特別コラム:東日本大震災ー経済復興に向けた課題と政策

再生の前提としてのリスク再考

小野 五郎 上席研究員

「復旧ではなく復興」には思い切ったパラダイムの転換が要る。政策実務家は事前提案無しの後知恵や思いつきに惑わされてならない。最近「もう想定外は許されない」などと言われるが、阪神淡路大震災後、横浜市「産業防災と災害復興計画」検討部会長を務めた者からすれば、すべてを想定することも想定事態すべてに予め対応したシステムを組むことも不可能である。

また、被災・被害者としては「反省」「謝罪」「賠償」で元に戻るわけではない。その点、貨幣計算上の可逆的パラダイムに依拠すべきではない。数値化された現行社会では自動化システムが受け入れやすいが、一度それが機能しなくなれば原発同様制御不能に陥る。それは、効率性重視のジャストインタイムシステム崩壊でも実証された。「一時的麻痺を含めたシステム全体の高効率性」も、ブランド失墜など動態的リスクまで補えるものではない。

「景気変動に自律的な市場機構も緊急事案には無力で、市場機能回復には強力な政策介入が必要だが、オイルショック時の経験は後のソ連崩壊、阪神大震災、金融証券破綻に活かされなかった。早急に緊急時対応策を考えるべき」(『現代日本の産業政策』99年)だった。その辺の反省が先決で、この際とばかり持論を正当化してはならない。

「阪神淡路大震災はともかく、オイルショック、ソ連崩壊、金融破綻を一緒に論ずること」への違和感もあろう。たしかに多種多様な突発的緊急事案に一律的なマニュアル化は馴染まないが、だからこそ個々人の働き(決断、行動、現場等)に依存せざるをえず、その種の人材育成・配置や体制・情報網整備が必要という共通項が見える。

ところで、リスク管理の要諦は、環境庁四大公害報告書の「被害額は事前防止費用の五倍から百倍」を見ても事前防止にあるが、日本には、事後的評論家は別として、システムに組み込むべきリスクの確定と緊急時対応方針に係る真のリスク管理専門家は存在しない。

本稿では既成概念を一切排し、復興に先立ち配慮すべきリスク問題に絞った。

実を伴う「復興」論議を

まずは局所的常識の積上げではなく、長期俯瞰的視点に立ち、個別復旧事業等より全容解明を先行し、あらゆるリスクに即応しうる体制整備と「日本再生計画」策定による社会構造の抜本的改革を図るべきである。脱原発を超えたエネルギー資源依存型社会からの脱却、弱者がリスク対応しうる社会の構築等を含め、再生予算規模は百兆円単位を要しよう。ただし、被災者と巨大余震発生リスクから、財源論にさして時日を割く余裕はない。

すなわち、90年代同様、小出し対応では後片付けとストック面の修復はできてもフロー面は元に戻せず、時間とともに巨額資金が死に金となる。むしろ巨額資金投入機会再来と積極的に捉え日本社会の再生復活を図れば、長期には財政も健全化され活きた金となる。

現実は財源論が先行し、数兆円規模を念頭に「財政規律」「ソブリンリスク」から国債の日銀引受け否定論が多い。平時なら国債新規発行自体停止すべき段階だとする厳格な財政規律論者たる筆者だが、非常時に常識は無用である。他に有効方策がない以上、最低限の規律遵守のため、復興債自体ではなく市場発行した復興債の償還時点で日銀が無利子借換債を引き受け、併せて復興特会以外は10年以内に均衡化させると内外に公約すべきである。

高度成長期やバブル期に提唱したように、成熟期に備え成長に伴う歪を是正すべきだったが、その機を失し無用の景気刺激策を繰り返し、結果的に構造改革遅延、巨額財政赤字を残し、財源捻出困難なゼロ成長期に突入したのが今の日本である。ただ多数の企業が新規投資先不在のまま多額内部留保を抱えるから、それを実需たる復興投資へ政策誘導すれば、災害を奇禍として再度歪の解消機会が訪れたことになる。

海外への配慮と情報開示の徹底

海外から、当初聞こえた「己の果たすべき役割を自覚し節度ある行動する日本国民」との称賛とは逆に、後から「東電、日本政府の対応の遅れや誠意のなさ」に厳しい批判が寄せられている。中には放射能汚染に係る誇張、工業製品にまで及ぶ輸入拒否など明らかな過剰反応も混じるが、単に感情的に反発すれば事態沈静化には逆効果となる。

