著者からひとこと

金融ビッグバンの政治経済学

金融ビッグバンの政治経済学

経済政策分析シリーズ2
金融ビッグバンの政治経済学

    著:戸矢 哲朗
    監訳:青木 昌彦
    訳:戸矢 理衣奈

刊行によせて

本書は1990年代後半、日本の金融行政に生じた大変革(ビッグバン)について、この改革がなぜ、どのようにして生じたかを制度論によって分析した政治経済学の作品である。著者は、90年代後半、従来型の既得権益の政治が後退して生じた公益政治が金融ビッグバンを可能にしたと主張し、これを合理的アクター分析によって説明している。

当然ながら、政治を動かす要因は無数にあり、金融では、諸要因は一層複雑に絡み合っている。戸矢氏は、この複雑さのなかにも一本通っている因果関係の筋を発見しようとする。政治学の理論的パースペクティブでは、種々の主張が群雄割拠してその優勢を争っているが、最近有望視されている理論の1つは、著者がとる合理的選択論である。ところがこれまでの合理的選択論は、若い優秀な頭脳を惹きつけている一方で、事実関係の丹念な分析をおろそかにする傾向があった。それゆえ「真実」の発見ということになると、なお努力の余地が大きいとされている。そこで著者は、他の合理的選択論の著作と異なり、その複雑さやビッグバン改革にかかわる諸選択について、その背景にある事実関係を十分に解明したうえで、なぜ、どのように行われたかを明らかにしている。すなわち、著者は、「分析的物語」アプローチによって事実関係が種々雑多に流れていることを示しながら、しかも、1つ1つの物語(ケース)の核心では諸アクターが明快なロジックで動いていること、そうした合理的な行動のなかから、全体としてのビッグバンの選択を可能にした“公衆と国家アクターの同盟行動"が生じたことを示す。著者の合理的選択論は、隙を見せない。この場面における公衆は、publicという言葉で表現している。

本書の底にある著者の企てが大きい。すなわち著者は、政治経済を説明するうえでの制度論の有効性を承認するのであるが、金融大改革は、従来の「制度」論では説明できないとして、まず制度の変革が生じたことを示す理論的作業の出発点としている。この作業は、同時に既存の有力な学説群を論破する試みになる。従来の政治学の有力な学説は、まず、参加するすべてのアクターにとって「政治からそれぞれの力に応じて獲得する」という一定の均衡がある、と考える。言い換えれば、それは多元的なアクターが適度に満足を得て、紛争があっても当該政治社会に予定された手続きにのっとって解決が得られる状態である。その手続きが安定しているとき、「制度」が成立しているといえよう。先進諸国政治における多元主義の均衡を支える制度は、既得権益に力を与える傾向がある。この既得権益の均衡を破ったビッグバン金融改革の前提には、制度変革があったとし、戸矢氏は制度の変革の説明をまず行うわけである。

私自身は団体と行政機関と関係議員が多面的な安定的関係によって説明できる日本政治を「パターン化された多元主義」という表現で説明してきた。この概念は、2つの内容を持つ。第1に、業界団体・行政機関・関係議員の三者関係(トライアングル)が多数存在し、それらの相互の交渉と取引が政権党と行政を介して、安定的に行われると指摘している。第2には、自民党政権を脅かすことはないが強い批判勢力である社会党の存在を重視し、冷戦下では、トライアングルは強めに結束すると主張した。冷戦のグリップがゆるむとき、公益政治はより現実のものとなりやすい。戸矢氏は、細川内閣以後「自民党以外の政党の政権参加があり得るようになった」と人々が予想するようになったことに説明をほどこし、制度変革を説明した。私自身も実はこうした観点から、90年代に日本の政治がどう変革したかを分析したいと考えていたところであるが、そうした時に本書が出た。本書のドラフトを読みながら、やられたと感じたしだいである。しかも、戸矢氏の用いる方法論のレンズは高性能である。

著者はかくして、制度論と制度変革のレンズを利用して複雑な被写体を肉眼でも見えるように、我々の目の近くまで引きよせて見せてくれる。すると、そこには従来の均衡とは別の公益政治が見える。直接的には、青木昌彦氏の「仕切られた多元主義」の基礎にある制度論を手がかりにしながら、既得権益に有利に働く政治とは別の公衆(あるいはpublic)と世論が大きな役割を持つ制度の成立を説明する。理論的な作業を終えた後に組織内アクターの合理的行動を促すインセンティブは、権力や利潤(レント)でなく、組織存続であるとして、具体的にイシューの分析に向かうのである。組織存続のために大蔵省は世論の支持を求め、銀行など既得権益をもつ者は黙った。先の公衆と国家アクターの同盟は、このようにして生じたのである。以上の議論をする著者の論理は明快であり、証拠は十分に説明的で、しかも、議論のリズムも快い。

個人的なことになるが、私が著者に出会ったのは2回である。一度目はある研究会で席を同じくしたが、格別の意見交換をしていない。二度目は、著者から会いたいという連絡を受けて、京都ロイヤルホテルの10階のラウンジで、ゆっくりと時間をかけて政治学と現代政治について語り合った時である。これが唯一最後の会話であった。その後の、思わぬ戸矢氏の急逝という出来事により、逆に長い心のつき合いが生まれることになった。私が戸矢氏の論文の刊行に多少の応援をすることになったのは、この一度の話し合いの縁である。

本書の元となったのはスタンフォード大学の博士論文であり、当然ながら原作は英語である。それがこのような立派な翻訳として発行されることになったことは、個人的に大変嬉しいことであるが、それ以上に、日本の政治学にとって大きな貢献をしていただいた、と思う。

村松岐夫(RIETIファカルティフェロー/京都大学大学院法学研究科教授)

著者(編著者)紹介

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戸矢 哲朗

1972生まれ。1995年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1997~2000年までスタンフォード大学大学院政治学部に留学し、Ph.D取得。2000年に大蔵省に復職し、経済産業研究所客員研究員(兼務)となる。2001年6月、白血病のため逝去。