アンチコモンズの悲劇?-知識の私有化の光と影-

中山 一郎
研究員

「コモンズ(共有地)の悲劇」ならぬ「アンチコモンズの悲劇」をご存知だろうか。「コモンズの悲劇」が稀少な資源が共有とされた場合に生じる過大利用の危険を警告し、資源の効率的利用を図るための私的所有権の重要性を再認識させたのに対し、「アンチコモンズの悲劇」は、研究成果の私有化に拍車がかかり過ぎると、知的財産権の“蔓延"(proliferation)を招き、有用な研究成果・技術の利用が妨げられる虞があることを指摘したものである。バイ・ドール法の制定から20年余りが経過し学術研究成果の特許化が進んだ米国では、知識の私有化(Privatization)がもたらす光と影が議論されている。90年代後半に入り、プロパテント政策、産学連携と米国の後を追い始めたわが国にとっても、「アンチコモンズの悲劇」は決して他人事ではないだろう。

コモンズ(共有地)の悲劇

カリフォルニア大学の生物学者であったハーディン教授は、1968年にサイエンス誌において「コモンズ(共有地)の悲劇」という論文を発表した(Science Vol.162 1243[1968])。彼は、稀少な資源を共有とした場合の過大利用の問題を説明するために、共有の牧草地で羊飼達が羊を放牧する例を用いた。牧草地での飼育可能量は決まっているが、羊の合計が許容量以下であればどの羊飼いも何ら問題なく自分の羊を増やすことができる。ところが、羊飼い達は、牧草地の許容量を越えても羊を増やし続け、ついに牧草地は荒廃してしまう。なぜなら、それぞれの羊飼いにとって羊を一頭増やすことによる利益は彼ら自身が享受できるのに対し、羊一頭の増加による過放牧の損失は全ての羊飼いによって負担されるため、各々の羊飼いにとっては羊を増やすことが合理的だからである。この「コモンズの悲劇」を防ぐ一つの方策は、牧草地を共有地とするのではなく、それぞれの羊飼いに私有地を与えて羊を飼育させることである。ここから私的財産権が稀少資源の有効利用を図る上で重要である例として「コモンズの悲劇」はしばしば言及されるようになった。

アンチコモンズの悲劇

「コモンズの悲劇」が発表された30年後、ミシガン大学のヘラ-教授とアイゼンバーグ教授は、同じくサイエンス誌において「アンチコモンズの悲劇」という論文を発表した(Science Vol.280 698 [1998])。彼らは、バイオ分野の研究を例にとりながら、知識の私有化(Privatization)は、コモンズの悲劇を解決はしたが、アンチコモンズの悲劇という新たな悲劇を生み出したと指摘する。米国におけるバイオ分野の研究の多くは連邦政府の研究機関や大学等非営利機関によって実施されており、かつてはその研究成果は誰でも利用できる状態(パブリックドメイン)にあったが、80年のバイ・ドール法の成立以降川上の基礎的な研究成果の私有化が進み、いまや知的財産権の蔓延(proliferation)ともいうべき事態が生じている。このような川上の基礎研究部門(例えば特定遺伝子をコードするDNA配列)における特許の乱立は、川下の最終製品(例えば薬剤)の開発をブロックしたり、ライセンス時のさまざまな条件により川下での利用に多大な負担を強いる。しかも、川上における権利は細切れで権利者は多数に及び当事者間の取引コストが高い上に、関係者間の異なる利害関係や権利の価値を巡る評価の相違等の要因が加わるため、パテントプール(複数の特許権者がそれぞれの特許をプールし、一元的に管理してその利用を図ること)といった従来の手法は有効に機能せず、結果的に資源の過少利用という「アンチコモンズの悲劇」が生じることとなる。

