Research & Review (2002年5月号)

『科教興国』中国の産学『合作』と大学企業──新たな技術革新システムの構築へ

角南 篤
研究員

中国では、今IT産業を中心とした新しいハイテク産業が目まぐるしい勢いで発展しており、日本でも大きな関心が寄せられている。なかでも、北京市北西部に広がる中関村は「中国のシリコンバレー」として世界の注目を集めている。この地域には、中国を代表する北京大学や清華大学といった30以上の大学と中国科学院など200を超える研究機関が集まっており、これらの大学や研究機関からスピンオフした企業も数多く存在している。改革開放から20年、中関村は今や中国の技術革新システムの象徴である。

それ以前の中国は、旧ソ連をモデルとした中央集権型システムにより、国防関係や重工業の発展に関連する科学技術を中心に研究開発を行ってきた。このような国家主導体制においては、民間ではなく国務院の研究機関などが主な研究開発の担い手であった。しかし、改革開放に踏み出した中国政府は、それまでの非効率な研究開発体制を問題視し、旧ソ連型のイノベーション・システム(技術革新システム)からアメリカ、とりわけシリコンバレーを意識した新しいシステムへの転換をめざし、抜本的な改革に着手したのである。

「中国のシリコンバレー」を支えているのは民営科技企業と呼ばれる「ハイテク」企業で、大学・国家級研究機関発のスタートアップも含め、この多くが中関村に集積していることから、この地域がアメリカのシリコンバレーにたとえられるようになった。なかでも、北京大学や清華大学などが設立した企業(校弁企業)集団は中国の民営科技企業の代表的企業に成長している。日本でも「科学技術創造立国」をめざし「大学発ベンチャー」の育成を掲げているが、中国のように研究型大学が自ら直接企業を設立し子会社化しているのは、世界的に見ても稀である。現在、中国全土における校弁企業の数は、5000社を超え、480億元を上回る収入を得ているが、そのほとんどは北京に集中している。また校弁企業による総収入も、北京大学と清華大学の経営する企業集団が3割以上を占めている。

校弁企業の総収入
中国における北京と上海の校弁企業の総収入の割合 (2002年)

中関村と大学企業(校弁企業)の発展

中国における学校による企業経営(校弁企業)の歴史は長い。遡れば、1950年代の「勤工倹学」(勉学と勤労の両立)の思想に端を発する。当時は、大学よりもむしろ小・中学校が中心であったが、「勤工倹学」を行っている学校に対しては所得税が免除される政策まで存在していた。一方、大学でも1960年代には北京大学の理工系学生の実習を目的とした校弁工場のように、利益を生んでいるところもあった。そして80年代の改革開放以降は、大学が企業を設立し経営するケースが多くみられるようになった。その背景には、大学を取り巻く厳しい財政状況により、科技開発の市場化によって予算難や教職員の厳しい生活環境からの脱却をはかりたいという事情があった。80年代当初、大学の校弁企業は初歩的な技術開発・移転やコンサルティングサービスなどいわゆる「四技サービス」が中心であった。たとえば、北京大学の北大方正は「新技術公司」として、清華大学の清華紫光は「科技開発総公司」としてそれぞれスタートしたのである。

その後、1992年の小平「南巡講話」をきっかけに、こうした校弁企業は急速に発展した。1995年には、中国全土に1010校存在する大学のうち700校程度が校弁企業を所有するようになり、2000年の教育部の統計によると、科学技術関連分野ではそのうちの364大学が「ハイテク」校弁企業2097社を経営している。また、教育部の担当者の話によると、2000年の「ハイテク」校弁企業全体の総収入は368億元にのぼり、利潤総額は三五億元以上である。これらの「ハイテク」関連の校弁企業の収入は校弁企業の総収入の七五%に達し、従業員は23万人、そのうち科学技術者は7万8000人に上る。大学に対しては16億8500万元を還元し、国家に25億元の税金を納めている。また一方で、校弁企業は学生に実習の場を与えるという役割も担っており、年間78万人が研究実習を行っている。

中国における北京と上海の大学数 (2000年)
中国における北京と上海の校弁企業数 (2000年)

校弁企業改革と所有権問題──北京大学モデルと清華大学モデル

中国の大学が企業を直接設立し子会社化して経営するには、いくつかの理由があげられる。第一に、大学が保有する技術シーズに対して需要がなかった時期が長く続いたことが考えられる。改革開放以前の旧ソ連型イノベーション・システム下では、大学や研究機関での研究成果を産業として直接移転するメカニズムがなく、また工業化がある程度まで進まないと、産学間での技術移転は困難である。第二に、大学の財政運営の問題がある。中国においても、大学の経費は国家予算によって賄われている。毎年、政府予算のなかから財政部より配分されるが、教育部は財政部に対して教育予算の増加を要求することができる。しかし、国からの教育関連予算は財政逼迫が特に顕在化し始めた90年代ごろより厳しい緊縮圧力が続いている。そうしたなかで、北京大学や清華大学では、経費の半分程度を独自に賄っており、そのなかでも校弁企業による利益の還元は大きな比重を占めている。つまり、校弁企業には不足している予算を補充することが期待されている。

