第41回──政策シンポジウム・フォローアップインタビュー

「ワーク・ライフ・バランスと男女共同参画」シンポジウムを振り返って

山口 一男
客員研究員

RIETIでは、我が国のワーク・ライフ・バランスの達成が男女共同参画社会にどう寄与できるのかについて考察する政策シンポジウム「ワーク・ライフ・バランスと男女共同参画」を2007年8月28日に開催した。今回は政策シンポジウムの企画からモデレータまで、全体のオーガナイザーを担当した山口一男客員研究員に、政策シンポジウムの総括をしていただくとともに、新たに見えてきた課題等についてのお話を伺った。

RIETI編集部:
政策シンポジウム「ワーク・ライフ・バランスと男女共同参画」では、山口先生のアイデアにより、各セッションごとにそれぞれ異なる意見をお持ちの専門家の先生方に討論していただいて、各テーマについて意見を交換し、共通理解を深めることを目的としていたということですが、実際にシンポジウムを終えて、先生の意図していた通りの議論が展開できたかということと、先生がこのシンポジウムを通じて、今の日本社会に伝えたかったメッセージは何かということについて改めてお話いただけますでしょうか。

山口:
あくまで私がどう思ったか、どう感じたか、という話だという点はご了承ください。今回のシンポジウムでは、4つの課題を設け、それぞれについてワーク・ライフ・バランスあるいは男女共同参画社会の達成ということでは合意しているけれど、それに至るプロセスや見通しが違う方々に、多くの人々の前で意見の違いを明らかにしていただくという趣旨でした。限られた時間でしたが、その目的はかなり達成できたと思います。

両者の合意が得られたわけでもないし、共通の意見にまとまったわけでもないですが、違いがあるならばあるなりに、どういうところから違いが来るのか、どうして違いが起きるのかを討論することにより、理解が深まったと思います。今回、伝えたかったのは、ワーク・ライフ・バランスの定義そのものが、人々の多様性を前提にしており、その多様な人々の考え方の中で各人がワーク・ライフ・バランスを選択していくものだという事。もう1つは、時間が非常に大事だという事。

時間が大事だという事には2つの意味があります。1つは樋口先生と八代先生の議論にありましたが、企業が考える有効な時間の使い方についてワーク・ライフ・バランスは、1人当たりでなく時間当たりの生産性が大事になるという指摘に見られるように、企業や仕事をする人にとって用いる生産活動の資源としての時間の意味です。もう1つは家族あるいは個人の生活において、仕事との調和の上で、生活の質を高めたいと考えるときの、消費というかその使い方しだいで個人や家族に幸福感や満足感を生むものとしての時間の意味です。もちろん、参加者の方にもいろいろな感じ方があると思いますが、ワーク・ライフ・バランスにはそういった2つの異なった意味での「時間の質」が大事であって、それを考え直すことの大切さが伝われば、まずは成功といえるのではないかと考えます。

RIETI編集部:
では、ここでシンポジウムを振り返ってみたいと思います。各セッションの当日行われた議論について先生から簡単にご紹介していただければと思うのですが、まず第1セッション「女性の人材活用とワーク・ライフ・バランス:米国モデルは有用か?」では、多様な働き方を社会が用意すべきだという八代尚宏先生の意見に対して、その前に30代、40代の過剰労働など、日本にはまだまだ前提として解決しなければいけない問題があるというような樋口美雄先生のお話がありました。

山口:
八代先生は「労働ビッグバン」の提唱者で、他方、樋口先生は「市場デザイン」というアイデアを出し、規制緩和をどんどん進めて自由化する前に、いろいろ整備することがあるのではないかというご意見です。ただ今回お2人のお話を伺って、むしろ一致点というか、共通点が非常に多いなと感じました。

