ノーベル賞を機に職務発明規定の見直し論議について考える

中山 一郎
研究員

10月9日、田中耕一氏(島津製作所)のノーベル化学賞授賞が決定した。その約3週間前の9月19日、東京地裁は中村修二氏(米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)が提起した青色発光 ダイオード(LED)の特許に関する訴えに対し、特許を受ける権利は会社側に承継されたとの中間判決を下した。田中氏と中村氏はともに優れた発明をした企業内研究者であるが、他にもある共通点がある。それは、ともに、発明に対して会社から1~2万円の報酬しか受け取っていないとされる点である。ところが二人の対応は対照的である。田中氏が自由に研究できたことに感謝するのに対し、中村氏は、権利の帰属および対価を巡って会社を訴えた。折りしも職務発明に関しては、紛争の多発を背景に、政府も特許法の職務発明規定を見直すか否かを検討中であるが、果たして職務発明規定の見直しは問題を解決するのだろうか、中村氏と田中氏のケースを参考に少し考えてみたい。

特許を受ける権利の原始的帰属

「特許を受ける権利」は発明者個人に帰属する、これが特許法の原則である。そして現行特許法35条は、従業者による「職務発明」(何が職務発明に該当するかという点も大きな論点だが、とりあえずここでは従業員が職務遂行の過程で生み出した発明としておく。特許法35条第1項参照)に対しても同じ原則を適用し、従業者自身が特許を受ける権利を原始的に取得することを出発点とする。これは通常の雇用契約の考え方とは異なっている。雇用契約は、一方が労務を提供し、他方が報酬を与える契約(民法623条)であって、通例、労務提供の成果物は使用者のものとなるとの趣旨を含むと解されている。しかしながら、特許法は、職務発明に関する権利を従業者に原始的に帰属させることで、雇用の原則に対する例外を設けている(発明は通常の職務遂行に要求されるレベルを超えた個人の創造性の発露と考えられているのである)。

使用者への承継と「相当の対価」

その一方で、特許法は、使用者の貢献も考慮している。第35条第1項では、使用者に無償の通常実施権を認め、第2項では使用者が「契約、勤務規則その他の定」でもって職務発明に関する権利を承継できるよう予め定めておくことを認める。もちろん、第2項がなくとも、使用者は発明が生じる度に従業者と契約を締結して、当該発明に関する権利の譲渡を受けることも可能である。とはいえ、多数の発明が生じる度に契約を締結する手間を考えれば、同じ契約でも第2項の予約承継の方が簡便であるし、さらに「勤務規則その他の定め」といった手段は、使用者側の一方的意思表示で足りると解されているから、多くの企業にとって第2項の意義は大きい。ただし、特許法は、一般に従業者が使用者に比べて弱い立場にあること等をも勘案して、さらに、「契約、勤務規則その他の定」により権利を使用者に承継させた従業者に「相当の対価」を受ける権利を認めるとともに(第3項)、抽象的ではあるもののその基準も示している(第4項)。

東京地裁の中間判決が示した「相当の対価」規定の意味

中村氏の事件では、原告側(中村氏)は、(1)特許を受ける権利は使用者に承継されておらず、依然として原告が権利を有している、(2)仮に権利が承継されていたとしても、その場合には「相当の対価」を受ける権利があり、原告は未だ十分な支払を受けていないと主張した。これに対して、東京地裁は、(1)の点についてのみ判断し、特許を受ける権利の使用者への承継を認めた。この結果、今後の争点は、中村教授が権利を会社側に譲渡したことに対して受けるべき「相当の対価」はいくらかという点に移る。

さて、今回、会社への権利の承継を認めた理由として判決は、ア)権利を使用者に承継させるとの「勤務規則その他の定め」の存在、イ)従業員と使用者との間の黙示の合意の成立、ウ)原告が本件発明に関する権利を使用者に譲渡する旨の契約の成立といった点を挙げている。それぞれ法解釈論としても重要な論点を含むが、ここでは、紙幅の関係上、それらの点には立ち入らず、裁判所が職務発明規定の性格について示した考え方について紹介しておきたい。

今回の中間判決で、裁判所は次のように述べている。
「『相当の対価』(中略)については、最終的に、司法機関である裁判所により、(中略)客観的に定められるべきものであって、契約や勤務規則等の定めにおいて対価として従業者等が受けるべき金額を一定金額に制限する条項を設けたとしても、強行規定である特許法35条3項、4項に違反するものとして無効であり、従業者等は、当該条項に基づいて算出された額に拘束されることなく、(中略)特許法の規定の趣旨に従った「相当の対価」を請求することができるものである。したがって(中略)契約等に相当対価に関する条項が置かれており、当該条項の内容が同条3項、4項の趣旨に反するものであったとしても、従業者等は、対価の不足額を請求することができるにとどまり、条項の不当性を理由として、当該契約等による特許を受ける権利等の使用者等への承継の効果を争うことはできないと解するのが相当である」(「第4 当裁判所の判断 7 原告の主張について (6)」)

この中間判決について、東大先端研玉井教授は、「本判決は、対価規定が強行規定であり、額を裁判所が客観的に決めることによって勤労者の保護が図られるのであるから、権利そのものが会社に承継取得されると考えても差し支えはないのだ、としているわけです」と分析している(「意義と問題点が明らかにされた特許法の職務発明規定-中村修二対日亜化学工業事件第一審中間判決をめぐってー」

