第35回──RIETI政策シンポジウム「全要素生産性向上の源泉と日本の潜在成長率-国際比較の視点から」直前企画

日本発展のカギは全要素生産性の成長をいかに加速させるか

深尾 京司
ファカルティフェロー

景気が回復し、日本経済が巡航速度状態に近づくにつれ、財政再建の道筋やゼロ金利政策解除のタイミングを考える上で、日本の潜在成長率がどの程度なのかが、政策上の重要な争点になりつつあります。RIETI政策シンポジウム「全要素生産性向上の源泉と日本の潜在成長率-国際比較の視点から」では、RIETIで行ってきた、産業・企業生産性(JIP)プロジェクト環太平洋諸国の生産性比較研究(ICPA)プロジェクトの研究成果をもとに、1990年代以来、上昇が停滞しているに全要素生産性を如何に回復するか、議論を深めます。本コーナーでは、シンポジウム開催直前企画として深尾京司ファカルティフェローにシンポジウムのねらい、見どころ等についてお話を伺いました。

RIETI編集部:
まず、RIETI政策シンポジウム「全要素生産性向上の源泉と日本の潜在成長率-国際比較の視点から-」のねらいについてお話いただけますでしょうか?

深尾:
日本はこれまで景気が非常に悪くて、不良債権問題等の課題を多く抱えていたので「需要が足りない」、「不良債権問題を解決しないといけない」といった議論が中心でした。しかし、景気が回復してきて、通常の成長の状態に近づくにつれて、たとえば景気がどんどん良くなるとインフレになりますので、サプライサイドから見た日本の供給能力がどれくらいあるか。つまり、巡航速度で成長するとして、どのくらい成長が見込めるかが重要になってきました。また、財政再建のためにどのくらい成長が見込めるかということで、たとえばプライマリーバランスを回復するためには、どの程度増税しなきゃいけないか等を決める上でも、潜在成長率が関心を集めるようになりました。

その意味で、日本の潜在成長率について考える際にJIPデータベースが使えるということだと思います。国際的な流れとしては、潜在成長率を考える時に、成長の源泉というのは労働と資本の投入増加と生産性の上昇にありますが、それをマクロベースでは日本経済全体の資本の成長はこれだけ、労働の成長はこれだけというふうに大まかに考えてきたわけです。それを産業レベルで見たり、さらには企業レベルで見る。たとえば、生産性の上昇というのはどういう産業で集中しているか、同じ電機産業の中でもどういう企業は生産性の上昇が高いかを見るという事に関心が集まってきています。ヨーロッパではEU KLEMSというプロジェクトが走り出していますが、EUを中心に産業レベルや企業レベルで成長の源泉を調べることを目的としたプロジェクトです。そこにアメリカや中国、韓国そして日本も招待されて比較調査を行っています。オランダのUniversity of Groningenが中心となって研究しており、RIETI政策シンポジウム「全要素生産性向上の源泉と日本の潜在成長率-国際比較の視点から-」でも、University of GroningenのMarcel P. TIMMER教授が「全要素生産性についてEUは米国にキャッチアップできるか」というテーマで報告をしてくださる予定です。

つまり、欧州や北米、中国や韓国でもそういった研究の流れは現在時点だとEU KLEMSを中心に活発に行っていて、我々はいわば日本代表としてEU KLEMSに参加しているということがいえます。したがって日本だけではなく、日本の経験を海外で比較する形で見てみようというのが今回のシンポジウムの目的です。前述の通り、オランダのMarcel P. TIMMER教授と、アメリカでEU KLEMSに参加しているDale W. JORGENSON教授に参加していただく予定です。

RIETI編集部:
JIPデータのプロジェクト自体はかなり長い間取り組んでいらっしゃいますね?

深尾:
プロジェクトは5年前に始まりました。最初の3年間は内閣府の経済社会総合研究所と一橋大学の共同プロジェクトとして、ESRI/Hi-Stat JIPデータベースという形で、3年がかりでやっと2004年に公表されました。その後はRIETIに移り、2年間でJIP 2006を公開しましたが、JIP 2006は、2002年までしかカバーしていないので、景気回復期が含まれていません。また、最新の2000年基準の国民経済計算が内閣府から最近発表されましたが、それに比べるとやや昔の基準で国民経済を見ていますので、その部分を改訂し、可能なら2004年までカバーし、JIP 2007を来年の春か初夏ぐらいまでに公表したいと考えています。

また、先ほどもお話ししたように、国際的な流れとともに、産業レベルと同時に企業レベル、工場レベルでも分析しようと考えています。

RIETI編集部:
細かい分析ですね。

深尾:
全部積み上げていくので細かいです。マクロは産業に分けられ、産業は企業なり、事業所に分けられますので、成長の原因についてより精緻な分析ができるということです。工場については、工業統計表という一番細かい工場のデータの整理が大体終わっていますので、今回のシンポジウムでは一部結果を発表できると思います。

RIETI編集部:
1990年代以降の製造業を中心に観測されている全要素生産性の停滞の要因をどう見ていらっしゃいますか?