技術革新と特許制度

米国の特許法学者や弁護士等の中では「アンチコモンズの悲劇」に対する批判も少なからずある。彼等の間では、特許権はイノベーションへの強いインセンティブを作り出すもののであって、そのために社会が一定のコストを甘受しなければならないとしても、長期的に見れば強い特許制度こそが経済発展をもたらすといった考え方は信念に近いものがあり、米国政府も途上国に対して知的財産権の保護強化を求める際このような主張をしばしば行ってきた。また、複数の権利によるデッドロックを回避するために市場はクロスライセンス(各自の特許を相互にライセンスしあうこと)やパテントプールといった手段を自発的に発達させてきており、このような市場の機能を重視する立場からは「アンチコモンズの悲劇」は杞憂に過ぎないとされる。実際、米国特許商標庁は、遺伝子関連発明に特許を付与するとアクセスが制限され応用研究や製品開発に支障が生じるとの懸念に対して、パテントプールの活用により技術の有効利用は可能である旨のレポートをまとめている。これに対しアイゼンバーグ教授は、その後別の論文で改めて、当事者間の交渉が失敗に終わる要因として取引コスト、交渉当事者の多様な利害関係、技術評価の不確実性等の問題を取り上げて反論しているが、他方で、これまでのパテントプールの成功例をもとに研究開発市場の構造の相違等に着目し、当事者間のバーゲニングが成立する要因の分析を試みる研究も見られる。

バイオ分野に限らず、技術革新が累積的性格を有する場合において、先行発明の特許が後続のイノベーションに悪影響を及ぼすのではないかという論点は決して新たな問題ではない。古くは自動車や航空機産業の揺籃期にパイオニア特許が新規参入者との間の係争を多発させ混乱をもたらしたとする研究もあり、特許の保護強化こそが技術革新に資するとの命題は米国内であっても特許弁護士が考えるほど確立しているわけではない。またパテントプールの自発的な成立性等技術取引を巡る市場の機能についても楽観論と悲観論に分かれていることがわかる。

進む知識の私有化~「アンチコモンズの悲劇」は杞憂に終わるのか

技術革新の累積性と特許という論点に加えて、「アンチコモンズの悲劇」の背景として挙げられるのは、近年、知識の私有化が進み知的財産権が対象とする領域が拡大しているという点である。これには、バイオ・IT等新たな技術の出現による部分も大きいが、それと相まって、プレイヤーの行動規範の変化による要因も大きい。特にバイ・ドール法の制定から約20年が経過した米国では、大学や政府研究機関等の非営利機関の科学者・研究者達が従来はパブリックドメインに置いていた自分達の研究成果を特許化するという形で知識の私有化が進んできている(もっともLinuxのように創作者が財産権を主張しないといったケースもあり、行動規範の問題はそう単純ではないが、概してそのような傾向は認められるであろう)。

とはいえ、ここでの目的は、行動規範の是非を論じることにあるのではない。研究成果の特許化はその利用を不可能にするものではないし、そもそも研究成果の特許化には研究成果の社会還元といった社会的要請もある。萌芽的な研究成果を実用化・商業化するためには往々にして追加投資が必要となるし、この追加投資に対するインセンティブを与える上で、特許は重要な役割を果たし得る。

そうであるとするならば、より重要なのは、知識の私有化を前提にした上で、知的財産権の領域の拡大が、より多数の者が参加して絶え間なく持続する累積的技術革新のプロセスを阻害しないような仕組みを考えることであろう。そのためには技術や知識の取引に関する市場機能の有効性を再検証するべきであるが、同時に、これを補完する制度的対応として排他権の行使に制約を加えるアプローチも考えられてよいのではないだろうか。ただしその際、「プロパテント」「アンチパテント」といった二者択一的な観点ではなく、創作活動への誘因を損なうことなく技術革新市場における動態的な競争を活性化させるという視点に立つことが肝要であると筆者は考える。いずれにせよ、90年代後半に入り権利者の保護を強化する特許法改正や日本版バイ・ドール法の改正など米国の後を追い始めたわが国にとって、「アンチコモンズの悲劇」は格好の議論の素材を提供してくれているといえよう。

2001年9月18日

2001年9月18日掲載