第24回──RIETI政策シンポジウム「日本のイノベーションシステム:強みと弱み」直前企画

日本の半導体メーカーの競争力低下要因と今後の対策とは?

中馬 宏之 ファカルティフェロー

日本国経済の持続的成長にはイノベーション力が鍵となります。新製品開発において必要とされる技術的知識は益々専門化、複雑化し、また、製品のライフサイクルが短期化しています。その中で、企業が、新製品システムの形でイノベーションを実現するためには、さまざまな専門知識を深化すると同時に総合化し、かつ、それを迅速に行うコーディネーションの仕組みが必要です。RIETI政策シンポジウム「日本のイノベーションシステム:強みと弱み」では、科学-技術-新製品化リンケージ論、産業クラスターと産学等連携論、情報家電産業における「ソフトウェアプラットフォーム」論、製造業における製品アーキテクチャー論を考察した上で、日本産業のイノベーション力の強みと弱みを検証します。本コーナーではシンポジウム開催直前企画として、日本の半導体業界が抱える組織限界とめざすべき専門・統合知識の構築について、中馬宏之ファカルティフェローにお話を伺いました。

RIETI編集部:
日本の半導体産業の国際的競争力は、歴史的にどう変化してきているのでしょうか。

中馬:
大まかにいうと、日米半導体協定が締結された1986年から約10年間が日本の半導体産業が最も輝いていた時代でした。半導体デバイス中のDRAMの重要性が高かった80年代においては、日本は世界の半導体の主要生産国でした。たとえば、DRAMに関する限り、80年代半ばの世界シェアは90%位でした。ところが、この産業にも、90年代の初め頃から陰りが見えはじめます。1990年には我が国の半導体出荷額世界シェアは50%近くでしたが、その後急速かつ一貫して低下し、2000年以降では20%台に下落してしまいました。

業界でよく使われる用語にテクノロジードライバーというものがあります。世界の半導体市場をリードするような半導体デバイスという意味ですが、日本の半導体メーカーは、90年代後半以降、このようなテクノロジードライバーを生み出せなくなってきました。なお、先ほども触れましたが、80年代においてはDRAMが半導体デバイスとして非常に重要でした。事実、CPUやMPUなど他のさまざまな半導体デバイスが、DRAMの技術革新に大きく依存していました。ところが、パソコンの時代が到来した90年代に入りますと、相当に風向きが変わってきます。そして、そのような中で95年から96年にかけてのDRAM価格の大暴落が起きました。95年の時の価格を100としたら、96年には30位にまで低下しました。この大暴落が、日本の半導体産業の競争力低下のさらに大きな引き金となりました。

RIETI編集部:
そういった背景を踏まえ、現状をどう評価なさっていらっしゃいますか?

中馬:
我が国半導体産業が、世界をリードするテクノロジードライバーを創れなくなってきているという点が最も深刻だと思います。確かに、フラッシュメモリーやCCDなどの分野では相当な利益を得ています。ところが、CPUだとかFPGAといった高付加価値製品の分野では、なかなか主導権を握れない状況が長年続いています。

その理由をいろいろ考察するというのが、私の研究テーマの1つです。そのために、研究開発、生産技術、製造の各分野毎に我が国半導体産業がどのような問題点を抱えているのかということを、業界の様々な方々の御協力を得ながら、主にフィールドリサーチを行うことによって検討しています。結論から申しますと、我が国半導体産業は、研究開発、生産技術、製造のどの分野でも競争力が低下してきているようです。しかも、各分野における競争力弱化要因がどうも同一のロジックで説明できそうです。この点は、私の研究における最も大きなセールスポイントだと考えています。

RIETI編集部:
競争力低下の原因は何なのでしょうか?

中馬:
短く表現すれば、マーケットとテクノロジー双方の急速な複雑性増大に直面して重大な組織経営上の限界、つまり、"組織限界"に直面していることが大きな原因だといえます。
当然のことですが、半導体デバイスメーカーにとって、顧客の潜在需要を的確に捉えて、それを半導体デバイス上の機能に落とし込めるかどうかは非常に重要です。そのためには「マーケットをどう読むか」がクリティカルになります。ところが、今の世の中はグローバル化の進行や豊かさの増大によってマーケットがかなりな程度まで多様化・専門化しています。言い換えれば、マーケットの複雑性が相当に高くなっており、しかも、その複雑性が急速に変化しています。このように複雑化したマーケット動向を的確に読むためには、非常に広い範囲での考察が不可欠ですが、日本の半導体メーカーの場合、相対的に見てそのような"読み"の能力に問題を抱えています。そして、そのことが、競争力を弱くさせている理由の1つになっています。