深尾:
1つの仮説として、ゾンビ仮説があります。銀行が不良債権問題が表面化しないように、立ち直る見込みのない企業にお金を追い貸ししたり、金利の減免を認めるために倒産しかけている企業(ゾンビ企業)が倒産せず、生産性の高い新しい企業が参入できずにいるために生産性が停滞しているという議論です。しかし、我々が最近分析した結果ですと、工業統計表のミクロデータの分析を1981年までさかのぼってみても、日本では経済の新陳代謝機能は悪かったんです。たとえばアメリカや韓国に比べると1980年代から日本では新規企業の参入は少ないし、生産性の低い企業が必ずしも退出していない。それから生産性の高い企業がどんどん拡大するということもなくて、昔の方が生産性が高かったのは内部効果といいますが、それぞれの工場の中で努力して生産性が上がっていたために、産業全体の生産性も上がっていたということです。

最近では、生産性が下がったのは結局内部効果が下がったからであって、退出効果や算入効果、再配分効果などは余り変わっていないということがわかりました。
そうすると、ゾンビ企業が問題なのではなく、企業内や工場内の生産性の上昇がなぜ減速したかを調べないといけないということになります。あともう1つ解ったのは、最近までデータを伸ばすと、2000年以降、少し明るさが見えてきて、新陳代謝機能がやや多くなったかなという感じはあります。

RIETI編集部:
それはなぜなのでしょうか?

深尾:
それを調べるためには工場の情報を企業の情報とマッチング(統合)することが必要になります。1つの仮説として考えられるのは、日本でこれだけ新設の工場ができなかったり、生産性の高い工場が拡大しないのは、生産性の高い大部分の企業が今海外に進出してしまっているからです。新鋭の工場をアメリカや中国で作っているので、国内で新鋭の生産性の高い工場の設立や拡大が起きていない可能性があります。日本企業の海外進出はASEANへの進出から見れば80年代からですし、特に90年代以降、中国向けが拡大したわけですが、そういうこととも関係していると思います。これをチェックするためには企業の情報と工場の情報をマッチングしないといけないのですが、そこはまだ手をつけていないので、今回の発表には間に合わないかもしれません。

RIETI編集部:
日本の国内生産の基礎体力が落ちているということなのでしょうか?

深尾:
日本の元気な企業というのは結構いますが、多くは海外で儲けています。結局、工業統計表とか生産性というのは、日本の国内での生産だけを見ていますからね。しかし、企業の利益ではなく、日本の労働者がどう豊かになるかという観点から考えると、やはり国内での生産が拡大したり、生産性が上昇したりすることが大事だと思います。

RIETI編集部:
そうすると、いま盛んに行われている企業の海外進出は格差社会を助長しているということになるのでしょうか?

深尾:
たとえば革新的な技術が投入されると、消費者は利益を得ますよね。それから、生産にかかわった労働者も賃金が上がって利益を得るし、資本も収益が上がります。消費者の利益の面から言うと、新製品が中国で生産されても日本へ輸入されれば、日本の消費者にとっては何も問題ないわけです。
生産者側の利益でみると、資本の利益というのは資本の所有者が日本人である。たとえば、日本人がたくさん株を持っている企業が海外で儲ければ、日本の資産家は儲かるわけです。けれど、労働者のところは抜け落ちていて、海外で生産が行われれば外国で労働者の利益が発生する。だから、できることなら日本で新技術が投入された方が、日本人の利益になるので望ましいということがいえます。ですが、もちろん世界全体から見て適材適所で作るのが望ましいことですから、海外に行くのが望ましくないとは言えないと思うんですけれども、難しいところですね。何が結論だろう……(笑)。結局、空洞化問題は、日本で規制や市場の失敗のために、内外企業の新規立地を阻害している要因があるとすれば、これを取り除くべきだといえますね。

RIETI編集部:
日本の成長可能性はズバリ高いのでしょうか?