共にワーク・ライフ・バランス達成上も、男女共同参画社会達成上も現在の日本の雇用制度に問題があるということではお2人は一致しています。またお2人共今までの1人当たりの労働生産性というような考えに対して、時間当たりの生産性が重要だという考えです。たとえば、1人当たりですとどうしても勤務時間が長くなる。それがいわば樋口先生のお話にあった過剰な残業時間に結びついているわけです。樋口先生のほうから、ワーク・ライフの「ライフ」は過労死などがある現在「生活」だけではなくて「生命」までも考えるべきだという非常に納得のいくお話がありました。お2人の違いというのは、むしろ手順や手続きの問題だと思います。八代先生は、女性の人材活用や、ワーク・ライフ・バランスが進まない最大の阻害要因として、正規社員の終身雇用や年功賃金を前提するなどの日本的な雇用慣行があり、それから男性の働き方に合わせる女性活用の限界があると言っています。ですから、そういった制約をできるだけ取り除いていこうというお考えだと思います。

その基本方針は恐らく樋口先生も賛成だと思うのですが、まずその前に、あるいはそれと同時に、これをしなければいけないという考えを3点ほど挙げられていたと思います。1点目は、規制緩和等の自由化によって国内の格差問題がより厳しくなったといわれていますが、正規と非正規の待遇格差の是正など、起こり得るネガティブな要因への対策を併せて考えていくということ。

2点目は残業に関して。残業は非常に多くなっており、特に正規社員にしわ寄せが来ているわけですが、そういった問題に対する法的な規制を含めて、働き方を見直すということ。

3点目は外部労働市場の整備という言葉を使っていますが、勤め先が変わってもキャリアがつながっていけるような、そういった秩序のある外部労働市場を作り上げていく必要があるということ。そういったことに対しては、これもやはり八代先生は全く反対ではないと思います。ただ、何から始めるかというところでやはり多少違いがあるのかなと感じました。その違いが伝わってきたことがよかったと思います。

それから格差問題に関しては、マスコミ等では規制緩和や自由化が格差を生み出したといった伝えられ方をしていますが、八代先生は自由化の問題あるいは規制緩和の問題と格差が大きくなった事には因果的に関係がないのだというお話をしていました。具体的な説明に関しては、今後シンポジウムを題材にした本の出版も考えておりますので、そこで八代先生のお考えを伝えていただくことになると思います。

樋口先生は、ここは私の推測になりますが、因果関係は実証的には明確ではないと思うものの、やはり多少あるのではないかというふうに疑っておられるように感じます。それで、ホワイトカラー・エグゼンプションもそうですが、今後自由化を促進するということに伴って意図せず起こり得る否定的な要素を防ぐ工夫をしながら改革を進めていくべきだというお考えだということは明確に主張されていたと思います。

RIETI編集部:
山口先生ご自身は規制緩和が格差社会を生んだとお考えでしょうか?

山口:
私自身も専門的に分析していませんので、規制緩和が格差社会を生んだかどうかという判断は出来ません。ただ、現在結果として格差問題が起こってきている事は事実ですから、それに対処することが必要だという認識は樋口先生と全く同一です。

RIETI編集部:
それでは次に第2セッションのお話を伺いたいと思います。このセッションは「ワーク・ライフ・バランス:その前提と道筋」というテーマで御船美智子先生と佐藤博樹先生が討論されました。このお2人の先生の討論からはどの部分が対立軸でどの部分が共通項であるというふうにごらんになりましたでしょうか。

山口:
最初にお2人に討論をお願いしたのは、ワーク・ライフ・バランス社会の達成について、従来佐藤先生は非常に明るい見通しがあり、それに対して御船先生は非常に悲観的だという認識があったので、楽観と悲観がどこから出てくるのかということを皆がわかれば良いのではないかということです。今回のセッションではお2人の考えの違いが明確になったのではないかと思います。

お2人とも当然ワーク・ライフ・バランスを達成する社会が望ましいということ、そこは一致しているわけです。では、どこに違いがあるか。これは私の主観的な解釈ですが、佐藤先生は非常に実験的精神の持ち主というか、過去にいろいろな制約があろうとも、人々あるいは企業はこれからの未来を変えていこうという気があれば、試行錯誤をしてでも、変えて行けるのだと、そういうお考えだと思うのです。

たとえば具体例として、女性の記者の方からの「自分の生活にはもう仕事しかなくなっている、どうしたらいいでしょうか」という質問に対して、佐藤先生は、まず残業をやめてみて、映画を見るなり自分の好きなことをする日をつくってみて、それでもやはり仕事しかないのだというならば仕事しかない人生を選んでもいいし、そうでない場合は別の生き方もあるのではないかとおっしゃっていました。企業に関しても、その意思があればこれまでの制約をどんどん変えていくことができる、家族もそうであるというふうにお考えになっていると思います。

