第1回
アメリカ同時多発テロに思う
第2回
中国は、脅威かチャンスか
第3回
ブルネイからの衝撃:東南アジア政策を巡って
第4回
グローバリゼーション時代の外交:NGOとの対話
第5回
外務省問題に思う
第6回
瀋陽総領事館事件に思う
第7回
経済協力は何を目指すべきか(その1)
第8回
経済協力は何を目指すべきか(その2)
特別編第1回
日本の「声」をPRSPへ:ベトナムでの新しい試み
特別編第2回
対ベトナム経済協力の新時代
特別編第3回
ベトナムのSARS制圧:日本の支援の果たした役割
特別編第4回
援助協調の新時代:ベトナムにおける日英協力の始動
特別編第5回
援助協調の新時代:ベトナムにおける日英協力の進展
特別編第6回
ベトナム・カントリー・レポート第1回:新世代の国別援助計画、発進
特別編第7回
ベトナム・カントリー・レポート第2回:日本の「声」をPRSPへ:ベトナムでの成果
特別編第8回
ベトナム・カントリー・レポート第3回:投資環境整備へODAを活用:日越共同イニシアティブ
特別編第9回
ベトナム・カントリー・レポート第4回:援助効果向上に向けて:最前線での模索
福田スピーチから25年の年月が過ぎた。その間、東南アジアを巡る状況は、大きく変化した。

第一に、インドシナにおける紛争の終結と、ASEANの拡大が挙げられる。ベトナム戦争の終結後も、東南アジアの安定を揺るがし続けてきたカンボジアの内戦も、1990年代の前半には終息に向かい、和平プロセスが進展した。周辺国に脅威を与えていたベトナムは、86年からドイモイ(刷新)政策の下、市場経済化と域内諸外国との関係改善・拡大を目指す姿勢に転じ、「社会主義陣営の東南アジアにおける前進基地」との性格を一変させた。こうした中、インドシナ諸国とASEANとの関係は大きく転換し、ベトナム、ラオス、ミヤンマー、カンボディアはいずれも1995年から1999年までの間に、相次いでASEANに加盟した。ASEAN諸国の経済発展が強力な吸引力を発揮したと見ることもできる。このように、ASEANは、近隣における共産主義の脅威と対峙する存在から、より穏健な性格のものとなった共産主義体制の国をも含め、東南アジア全体をカバーする地域組織へと変身してきた。

第二に、日本とASEAN諸国との経済関係は、以前とは比べものにならないほど、相互依存の度合いを高めた。それまでも、貿易、投資、経済協力による関わりは密なものがあったが、これに質的な相違をもたらしたのが、相次ぐ円高の波であった。1985年のプラザ合意後、日本の輸出産業は、海外への生産拠点を求めて出ていった。1990年代半ばの円高局面では、更にこれに加えて、中間財貿易増加による域内分業体制の深化や、クロスボーダーM&Aによる直接投資の拡大が見られ、ボーダーレスな事業の展開が進められるようになった。

第三に、長期安定政権の時代の終わりがある。フィリピンにおいては、1966年以来のマルコス体制が1986年に倒され、インドネシアにおいても1965年以来政権の座にあったスハルトが1998年に退陣を余儀なくされた。政治的強権によって経済開発を進める、いわゆる「開発独裁」の時代は終わり、民主運動と政治変革の嵐が吹き荒れた。一方、フィリピンやインドネシアにおいて、長期政権が倒れた後の相次ぐ政権交代が象徴的に示すように、民主化が政治の安定を生み出したとはいいがたい。民主化によって拡大した市民社会が政治体制とどう関わっていくかが課題であるが、強権のタガがはずれた分、民族、宗教、地域に起因する紛争が多発するようになっている。