深尾:
それは、なぜ生産性が重要かという質問と関るのですが、日本の潜在成長を考える時に、普通はサプライサイドで物がどれだけつくれるかというふうに考えるわけです。そうすると、結局、成長率を規定する要因というのは、1)労働がどれだけ増えるか(それはマンアワー、延べ人/時間がどれだけ増えるかということだけじゃなくて、労働の質をどれだけ良くできるかということを含めて)、2)資本をどれだけ蓄積できるか、3)生産性をどれだけ上げることができるかという3つで決まっています。

このうち資本の蓄積のスピードというのはかなりの程度、労働の増加とか生産性の上昇で左右されるところがあって、たとえば生産性が上がれば企業の収益が上がるので、資本の蓄積が進みますし、それから労働者が増えれば賃金は割と安く推移しますから、やはり企業の設備投資で資本蓄積が行われるということになります。

そういう意味で見ると、根本的な成長の源泉というのは、労働投入の増加と全要素生産性の上昇であるといえると思うのですが、このうち労働の方はご承知のようにどんどん減っていくばかりなので、質の一部を上げるという選択はあり得ますが、かなり限られています。大抵の推計だと、今後10年の間、労働の増加が成長に寄与する要因というのはおよそマイナス0.5%ぐらいです。ほかの要因が同じだったら、労働が減っていく為に日本はマイナス0.5%成長ぐらいになるというのが大体の議論だと思います。10年先はこのマイナス効果はさらに大きくなります。
そうなると、頼りになるのは全要素生産性の上昇だけですが、全要素生産性の上昇は我々の推計だと70年代、80年代には1.5%ぐらいはありましたが、それが90年代になって0.25%まで下がってしまいました。

たとえば80年代頃の水準まで上げることができれば、全要素生産性の上昇率が上がる。そうすると結局、さっきお話したように企業の収益率が上がって、資本蓄積も促進されるので、結論だけ言うと労働力の0.4や0.5%のマイナス要因があっても、2%弱ぐらいの成長は見込めます。そうすると、やはりカギは全要素生産性の成長をいかに加速するかということなのです。

RIETI編集部:
全要素生産性の成長を80年代の頃の水準に戻すには、何が必要なのでしょうか?

深尾:
1つは全要素生産性の上昇というのはごく一部の産業に限られていて、たとえば半導体素子、集積回路や電子部品といったいわゆるIT機器を作っている産業と医薬品やサービス業のうちの金融・保険、電信電話など、いわばハイテク産業での生産性の上昇が高いわけです。だから、1つはこういう産業を拡大していく。たとえば国際分業の中で日本はさらにこういう情報通信技術関連財・サービスの生産を拡大していくというような政策は考えられます。もう1つは、今回、まだ間に合ってないんですけれども、EU KLEMSのプロジェクトの一部として計画しているのは、生産性の水準の国際比較です。既存の幾つかの推計結果を見ますと、非製造業で日本やヨーロッパはアメリカに比べると結構遅れています。そのギャップをいかに埋めていくか。見方を変えれば、埋める作業は楽なわけで、日本の製造業のように世界のトップに居てこれ以上また生産性を上げるのは大変なことですが、ギャップを埋めるんだったら、他国から学ぶべきことを学べばいいのかなという気もします。たとえば、医療だったら日本は参入障壁があって、株式会社が病院を経営できないとか、労働市場一般で雇用制度が硬直的であることなどの制約問題。そのことは一方では平等社会を作っている部分もあるのでしょうが、たとえばITを投入して大胆に労働者の編成を変えて、不要になった人をリストラするというような、日本では恐らくしにくい事を規制緩和や労働市場の流動性を高めていくことで実現していくというのも1つの対策です。

それから製造業については、新陳代謝機能が低いというのは、企業の海外進出による空洞化と関係しているかもしれないので、日本の国内での立地を魅力的にするということも考えられます。日本は人件費が高いというネックもあるのですが、それでも、ハイテク財の生産については、むしろ産業集積とか高度な技術者がどれぐらい利用できるかといったことに依存している傾向が強いといわれています。日本はまだまだ産業集積が一部の産業ではありますし、場合によっては外国からの技術者をもっと受け入れるという政策もあり得るかもしれません。

取材・文/RIETIウェブ編集部 谷本桐子 2006年7月5日

2006年7月5日掲載

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