加えて、顧客の潜在需要を半導体デバイス上の機能に落とし込んだ後には、それらをどのようなデザイン上の工夫によって実現するかを考慮する必要があります。その際には、どのようなテクノロジーを使うべきかの判断が不可欠です。そのためには、時代を貫いているテクノロジーの本質的な流れを的確に読めることが重要です。加えて、どのようなテクノロジーを使用すべきかの判断には、それらのテクノロジーを実際に使い込むための的確なプロセス技術の選択も不可欠です。ところが、イノベーション速度が極めて速い半導体産業では、これらのテクノロジーの複雑性が、先のマーケットの複雑性に勝るとも劣らず急速に増大しています。そして、このテクノロジーの複雑性を的確に処理するための組織経営が十分に行われていないというのがもう1つの理由だと思います。実際、半導体業界では、「個々人のレベルでは優れた人々が数多くいるのに、それらの人々をなかなか全体最適の視点から結集できていない」ということを良く耳にします。

このように、半導体メーカーは、マーケットとテクノロジーの双方の急速な複雑性増大に直面していますので、双方ともにうまい具合に対処しないと、高付加価値デバイスを十分に採算が合う形でタイミング良く市場に提供できないわけです。この点、日本の半導体メーカーの場合、繰り返しになりますが、いくつかの組織経営上の限界を内包していますので、相対的に見て両者への対処能力が弱いようです。もちろん、日本の総合電機メーカーの多くは、携帯電話やデジカメ、DVDレコーダー等のコンシューマー・エレクトロニクス市場などではかなり成功しています。ただし、そういった華やかな製品に組み込まれている半導体デバイスという視点で見ると、日本の半導体メーカーの多くは、付加価値の高いデバイスを十分に提供できていません。事実、SONYや松下電器などに代表されるセットメーカーは、熾烈な競争の中で製品価格をどんどん安くしていかざるを得ませんから、よほどの高付加価値製品でないと、半導体デバイスの価格も同等かそれ以上の速度で低下せざるを得ません。実際、デジカメやDVDなどの利益率は、どんどん低下している状況です。

RIETI編集部:
市場が複雑化したということをもう少し具体的にお聞かせ下さい。

中馬:
80年代においても、少なくとも半導体デバイスという意味では、日本がプラットフォーム的な技術を提供していたわけではありません。実際、80年代における日本の半導体メーカーの稼ぎ頭は、IBMあるいはIBM互換のメインフレーム用DRAMでした。その意味では、IBMのスペックに合うような半導体デバイスを作っていたということだと思います。ただし、90年代に入ると、DRAMは、メインフレームやミニコン(ワークステーション)などに代わって、パソコンや家電に数多く使われるようになってきました。そのことは、言い換えれば、マーケットの動向を知るために、以前はメインフレームやミニコン等のメーカーの動向だけ押さえていれば良かったのが、90年代以降マーケットがどんどん複雑になり、DRAMですらも、インテルだけ見ていれば済むという状況ではなくなってきたことを意味します。たとえば、DRAMとCPUとが将来的にどのような機能分担状況になっていくか?そもそも、パソコン自体がどのような使われ方が主流となっていくのか? 各種家電やルーターなどの通信機器では、どのような使われ方が主流となっていくのか? 等々を読みつつ、その流れの中で自分たちはどのような位置取りをすべきか? そのためにはどのような市場&技術戦略が必要であるか? 等々を的確に判断することの重要性が高まっていきました。日本の半導体メーカーの競争力が弱化してきたのは、そういう流れの中です。

RIETI編集部:
本筋と少しずれてしまいますが、今の時代、PCでテレビが見られたりと製品機能も複合化してきていますし、同じメーカーの製品同士でも相当に競合しているようにも見受けられます。