第四に、国際的なプレーヤーの面では、中国が経済的な実力をつけて、東南アジアにおける存在感を強めてきたことと、日本の停滞が大きい。中国は、労働集約的な繊維産業から、技術集約的な電子電機産業に至るまで幅広い産業分野において、国際競争力を向上させ、「雁行形態的発展」の雁の群れが乱されていると表現されるほど、実体経済において目覚ましい発展を遂げている。全世界の対中国向け投資額は、92年に対ASEAN向け投資額を上回ったが、近年ではその二倍を超える規模に達している。中国の対ASEAN投資も最近急速に伸びている。こうしたことから、東南アジアでは、中国を経済的脅威とする見方が強まっている。中国については、このような実体経済における発展に加えて、「ASEAN+3」やASEAN地域フォーラム(ARF)を通ずる積極的な対ASEAN外交を展開していることが目立つが、さらに特筆すべきは、中国の外交が長期的な視野と戦略的な思考で政策を立案・展開していることである。筆者は、90年代の初めに、中国のWTO加盟問題を担当していたが、中国の政策責任者がWTO加盟やAPECに関わる問題を長期的な視野で捉えていたことが印象的であった。今、中国は、ASEANとの自由貿易協定締結の問題を、そのような長期的な視野と戦略的な思考で視座に捉えている。
その一方で、日本の停滞である。日本の実体経済の停滞ぶりについては、今さら論述するまでもないが、これは日本のマーケットへの依存度の高い東南アジア諸国にとって深刻な打撃となってきた。日本は、東南アジア地域において、貿易、投資、経済協力などさまざまな側面で、極めて大きな存在ではあるが、この10年の間に、「経済モデル」としての魅力と輝きは失われてしまった。日本の東南アジア地域へのコミットメントは、アジア経済危機の際に、各種の支援パッケージの形で明確に示されたが、アジア経済危機が一段落した今こそが、日本の東南アジア地域に対する姿勢の真価が問われる時期といえる。

こうした状況の変化を踏まえると、日本の東南アジア政策のあり方について、いくつかの問題提起がなされよう。

第一は、いつまでも福田ドクトリンが語られるが、日本と東南アジアとの関係の将来像を指し示すためには、新たな概念とビジョンとが必要なのではないかとの論点である。マニラでのスピーチ以来、25年にわたって言及されているということ自体は、福田ドクトリンが、よく考え抜かれた政策パッケージであることを示すものだといえよう。しかし、共産主義が脅威であり、日本のオーバープレゼンスが反発を招いていた当時とは、根本的に時代が変わっている。今の時代には、今の時代にふさわしい対東南アジア政策が必要ではないか、との問いである。

第二は、東南アジア政策といっても、通商、経済協力など個別の分野がバラバラに動いており、何を目指しているのかが明確になっていない。これらを全体として、統一的なビジョンと意思の下に進めるべきではないかとの指摘である。まず、グランドデザインとして日本とASEAN地域との関係の在り方があり、これを実現していくために、各種の政策ツールを統合的に動かしていくべきではないかとの考え方である。

第三に、「中国」という要素をもっと考慮に入れた東南アジア政策が必要なのではないかとの論点がある。アジア各国の経済における位置関係は、中国の台頭によって大きく変更された。冒頭に触れた中国のASEANとの自由貿易協定の協議についても、「どうせ、簡単にまとまるはずがない」と斜に構えるのではなく、日本として真剣に受け止めるべきであり、日本の対東南アジア政策も、この中国の台頭という新たな状況に対応するものにしていかなければならないのではないか、との論点がある。
これらの論点も考慮に入れた上で、日本の東南アジアとの関わり方のビジョンを考えると、どのような方向性が浮かび上がってくるだろうか。


北野 充
KITANO Mitsuru

経済産業研究所
コンサルティングフェロー
(2004年3月31日まで在職)

外交再点検

日本は変わっていかなければならない。経済も、社会も。これまでの暗黙の前提を何も考えずにそのまま実行する時代には終止符を打たなければならない。世界は動いている。変化のスピードはますます速くなっている。グローバリゼーションが進展し、外交のプレーヤーも多様化している。「外交問題」のアジェンダも変わってきている。中国をはじめとして、アジアも変化している。日本とアジアとの距離感も変わってきている。日本の状況とは関わりなく、危機管理を要する緊急事態も発生する。そうした中、日本の外交についても、再点検をしてみたい。世界の変化の底流には何があるのか。日本が世界と向き合う際の立脚点をどこに求めるべきなのか。今まで見過ごしてきたものはないのか。こうした課題に焦点を当てながらしっかりと再点検してみたい。
 
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