分布と呼ばれる分布に従うことを用いて、理論的に予想される(推定)所得額の分布と高額納税者公示に基づく(推定)所得額の分布を比較している。そして、「公示下限付近では、実際の所得額の分布が理論的に予想される所得額の分布に比べて1000件強も下回った」という分析結果を明らかにしている。この結果は、様々な仮定に基づいていることに留意する必要はあるものの、長者番付制度の存在により公示される高額納税者が有意に少なくなる可能性を示唆している。

図2:理論的に予想される(推定)所得額と高額納税者公示に基づく(推定)所得額の分布の乖離
図2:理論的に予想される(推定)所得額と高額納税者公示に基づく(推定)所得額の分布の乖離
Hasegawa, Hoopes, Ishida, Slemrod(2010)より引用し、一部加筆

もしこの長者番付の結果が役員報酬開示制度にも妥当するのであれば、役員報酬は開示制度導入にともない、特に開示下限付近(役員報酬1億円強)の役員について、減少するであろうと推測できる。

これからの社会に求められる政策の事後評価

もちろん、長者番付と役員報酬開示制度にはいくつもの差異がある。後者は上場企業の役員報酬に限定されており、長者番付では多く見られた開業医や創業者社長(注6)がほとんど含まれない。また時代背景も異なるであろう。実際に当開示制度により役員報酬の動向がどうなるのかは、結果を見なければ分からないところがあろう。

しかしながら、このような開示制度が、開示対象の所得などそれ自体に与える影響については今までほとんど議論されることはなく、議論されるとしても感覚的かつ定性的な議論に留まりがちであった。

2011年を「閉塞感に包まれる日本からの脱却元年」にするためには、政治の役割も重要だが、創造性があり質の高い政策立案が求められる。また、ここ最近、欧米と同様、日本でも、政策の事後評価を重視する傾向が強まりつつある。このため、以上のような開示制度も含め、各種政策の与える影響について、より科学的かつ定量的な議論が行われるよう、政策分析力の向上を図っていくことが望まれる。

※本稿に示された意見はすべて執筆者個人に属し、経済産業研究所、財務省あるいは財務総合政策研究所の見解を示すものではない。

2011年1月4日
参考文献
  1. 徳永・松﨑・斉藤法律事務所レポート
  2. asahi.com 2010年6月4日「報酬1億円以上の役員名開示 企業側、恨み節たらたら」、金融庁
  3. 控除が最低限と仮定すれば、おおよそ所得額3400-3500万円に相当するが、実際は控除が存在するので、おおよそ所得額4000万円に相当する(「平成14年5月10日税制調査会 第13回基礎問題小委員会」による)。
  4. 「所得税高額納税者公示 《長者番付》は回避できる!?」
  5. "The Effect of Public Disclosure on Reported Taxable Income: Evidence from Individuals and Corporations in Japan", submitted to Journal of Public Economics.
  6. 『長者番付の研究』(市川洋 著)

2011年1月4日掲載

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