今こそ、正攻法に反省すべきは反省し謝罪すべきは謝罪しつつ、誤情報や過剰反応に対処すべく対外広報強化や外交努力に努めるべきである。なお、日本英語交流連盟の対外発信コラムでは、逸早くその種の発信をしてきた。

客観的に見ると、今回のことで日本の本当の力、すなわち「GDPで中国に抜かれたが世界での高い存在感」という事実、「政財界のリーダーシップ欠如」「一部部門の情報隠蔽体質」「全自動化巨大システムの盲点」等のマイナス面、「国民1人1人の高い意識」「日本社会の想定外問題への高い対応力」等のプラス面などが分かった。

だが、原発事故はプラス面を総て吹き飛ばし国際社会の信頼を害ねた。信頼回復のためには、「想定外」との弁解は止め、事実は事実として謙虚に受け止め、未来に向け今次経験を活かすべきである。それには、正確かつ十分な情報開示と内部規律が不可欠である。国際批判される汚染水海洋放出も、その膨大な量を見れば当初から「玉突き処理」では全量処理しきれなかったはずだし、ある程度の低濃度汚染水放出を覚悟して早期に着手していればもっと早く根本策に取り組め、海外からの不信感をさほど高めずに済んだはずだとの意見がある。まさに「時は金なり」。時間が経てば、それだけ状況は悪化する。海外で信頼失墜に直面する国際企業活動、安住の地を追われた多数の方々の辛苦を考えれば、たとえムダになろうとも考えられるすべての案を同時併行実施すべきである。

さらに、情報開示の不徹底がネット上の憶測やデマなど新しい派生リスクを発生させ、放射能への恐怖心から市民生活にパニックを引き起こしたり、「原発被災地周辺への物資供給途絶」なども招いている。

といって、強権的にネット情報を抑制することには問題がある。メディア情報が不完全な中でネット情報に助けられたなど、弊害を上回る効用が認められるし、批判勢力たる学界・メディア等が機能しない中、情報非開示がさらに加速されるのではないかとの不安が残るからである。こうした内部規律欠如への不信はソニーの情報流出とも共通する。

そもそもネットの弊害はかねてから指摘があったのに、保守的発想から対策が後手に回っただけである。ネットというガラス張りの家に住む以上、完全に覗きは防げないという前提でシステム・制度設計が必要であり、ネット天才という意味でのハッカーと悪意のクラッカーとを峻別し、前者に一定資格を与えシステムの脆弱性警告やクラッカー、不正情報、違法サーバー等の摘発などを担う一種の自警団を組織すべきである。

「想定外」とフェイルセーフ

連発される「想定外」で思い出すのは、石油危機直後の「何人たりとも予測できなかった」である。実は危機以前に、OECDが「原油備蓄」を勧告し、省内に資源安全保障研究会が発足し、筆者も「資源備蓄」を提唱していた。だからこそ、世界に先駆けた敏速対応で「日本にMITIあり」と名声を高めたのである。金融危機以前も「デリバティブが投機加速」「米国経済はバブル」との警告があったし、今回も「東北沖で巨大地震」「数十メートルの津波」「福島第一原発の欠陥」等の「予測」はあった。

筆者は元々原発抑制論者だが、かつて原発定期点検時の炉心部に入った。その時「日本の原発の高度耐震設計」を確認した反面、あまりに自動化されたシステムに疑念も抱き、「想定外事態発生への対処方針の必要性」について関係者に伝えている。この印象が正しかったことは、今回「想定外」に強い地震にも第一義的な耐震性能はほぼ耐えたが「想定外」の津波には無力だった。「この太平の世の中で」と一笑された「資源備蓄論」と重なる。

とはいえ、予測・想定すべてに予め対応するのも、費用が無限に膨らみ非現実的である。しかも、備蓄で石油危機が起こらず、超巨大堤防設置後に大津波被害が発生しなければ「莫大な国費の無駄使い」と非難されよう。現に石油公団は再度の石油危機が遠退くと解体され、原子力災害用ロボット開発は「日本では必要事態は起きない」として打ち切られている。

その間の妥協として、必要費用と想定リスク(見込まれる損害×発生確率)とをもってリスク設計しているシステム(制度等ソフトを含む)には、組み込まれた以外のリスクがあるから、それに備えておくは当然である。