一方、御船先生は、我が国ではまだ家庭内での固定的性別役割分担が非常に強固に残っている点を大きな制約と考えます。たとえば家事は95%ぐらい妻が行っていて、夫はほとんどしていない。そういうものは教育や若い頃のソーシャライゼーションに端を発していて、人々がそういった価値観を長年かけて蓄えてきてしまうと、なかなか社会は変わっていかないというお考えだと思います。実際雇用の機会均等法が施行されてもう20年以上になるのに、男女共同参画があまり進んでいないという現実もあります。

でも私は、人も企業も「過去から抜け出られない」ということには過去への心理的投資のために自縛になっている面もかなりあると思います。今までの人生や歴史を否定したくないという心理です。でもワーク・ライフ・バランスを未来に向けて考えるときには、佐藤先生のように社会も、企業も人も、ワーク・ライフ・バランスが達成できない今までの社会というのは変えていけるし、またいかねばならないのだ、という意識で動いていくことが必要で、またそうした動き自体が社会を変えていくと思います。人々の行動というのは連鎖的ですから、1人でやろうとしてもなかなかできないけれど、人々の選択が他の人々の選択に結びついて、社会の動きとともに連鎖的に動いていきます。でも、みなが難しい、できない、とただ言っていたのでは何も変わりえません。

RIETI編集部:
日本女性の社会進出が他の先進国に比べて遅れている一番の理由というのはどの辺にあるのでしょうか?

山口:
経済的な進出に関していえば、主な理由は、企業内における総合職と一般職のコース制の採用や、パートタイム勤務を非正規雇用としてしか扱わないことを通じて、女性の賃金を低く抑え昇進機会も限定する、というような女性差別的な慣行が強く残っている事が挙げられます。それが経済的に合理的なものかどうなのかということの判断が、私のセッションに関することだったのです。

そういったものが残っているということと、それと関連して、これは八代先生もおっしゃっていましたが、男性の働き方に合わせる女性活用という企業のあり方が家庭においても伝統的な分業の持続を再生産してきた。ですから、企業が変わらないので家庭も変わりにくく、それが女性の経済進出を阻んできたという面があります。御船先生の強調する家庭内の性別役割分業の存続も、そのことを絡めて考える必要があります。

RIETI編集部:
そうですね。夜中に疲れて帰宅したお父さんに家事を手伝わせるわけにいかないという家も多そうです。

山口:
そうです。しかし、私はそういった既存の企業での働き方を前提にして、そこに家庭が合わせていくというのではなくて、家庭のほうから変えていきたいという意思を企業に伝えていく事も必要なのではないかと思います。欧米ではそういう動きが活発に起こってきました。これは総合司会をしていただいたパクさんも指摘していましたが、日本では家庭から、あるいは個人から、発信して企業や社会を変えていくという発想に乏しい。日本の場合にはどうしても家庭と企業が対立すると企業優先の考え方、特に男性はそういう考え方の人が多い。若い人たちは随分変わってきているのかなという気もしますが。

RIETI編集部:
それでは次に第3セッション「ワーク・ライフ・バランス:経済的発想の功罪」を通じての先生のご意見をお聞かせください。経済活動優先ばかりの発想だと危険であり、子育ての時間は非常に大事であるという池本美香先生に対して、あまり親による子育てが大事だという話をすると、専業主婦回帰であるという誤解を招きかねないというような権丈英子先生のご指摘があったかと思うのですが。

山口:
ライフとワークが二者択一にならざるを得ないような、そういう社会の障害を取り除いていきたいという点では、お2人は非常に一致していると思います。

池本さんの一番の関心事というのは、家庭の役割も持ち、仕事の役割も持つという女性が多くなってきている中で、両立支援の方向のみが強調されて、一方で子育てや子供の教育を自分でしたいと思うような親の権利というものが認識されていないということです。