中馬:
そうですね。そのような流れの中で、どのような半導体デバイスをどのような技術でどのようなマーケットに提供していくかを的確に判断することは、相当に難しくなってきています。実際、そのためには、インターネットがどういう形で普及して行き我々の世界変えていくのか? あるいは、より一般的には、そもそも自分たちの作ろうとしているデバイスが、どのような広汎なインパクトを社会に与えるのか? といったことまである程度見通すことを要請される時代になったということでしょうか。このことは、たとえば、半導体メーカーで働くエンジニアやサイエンティストにとっても新たな試練を与えています。これまでは技術だけ見ていればよかったのに、社会学的な要素も考慮しなければならなってきているわけですから。同じことは、文系人間についても、大なり小なり当てはまります。このような状況は、敢えてたとえれば、従来は1~2科目の専門科目を押さえるだけで対処できたのが、今や5~10科目位の知識が要求されるようになっているということでしょうか。

RIETI編集部:
お話を伺っていると、ものすごい天才が社長をやらないと勤まりそうもないような気がします。

中馬:
いえいえ、そのような要請は、天才の情報処理能力さえも超えています。そのため、さまざまな専門能力を持った人たちが、お互いに情報や知識を交換して、より広い範囲で物事を考えることができるようにする仕組みが必要になります。そのために必要なことは、個々人の専門的あるいは統合的な知識をスタンドアロンで使うのではなくて、それらの専門・統合知識をネットワーク化して束ね、それらの上にさらに新たな抽象レベルの専門・統合的な知識を構築・共有していく、あるいはそういう構築・共有がより簡単にできるようにしていく仕組みを導入する必要があります。ところが、日本の多くの企業は、そのような抽象レベルがワンランク上がったところで新たな専門・統合知識を構築・共有するための仕組み作りに大きな問題を抱えているようです。それを、私の論文の中では「組織限界」と呼んでいます。

RIETI編集部:
それは、日本の組織が縦割りであるといった類の問題でしょうか?

中馬:
あるレベル以上では、そうなっているところが多いようです。そのような組織では、各々の部署内でよかれと思ってやっていることが全体最適につながらない状況が顕著化してきています。ただし、同じ日本の中でも、トヨタ自動車の例に見られるように、個別最適化が全体最適化に繋がるような巧妙な組織経営をしている会社をいくつか見出すことができます。

RIETI編集部:
先生の論文の中でおっしゃっているASML (注)のような会社はどうですか?

中馬:
ASMLも、1つの例ですね。論文で扱っている半導体露光装置のような科学の粋を集めた非常に複雑かつ高度な装置の場合、「開発設計部門はこういう設計をしましたので、試作・製造部門ではそれに則って上手に製造してください」と丸投げする形ではものが作れなくなってきています。つまり、産業組織論でいうリニアモデルの限界がより顕著に現れてきています。このような装置では、設計思想(アーキテクチャ)そのものと、もの造りの方法とを同時に探し当てることが必要になってきています。そして、このような状況に対応するには、知恵を結集するための従来型の仕組みを変更しなくてはならないわけです。繰り返しになりますが、この種の複雑なサーチの際には、10~20科目にわたる統合的な知識が必要になります。そのため、サーチの範囲、つまり、知恵の結集の範囲が、さまざまな専門家を求めて企業の境界を恒常的に飛び越えていかざるを得ません。しかも、いろんな分野の人たちが集まって即興演奏をはじめられることが肝要です。つまり、ジャズの即興演奏のように、「今日は、この曲をAm(エーマイナー)でやろう」というだけで皆が一瞬に了解できるような仕組みが必要です。その際に不可欠なものとは、効果的なコミュニケーション・ツールです。

私の論文では、そのようなコミュニケーションを実施するためのツールの1つとしてのモジュラー構造の重要性を指摘しています。モジュラー構造は、最初は不完全なものでも構わないのです。より相応しいモジュラー構造は、そのような不完全なものを、各種の専門家の知恵を結集してブラッシュアップする形で作り上げていけば良いのです。ただし、試行錯誤のプロセスで各種専門家の知恵を結集するためには、モジュラー構造の一目瞭然化を徹底する必要があります。さもなければ、即興演奏的なことはできません。なお、論文では、そのようなモジュラー構造がもたらす便益をinterim modularityと呼んでいます。従来、モジュラー構造というものは、どちらかといえば、熟した技術や枯れた技術にのみ適用可能という風に思われがちでした。ところが、未熟かつ高度な技術にも、やや異なった意味でモジュラー構造が不可欠です。そして、後者のモジュラー構造は、複雑性が増せば増すほど不可欠になります。

RIETI編集部:
我が国の半導体メーカーでは、そういった点を明確に考慮した組織改革の動きが実際にあるのでしょうか?