そもそも原発など巨大システムは、関係領域が広大で全専門知識を掌握する「専門家」など存在せず、全体を掌握する高度ジェネラリストを要する。原発本体は原子力工学、被曝は放射線医学、海洋汚染は海洋科学等々個別専門家だけでは、個々には正しくても「合成の誤謬」で問題は収束しない。原子力安全委員会が交通麻痺で多数委員が参集できなかった際も、即応可能知識保有者は限られるから形式的会議開催よりその知見を得るのが先決だった。阪神淡路大震災でも、停止高炉の爆発危機発生の折、圧力開放弁が停電のため作動しなくなったのを、手動時代の技術を知るエンジニアOBが駆けつけ救世主となっている。

元々リスク管理上不可欠なフェイルセーフないし遊びは、専門分野が細分化され効率性一点張りの現代システムとは相容れない。なぜなら、フェイルセーフは、重層的ホロン構造(全体整合性と下部構造の可及的自立の併存)によって担保されるが、平時に重視される競争力は差別化と集中化という逆向きのシステムによって達成されるからである。

国家全体を見ても、首都直下型地震で中枢機能が麻痺すれば、復旧・復興に要する指揮命令機能まで失われる。といって、分散しすぎても意志決定が遅れ投入資源も限られてしまう。道州制や首都機能見直しに際し「効率のための集中」と「リスク回避のための分散」との両立を図るべき所以である。また、その基本概念として「補完性原理」(個々人の自立性を可及的に確立し、その不足分を家庭内で補完し、家庭内での不足分を地域レベルで補完し、地域レベルでの不足分を広域共同体・国家全体で補完)を採用すべきである。

上層部の責任の重さとリスク管理体制のあり方

元より「想定外」問題では現場権限に属する小手先細工では済まない。

今回も逸早く「廃炉」を決断すれば危機には陥らなかったと言われる。私企業としては千億円単位の巨額設備廃棄は避けたいだろうが、放射能汚染の直接被害だけで数兆円、産業等への間接被害から国際的信頼失墜まで含む総損害額は十兆円単位に上る。そんな計算はともかく、人的被害や海外での信頼失墜を招かないようにするのが先決だったし、さすれば「代表役員個人的に対しても賠償責任を問うべき」との意見も出なかったろう。

もっとも、逸早く「廃炉」を決断し海水注入、ホウ素投入、ベント開放、低放射能汚染水放出等に踏み切り、結果として水素爆発も高濃度汚染水漏出も起きなかったら、「巨額設備損失」「放射能拡散」の責任を問われたにちがいない。その辺、感情的原発反対論が非常時対応体制など一切整備不要との「原発絶対安全神話」を生み出したこととも共通する。

ところで、これまで「対応マニュアル」「強いリーダーシップ」「高度のジェネラリスト」「必要情報」など不十分のまま何とかもったのは、「現場要員の高い士気」「普通の人々の高い意識」、その背後にある同僚・同胞たちへの信頼感さらには和辻哲郎の言う「忍従と飛躍」が足らざるところを補ったからである。

そこが日本と欧米との最大の相違点である。非常時に「トップのリーダーシップ」に依存する欧米社会は通常の非常時対応には優れるが、トップの想定をも逸脱した場合には大混乱に陥りかねない。何もかも想定可能と錯覚した現代文明における究極のフェイルセーフは個々の力の結集であり、現場主義の日本社会は非常時にトップの決断遅れから一時的混乱が起きやすい反面、局部系ごとの多用な人材の力の結集により現場から混乱が収束していく。そうした力は阪神淡路大震災や小惑星探査機「はやぶさ」でも発揮されたことである。

しかし、人命や組織の存否に係る重大事まで現場責任者に任せるのは酷だし、結果として作業遅延が被害を拡大するから、自動システムを超えたリスクには統括ジェネラリストの提案を受けトップが決断を下すほかはない。そこで、現場とトップを結ぶホットライン、トップに代わり即断する者を現場に緊急派遣する緊急事態即応体制の整備が必要となる。

また、巨大災害後は局部系の復旧だけでは不十分で、全国民に安心感を与え国際社会の混乱を回避するために全体系としての日本再建が求められるから、今後は欧米型の強いリーダーシップが不可欠となる。巨費を投入するからには、欧米追随からの離脱と日本の良さの再評価により、非欧米でありながら欧米型近代化を遂げた「ハイブリッド国家」として、実例をもって海外に「あるべき社会システム」の範を示すくらいの気概が求められる。

2011年5月17日

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2011年5月17日掲載

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