人々は多様であって、池本さんは「親の子育ての権利」や「親の教育権」ということを主張していますが、仕事との両立だけではなく、子供が幸せに育つ社会の実現、それからもう1つは子育てを通じて親たちや人々がつながっていく、社会性を持っていくといいますか、コミュニティを形成していくといったことが非常に大事なのではないかと。仕事との両立ということで、人々の関係が分断化されて、育児時間も少なくなり、便利にはなるけれども、ある意味では人間性がどんどん失われていくというような社会に向かうことへの危惧感を、たとえば「育児のマグドナルド化」というような表現で訴えるわけです。

ですから、日本の少子化対策は両立支援や育児を誰がするかにかかわらず付与される児童手当が中心ですが、人生のある時期に専業主婦になって子育てに専念したい、そういう人たちの育児へのサポートも両立支援同様すべきということなのです。たとえばフィンランドやノルウェーに「在宅育児手当」という制度があって、これらの国ではほとんどの保育所・託児所が公営で政府が大きな支出を払っているのですが、その保育所・託児所に子供を預けないで自分で育てるという選択をする親に対しては、政府が保育所・託児所を支援する子供1人当たりの支援額を、直接自分で育てる親を経済援助するという形で与える、そういう制度をつくり上げたわけです。それによって、子供を保育所・託児所に預けて働く人、預けないで自分で育てる人に同等の権利を与えた。そういう制度も考えるべきであると池本さんは主張します。

私はそのこと自体は子供により平等な制度と考えますが、現在日本の社会では、仕事を辞めて専業主婦になった後に再雇用が柔軟にできるかというと、フィンランドやノルウェーのようにはできません。ですから、こういう制度を作ることによって予期せず男女の不平等が増してしまうのでは困りますので、育児離職者の再雇用の推進等と併せて進めていかないと、他の問題で樋口先生の言っているような意図せぬネガティブな結果を生む懸念はあると思うのです。

しかし池本さんがワーク・ライフ・バランスというものの中に、子供を持つ家族に関しては、子供の幸せと平等を中心に据える考え方を示してきたということは、非常に重要なのではないかと思います。
でも、池本さんの考えには、一方で経済的な便利さや効率を求めることがワーク・ライフ・バランスに有害という意識が根底にあり、そのせいで非経済的価値の重要性を強調する面があります。今回のシンポジウムでは、欧州のワーク・ライフ・バランス事情にも詳しい労働経済学者の権丈先生に、そういった点を含め池本さんの論理をどう考えるかお聞きしようと考えました。

権丈先生の主な論点は3つほどあったかと思います。1つは欧州の家族政策評価の大御所であるロンドン大学のキャサリン・ハキム先生の考えを紹介し、その日本への適応を批判的に検討することで、少子化対策におけるワーク・ライフ・バランスの重要性を指摘された点です。ハキム先生には池本さんが触れられた在宅育児手当を推奨しているという類似性があることと、ハキム先生は社会学者であり経済学とは異なる枠組で考えているので、権丈先生はそれとの比較で経済学的な枠組みでの少子化対策を考えてみたということのようです。在宅育児手当については、私は先ほど、現在の日本の社会は、フィンランドやノルウェーとは事情が異なるために、この制度の導入よりも先に取り組むべき課題があることを指摘しましたが、権丈先生もこの点は同様に考えられています。

次の点は、これは池本さんの考えではないのであくまでハキムさんの考えについてなのですが、ハキムさんの考えを進めると少子化対策として家庭指向の強い女性への選択的育児支援に結びつくのですが、これは女性の間に「家庭指向型」対「仕事指向型」の2極分解を生み、家庭指向型にはどんどん子供を産み育ててもらい、仕事指向型にはバリバリ仕事をやってもらうということになりかねない。でも実際は大多数の女性は、家庭も仕事もともに大事にしたいと思っているのだから、それはワーク・ライフ・バランス上まずいのではないかというのが1つの論点であったかと思います。

この中で、権丈先生は、現在の日本では、子供が欲しくないと考える女性はさほど多くないのに、子供を1人も持たない女性は特に高学歴者に増加している現状を報告しています。こうした状況から、就業か出産・育児かという二者択一を迫られないような社会を目指すことの重要性を指摘しています。また、生涯におけるワーク・ライフ・バランスという視点を重視し、人々がそれぞれのライフ・ステージの中で、働くことに重点を置く時期を設けたり、家庭や他の活動に重点を置く時期を設けたりしながら、その重点をスイッチすることが可能で、それによって労働市場において大きなペナルティを受けなくてもよい社会、また、個人の希望を尊重し、その能力を存分に発揮できる社会が重要であると述べられました。最後の点は非常に大切な点で、私も強調している点でもあります。