しかし、現在、大学と校弁企業の関係が見直されている。最近では、これまでの大学が直接企業を所有・経営する形態から、独自のサイエンス・パークをベースにしたインキュベーション機能を強化し、大学の本来の役割である教育や基礎的研究と企業経営を明確に分ける方向に向かっている。

その背景には、校弁企業の所有権の問題がある。1994年の「会社法」が公布される前に設立された校弁企業は、ほとんどが「全資(国有独資)」であったために、国―大学―校弁企業の三者の間で大学が保有する財産の管理体制があいまいになっていると問題視され始めている。教育部によると、2000年には5000社強の校弁企業の90%が「国有独資」によるものである。したがって、最終的な経営責任者は国家であるといえるが、実際には大学が自己責任で比較的自由に経営している。こうした場合、校弁企業の経営が何らかの理由で悪化すれば、大学が無限的に責任を負わなければならないことになる。企業の経営リスクをそのまま大学が負う形になるのである。

これに対して国務院は「校弁企業の規範化」により経営破たんの問題が各大学に拡散することを抑えようとしている。具体的には、校弁企業も現在の「会社法」に従わなければならないとし、北京大学と清華大学を全国の校弁企業に先駆けて制度改正することを決定したのである。国有企業の改正(「会社法」の規定に従って、すべての国有企業を有限、株式会社に転換させる)により、校弁企業は大学から独立して有限会社または株式会社として再登録される。その結果、大学が企業の唯一の株主になる一方、国家を代表し株主として有限責任、つまり出資した部分にのみ責任を負うことになる。

校弁企業の経営管理については、北京大学型と清華大学型の2つの制度が存在する。校弁企業の経営責任を明らかにするため、これまでの「全資」による直接的な管理から、校弁企業と大学の間に何らかの「防火壁」を設け、企業経営と大学本来の教育と研究を明確に分ける制度である。北京大学は、校弁企業を大学内の管理部が一括して管理するという「内部管理型」を採っているのに対し、清華大学は、清華大学企業集団公司といういわばホールディングカンパニーを設け「間接的管理型」を選択している。「防火壁」という意味では、清華大学モデルのほうが、より明確に責任の分配を行っているように見えるうえ、よりアメリカの大学、つまりアメリカ版シリコンバレーモデルにより近づいてきていると思える。

校弁企業改革をめぐる問題点

実際には1994年ごろから始まった校弁企業の改革は、1996年の大学改革の動きとともに進んできた。しかし、改革のスピードはまだまだ遅いという指摘もあるうえ、克服しなければならない問題もいくつか残っている。

まず、大学と国家との間にまたがる複雑な所有権の問題がある。校弁企業は国有であるから所有権も国に帰属するはずであるという意見もあるが、実際の校弁企業の登記については不明瞭な点が多い。なかでも、大学側が資金を投入することなく、国からの経費も入れないで起業しているケースが問題になることが多い。たとえば、登記する資金額が50万元だとすると、大学から50万元を借りて登記が終わった時点でこの資金を返却するのである。また、登録されている大学の実験用設備なども、実際にはほとんど使用していないものも多い。この場合、大学が実際に投入するのは技術と人的資源が主になる。したがって、大学や国家からの資金を受けない校弁企業が創業、発展し現在のような高い利益を獲得すれば、その資産の分配が問題になるのは必然的である。つまり大学と企業、そして企業と国家、国家と大学という三つどもえの関係により、問題が複雑化しているのである。

次に優遇税制の問題がある。本来、校弁企業に関しては所得税を含む税制上のさまざまな優遇政策があるが、校弁企業がいったん有限会社になると、税務局からのこうした免税措置の対象外となる場合がある。また、有限会社の場合、株式に基づき利益を配当することが原則であるので、学長が校弁企業から資金提供を受ける際も取締役会の同意を得なければならない。するとこれまでのように、大学が企業に対し容易に資金提供を要求することができなくなる。

石油大学の場合、大学に所属する製油会社があるが、最近有限会社に転換された。この会社は、石油大学で教育実習や研究の場を提供する一方、年間40万tの製油を生産してきた。しかし、近い将来、経済貿易部は環境保護の立場から年間100万t以下の製油会社を封鎖する決定を下す予定で、この校弁企業は、環境保護と経済効率からみても閉鎖に追い込まれる可能性が高い。このような教育・研究目的で運営されている校弁企業をどういったルールの下で管理するか、まだ結論は出ていない。

北京や上海の代表的な大学以外では、校弁企業経営が難しくなっている大学も少なくないなかで、大学企業集団の経営責任の所在を明確にし、大学に対する経営破たんから生じる債務に一定の限度を設けることが求められている。またそうすることによって、本来の役割である教育と研究にある程度専念させる環境をつくり出せる。校弁企業の経営と大学運営を明確にすみ分けた管理メカニズム、とりわけ最近の清華大学の産学合作をめざした制度改革の経験は、現在進行している校弁企業改革成功の鍵であろう。

<出所>教育部科技発展中心の統計資料『中国統計年鑑2001』『中国科技発展研究報告2000』に基づき作成