中馬:
残念ながら、一般的ではありませんね。ただし、いくつかの事例はあります。1つは、極めてユニークな半導体生産システムを展開している広島エルピーダ(エルピーダの製造専門会社)のようなケースです。半導体の最先端工場では、工程間の相互依存性がかなり緊密になっています。たとえば、Aという工程で起きたちょっとした不都合が、Cという工程に大きな悪影響をもたらします。このような悪影響の未然防止や事後的な解決プロセスは、もの造りの現場に最も近いところにいる技能者(オペレーターやテクニシャン)、エンジニアの"変化と異常"への気づきの感度に大きく依存しています。しかも、誠にアイロニカルですが、この種の感度への依存度は、高度に自動化された半導体先端工場であればあるほど高くなります。半導体デバイスへの急速な微細化・多機能化要求に伴い、生産システムを構成する装置・プロセスの余裕度が急速に狭まってきているためです。

また、既知の繰り返しパターンが頻出する作業であればあるほど自動化される傾向が高いですし、それに反比例して人間の知恵に委ねられる作業の難度が増しています。このことは、いい換えれば、最先端工場であればあるほど、旧来の意味でのハード・ソフトウェアとしての生産システムと、そこで働く技能者・エンジニア達の労働意欲あるいは自己実現意欲との相互干渉をより顕在化させがちにします。その結果、量産システムの確立を主務とする生産技術者には、テクノロジーのみならず働く人々の動機やインセンティブへの配慮がより一層求められてきています。つまり、ナチュラルサイエンスのみならずソーシャルサイエンスの知識が要求されるようになってきています。最近、彼らと私のような社会科学者とが一緒に共同研究する雰囲気ができつつあるのも、これらの状況の変化を反映していると思います。この点に関しまして、ここでは詳しく御紹介できなくて残念ですが、先に触れました広島エルピーダの試みは、傾聴に値します。非常に深い意味でトヨタ生産システムを彷彿とさせるような独自の半導体生産システムが導入されているからです。実際、上記のような配慮が的確にできている工場とそうでない工場では、生産性自体にも相当な差があります。このような状況を拝見しますと、まさに"ファブの構成員の精神のあり方自体が、そのファブの生産性などの機能に大きな影響を与えている"わけで、M.ウェーバー的な臭いすら漂ってきます。

RIETI編集部:
先のASMLの事例に戻ると、企業間の連繋をより広い範囲で求めるということは、これまで社内で蓄積してきた知識やノウハウがよりオープンになるということを意味します。そうなると、競合他社に途中で成果を横取りされる危険性が増すのではないでしょうか?

中馬:
それは、どの範囲までのどのような人々にオープンにするとかいうことに依存します。つまり、公共情報としてすべての人々にオープンにするのか、あるいは、特定の排他的な契約企業に属する人々にだけオープンにするのか、といったような選択余地があるからです。その際に、自分たちの保有している知識やノウハウがより高い抽象レベルで整理されていればいるほど、そのような選択肢をより的確に提示できると思われます。実際、他社に開示すべきものでなければ、知識・ノウハウを自己完結型のコンポーネントにして中を見せないようにし、相手との協力が不可欠な部分を的確かつ柔軟にインタフェース化するという工夫が可能です。しかも、知識・ノウハウが高い抽象度で整理されていればいるほど、そのようなことをより容易に行えます。そして、そういうモジュラー化がうまくできればできるほど、社内のみならず社外の専門家の知恵を結集しやすくなります。

RIETI編集部:
最後に、行政が政策オプションとしてできることは何でしょうか?

中馬:
何でしょう。現状の行政システムは、先程来お話してきました一般的な民間企業以上に相当な"組織限界"に直面していますから・・・(笑)。今の状況では、全体最適と局所最適との整合性を考慮したような政策オプションの提示はなかなか難しいでしょう。そのようなことをより容易にできるようにするためには、現行の公務員制度改革を含めた行政システムのより根本的な改革を行う必要があるでしょうね。そういった改革の必要性をより強く認識して頂くためにも、先ほどからお話ししていますような構図を、より多くの政策担当者の方々に認知していただきたいです。そしてその上で、知恵の結集をしやすくする法制の整備や現状でもある程度までは有効な政策オプションの提示ができるのではないでしょうか。

取材・文/RIETIウェブ編集部 谷本桐子 2005年2月8日
脚注
  • 注)オランダの半導体露光装置メーカーであるASML Holding N.V.の略。
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RIETI政策シンポジウム「日本のイノベーションシステム:強みと弱み」

2005年2月8日掲載

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