第2点は家族政策には、大きな政府支出をする北欧やフランス型から、小さい支出の米国・日本型まで幅があって、「家族が子育てをする権利」を強調しすぎると政府を小さくして家計に負担をシフトさせることを願っている保守層の考えに、池本さんの意図とは違って利用される恐れがあるという点であったと思います。池本さんの考えが「専業主婦回帰ととられる」云々という批判もこの文脈の話です。この指摘は「保守層」=「男女の固定的家庭内分業支持」というわが国の特殊的問題に加え、大きな政府が良いのか否かという問題と、育児のような「家族の問題」は同時にどこまでが公共政策の問題でもあるかという、3点が複雑に絡み、短いセッションで到底答えは出せませんでした。

池本さんは家族という単位を重視するわけですが、これは御船先生のお話にもありましたが、従来日本の家族が非常に固定的な、伝統的な性別役割分業で成り立っている。ですから、今は特に女性が性別役割で二重負担を負っている状態からワーク・ライフ・バランスを達成する新しい社会をつくり出そうというときに、家族ではなくて個人を単位で考えることが大事なのだという意見がフェミニストの間で支配的なわけです。そのときに家族を強調すると、男女の性別役割分業のある家族というイメージが強いこともあって、池本さんの意見に反発する人もある。権丈先生ご自身は大変注意深い表現をされましたが、会場からはより直接的批判がありました。

池本さんに反論する人々は、「専業主婦回帰」であると主張するわけです。単に専業主婦も多様なライフスタイルの選択の1つをして就業女性と同様に育児支援せよというのなら問題はないが、親による育児やそのような家族の重要性を強調すると、専業主婦回帰になるという批判です。でもたとえば池本さんの著書『失われる子育ての時間』の中で、彼女は親が子育てをする時間を持つ権利を強調しているわけですが、それと同時に「子育てをする時間に対する経済的支援とともに、子育ての時間を確保しても職業生活上大きなマイナスにならないような労働政策も重要である」と主張しているわけです。

ですから、彼女の主張したいことを私なりに解釈すれば、これは佐藤先生も従来強調されておられることですが、育児支援を含み政府の家族政策が女性の多様な選択に中立的であるべしということ、これが1つの点です。それに加えて、これは池本さんの主張と私が考えるものとして、子供のいる家族には子供の幸せと平等を中心に考えるべきであること。そして最後に、これは社会学者として私も同感なのですが、社会にとって家族や人々の絆は大切で、育児は、子供を育むことへの共有体験を通じて、人々の間に絆をもたらすものとして考えられるべきであること。そういった点であろうかと思います。

政府の家族政策のあり方ですが、私自身は、政府の役割はあくまで人々の選択の幅の広がる環境づくりが基本で、育児の質を含む個人や家族の生活の「質」の問題は、自らそれを向上させたいという個人や家族の意思と意欲が大切なので、家族への経済支援政策が、人々の政策への経済依存を増すせいで、個人や家庭が自分たちの生活は自分たちで作るという意欲をそいでしまうようなことはあってはならないと思います。

権丈先生の論点の第3点目は、経済的発想というのも幅があって、アマルティア・センの考えのように人間発達を経済発展の上位におく考えもある、効率至上主義は問題だが、経済合理的な考えそのものは家族政策を考える上に重要と言う点であったかと思いますが、これはそのとおりだと思います。このセッションは、問題への解答は得られなかったけれど、問題意識の幅を大きく広げたという点で良かったと思います。

RIETI編集部:
では、最後の第4セッション「女性の統計的差別解消への道筋」になるのですが、このセッションでは出産のときに離職する女性が多いので、企業のほうも、女性はいずれ離職するからコストを生むという理由で、なかなか女性の総合職をとらないといった統計的差別の問題に関して、人事部に裁量が委ねられている事に問題があるという山口先生の批判に対し、阿部正浩先生は、中間管理職業に就く方達の制度の認識不足にも問題があるというようなご指摘もありました。最後のセッションについて、先生が感じたことを教えてください。