実は、「相当の対価」の規定が強行規定であり、必要とあれば裁判所が介入するという考え方は、従来から下級審判例や学説で採られてきていた。従前はこの点が注目されることはなかったが、昨年5月のオリンパス光学工業事件東京高裁判決が同様の判断を示したことと、そして中村氏の事件を始め訴訟が相次いだことを契機に、紛争の多発を恐れる産業界を中心として、裁判所による「相当の対価」への介入を認める現行規定に対する反発が高まり、遂に政府も改正の是非の検討に乗り出すこととなったのである。

職務発明規定の見直し論議に関する2つの疑問

現時点において、筆者は、改正の是非について未だ断定的な見解を持つには至っていない。というのも以下のような2つの疑問を持つからである。

疑問その1:契約アプローチは、紛争を防止するか?
現在、規定の改正の方向性としては、大きく2つのアプローチ、すなわち、現行規定と基本的構造は同様とするが、相当の対価の基準をより精緻化することで紛争を回避しようという<基準明確化アプローチ>と、職務発明に関する権利は対価も含めて労使間の契約に委ねて裁判所の介入を回避しようという<契約アプローチ>が考えられているようである。

契約アプローチは、職務発明に関する規定を持たない米国を参考にしたものであり、研究者獲得競争、雇用の流動性の存在を前提に、従業者は対価等の条件が不満であれば転職すればよく、裁判所が「相当の対価」の決定に介入すべきではないとの立場に立つ。一見合理的にもみえるが、果たして契約アプローチの下では紛争は生じないのであろうか?

中村氏の事件に戻ろう。このケースでは、原告たる中村修二氏が鉛筆でサインしたとされる譲渡証書の効力が問題となっている。原告側は、権利を譲渡するとの意思の合致はなく、契約は成立していない、仮に意思の合致があるにしても、内心の意思と表示された意思の不一致(民法93条但書の心裡留保、民法95条の錯誤)により契約は無効、あるいは、対価が実質的に零円であるような契約は公序良俗違反(民法90条)であり契約は無効であるといった主張を行っている。もちろん裁判所はこれらの主張を認めてはいないのであるが、現行法の下では、従業者保護は「相当の対価」のところで図るというのが裁判所の基本的考え方であることは既に触れた。

これに対し、仮に契約アプローチの下では、契約の成立性あるいはその効力が大きな争点となると予想される。そして、法は、一定の場合には、当事者間で合意したはずの契約であっても、裁判所の判断によりそれを不成立としたり無効とすることを認めているのである。つまり、不満を持つ研究者にしてみれば、現行法の下では「相当の対価」を求めて争い、<契約アプローチ>の下では、契約の成立性や無効を争えばよいのである(なお、現行法の下では、たとえ従業者が譲渡契約の不成立や無効の立証に成功しても、従業者には原則として使用者が有する特許権の取戻請求権は認められず、かわりにその特許は冒認出願として無効理由を有することになる。つまり、何人も特許を取得できないという状態が生じ得る。仮に契約アプローチにより改正する際には、この点も合わせて検討する必要があろう)。

もちろん、今回もそうであったように、余程のことがなければ、契約が不成立又は無効とされることはないといった見方もできるかもしれない。が、確率は低くとも契約不成立・契約無効とされた場合の影響はより大きいことを考えれば、企業のリスクは、契約アプローチの下で低減するといえるのであろうか。

疑問その2:問題の源流は何か?
ノーベル化学賞受賞の田中耕一氏は、特許を受ける権利の譲渡の対価としては1万1千円しか受け取っていないという。報道によれば、田中氏の発明は外国で権利を取得しておらず、発明を利用した製品は英国で製造されているため、島津製作所の社内規程では実績補償の対象にならなかった模様である(もっとも他の社員と共同で十数万円の業績表彰を受け、また、今回の受賞決定後約1千万円の特別報奨金が支払われることとなったようであるが、受賞決定前に発明の「対価」として受け取っていたのは1万1千円、業績表彰まで含めたとしても数万円程度と考えてよいだろう)。それでも、田中氏は「特許を取るよりも仕事が面白いかどうかが重要で、面白い研究が続けられていることに満足している」(日本経済新聞10月11日17面)と述べている。

中村修二氏の場合も、中村氏は、事前にどれほどの対価をもらえるかよくわからないままに発明をし、そして発明完成後、対価の記載のない譲渡証書にサインをして、2万円を受け取っている。そして訴訟を提起したのは、それから10年以上経過した後である。退職しなければ職場を訴えにくかったといった事情があったにせよ、各種報道や本人の言動からすれば、当初から発明の帰属や対価をめぐる争いが存在したというよりも、さまざまな確執の後に従業者として可能な法的対応をとったという側面が強いように思われる。また、その他の職務発明を巡る事件についても、その背景は必ずしも明らかではないものの、研究者の処遇等を巡る不満が、職務発明を巡る訴訟という形をとって顕在化したのではないかと推測しているのだが、誤っているだろうか。

仮にこの推測がそれほど的外れではないとすると、職務発明を巡る紛争という表面に現れた問題を解決するためには、問題の源流に溯って、研究者の処遇あるいはインセンティブの在り方そのものについて考える必要があるのではないだろうか。そのような問題の源流に遡ることなく職務発明規定のみを改正しても対症療法に留まりはしないかと思うのであるが、読者諸兄はどのようにお考えであろうか。

2002年10月22日

2002年10月22日掲載