山口:
阿部先生と私、それから会場からご発言なさった佐藤先生の一致点は、企業内の人事・労務管理のあり方が女性差別に非常に大きく関わっていて、それが問題だという点です。ただその時に、私が人事部・人事課というのを特に槍玉に挙げたのに対して、そうではなく中間管理職の意識が問題だというご意見が出されました。それに対して私に異存はありません。基本的には、人事部・人事課というのは1つのシンボルであって、特に採用と初期の人事配置、それから多くの企業によっては教育・訓練に関する機会に対してもかなりの決定権を持っています。でも佐藤先生のご指摘にもあったように、企業によって人事決定の仕組みもかなり違ってきているし、中間管理職が問題だということは、同根の問題の1つであると考えています。

今回のセッションでは、私は4つの理由を挙げて、従来、離職率の高さを理由として女性を一括して差別する「統計的な差別」は経済合理的だといわれていたのがおかしいという点を指摘しました。1つは晩婚化という現在を考えると、実際には人材投資をして、それを回復するまでの時間にかなり近いところまで働いているので、離職コスト(女性に男性と同じ機会を与えたときに、女性が訓練を受けて、企業によって育てられながら離職してしまうコスト)がもしあったとしても、実際はあまり多くないのではないかということ。

もう1つは、女性を一括して差別することによって実際には離職を促進し、優秀な女性からどんどん失ってしまうという、これは逆選択というのですが、それについてのコスト。これは差別の機会コストというふうに私は呼んでいますが、それへの意識が非常に低いということ。

3番目はワーク・ライフ・バランスですが、もし女性の離職が企業にとってコストであるならば、これは離職というのは確定的なものではなくて、起こるか、起こらないかわからないわけですね。ですから離職率を下げるという戦略が当然あってもよく、実際欧米諸国はそっちをやっている。ところが、今コストだけを下げようとして、コース制の採用で一般職の賃金を低く抑える結果、かえって離職率を上げてしまっている。

ですから、ワーク・ライフ・バランスを推進して、逆に離職率をどんどん下げていこう、働きやすい、女性にとって両立しやすい環境をつくることによって、女性が継続就業を促進しよう、という発想に向かってこなかった。多少変わりつつありますけども、そういった方向を今まで考えてこなかった事に不合理があるということですね。これが4番目の問題で、それらの不合理の根本原因として、非常にリスク回避的傾向があるというふうに私は呼んだのですが、企業の人事決定者が不確定的なことを避ける傾向があるのではないかと思います。これも経済合理的ではありません。

阿部先生のお話でも企業データの分析結果から女性の優先的な人材活用というか、ポジティブアクションが非常に重要であるということでした。それからもう1つは、ワーク・ライフ・バランスのあり方については、その運用の仕方によって、女性の人材活用に結びつく場合と、結びつかない場合があると。特に育児をする女性に対する支援、福利厚生という面だけでとらえている企業では、ワーク・ライフ・バランス施策を進めていても、女性の人材活用に結びついていない。そういったことが、企業のデータ分析を通じて明らかになったというのは、非常によかったのではないかと思います。

RIETI編集部:
ありがとうございます。今回のシンポジウムでの4つの討論を踏まえて先生が新しく気づいた点というか、新たな視点のようなものがあればそれを教えていただきたいということと、ワーク・ライフ・バランス実現のためにいろいろな事を複合的に考えていかなければならないと思うのですが、たとえば都市部と地方の関係であるとか、介護問題であるとか、まだまだ議論しなければならないような、重要だと思われる論点などがあったら教えてください。

山口:
これは第3セッションで権丈先生が触れられて、樋口先生も少し触れられたのですが、ワーク・ライフ・バランスを推進するに当たって、企業が中心にやっていく部分と、政府が支援すべきことの2つがあると思うのです。やはりワーク・ライフ・バランス施策というのが、経済合理性の面から企業だけで行われてくると必ずしも普遍的には行き渡らずに、企業が利益だと思う部分では進んでいくけれども、そうでない部分は進まない。

これはアメリカ社会がそういう形ですが、ヨーロッパ社会の場合には、かなり政府が法的な整備をして、より多くの人にワーク・ライフ・バランスの達成ができるようにしました。そういった、政府が何をすべきか、企業が何をすべきか、という事を今後具体的に議論していく必要があるのではないかと思います。

樋口先生の議論に関していえば、過労死問題というような問題に対しては、政府が法的に残業時間に対してなんらかの規制をしていくべきなのか、あるいは、これは佐藤先生のお考えだと思いますが、企業の意識改革で解決できるのかどうかという、そういった議論も詰めなければなりません。

それと同時にこれまでの雇用のあり方、柔軟な働き方の推進というのは、アメリカのように民間主導でフレックスタイムや在宅勤務をどんどん進めていけばいいのか。それとオランダのように、ある程度就業時間を雇用者が自分で決められるような権利を政府が保障してくといった考え方が有効なのか。そういった問題も含めて、政府の役割と企業の役割の区別をこれから議論していかねばならないと思います。それは課題として残りましたし、今後とも議論を進めなければいけないと考えています。さらに、私はそれに加えて家族の役割、特に家庭における男性の夫や父親としての役割というのも、見直していかねなければならないと思います。

RIETI編集部:
山口先生としては、日本はどちら主導がよろしいとお考えですか。

山口:
まずは企業が変わっていくのが望ましいと思います。欧米では企業の人材に対する認識がかなり変わってきているわけです。雇用者は単なる労働提供者ではなくて、市場で価値のあるものをつくり出す人たちということです。

たとえば、日本のコース制におけるいわゆる一般職の女性や非正規の人に対する扱いを見てみますと、自分がいい仕事をしたからどんどん給料や将来の機会がよくなっていくという、そういう希望が見えてくる制度になっていない。アメリカの場合にはそういった、長期雇用を前提としなくてもいい仕事をすればそれなりの報酬があって、自分のチャンスが巡ってくるという、制度をどんどんつくり出しているわけです。日本でもそういった制度が民間主導で進んでくるようであれば望ましいと思います。そういった働く現場におけるインセンティブ向上問題というのは、政府がつくり出してくことはできないわけです。もっとも、働いても生活保護を受けている人よりも給料が少なくなるので働くインセンティブがなくなる状況がある場合などには、最低賃金を引き上げるなど政府の役割もあります。

でも私は政府の主な役割というのは、格差問題や、過労死まで生む過剰残業の問題、これは社会保障を含む政府のさまざまなセーフティネットの一環だと思うのですが、そういったことの解決で、これには大きな役割があると考えます。

つまり働く現場のインセンティブ問題に政府は絡むことはできないけれども、自由の拡大が重要であると同時に自由化がもたらす意図せぬ社会的ひずみの問題に関しては公的な制度を整備していくということが非常に必要になると思います。この点私は樋口先生と同意見です。それから権丈先生の問題にされた家族政策への政府支出の役割、これについてはどういう政策であるかに関係し、たとえば私は児童手当を大幅に増やすような次世代育成のビジョンの無い経済支援は問題視しているわけで、一般論ではなく個別施策の是非を検討する問題になろうかと思います。

RIETI編集部:
今後のワーク・ライフ・バランス関連の研究活動や予定があったらお聞きかせください。

山口:
今後ともワーク・ライフ・バランスの考えを中心に、少子化問題と男女共同参画問題を、政策的な具体的な関連事項として、実証的に研究を進めたいと考えています。まずは今回のシンポジウムについて、これだけで終わってしまってはもったいないので、こういった有識者のさまざまな意見というものを広く知っていただくために、また、シンポジウムでは会場からのさまざまな質問もありましたし、その質疑応答が良かったという人もおりますので、それも含めて本という形にして出版したいと考えています。

これはもちろんRIETIもサポートしてくださいますし、出版社も興味を持ってくださっているところがありますので、実現可能ではないかと考えています。最後は宣伝になってしまいますが、今回の話をもっと深く知りたい、特に私の解釈では無く、講演者の方々の直接の言葉で理解したい、そうお考えになる方は、出版されたら是非読んでください。

取材・文/RIETIウェブ編集部 谷本桐子 2007年10月4日

2007年10月4日掲載

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